ダーク・ファンタジー小説
- Re: ぼくらときみのさいしゅうせんそう(更新停滞中) ( No.126 )
- 日時: 2025/09/23 16:57
- 名前: 利府(リフ) (ID: VaZ1hO3J)
時を現在に戻し、イサキ家の屋敷にて。
イサキちゃんのとても大事な忠告と確認を受けたあと、シンザワサソリことあっしは、養父の自室にて縮こまっていた。
「お義父さん、いつも思ってたんすけど……ここ、狭くて苦手ですぅ」
「すぐ済むからそんなことは気にしなくていい。それで結局さ、君、殺したのか?」
「うう……殺りました」
「了解、ありがとう!話は終わりだから、あとは消化試合ってことでお菓子を食べよう。ほら、今日は特別に上座に座りなさい」
「はあ……」
ねえイサキちゃん。あっし、やっぱこの人苦手なのよ。
しおらしく顔をしかめて、身体をダンゴムシのようにしぼめたあっしの必殺・弱者のポーズ、何もかも不発。
それに上座ってなによ、知らないわよ!指さずに言うの完全に確信犯でしょ、知識でマウントとるんじゃねえ。
「もー、ウエザもシモザもわかんないです〜。あっしは立ったままでいいです〜」
「上座だって、名前だけでも覚えておきなさい。というか、僕は怒ってるわけじゃないんだぞ。むしろよく役割を果たしてくれたと思ってる」
「……そっすか」
けっきょく上座か下座か分からない所に腰掛けたお義父さんは、意外とすぐにあっしの事を許された。それを聞いて、そんなもんなのか、この人らしいな、と納得しているあっしもいる。
そもそも、別にお義父さんにバレてもいいかな、とは前々から思っていた。
この人はあっしの根底を解っていると睨んだのは、それこそあっしが、この人に出会ってすぐの時期だ。そもそも知っていてここに招いたんだから、同じぐらい性悪だとはわかっている。
「結局立ったままなのかい。まあいいや、ちょっと発信機の件だけど携帯をよこしてみろ。僕もターゲットの動向を見たい」
「たかりだ……」
「真相の為ならお義父さんはいくらでもたかるぞ」
念の為機内モードに設定した携帯を渡し、お義父さんは軽く礼を告げて携帯をいじくり出す。そして十秒後には眉を下げてわざとらしく悲鳴をあげた。
「あー、なんだこれ。向こうから通信ブッチされてんじゃないか、こりゃ発信機の本体をぶっ潰してるな」
「うわーとうとうバレましたか。使い道ないですね、返してくださーい」
「さっきは隣町の敷地まで向かったって言ったね。最後に見た時はどの辺りだった?」
「えーそりゃもう隣町ですねー。返してくださーい」
「ハハハ舐めやがってこのガキ。要するに現在より過去だね?発信履歴を見てやろう」
お義父さんは口笛混じりに携帯を慣れた手つきで触りだした。年若い連中とまるきり違う思考回路をしながらも、まるで親しい学生OBのような態度を取るのだから面白い人だと思う。
「ふうん、この時間に隣町に向かって……その前に暫く別の地点に滞在してるな。座標……此処は……」
へえ、成程、と小さい声でお義父さんが呟く。
心当たりがあるのはそっちもなんすね!とデカい声で煽ろうとしたら、お義父さんが繰り出したパソコンのシャットダウン爆音に遮られ只管に耳がキーーンとなった。うるせえなこのウィンドウズ、バージョンいくつだ。
「シンザワサソリ。この位置情報、チヅルには伝えたか?」
「いいえ」
「素直でよろしい。とにかく、ここが次の目的地だ。チヅルに異論がなければ、後でこの場所まで行きなさい」
お義父さんはメモ用紙に住所をサラサラと書き、地図帳のページの端に容赦なくホッチキスで挟んだ。
「僕の読みじゃあ、ここにあるのは邸宅か空き地の二択だ。娘には君が機械音痴で履歴を見れなかったと伝えておこう」
「なんて奴だッ!ひでえことしやがるッ!」
「おバカでかわいいタイプは好かれるって聞くじゃん。僕もポンコツを見ると脳がキュンキュンする」
「それェ、イラついてるって意味ですねェ……」
お義父さんは笑顔でコーヒーを口に含んだ。
「でもですよ、お義父さん」
「ん?」
「さっきの話ですけどね。いくら自分の計画通りに事が進んでたとしても、身内が身勝手な理由で人を殺してたら、普通はキレるでしょ」
