ダーク・ファンタジー小説
- Re: 地下の帝国 ( No.23 )
- 日時: 2013/02/08 12:20
- 名前: 呉羽 (ID: OK7TThtZ)
壱話「駒2 大神蓬」
地下帝国 5番区
ーどこかの廃屋ー
薄暗い闇が広がっていた。
何の明かりもないその場所には、無造作に並べられた工業廃品が溜め置かれている。
時折聞こえてくる人工の風の音。
それに交じって、話し声がわずかに鼓膜を揺らした。
廃屋の隅、倒れて転がったドラム缶の影に隠れるように座り込んでいるのは、
少年のような幼い顔立ちに、少年とは言い難い雰囲気を纏った青年。
そして、その傍で寝息を立てている少女だった。
少女はしゃがみ込んでいる青年の脚の間に割り込むようにして彼に抱き着いているため、
その影は一つの生き物のようにも見えた。
「ええ、大体の事情はわかりました。請けたまわります。」
蓬はそういいながら小さくうなづいた。
片手に持った携帯電話からはあきらかに加工された合成音声が何事か続けていた。
それに蓬は無機質な相槌を返し、瞳を閉じた。
「報酬は後日受け取りに参ります。
ご用意できない場合はこちらもそれなりの事はさせていただきますので、ご容赦ください。」
静かに言葉を吐き出すと、蓬は携帯電話をぱたりと閉じる。
無音の空間にそれはよく響き、コンクリートの冷たい床に吸い込まれた。
この地下で彼が商うのは「殺し屋」。
依頼主の依頼を受け、ターゲットを殺し、資金を得る。
報酬は高いが、危険な汚れ仕事だ。
蓬にとっては、それらのことはどうでもいいことなのだが。
先ほどの電話も、その『仕事』の話だった。
蓬は短く息をつき、後ろに転がるドラム缶に背を預けた。
ごつごつとした感触が背に伝わる。
ふと、視線を下げると、規則正しく深い息をする妹の姿があった。
蓬はそっと目を細めた。
自分の胸に身を預け、寄り添う彼の唯一無二の家族。
乾いた苦笑の音が漏れた。
どこか温かみと、ほの暗い闇を内包したその笑みは誰に見られることもなく、静かに消える。
安心しきった様子で眠る椿。
その表情は穏やかで、ひどく愛らしい。
しかし———。
彼は知っていた。
彼女がどんな存在なのかを。
彼女がどんな罪を背負っているのかを。
———おおよそ人とは呼べない生き物であることを…。
静かに蓬はうつむいた。
その表情には痛ましいほどの悲痛の色が浮かんでいる。
脳裏に焼き付いた凄惨な『過去』
笑い声と、無機質な白い部屋。
泣き声と、誰かの叫び。
そして———、一面の赤。
その記憶を振り払うように、蓬は幼い妹の体を強く抱きしめた。
ギリッという歯ぎしりの音が脳を揺さぶる。
その中で彼は耐える様に言葉を紡いだ。
「…守るよ。ずっと、俺が…君を。」
確かにそれは、腕の中の妹に向けられた言葉だ。
しかし、その声音は震えていて、まるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。
計り知れない思いを込めた言葉は続く。
「いつまでも、どこまでも、…たとえ俺の声が届かなくても。」
決意というには、それはひどく歪んでいて…。
でも、それでもまっすぐな…淀みない「覚悟」だった。
「…君が堕ちていくなら、同じところまで堕ちるだけだ。———だから…」
そこで、彼は言葉を切った。
そして己の周りの温度を急激に冷やす。
その瞳には先ほどの悲痛の色も、妹に向けていた仄かな暖かみのある色もない。
———ただ冷淡で、どこか機械的な、無機質な目。
「椿———。」
そう呼びかけながら蓬は椿の肩を軽く揺さぶった。
椿は薄く瞼を開けると、焦点の合わない眼をふらふらと彷徨わせ、小さく欠伸をした。
しばらくそうした後、片手で目をこすりながら蓬を見上げる。
そして無邪気にほほ笑んだ。
「にぃ、おはむぐっ。」
「静かに、しゃべらないで。」
いきなり口をふさがれて、目をぱちくりさせる椿。
そんな妹に蓬は小声でもう一度囁く。
「誰か、来たみたいだから。」
そういって蓬はドラム缶に隠れるように背を寄せ、入口のシャッターに目を向ける。
その様子を見て、椿はやった状況を理解したようで、大きくうなずくと自らの両手を己の口に当てた。
あからさまな忍び足で床をこするように数人が廃工場に入り込む。
隠しきれていない小さな足音が、それを示していた。
この廃工場は地下に根を張るマフィアや不良たちがたまに隠れて会合を開いたりする。
たまたま今日はそこに居合わせただけかと思ったが、違うようだ。
『足音を隠している』。つまり、それは自分たちの存在に気づいたうえでの行動ということ。
蓬の目がさらに細く研ぎ澄まされる。
「追っ手、みたいだ。」
椿が首をかしげる。
「だれかなぁ。」
「さぁ?恨みは買いすぎるくらい買ってるから…。——自警団の人とか?」
「マフィアの人かも。この前、わたしが『食べ』ちゃったから…。」
不安そうに言う椿の頭をなでながら蓬もため息をつく。
「…食い逃げ料金の取立てならいいんだけどな。」
「むぅ…、くろい服きてるからたぶんちがうよ。」
そんな会話を小声でかわしながら二人は脱出の準備をすすめる。
蓬は懐から一丁の拳銃を取り出すと慣れた手つきでたまの確認を始めた。
そして、まるで悪戯を始めるときのように椿に微笑む。
「これから少し仕事があるんだ。弾はあんまり使いたくない。だから、走れるか?」
その言葉に椿は楽しそうな笑顔を返す。
まるで、今からどこかへ遊びに行く子供のように。
静かにうなずくと、蓬は音もなくその場から飛び出す。
驚いて振り返る黒服…。
その頭をめがけて、まっすぐに構えた拳銃の引き金を躊躇することなく引いた。
低い叫び声を聞きながら、蓬は『依頼』の内容について考えていた。
「始末シテホシイ人間ガイルノデス。」
合成された声で紡がれた仕事内容。
それを蓬は頭の中で反芻させる。
「標的は、13番区『喫茶店 なでしこ』の…————。」