ダーク・ファンタジー小説
- Re: このティッシュ水に流せます(ハートフルボッコ注意) ( No.124 )
- 日時: 2015/02/22 13:47
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: eWyMq8UN)
「——部屋着姿の女子を保護。……繰り返す。○○坂×丁目、△—□にある住宅に侵入した13歳から16歳と見られる白い部屋着姿の女子を保護。ひどく錯乱している為、現在車内で警察職員が説得を試みている、どうぞ」
静まり返った深夜の住宅街。
その一角にある一軒家の前で、警官が無線機を片手に誰かと連絡を取り合っている。
『了解。……そちらで事情聴取はできそうですか? どうぞ』
無線機からの声に、警官は先ほどから降っている小雨を浴びたパトカーを心配そうに見た。
パトカーの中には一緒に行動している相棒、そして問題の少女がうなだれている。
ついさっきまで車内でも抵抗を繰り返していたが、だいぶ落ち着いてきたようだ。
遠目にパトカーを見ながらそう判断した警官は、冷静に答えを返す。
「え〜説得に応じ、徐々に落ち着きを取り戻しつつあるので問題無いと思われる、どうぞ」
『了解』
その言葉を最後に無線は切られた。それを節目に少し気が緩んだのか、警官はポツポツと小雨を振らせている真っ黒な夜空を見上げ、1つため息を吐く。
「ふぅ…………。よし!」
そうしてすぐに気合を入れ直した所で、彼は背後から声をかけられた。
「あの〜和田さん。ちょっと来て下さい」
和田と呼ばれた彼と同い年ぐらい、おおよそ25〜30歳の警官がパトカーを開け、彼を呼んでいる。家族側の事情を聞いていた彼の代わりに少女の説得を行ってくれていた警察官だ。
「はいっ」
彼はその警察官に呼ばれパトカーの運転席に入る。そして助手席に置いてあった書類を手に取りながら、パトカーの後部座席に座っている少女に向かって話しかけた。
「落ち着きましたか?」
「……ぁ」
その声に気が付いたのか、少女——美咲はゆっくりと顔を上げる。
目は赤く充血しており、泣き腫らしたのだろうということが容易に想像できた。
「…………はい」
数秒間の沈黙を経て、美咲は2人の警官に向かってそう言葉を返す。
その様子に心を痛めたのか、今まで美咲に話を聞いていた方の警官がすかさず言葉をかけた。
「災難だったね……」
「……」
警官の言葉に黙って頷きながら、美咲はまた顔を伏せる。
「そっか……」
和田もまた、今にも泣き出しそうな美咲を心配してか、運転席から身を乗り出して丁寧に言葉を紡ぎながら美咲をなだめた。
「……こっちのおじちゃんも言っただろうけど、僕たちは君を害するつもりは全く無い。ただ、君の立場と訴えを正確に理解して、協力したいんだ」
「……」「ゆっくりでいいから、話してくれるかな?」
- Re: このティッシュ水に流せます(ハートフルボッコ注意) ( No.125 )
- 日時: 2015/02/22 13:56
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: eWyMq8UN)
「……分かりました」
警官2人の気遣いに心の傷が少し癒えたのだろう。
美咲は再び顔を上げると自分の知っている経緯を可能な限り話し始めた。
自分は何もしていないということ。忍び込んだ家主——つまり幾田秀とは親子であること。
そしていつの間にか2階にあるトイレで寝ていて、自分も今の状況を理解していないと警官達に訴えた。
家主から状況を聞いている和田からすれば正直信じがたい話だったが、
しかし美咲の動揺ぶりからどうしてもそれが嘘だとは思えなかったし、何より今回の事件の奇怪な点を思えば納得もできた。
というのも、美咲の靴がどこにも無かったからである。
外から侵入したなら確実にあるはずの靴がどこにも無い。
靴箱の靴もあの家族のもの以外入っていなかったし、きちんと戸締まりがしてあるドア、窓付近を探しても靴らしいものは見つからなかった。
つまり気がついたら家の中にいたという美咲の主張も一理あるのではないか? そう考えながら和田はひと通りの事情聴取を終え、内容を確認する意味を込めて美咲に聞き直した。
「そうか……。君はあの家の家主さんと親子なのに、出ていけって言われたんだね?」
「……」
語り終え、これ以上口を開きたくないのか和田の言葉に美咲は黙ってうなずく。
「なるほど。……それで、これから君とパトカーで署に向かうことになるんだけど、いいかな?」
「ぇ?」