「僕は元から普通じゃない。ずっと前から言っているだろう?君には、チヅルには長生きしてほしい、って僕の願望を託しているんだよ。要求はとうの昔から通っている。それ以上は望むものか」
「……そうですね」
「人間は皆、愛するものの喪失が怖い。そして僕達はちょっと怖がりで、心配症だっただけだね」
お義父さんは講義は済んだとばかりに包装紙を畳み、さっさと席を立つ。何を言われるまでもなくあっしもそれに続いた。
「後片付けに行こうか。僕が珈琲を洗う、君はゴミ捨て。役割分担だ」
「はーい」
ここからは誰に言うまでもない話だが。
ほんッと、あっしは本当はこの人が死ぬほど苦手なんだ。
見透かしているような態度も、手綱を握るような思想も、自分の手の内のみで事を完結させる狡猾さも。
あっしの生き様を薄ら笑って褒め讃える姿も、自分の家族を心から愛している心も。
苦手だ。
だが、嫌いではなかった。
──この人はあっしを助けた責任を取り続けてくれる、という感じがした。なので頼り甲斐だけは確かに存在しているのだ。
まるで親子のように。
あっしには本当の親がもういないし、これは直感でしかないが。
「んじゃゴミ捨て終わりましたし、イサキちゃんとこ戻りまーす」
「はーい。体調が良くなさそうだったから気にかけておいてくれ」
しかしなんなんでしょう、娘の体調を優先してるのかあっしの罪状を優先してるのかぜんぜんわからん。
ハッキリしない気分のまま給湯室から出て廊下へと進む。
数歩歩いて、ぴく、とよくない異臭が鼻をついた。立ち止まって目を伏せ、その正体を脳内の記憶から辿る。
「……火」
焦げた匂いがする。もちろん給湯室からではない。それと、同じ階層で廊下を走る複数の音。
あっしは脱兎のように駆け出し、嗅覚に勘を割きながら慌ただしい足音の聞こえる方へ合流する。マスターキーを腰ベルトに括った顔見知りが振り返った。
「シンザワ!」
「火災か。イサキちゃんは無事か」
「今確認している、自室にはいない!他の者に母上様にお会いになると伝えていたらしい、恐らく──」
「お義母さまなら上だな。給湯室は旦那様が今使い出したばっかりだ、異常はない」
お義母さんの名前を久々に口に出した。イサキちゃんはよく懐いているが、それでもあっしには半ば遠い過去の人になりつつある。
「何が燃えてるんだ──」
その刹那、裏口側の方角にチラついた火に気づき、あっし等は続け様にそれを目の当たりにした。
「─────……」
事は既に起きていた。
ポーチの上に転がされた、上半身だけが黒焦げになった人型の何か。
「あ、あの服装は、警備の……」
使用人は息を呑み、あっしは軽く頭を抱えた。
警備員の胸ポケットに割れた黒いガラス片のようなものが見える。恐らくスマホの残骸だろうが、最後の抵抗で割ったのか。
「……画面が割れている。ヘルが来たのか?」
「いや。ヘルは身体の一部を焼く能力なんて持ってねえよ。そもそも身体を損傷すれば、その傷ついた箇所を使うのは難しくなる。やる理由がない」
“黒烏”との戦闘で、全身を壁に強く叩きつけられたヘルはその時点で戦闘不能になった。つまり他人の脳ミソを乗っ取っている以上、憑依先の頭部に強いダメージが入ればヘルの勝ち目は消滅する、というのがあっしらの共通認識だった。
「このやり方じゃヘルは得しないってことだな」
「しないね。もしくは誰かと手を組んでいるか」
「その、誰かとは」
「わかんないよ。だけど、火だろ?あっしはサエズリケンジじゃねえかと思うが」
仲間が「そんな……」と呟いて、悲痛そうに頭を抱えた。
「奴ら……2人がかりで、お嬢様を狙いに来たってのか」
「───」
そこへ、給湯室から出てきたお義父さんがスタスタと歩み寄ってきた。
「残りの面子は別行動か。使用人一同に通達してくれ。階層ごとにメンバーを分け、特に3階には重点的に人員を割いてチヅルを捜索しろ。発見次第ここを脱出し、最悪の場合この場は放棄だ」
それと、とお義父さんは続けて呟き、流し目であっしを見やる。
