ダーク・ファンタジー小説

Re: 【紫電スパイダー】 ( No.22 )
日時: 2014/03/09 18:48
名前: 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE (ID: LHB2R4qF)




 一馬とて、最初から負けるつもりで挑んだわけではない。むしろ「勝つため」その専心で、無我夢中に、我武者羅に、巌を打ち倒しにかかった。戦略については、勝算など知らない。ただそれこそ必死で、閃くがままに躍り狂った。
 唖然とする。呆然とする。息が上がっているまま、観客席を見回す。空気を揺るがすほど、沸き上がる外野。まだ肩で呼吸をする一馬に、降り注ぐ歓声。

「……勝った?」

 そして勝利の味は遅れて、

「俺が」

 まるで美酒のように、

「俺が勝った!」

 胸の底から沸き上がる。
 雄叫びを上げた。両手を天に突き上げた。今この場に限り、少年を縛るものは何もない。あらゆるしがらみをかなぐり捨てて、ただ一身に賛嘆を浴びる。主人公。主人公だ。俺が主人公だ。黄河一馬が、今この場は俺の世界だと確信する。俺が世界の真ん中だと信じて疑わない。
 だから、気付くのが遅れた。

「——ナメてんじゃねえぞオォオオォオオァアア!」

 轟音。反転。
 明滅。視界がぐるりと回った。内臓がせり上がる感覚。違う、これは浮遊感だ。白と黒が入れ替わる。全身に激痛。肺から空気が押し出される。呼吸が止まる。芋虫みたいにのたうち回る。
 スタジアムの端まで吹っ飛ばされて、盛大に背中を打ち付けたのだとようやく気付く。咳にならない咳をしながら、四つ足をついてスタジアムの中央を見る。
 先程まで巌がいた場所にあるのは、砂塵を纏った竜巻。巌のイグニスでめくれあがった岩石が、砂埃を巻き上げて次から次へと竜巻に吸い込まれていく。

「屈辱だッ」

 吐き捨てる声。

「屈辱だッ! ガキがッ! ガキだと思って甘く見てりゃ図に乗りやがって! 付け上がりやがって! こんな屈辱は紫苑の野郎以来だ! 屈辱だッ! 屈辱だッ! 屈辱だ屈辱だ屈辱だ屈辱だ屈辱だッ!」

 まるで獣のような怒声。
 地震のように腹の底まで揺るがす音が連鎖する中でも、その声は聞こえてくる。圧倒的な怒号が響く。

「ガキィ!」

 そして砂塵の竜巻が吹き消えて、

「——生きて帰れると思うなよ」

 姿を現したのは、岩石の巨人。
 巌のイグニス【巨人の暴腕】が、岩石を操るものであるということぐらいは一馬にも察しがついていた。
 巌はそのイグニスで、全身に岩石を纏ったのだ。

「げ、は……俺の、勝ちじゃねえのかよっ……」

 ようやく呼吸がまともに整った一馬は、再び立ち上がる。だが、その足元はまだふらついていた。

「教えてやるよ初心者」

 巌は腕を振りかぶり、

「降参するか、動けなくなるか、死ぬまで。——それがスペルビアだ」

 降り下ろす。
 きっとその瞬間、岩で形作られた兜の下には、良い笑顔が浮かんでいた。牙を剥いた獰猛な笑顔が。
 スタジアム全体が沈むような衝撃。スタジアムの床が砕けて、無数の岩石が浮く。
 そして落石。
 星数ほどの岩石が一斉に落ちる。
 一馬はほぼ反射的に転がった。
 運よく岩を避けて、転がり込んだ先には武器の山。幸か不幸か先程吹き飛ばされた時に、ここまで来ていたのだ。
 あの装甲では、まず間違いなく生半可な攻撃じゃ歯が立たない。火力がある武器が必要だ。そして、一馬はそれに覚えがあった。

「おっ、もいわあァアアアアアホかぁあああぁあ!」

 鼻から空気を噴き出しながら、全力で持ち上げる。
 ロケットランチャーであった。
 正式名称Ruchnoj Protivotankovyj Granatomjot-7、つまり携帯対戦車擲弾発射器。平たく言えば、戦車のドテっ腹に風穴を空ける為の兵器である。
 あろうことかそれを持ち出して、巌に狙いを定めて。何の躊躇いもなく引き金を引いた。
 身体が丸ごと振り回されそうな振動。運が良いことに、弾頭は一直線に巌へ目掛けて飛び。
 爆破音。漫画みたいな爆炎が上がった。
 鋼鉄の武装すら撃ち抜く一撃。一馬には軍事に関する教養などないが、それでもこれを浴びて立っていられる訳がない。そう思ったのに。
 もうもうと上がる黒煙の中から、巨人。

「——は、っ」

 一馬は、モロに巌の突撃を喰らった。
 悲鳴を上げる間もなく、くるくる回って宙を舞う。
 巌の追撃は終わらない。岩石の腕に力を込めて振り抜く。ジャストミート。ぼきぼきと何かが折れる音。巨人の暴腕が、少年を場外ホームラン。壁に叩き付けられて、ずり落ちる。
 ——悟堂巌は強い。スペルビアをやらせれば、持ち前のイグニスで負け知らず。そして巌が岩石を纏う巨人と化した姿、これを破った者は今までにただ一人だけだった。

「——まだ気ぃ失ってねえな?」

 観客席の、一番奥までブッ飛ばされた一馬に言う巌。まだ声から怒気は消えない。
 一馬は答えない。答えることすら、出来ない。意識はあるが、声が出ない。視界が定まらない。
 朦朧とする一馬を、男が抱き上げた。

「ザイツェフゥ……」
「もう、勝負は着いたと思うが」

 獣が唸るようにその名を呼ぶ巌、静かに巌を見下ろすザイツェフ。一馬はザイツェフの腕の中からその顔を見上げたが、その瞳には剣呑な光が宿っていた。

「まだだ、まだ足りねえよ。屈辱を晴らしてねえ。まだ溜飲は下がってねえ! 殴り足りねえ! 殴り足りねえんだよクソが!」

 咆哮。憤怒を露にする巌。ゴーレムとでも呼ぶべき容貌の男は、殺意を剥き出しにして吠える。
 そして、

「——ガキ相手にみっともないぜ、オッサン」

 ひとつ、声が聴こえた。