ダーク・ファンタジー小説

Re:  このティッシュ水に流せます(ハートフルボッコ注意) ( No.46 )
日時: 2014/11/30 21:13
名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: pnk09Ew0)

 冷たい床で頭を冷やしながら、あいつが出て行ったドアにそう問いかける美咲だったが、
それから三分もしないうちに体から——具体的に言うなら腹部のあたりから「ぐぅぅう……」という間抜けな音が鳴ったので、美咲は「よい……っ、しょっと」という年寄り臭い掛け声と共に立ち上がった。
「……っぅ」
 そしてやはりというべきか、美咲の足腰はそんな掛け声が似合うほどに疲弊していた。
それでもとりあえず美咲は生まれたての小鹿のような足取りでクローゼットに向かうと、着ていた制服を脱いで部屋着を着る。

「あぁ……。制服かなり汚れちゃったな」
 家出をしたせい——などでは全く無く、ほとんど母親から受けた暴力のせいでしわが寄ってしまった制服を見ながらそう呟く美咲。
 いつもなら自分できちんとアイロンをかけたりしているのだが、今日受けた身体的・精神的ダメージは過去最高と言ってよく、失神するレベルではないにしろ今日のところは放置するしかなさそうだった。
「明日、また学校で陰口叩かれそう……。まぁいつものことだけど」
 そんなありふれた憂鬱を抱えながら部屋着に着替えた美咲は、とりあえず下に降りて何か食べようと部屋のドアノブに手をかける。すると、扉の先——もっと言えば1階のほうから父親の声が聞こえてきた。
「おい、真澄……美咲はどうしたんだ?」
 真澄ますみというのは母親の名前だ。
それを聞くたびに美咲は「一体どこが澄んでるんだか……」と悪態を吐いているのだが、それはともかく呼びかけられた母親が猫なで声でそれに答える。
「あのね、私が喝を入れたら美咲ったら張り切っちゃって……。
 もっと本気で勉強に取り組むんだって今必死に問題集を解いてるところよ」
「…………」
 無意識のうちに歯を食い縛っていたのか、美咲の歯がぎぃぃっと鳴る。
 言わずもがな、あんな虐待を行った後に猫なで声で都合のいいことを並べ立てている母親に腹が立ったからだ。

 しかし、そんな真実など知らない父親はのんびりした声でそれに応じる。
「そうか……もう一度話しておこうと思ったんだが、そういうことなら邪魔しないほうが良さそうだな」
「そうね! あの調子じゃ遅くなりそうだし……また、いつかでいいんじゃない?」

「——嘘でしょ……?」
 あまりのことに、ドア越しでそう呟く美咲。
あろうことか、あんな大きな音を立てて暴れていたというのに、父親は美咲が虐待を受けていることに全く気付いていなかったのだ。
 それどころか安々と母親の口車に乗せられ、母親とリビングで談笑し始めてしまった。

「く……っ」
 さすがにこの展開は予想していなかったのか、美咲はまた歯ぎしりをすると両親たちの談笑に背を向けて、自分の机に着く。本当に……本当に不本意だったものの、美咲は母親から受けるさらなる暴力を恐れて、問題集を解くことにしたのだ。

 机に設置されている蛍光灯をつけると、暗かった部屋がぼんやりと照らされる。
 別にそれ以外に証明が無いわけではなかったが、美咲はなんとなくこのぼんやりとした薄明かりの中で勉強をするのが好きだった。なぜなら、
「こうすると、余計なこと考えなくていいわよね」
 そう、虐待の跡を見なくて済むから……。
 机と母親が買ってきた問題集と参考書、各高校の過去問題集、さらには高校生向けの参考書まで、ありとあらゆる勉強関係の書物がつめ込まれた本棚以外、ロクな家具がない殺風景な自分の部屋を見なくていいから。
 だから美咲は、毎晩こうして勉強している。

「はぁ……」
 とはいえ、空腹だけはどうしようもない。
 美咲はとりあえず家出の時カバンに入れておいた飲料水でお腹を満たし、
本棚から問題集を取り出すと、しぶしぶ問題を解き始めた。