「容疑者にサエズリケンジの名前が上がったようだね。能力による発火のスピードに間に合うかは分からないが、1階と2階倉庫に置いている消火器で対応しろ。僕も追って合流する。以上だ」
「はい」
「あと、シンザワサソリはここに残れ」
え?と隣にいた使用人仲間が声を上げる。あっしが「やだなあ、ヒミツのプランXの話だよ。屋敷が変形するかもよ」と適当なことを言って背を叩くと、仲間はお義父さんとあっしの顔を見比べて納得いかない顔で走り去っていった。
「で、どうしました?今度こそイサキちゃんの様子を見に行きたいんですが」
「それより前に、出口近くをよく見ろ」
お義父さんが指した先には、黒焦げ死体の傍に滲んだ血があった。
その血は横に引き伸ばされ、掠れつつも文字列を呈している。
『HELL』
それは稚拙ではあるが、読み取ることは叶う、鮮血で描かれた警告だった。
「いやはや、予告状か。てっきり暗殺専門のハイエナと思っていたが」
「……」
「薄らだが、血の足跡が外に続いている。第三者がこれを書いて去っていったというのが正しいか」
黒焦げの死体、血文字、犯行声明どころか予告状、ヘルがここまでする必要があるのか、と。
お義父さんは窓際で目を細めながら呟いた。
「なあ、シンザワサソリ。今から聞くことに他意は無いんだが」
この家系で育つものはいつもこうだ。
その言葉に善悪の概念はなく、何もかもこれ見よがしに、ただ知りたいから聞いてくる。結末や答えのおぞましさを一切恐れず、やりたいことをやろうとする。
あの子もこの人も、結局あいつだってそうだった。
「一言で教えてくれよ。サエズリケンジというのはどういう男なんだ?」
「あれは……」
あっしは上手く笑えないままでいた。
が、その問いをかき消すように叫び声が場を劈き、使用人のひとりの女が駆け寄ってきた。
「チトセ様、シンザワ!!こちらでしたか!」
お義父さんはにこやかな顔のままで呟く。
「その顔、見つけたってわけじゃないな」
「はい。……3階廊下に仲間が2人……死んで、います」
「状況が最悪だね。遺体はどちらへ?」
「申し訳ありません、運べませんでした。……燃えて、いるんです」
「燃えて?」
「っ、分かりません!2人は3階のツヅルお母様の部屋を開けたようなんですが……その途端、身体が急に燃え出したそうで……黒焦げになっても燃え続けているのです……!」
──サエズリ。流石に看過できない。何がしたいんだ?
あっしは3階へ向かって走り出した。
後ろに取り残された2人が追ってきているのを確認し、階段を駆け上る。
イサキちゃんが勘繰っていたであろう通り、自分はサエズリについて知っていた。過去に交流があった。だが、アレの性格上こういう手段を取ることはないと思っていた、それなのに。
(ああ……ごめんなさい、お義父さん)
(ほんっと、俺、見る目が無いんだよな……)
***
「警備、来たか!火の手だ!先程3階で火が見えた、消火器持ってこ──」
『あっそ』
振り返ったその眼を呑んだ。乗り捨てたのはこれで今日3人目。
広い屋敷の廊下を死神がゆく。ひゅう、ひゅうと口笛を吹きながら歩いていく。
死神がきょう得たものは、図体が大きく人好きのする顔の男の身体、その他もろもろ。
出だしこそ気が急いたがそれ以外は問題はない。今日やるべき事は潜入でしかない。
『はーあ、ここまでは順調だにゃあ。レイはうまくやってるかなあ……』
通りがかった窓の前で、別働隊になった人間兵器のことを思う。彼女は大丈夫だろう、確実に負ける理由がない。“邪魔者だけ消してゆっくり仕事をこなす”という脳筋プレイが通るのだから。
だが今回彼女に求めているのは皆殺しではなく、捜索の任務だ。フツーに頭回るからフツーに仕事こなしてくれますように、と廊下の真ん中で神頼みをする。
『しかし広いぜこりゃ。イサキチヅルちゃんもどこにいるんだろ?頭が良くていろいろ知ってそうだし、ちょっとはオハナシしてえなあ』
ゆらりとした足取りで階段に足を向けると、異常な熱気が肌をくすぐった。
『──ナニコレ、どこまで燃えてんの?』
さすがに嫌な予感を感じて階段を駆け上ると、煙の臭いが益々濃くなってくる。適当に鼻をつまみながら火元を目指してみれば、そこにあったのは開けっ放しの扉だった。