しかし続いてかけられた言葉に美咲は顔を上げ、和田を凝視した。
分かっていたとはいえ、まだ心の準備ができていなかったのだろう。控えめながらも嫌悪を含んだ視線を向ける美咲にしかし、和田は落ち着いて対応する。
「申し訳ないけど君の所在地がハッキリしない以上、今夜は署に泊まってもらうしか無いんだ。
もちろん保護という形で、君に不自由はさせないつもりだよ」
「ぁ……はい」
淡々と説明を受けた美咲はひとまず納得したのか、また肩を落とすと虚空を見つめ始めた。それと同時に警官2人は「それじゃあ、とりあえず家主さん達に状況を説明してくるね」と言い残すと美咲を車内に残し、パトカーから離れる。家族への説明は和田だけで十分だったが、今の美咲には感情の整理が必要だと感じ、車内ではなく遠くから見守ることにしたのだ。
こうして美咲は1人、パトカーの車内に取り残された。
- Re: このティッシュ水に流せます(ハートフルボッコ注意) ( No.126 )
- 日時: 2015/03/01 04:47
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: eWyMq8UN)
「…………」
あっという間に人の声が消え、美咲の耳にはパトカーの天井を叩く小雨の音が入ってくる。
その音の中で美咲はただ沈黙を貫いた。
悲しみよりも重い不安に心を押し潰されぬようひたすらに沈黙しながら、美咲はなんとなくパトカーの中から外の景色を見る。
パトカーの外では見張りの警官が誰かと話していた。
おそらく父親たちを説得しに行った和田の代わりに本部と連絡を取り合っているのだろう。
ただ単調に言葉を吐いているようだったが、こちらには気付かなかった。
「はぁ……」
こんなこと気晴らしにもならないとばかりに美咲は1つため息を吐くと、もっと奥にかすんで見えるマンション群を凝視する。——と同時にまた別の意味でふぅ、と息を吐いた。
「……綺麗、ね」
なぜなら普段見慣れたと思っていた住宅地がまるでネオンか何かのように輝いて見えたからだ。
始めのうち美咲は、窓ガラスに張り付いた雨粒が景色を捻じ曲げているせいだと思っていた。
それぞれの家庭、それぞれの住居スペースから漏れる淡い橙の光。
それが目の前の雨粒によって歪められているだけだと、安直にそう結論付けていた。
しかし美咲は、じっとその景色を見ているうちにそれが間違いだということに2つの意味で気が付く。
1つは今、自分が抱えている家族、家庭への恋しさが、単に住居から漏れる暖かい光を欲しているだけではないかということ。
そしてもう1つは——
「あれ……?」
景色を捻じ曲げているのが、雨水だけではなかったということだ。
美咲はマンションから漏れる橙の光に誘われ、いつの間にか涙を流していた。
寂しさ、恐怖、そしてなにより突如として家庭を失ったショックに、どうしても耐えることができなかったのだ。
だがその事実すらも無視して、美咲はひたすら窓の外を眺め続ける。
涙を部屋着の袖で拭き、まるで取り疲れたように淡い橙で視界を埋め尽くす。
もう、何も見たくないから。知りたくないから。
そうしていないと心が壊れてしまいそうだから。
だから美咲はすべてから目を背け、ひたすら目の前の景色にすがった。
するとどこからか声が聞こえてきた。
『聞いているのか? 美咲……』
聞かない。知らない。
美咲は心の中でその声に適当な言葉を返す。
——が、数秒後、違和感に気付き声を上げた。
「へ……?」
誰も居ないはずの車内から聞こえた、野太い男性の声。
さっきまで聞いていた自分の《父親》の声に驚き、美咲は外の景色を凝視したまま目を見開く。
何で? 今ココには誰も居ないはずなのに……。
ぼんやりとした思考回路でそう考える美咲だったが、なぜか背後を振り返ることができなかった。正確に言えば、目の前の景色から目を背けることができなかった。
しかし美咲は特にそれを不思議だとは思わず、橙の光であやふやな頭の中を満たしながら、聞こえてくる声に耳を澄ました。
『……聞いてるよ? お母さんと何があったかだよね?』
今度は私の声が聞こえてきた。……誰かと話してるみたい。
さすがに自分の声となると判断が早いのか、美咲は反射的にそう判断した。それと同時にさっきの声が父親のものであったことにも気付く。
私とお父さんが母親について話してる。
私、お父さんとまともに話したことすらないのに……。
橙に心を溶け込ませながら美咲はそう考える。
もしかしてさっきのショックで幻聴が聞こえているのだろうか?
