ダーク・ファンタジー小説
- Re: 地下の帝国 ( No.22 )
- 日時: 2013/02/08 12:10
- 名前: 呉羽 (ID: OK7TThtZ)
- 参照: http://tikanoteikoku
壱話「駒1 瀬川帝徒」
地下帝国 第13番区
ー喫茶店なでしこ店内ー
ざわざわと騒がしいそこでは、今日も忙しそうにウェイターの少年が駆け回っていた。
注文を取っては料理を運び、客の対応をしては料理を運び…。
せわしなく店内の端から端までを行き来し、汗を流していた。
彼の小柄な体躯が転がるように走り回るその姿は、——哀れにすら見える…。
忙しそうに働くのは彼だけではない。
店の奥にある厨房では彼よりも一回りも小さな麗香がせっせと手を動かしている。
彼女が動くたびに栗色の髪がぴょこぴょこと慌ただしく跳ねた。
3時の時間を過ぎたにもかかわらず、店は客であふれかえっていた。
休む間もなく働く少女たち。
それを…他人事のように見ている男が一人。
(めんどくさそうだ。)
そんなことを思いながら帝徒はのんきに湯のみに注がれた茶飲みほし、ため息をついた。
そんな彼に、目の前にいる白衣の男が言葉を投げかける。
「全くお前は、彼らを少し見習ったらどうだ?————つまり、働け。」
「却下。てめぇにンなこと言われる筋合いはねぇ。」
ぷいっとそっぽをむくと帝徒は頬杖をついて窓の外に視線をそらす。
その子供のような言動に白衣の男は呆れたように肩をすくめた。
そこには、あからさまな嫌味の念が込められている。
(こいつは苦手だな…。)
帝徒は胸の奥で舌打ちをする。
そんな彼の心を知ってか知らずか男は愛想のいい笑みを浮かべた。
珈琲を豪快に煽るその男の名は哥戌。
この地下帝国に存在する医者の一人だ。
白衣をまとい、丸井メガネをかけたその姿はたしかに医者に見えないこともない。
しかし、その白衣はしわだらけで、
手入れの行き届いていない黒いぼさぼさの髪と、
顎に不規則に生える無精ひげとが相まって清潔感を欠片にも感じられないのだ。
とっつきやすそうな笑顔とがっしりとした体つきはどちらかというとスポーツマンと言われた方がしっくりくる。
けっと不機嫌そうに唾を吐く帝徒に、哥戌はわざとらしい皮肉を述べた。
「あ〜あ。かわいそーだなぁ、麗香嬢。こんなタダ食い犬を拾っちまったばっかりに…。
自分の食い扶持作るだけでもここじゃぁ大変だってのになぁ…。」
「おい。…犬ってなんだ、犬って。」
ぎろりと哥戌をにらむ帝徒。
その視線に、犬だろうが。とかえして彼はからから笑った。
「ったく。ガキに食わせてもらってるなんざ、いい歳して恥ずかしいと思わねぇか?」
からかうようなその言葉に、帝徒は何も応えない。
めんどくさくなったのか、言い返せないから黙ったのか…。
どちらにせよ、哥戌の言い分は理にかなっているように思える。
帝徒自身もこの状況をあまり快く受け入れているわけではない。
年の離れた妹弟に養ってもらっているような罪悪感が胸の内にあった。
しかし、かといって自分は客商売は向いていないことぐらい承知している。
だから用心棒という名目でこの店に居座っているわけだが…。
「っけ、13番区の店に用心棒なんか必要あるかっての。麗香嬢も人が良すぎるぜ。」
そっぽを向いて大げさにため息をつく哥戌。
地下帝国には15に分割された区がある。
数字が大きいほど地上に近く、少ないほど深い場所にあり、深ければ深いほど治安が悪い。
この店の場所は13番区。
治安は外の世界とあまり変わらない。
…確かに、用心棒などはいらない区画である。
「おまえさんにゃ、2番区のほうが向いてるんじゃねぇの?」
「うっせ、1番区に堕ちて死ね。ヤブ医者。」
「っけ。ここから医者がいなくなってもいいのか?頭を使え、若造。」