扉の横には黒焦げの死体が2つ転がっていた。燃え続けて異臭を放つそれに思わずしかめっ面になる。
それらを蹴飛ばして進み、幼児番組のような身振りで部屋の中を覗き見た。もしやヤケっぱちでドカンとやっちゃったのかなあと思っていたが──
さしもの自分も目を疑った。
その火は天井まで届くほどの勢いを成しており、もはや炎の壁と呼ぶべき形状をしていた。
『あーあーあー、バッカじゃないの、大火事だよ。なんのつもりでやってんの?屋敷のみんな泣いてるよ』
炎の向こうに人影が揺れる。
イサキチヅル、と呼ばれる女だ。
火の粉が舞う室内で、イサキは何かを庇うように立ち、咳き込んでいるようだった。顔はキッチリとこちらを向いているらしい。彼女の眼以外の全身が睨み付けてきているとわかる。
「ヘル……。燃やしたのは、お前ではなさそうだな」
『あ?キミでもないのか。じゃあ、誰かに嵌められたってワケなのね』
「私がここを訪れた途端に燃えだした。そして私の声を聞いて、入口にもう2人来てくれたはずが、彼らまで……」
『あ〜……よくわかんねーけど、ご愁傷様』
素で驚いた。攻め込まれたからヤケクソで燃やしたのかと思ったが、本人の口ぶりがそうではないことを物語っている。
ましてや外の黒焦げ死体、火に巻かれたんじゃなくて入口を開けたことがトリガーなのかよ。
じゃあ自分はなんで燃えてないんだろと思うが、おいらが今も生きている時点でそれは相手の慢心だ。いつでも寝首を掻こうっと。
『そこにもう一人いるな。どちらさま?』
「分からんのか、私の母だよ。私も母の様子を見に来てこうなった」
そういえばまあ居るか、とおいらはぼんやり思い返す。イサキ家は3人家族、養子が1人、あと有象無象の使用人が少し、とはレイ情報だ。
しかしイサキチヅルの背後にいる母親のシルエットは、椅子のようなものに腰掛けてぐったりと脱力しているように見えた。
一歩も動いてないし、もう時間の問題じゃないの?と首を傾げたが、別に本当に死んでようとイサキお嬢が可哀想なだけだし特に指摘はしない。
「私を乗っ取りに来たのか。目的はなんだ」
『さあなあ。それより誰が燃やしたの?そもそもこの燃え方は何?壁みたいになってるよ』
「知っていようとお前に教えるものか」
イサキチヅルは首を横に振った。
室内には炎が充満しているというわけではない。まるでおいらとこの女を分かつように、城壁のごとき炎の壁が燃え盛っている。
絨毯と天井は焼け焦げているが、それ以外に可燃物の類は見当たらず、炎の中に黒焦げになった焼けカスもない。
こっちが言うのもなんだけど、異常だ。
何かが燃えているというより、“炎というオブジェクト”がそこに配置されている、というのが正しい。
(……まさかねえ)
これがレイに聞いた、あの「サエズリケンジ」とやらの仕業か。人体を突如として発火させ、即座に焼き殺した能力。
だが、これもサエズリのやったことだとすると、何故炎はこちら側とこの女を隔てている?
サエズリは、虐殺の生き残り……マツリバを焼死させたと聞く。でも死神の本体は電波だ。乗り移った人間の身体が燃えようと、また乗り換えれば済むことだ。
だからサエズリも精々、いつでも殺せる同業者とみていたが──そうじゃないみたいだ。
「お前は、私をどうするつもりだ」
『どうってまあ、キミが考える通り、眼を呑んでキミの死体で人形遊びする感じだけど』
「ふ、馬鹿な子供だな。持たざる者は人形すら買ってもらえないわけか」
『んふふ、そうそう。ところでサエズリはキミ達の敵で間違いない?』
「そうじゃないか。それも知らんのか」
『ふーん、じゃあおいらがキミを殺しても問題ない、ねっ!』
死神は可愛らしく首を傾げ、直後、地面を強く蹴って前方へ跳んだ。
炎が肉体を一気に覆ったが、もう遊んでいる暇は無いし、第一身体が一瞬燃えようと痛もうと何ともない。動ければそれで目的は果たせるんだからね、箱ン中のお嬢サマ。
熾烈な高温がガワを焼き、距離を詰め、黒髪の女が眼中に入った。
哀しきことに、炎の壁は完全に抜けている。思ったよりも薄っぺらくて本当に残念!
