ダーク・ファンタジー小説
- Re: このティッシュ水に流せます ( No.2 )
- 日時: 2015/02/16 14:52
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: CEzLXaxW)
◇ 家出
今年、中学三年生になる幾田美咲(いくた みさき)は、自分の母親を世界で一番傲慢な女性だと思っていた。
親戚や近所の母親達に自分の娘である美咲の成績や優秀さを自慢することを生きがいとし、 自分の理想と美咲の行動が食い違うと定規で腫れあがるまで美咲の頬を叩いた挙げ句、 部屋に監禁して……教育という名の拷問を繰り返す。そんな母親に対して、美咲は絶望しか感じていなかったのである。
しかし、幾田美咲という人物はそんな状況にありながら、泣くことも怒ることもしなかった。「私は母親のアクセサリーで、いつかは使い捨てられるだけのモノだ」と自分に言い聞かせ、辛く苦しい毎日を耐え忍んでいたのである。
だが、それも長くは続かなかった。
ある木曜日のこと、なんとなく存在を忘れていてカバンに入れっぱなしになっていた塾のテストを母親に奪われ、なぜ隠したのかと一時間近く叱咤された美咲は、
とうとう我慢の限界を迎え、母親の暴言から逃げるようにして家を出た。
そう、ついに彼女は人生で初めての家出を決意したのだった。
- Re: このティッシュ水に流せます ( No.3 )
- 日時: 2015/02/16 14:53
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: CEzLXaxW)
行くあても、目的も……何もかも分からないまま、街灯だけが照らす夜道をたった1人で美咲は歩き続ける。
歩き、歩き、歩き……普段の彼女なら絶対にしないであろう信号無視を何度かした後、隣町の商店街へとたどり着いた。
夜の商店街、そこは美咲が思っていたよりも綺麗な場所だった。
飲食店やゲームセンターの看板から色とりどりの光が発せられ、 それを夕方まで降っていた雨でできた水たまりが反射する。
その光景は心が枯れ果てた美咲であっても素直に綺麗だと思えるほど美しかった。
が、そんな小さな喜びはすぐに雨水と一緒にドブに流れ、美咲はぼんやりと商店街を眺めながらまた歩き始めた。
すれ違う人々は一瞬心配そうな目を美咲に向けるも、関わりたくないのか目を逸らして自分の道を行く。居酒屋やサラリーマン目当ての客寄せは、視界に入らないようにしながら仕事を続ける。
そんな光景を眺めながら、美咲は孤独だなと呟いた。
誰も声をかけてはくれない、誰も自分を見てくれない。降り注ぐ言葉はほぼ罵倒か陰口。
そんな毎日を送ってきたせいで慣れたと思っていた寂しさが、美咲の心に零れ落ちる。
しかし美咲は邪魔だと言わんばかりにそれを振り払った。
「……もういいわよ。今さら考えたこところで、何も解決しないし」
今はそんな感情は不要。
そう自分に言い聞かせるように美咲は何度も何度も呟くと、さらに歩くペースを速めた。
自分にこんな華やかな場所は似合わない。早くここから出よう。
そんな自己嫌悪に似た決意を固め、美咲は目の前の水たまりを力強く蹴った。
- Re: このティッシュ水に流せます ( No.4 )
- 日時: 2015/02/16 14:46
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: CEzLXaxW)
——瞬間、後ろから声をかけられる。
「ティッシュ……いかがですか?」
「……ぇ?」
この商店街に来るまで、ぶつかった人にさえ声をかけられなかった美咲はその音に硬直する。
が、すぐにその声の主が商店街でティッシュ配りをしている若者だと気付き、ゆっくりと振り返った。
そこに居たのはインターネットカフェの宣伝が書かれている制服を身にまとい、
必死にポケットティッシュを差し出してくる二十代前後の女性。
さっきまで雨が降っていたせいなのか、深くレインコートを被っており、
表情を伺うことはできなかったが、どうやらティッシュ配りのアルバイトか何からしい。
「御嬢ちゃん、ティッシュ1枚どう?」
女性はレインコートの中で黒い髪を揺らしながら、もう一度美咲に向かって声をかけて来る。
