ダーク・ファンタジー小説
- Re: 理想郷の通行証 ( No.8 )
- 日時: 2014/03/27 10:04
- 名前: 御砂垣 赤 (ID: Bl6Sxw0v)
「────がっ!」
着弾と表してもいいくらいの勢いでギルは煉瓦の壁に突っ込んだ。背中から打ち付けたために息の詰まる嫌な音がしたが、何かが折れた感覚はない。
まだいけるか、
と心中で即断し、"一般人"のすぐそばに刺さっている自らのナイフを引き抜いて構えた。
相棒は昨日メンテナンスしたばかりだ。物足りないとばかりにぎらぎらと輝いてさえいる。上々。
ぐわん。
瞬間視界が歪んで嫌な汗が噴き出る。ひときわ大きく息を吐いて落ち着けようとするが、そんな物でどうにかなるような物では無い事くらい自分が一番よく知っているのだ。
嗚呼、こんなことならやはりライブラリの下でもう少し休むべきだったか。否、どちらにせよあの後での襲撃はあったのだ。同じことか。
一巡した思考を落ち着けて今自分が吹っ飛んできた方向をにらんだ。未だここには現れていないが、ここにたどり着くのも時間の問題だ。
中途半端に目の前で"餌"を演じ、予想外の反撃に吹き飛ばされてしまっただけなのだから。幸いここは狭い路地。一気に多数を相手取らなくていい分、労力も少なくていい筈なのだ。
あと七。
カウンターを最後に見てからの自分のカウントを信じるならばあと七体。
そこまで達してしまえば、あとは尻尾を巻いて逃げてしまっても構わないのだ。なんとも、気が楽な話じゃないか。
と、そこまで考えて、誤算も打算も全てをひっくるめた脳の中に──、
あまりに破壊力の大きい言葉が入って来て全てが吹っ飛んだ。
「あの、──大丈夫ですか?」
構えはそのままに間抜け顔で固まったギル。
頭の中で反芻し、その言葉の意味を。ひいては言葉が届くという意味を理解したギルは大きく目を開いていた。
そこには十五程に見えるブロンドの少女が呆けた顔で立っている。年に似合わない旅装の合間から除く長く直射日光を知らなかった様な白い肌が路地裏に酷く不釣合いで、一瞬どこのお嬢様かと思ったほどだ。そんな者が、旅装でこんな路地に何の御用か。
ではなく。
瞠目すべき部分はそこではなく。
少女、ラキは間違いなくギルを見て安否を尋ねた。この路地にいるのはラキとギル以外にありえなく、彼女の祖父も彼の幼馴染も人語を理解しない黒い"異形"もいない。
つまり。
そう、つまりこの少女には、
「み、え……ているのか?」
今のギルが。
「み、え……ていますが、どうしました?」
何も知らないような顔で尋ねる。
どうしました? じゃない。心の底からどうもしないがどうもしない故に不自然で仕方なくどうしようもないのだ。今のギルは、
一般人に見えるはずもないのに。
「……もしかして、"暗運"さん、ですか?」
又聞きの特徴点を継ぎ足して初対面の人間に確認をとるように、少女は尋ねた。
その問いの意味を分からんとした瞬間、"異形"の気配を感じて少女を抱えて裏街へ飛び込む。ナイフを持ったままの右腕に抱えられている体のラキは気が気でないが、その瞬間今までたっていたところが霧散して絶句する。
そのめには、しっかりと"異形"が写っていた。
「おまえ、"名前"があるのか?」
額に脂汗を浮かべたギルに問われ、一瞬言葉に詰まったラキは祖父の言葉を思い出して口を開いた。
裏街の壁に背をつけ、壁越しに伺うようにしゃべるギル。その眼はラキを見ないが、今ラキが襲い掛かっても伸されてしまう妙な自信はあった。
祖父の言葉が繰り返される。
曰く、『"暗運"はいいぞ。あいつは仏頂面で無表情で何を考えているかわからん奴だが、仁の文字を持っている。あれにあうことが出来たら、頼るのも一つの手だ』と。
「は、初めまして。"銀製飾器"です!」
「聞いたことないな。新入りか? もしかして"引き摺り"……俺らの代でやめろって言ったのに──」
「"引き摺り"? なんですか、それは」
「無理やり"名前"をつけることだよ。生き抜くために、な!」
いつの間にか警戒していた眼前に"異形"の姿はない。小さな"異形"達はうごめいているが、所詮それまで。
おかしい。そう思った時にはすでに、一際大きな"異形"が頭上に迫っていたのだった。
ギルはまたもナイフを持ったままラキの襟をつかんで飛ぶ。そして勢いのままにラキを放ったのち、自分は反対に突っ込んでナイフを一閃し"異形"を吹っ飛ばしていた。
「"銀製飾器"!」
ギルはナイフを懐にしまいながら駆け足でラキに近寄る。
伸ばされた腕に頼りつつ立ち上がったラキを見て、真面目な顔をしたギルはすこし固く問いかけた。
「足に自信は?」
「え? そこそこならありますが……」
「そうか。なら──」
言葉をつづけようとするギルの背後。
瓦礫の雨の止んだ路地の奥が疼き、吹き飛ばされただけだった大きめの"異形"がぽよんと起き上った。
なにやら御怒りのご様子。
「ちょっとマジで死ぬかもしれないから本気で走れ」
「え」
先ほどからラキを放っても手放さなかったナイフをしまった意味が分かった。
つまり、本気で逃げるために。
その日ラキは、こんなもんいつ必要になるんだと思いながらも渋々従ってきた祖父の体力作りの特訓に初めて感謝した。
nice to meet you=初めまして