女はその眼を瞑り、臨戦態勢を取っていたが、こじ開ければぜーんぜん大したこともない。死んでしまえば終わりだ。
今の身体が焼け落ちる前に、終わらせてしまおうと手を伸ばし──
瞬間、背後から強い熱気が急激に迫り、視界が真っ赤に染まった。
『は……』
炎の圧が轟音を立て、人肌を焼いた。
言葉を発する前に激痛が走り、見遣った自分の身体も、焼け焦げて黒くなっている。困惑に口を開いたまま地に伏せた。
(マジかよ、やりやがった、あの能力者)
吸い込む空気が限りなく熱い。
こんな感覚は初めてだった。悲鳴になりかけた怨嗟を喉元でこらえ、焼け焦げる痛みに身をよじらせながら考える。
(後ろ、炎の壁はまだ残ってる──)
(なんだっての、この炎に触れた奴を一気に焼くのか?どういう条件だ!?)
そんな芸当持っていたのか。ズルくない?おいらもズルいけどてめえは流石にナシだろ。
レイはサエズリケンジとの交戦は経験していないと言ってたが、せめて動向をもう少し見ておくべきだった。
畜生──これで“測定不能”じゃないのか、クソ野郎!
それならせめて、目の前の女に一矢報いる程度でもやるしかない。
追いすがるように焦げた手を伸ばし、女の顔にピントを合わせ、
『イサキ、てめえ──』
「……ぎ、……ぅ、ゔうう…………!」
そうして、おいらは目を疑った。
目の前にいたはずのイサキチヅルが、全身を炎に焼かれていた。
自分と全く同じように。
『……ああ?』
おいらともあろうものが、無いはずの背筋が冷える。まさか、この発火能力、条件もクソもないのか?
いや、間違いなくあるが、バカみたいに緩いってこと?
「……おい、廊下の天井に火が回ってる!消火器!!消火器いけるか!!」
「サエズリの仕業で間違いない!イサキちゃんは中!?」
「やめろシンザワッ、まだ待て!お前まで焼け死ぬぞ!屋根が落ちッ、」
背後、廊下の側から叫び声が聞こえると同時に、廊下の屋根が大きな音を立てて崩れた。──どうやら完全に逃げ道を失ったらしい。
(何なんだ、アイツ……敵対勢力ぜんぶ根絶やしにするつもりか)
『っ畜生が、眼ェ開けろクソアマ!』
「い、嫌だっ、ことわ゙、る……」
生きるために柄にもなく必死に叫んだが、目の前の女が焼けるスピードは更に加速していく。単純に考えてもう大量の水を被せない限り手遅れだし、助けが来ない以上コイツの死は確定したも同然だった。
『共倒れしてぇのかッ!!サエズリケンジの殺しの基準はなんだ!分かってんなら、教えろ!』
「ぐ、ぅ……確証はっ、無いが……知りすぎた、ものを、燃やして……」
『はァ?知りすぎただぁ!?何を知ったっての!?』
イサキチヅルは強く咳き込み、乾ききった虫の息で呟いた。
「思い出してはいけないことを、思い出し、て……」
ジュウ、という音を立ててイサキが生理的に流した涙が蒸発する。
『おい、おいっ、眼ェ見せろ、キミだってもっと知りてえんだろ、探偵!!おい!!』
あまりの怒りに絶叫した。
もうイサキチヅルの顔は地に付していたが、その髪を握って必死に掴み上げるしかない。双眸は頑なに開けられず、瞼が真っ黒に焼け焦げていくのみだった。
ああ、クソほど熱い、なんで、なんでだ。
気持ち悪い──
こうやって、役割も果たさず、歯車にもならず、意地だけで無意味に生きて死ぬ人間共が気持ち悪い。
どいつもこいつも螺旋を下って無意識に滅んでいくばっかりじゃねえか、この役立たず、“不変を選んだカス共”の落ちこぼれ。
だから利用してやってんのに、どうして拒む!!
──これがおいらの存在理由だ、その起点をコイツらが知ってると踏んだからこそ、ここまで来たってのに!!
『イサキッ!!全部情報を吐け!!
