ダーク・ファンタジー小説
- Re: 【紫電スパイダー】 ( No.26 )
- 日時: 2014/03/10 07:54
- 名前: 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE (ID: LHB2R4qF)
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目が覚めてまず真っ先に視界へ飛び込んだのは、白い天井。一馬はベッドの上に寝かされていた。
思えば公園のベンチだとか電車やバスの中だとか、ここ最近ロクな場所で寝ていなかった気がする。家に帰っても一馬の毛布は穴が空いてるし、布団ないし。やったぜ、ちゃんとしたベッドだ。極楽極楽、さあ二度寝しよう。
……いや、違うから。どこだよここ。
そもそもなんでこんな所に居るんだと、一馬は記憶を手繰る。確かザイツェフに捕まって、釈放のすぐ後「パンドラ」に連れて行かれて、そこで悟堂巌と「スペルビア」をやることになって、勝ったと思ったら一方的にやられて——。
「……ここもしかして天国?」
「開口一番何なんだお前は」
横から聞こえた声に振り向いてみれば、タバコくわえたヒゲのおっさんが怪訝な顔でそこに居た。
「え何? 天使ってザイツェフみたいなオッサン顔してるもんなの? 凄く嫌なんだけど」
「俺もそれは見たくねえな。天使は尻の綺麗な女だ。金髪の若い女に限る。それ以外は認めねえ」
なんでオッサンはこぞってケツに拘るんだ、女はうなじか足首だろ。そう一馬は内心で思った。
「第一、てめえも俺も行くとしたら地獄だろうがよ」
「違い無え。それで、ここはどこだ?」
「病院だよ。警察病院」
「……オイ、タバコ」
「シガレットだ」
ぱきん、と乾いた音を立ててココア味のシガレットが折れた。
あの後、一馬はここまで担ぎ込まれたのだと言う。肋骨を何本かと左腕の骨を折り、内臓にまでダメージを受けているという重傷だったらしい。観客席までブッ飛ばされる程の一撃を喰らったのだから当然と言えば当然、むしろ軽い方なのかもしれないが。
目を見張るべきは、昨今の医療技術だろう。腕は既にほぼ治っているらしく、若干の痛みを残すばかり。肋骨の辺りや身体の中にも、特に異常を感じない。警察病院と言うだけあって、医療系イグニスの使い手でも居るのだろうか。
感心しながら、一馬は自分の手を眺めた。まだ少し疼く左腕、そしてここに居るという事実。つまり、昨日のことは現実。夢や幻や妄想ではない。
複雑な気分だった。
「悔しかったか?」
ザイツェフは、一馬に言う。
「……わかんね。色々ありすぎ」
一馬は、素っ気なく応えた。
時刻は昼過ぎを回った頃だ。開いた窓から、初夏の風が入り込んでカーテンを揺らす。外にはビル群があった。下の方から、雑踏の音も遠く聴こえてくる。どこかでクラクションを鳴らす音がした。
ここはトーキョー。いつもと同じく五月蝿いだけの、退屈な街。その筈だったのに、一馬は新たな世界を見た。スペルビアという名の世界を。
「ザイツェフ」
「ん?」
悔しさもそうだ、確かにある。同時に嬉しさもあった。悟堂巌を追い詰めたという嬉しさも。だがそれ以上に、一馬の胸に去来した感情があった。
「また、パンドラに連れていってくれよ」
それは一馬の退屈な日常を変える、という確信がある。それでしか一馬は満たされない。これこそずっとずっと探していた何かの正体だと、一馬は思った。
そしてもうひとつ、何よりも単純な話。
「この借りを返してやらねえ事には、気が済まねえ」
ここではないどこかを、きっと今ここには居ない巌を見据えて、一馬は獰猛に犬歯を剥いて笑んだ。
ザイツェフは呆気を取られて口を半開きにした後、額に手を当てて盛大に溜め息を吐く。
「一馬、謝っておくことがある」
「何だよ、ザイツェフ」
さっきの獣じみた表情が嘘のよう、アホ面みたいな普通の顔でザイツェフの方へ向く一馬。
「その、何だ……実は最初から、勝てるわけがねえと思っててパンドラに連れていった」
「……あ?」
眉を寄せ、不機嫌を表す一馬。声も刺々しさを帯びた。だが、ザイツェフはそれを遮って続ける。
「落ち着け。いいか、あそこに居たのはスペルビアで飯を食ってる奴が殆ど。謂わばプロだ。戦闘のプロだ。むしろ、手も足も出ず負けるのが普通」
しかも、負ければ何もかもを根こそぎ失う。それがスペルビアだ。それは財産のみならず、自らのプライドまでも。どんな富も戦略も見栄も、敗北の烙印だけで全て台無しになる。だからスペルビアという場に立つ者で、半端な覚悟で立っている奴は居ない。
そこに「半端な覚悟」で一馬が立てば、どうなるか。ザイツェフの中では、いいように遊ばれてから手加減を加えた一撃でノックアウト。世界の広さを知らしめることが出来る。そんな算段だった。
誤算が多すぎた。
「正直ド肝抜かれたぜ。まさかあの巌相手にあそこまでやるとは。——だが、次は無い」
誰だって負けたくはない。況してや一般人のガキになんて負けたら、それこそ名折れだ。
黄河一馬はガキだ。しかし悟堂巌をも追い詰める程のガキだと知られた以上、最早油断は期待出来まい。もし次にパンドラへ行くようなことがあれば、歴戦の猛者達が全力で一馬を仕留めにかかるだろう。
「また行けば、今度は本当に命の保証なんてない。俺だって立場上、昨日みたいにお前を庇うことはそう何度も出来ない。連れていった俺の責任ではあるが、やめておけ。本当に死ぬぞ」