帝徒の悪態に哥戌は余裕の笑みを浮かべた。
帝徒も負けじと哥戌を睨み付ける。
騒がしい店の中、一つの机を挟んで二人の男が火花を散らせた。
と、その時。
空気をカケラも読まない声が二人の間に割って入った。
「1番区ってどんなところなんですか?帝徒さん。」
その無邪気な声に二人が振り向くと、そこには公が立っていた。
自慢の白髪をかき上げながらやはり無邪気な目で帝徒を見ている。
「「…。」」
二人の間に沈黙が流れた。
「そういえば、2番区の話はよく聞きますけど…1番区はないんですよね〜。
哥戌さんは何か知ってます?」
彼らの沈黙に気づかないのか、平然と話を続ける公。
その姿を見て、すっかり毒気を抜かれてしまった帝徒が大きく息をつく。
哥戌も苦笑いを浮かべた。
「いやぁ…公君。お前は将来、…結構大物になると思うぜ。」
「?」
珍しく疲れたような表情をする哥戌に公は小首をかしげた。
そんな二人に様子を見ながら、帝徒は自分の頭を乱雑にかき回す。
そして、先ほどの問いに対する答えを淡々と述べた。
「1番区にゃあ、何にもねぇよ。」
「何もない?」
公が訝しげな顔をする。
帝徒がうなずくと、哥戌がにやにやと笑った。
「そ。あるのは古びた洋館と噂話だけさ。」
哥戌の様子を見て、帝徒が深くため息をつき肩をすくめる。
また始まった…。と思いながら。
哥戌はこの手の噂話が大好きで、特に若い奴に語るのを生きがいとしている節がある。
主に怖がらせるのを目的として。
そんな哥戌の意図に気づかない公は興味津々の様子で、やや興奮気味に聞き返した。
「噂って…。どんな噂ですか?」
「まぁ。噂って言ってもいろいろあるけどよ。」
公の問いに待ってましたとばかりに哥戌は口元を弧の字に曲げた。
そして怪談を話すような口調で怪しげに続ける。
「たとえば、囚人マフィアの巣窟説。
ここに収容された囚人が作ったマフィアの本拠地が集まる場所って説だ。
この説が俺は一番妥当だと思うね。
あとは怨霊説や管理人説、吸血鬼説なんてのもある。」
「へ〜。」
公はいつのまにか帝徒の隣の席に腰掛け、哥戌の話に聞き入っている。
帝徒は麗香が叱りに来るのではないかと厨房に目を向けたが、
麗香はやはり忙しそうに駆け回っており、こちらには気づいていないようだ。
「…。まぁ、いいか。」
隣では、哥戌の噂話が続いている。
帝徒は興味がないので、耳には入れず、湯呑みをあおった。
賑わう店の中、そこにはいつも通りの時間が流れていた。
と、
———その時。
突然、店内のざわめきが遠くなった…。
それは、視線。
「…っ!!」
あわてて振り返る。
その先にあったのは、いつもっ通りの喫茶店の入り口。
ざわざわとうるさいテーブルの先にはただ流れていく人の波があるだけ…。
ざわめきの音は元に戻り、隣からもまた、くだらない噂話が聞こえた。
「…。なんだ?今のは…。」
誰かが———見ていた。
もっとも、それに気づいたのは帝徒一人のようだったが…。
それは明らかな殺気をまとった視線だった。
13番区には似つかわしくない程の…。
視線はもうすでに感じられないが、しばらく帝徒はその扉の先をにらみ続けていた。
その視線に怯えたように店内の客が肩を震わせる。
しかし、帝徒の目にはそんなものは映らない。
ただ、扉を見続ける。
そこには何もいなくとも…。
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「もぉ。公君、さぼっちゃダメでしょ!!」
「え?…ああ!!!ご…ごめんなさいっ!!」
「おお怖いこわい。」
人通りの多い道の端にそれは佇んでいた。
騒がしさがやまない店。
それを、光を一切映さない黒曜の瞳で見つめている。
「やっと見つけた。」