“おいらを造った奴”がッ、そう望んでんだよ!!
分かるか、分かんねえだろ!!?考えたことあったかよ、テメエ!?』
──その刹那。
イサキチヅルが息を呑んだ気配がした。炎がいくらバチバチと音を鳴らそうと、かき消せない感情を感じた。
煤だらけの顔の中に、真っ青な美しい眼が開く。おいらが今まで見てきた中で、一番美しい眼だ。
そして黒焦げになった手が、震えて崩れながらもある一点を指した。
「おかあさん、」
「目を、開けてくれ、私の声を視てくれ……」
ここに真実が残っているのなら、それを知るものが1人でもいなければ。
そう、消えかけの声が響いて消えた。
***
「落ちてきた屋根はどうだ!」
「まだだ、半分は鎮火したが……おい、シンザワ!?」
周りの制止の声など一切聞こえないと言うように。
燃え落ちた屋根だったものを踏みつけて、シンザワサソリは3階の部屋に茫然自失の面持ちで向かった。
「イサキちゃん」
死体のように血の気の失せた顔で、シンザワサソリが焦げ付いた部屋に立つ。
「死んじゃったの?」
部屋の中に転がっていたのは、炭に成り果てたイサキチヅルの遺体だった。
ぽつりと呟いた言葉に返すものは無いが。
その見開かれた眼に、煌々と輝く怒りを煮溶かしたような金色が滲んでいる。しかしてその双眸に光はなく、悪魔そのものが問いかけるようだった。
「あ、ああ、あはははは」
空気を一変させるほどの狂気を全身に宿したまま、シンザワサソリはつかつかと遺体のもとに歩み寄る。
そして、その身体を臆せず抱き上げ──
「はは、いや、まだ、まだ間に合うよね。
帰るよ、これなら大丈夫、大丈夫のはずだから……」
ぼろぼろと崩れていくそれに、ざりざりと頬を擦り寄せた。
そうしてその残骸に過ぎないものを丁重に床へ下ろし、懐から出したナイフをおもむろに抜いた。
金属音が響き渡り、続く言葉が死刑宣告のように告げられる。
「ヘルを殺してから、帰ろうね」
……なんでこの屋敷、イカレしかいないのよ。
イサキチヅルは、先程あろうことか自分の母親を指で指した。
母親の身体は一切燃えておらず、目を開けた穏やかな顔でそこに鎮座していたのだ。
いま、乗っ取って解る。この人体は生きるための機能をずっと果たしており、先程までの惨状も声も上げずただ傍観していたのだと。
眼が開いているということはおいらにとって入口が常時オープンということだが、この女を呑んでから視界は真っ暗だった。どうやら視力のハンデを持っていて、ここに囲われていたのだろう。
身体は細い。生きる機能はまだ備わっているが、病弱な人間のそれだ。
それ相手に目の前の人間はナイフを構えた。
こいつは能力者ではないのだろうが、それだからこそ解る。
持たざるものは、戦争に向いている。
要するに、おいらはコイツの地雷を踏んでいた。イサキを潰したとなれば次はこっちだ。やられる前にやらなければ、という確信だけで動くしかない。
ガシャ、ガシャ、とガラクタを踏みしめる音が迫る。
手に入れた身体から、シンザワサソリの眼の位置を感じ取った。
その双眸は開いている、今突っ込むしかない。
おいらは即座に女の身体を飛び出し──
待て。なんでキミ、眼が開いてんの?
***
『ヘルは最後の最後に見誤ったな。それが一番の愚策だったんだが、選んでしまったか』
陽が沈む街の中、サエズリケンジは民家の屋根の上で掌中の炎を弄んでいる。
そうして踊る火の有り様をしばらく眺めていたが、やがて興味を無くしたように握り潰した。
『彼を造ったものか……やはりそういう話になってしまうんだね。シンザワが次にやることも察しはつくし、まあ、これならもう止めようがないだろう。
止めようとすれば、全員を殺すことになる』
夕暮れの街にサエズリは手を1つ叩き、仰々しく叫ぶ。
森羅万象に通達するがごとく、神の声のようにそれは一帯へ響き渡った。
『いいだろう!ついにこの盤上から無能は消え去った。親愛なる有能たちの為、これより私の炎の境界を消し去ろう。
気兼ねなくその緞帳を超え、世界の真実を知るがいい』
──さて、いよいよ種明かしだ、怠惰なる魔女ども。