ノルマがあるのかそれとも仕事熱心なのかはともかく、どうしても美咲にポケットティッシュを受け取ってほしいようだ。
「い、いえ……その」
だがその誘いに美咲は顔をしかめた。
とにかく今は独りにしてほしい、そう表情で訴えようとした。
——が、同時にこうも思った。
どうせあと数時間も走り続けていれば心が耐えられなくなって泣いてしまうだろう。
それならみじめに自分の服で涙を拭うよりも、ここでティッシュをもらっておいた方がいいのではないか、と。
「また雨が降りそうだし、持っておいて損はないと思うよ……?」
「…………」
結局、お人好しの美咲は女性に流される形でティッシュを受け取ってしまった。
最終的に、もらえる物はもらっておこうという結論に達したのだ。
「……まぁいいか」
とりあえず美咲はもらったティッシュをポケットに入れ、
ティッシュ配りの女性とすれ違うようにして、また夜の商店会をふらふらと歩き出した。
どこに行くのか、どこに行きたいのか。
そんなことすら分からない道を、また歩き出した。
すると、すれ違いざまにティッシュ配りの女性が美咲にこう囁いた。
「あぁ……そのティッシュ。水に流せますので十分考えてから使って下さいね」
「……?」
言っていることがよく理解できなかった美咲は、思わず後ろを振り返る。 しかしそこにはもう女性の姿は無く、代わりに小さな水たまりが地面に張り付いていた。
- Re: このティッシュ水に流せます ( No.5 )
- 日時: 2014/10/15 14:08
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: CEzLXaxW)
やけに足の早い人だ。
そう思いながら、美咲はまたネオンと街灯だけが照らす道へと向き直る。
するとそこには、スーツを着た凛々しい顔の男性がいた。
見たところによると、どうやら帰宅途中らしいその男性は、
しばらくその場で呆然としていたが、美咲の顔を見るなり声を上げた。
「美咲……? 美咲なのか?」
「…………」
しかし美咲はその問いに答えることはなかった。
お前など眼中に無いとばかりに踵(きびす)を返すと、
近くの路地裏へと走り、そのまま闇の中に消えようとした。が、
「待て美咲……っ! ドコへ行くんだ!?」
その前にその男性が美咲の前に立ち塞がり、
美咲はその男性と距離を取るために、再びネオン灯の下へと引き返した。
「……退いて」
美咲は顔を伏せたまま、目の前の男性に端的にそう告げる。
「ダメだ、お父さんは退かない」
それに対して通せんぼうをしている男性——美咲の父親は、
毅然とした態度でその言葉を切り捨てた。
「はぁ……」
その態度を見てとりあえずは観念したのか、
美咲は大きなため息を吐きながら父親に話しかけた。
「……仕事はどうしたの? いつもは12時過ぎてしか帰ってこないのに……」
大手企業に務める美咲の父は本来こんな時間に退社しない。
仕事熱心で、そのうえ人の良い美咲の父親は、上役でありながらいつも会社に1人残って残業をしている。
大体家に帰ってくるのは深夜12時過ぎ。
夜も勉強を強要されている美咲でさえ、きちんと顔を合わせるのは1ヶ月に1回あるかないか程度なのである。
だというのに、その父親がどうして自分の目の前にいるのかという質問を、特に話題がなかったので、美咲は父親に投げかけてみた。
すると父親の方も、その質問を心待ちにしていたとばかりに微笑むと、
諭す(さとす)ように答え始めた。
「美咲が出て行ったってママから聞いて、急いで会社から抜け出して来たんだよ。……無事でよかった」
「……そう、なんだ」
美咲は『母親』という単語が出てきた時点で怒鳴り散らしそうになったが、普段会っていないことが幸いし、
よそよそしい言葉でその場の怒りを治めて次の質問へと移った。
「お仕事……私なんかのために放り出してよかったの?」
まぁどうせそれも優しいあなたのことだから、
母親(あいつ)に従っただけなんでしょうけどね。
——とそこまでは言わなかったものの、心の中でほくそ笑みながら、美咲は父親の解答を待った。
しかし美咲の父親の口から出たのは、美咲の予想を裏切る言葉だった。
「美咲が家出をして、駆けつけない訳ないだろう?
美咲はお父さんの大切な大切な……たった1人の娘なんだから」