それとも今、私は夢を見ていてもしかしたらこの声が現実なのかも知れない。
まるで胡蝶の夢。もはや現実と空想の区別すらあやふやになりつつある美咲の耳に次の言葉が囁かれた。
『塾で受けたテスト? そんなことで家出したって言うのかい?』
「……え?」
やっとそこで美咲は正気に戻った。
ナゼかは分からない。ただ《ひとこと》。父親の声で告げられたその《ひとこと》によって美咲の中にある何かが衝き動かされた。不安に似た何か、怒りに似た、悲しみに似た何かが心の奥底から沸き上がってくるような、そんな感覚に陥った。
「……家出?」
たった3文字の——家出という言葉によって。
- Re: このティッシュ水に流せます(ハートフルボッコ注意) ( No.127 )
- 日時: 2015/03/01 04:52
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: eWyMq8UN)
やっと静かになった心臓が再び騒ぎ始める。
吐いた息が何度も窓ガラスに当たり、目の前の風景をさらにあやふやにする。
そんな中、美咲はただ何かが湧き上がってこようとする自分の胸ぐらをつかみ、冷や汗を流した。
どういうこと? 何でこんなに……怖いの?
わけが分からないうちに上昇してゆく心拍数に怯えながら、美咲は心のなかでそう呟く。
しかし、実際に美咲の口から出たのは全く別の言葉だった。
「ネオン……綺麗なネオン、雨粒」
未だに目の前の橙に目を奪われたまま、そう口走る美咲。
だが本人にもその意味は分からなかった。
ただ何かを忘れているようなカタチの無い不安と先ほどまでの幻聴が美咲を襲う。
『ね? お前なら分かるだろう?』
「分かんないよ……そんなの分かんないよッ!」
カタチのない不安を恐れ、頭を抱えながらそう言い放つ美咲。
その瞬間——掴んでいた胸ぐらに記憶の濁流が押し寄せた。
母親。父親。テスト。家出。ファミレス。ネオン。自分の部屋。トモエ。電話。食い違い。
……そして、水に流せるティッシュ。
それらの言葉が美咲の底から湧き上がり、悲しく奇妙な《一夜の物語》を紡いで行く。
「家出した商店街」「渡されたティッシュ」「父親との会話」「母親からの虐待」「記憶の食い違い」
「流した過去」「その先の真実と……嘘」
すべての記憶を口にした美咲は最後にどこか真っ白な世界で見た女性の笑顔を思い出し、悟った。
「——そっか。私だったんだ」
自分を知らない父親。
「きっと私が……」
どこにも居ない母親。
「私がお父さんもお母さんも《いらない》って書いたから、こんなことに……なったんだね」
そんなこの世界の真実を……悟った。
そう、最後の瞬間美咲は両親の個人名を書かなかった。
もし両親の個人名を書いていれば、間違いなく2人とも生まれる前に消滅していただろう。
しかし美咲は「おとうさん」「おかあさん」と書いてしまった。それがゆえに——
「だから、私が流れ着いたこの世界はお父さんとお母さんが結婚してないんだ……」
《美咲にとって》の母親と父親がいない世界。
美咲はそんな世界に流れ着いてしまったのだ。