ダーク・ファンタジー小説
- Re: このティッシュ水に流せます(ハートフルボッコ注意) ( No.74 )
- 日時: 2015/02/16 15:59
- 名前: 猫又 ◆yzzTEyIQ1. (ID: CEzLXaxW)
「…………っはぁ! はぁ…はぁ…はぁ、はぁ、はぁはぁ」
どうにか逃げ切れた。
そう確信した瞬間、美咲は特に汚いと思うこと無くトイレの床に横たわった。
体が熱い。さっきから鼓動が元に戻らない。
それでも美咲はどうにか掴んできた筆ペンを横たわったまま見詰めた。
「はぁ……はぁ……ぁ、あぁ、大丈夫だった……」
極度に緊張していたせいか左手の感覚が全く頭に入ってこなかった美咲は、改めて自分が筆ペンを握っていたことを確認する。強く握っていたせいで少し黒い墨汁が溢れてきていたが、2,3度使えれば十分なので特に問題は無さそうだった。
続いて自分と同じく床に転がっている制服の上着から、例のティッシュを取り出す。こちらも「実は入っていませんでした」なんてことは無く、あのファミレスで使用したままの状態で美咲の右手に収まった。
「さて……もたもたしている時間は無い。とりあえず何かこのティッシュに書いて流してみよう」
そうしていよいよ必要なモノと舞台がそろったこところで美咲はトイレのドアにもたれかかり、とりあえず息を整えてから『一体何を流すのか』一体何を『無かったこと』にすればいいのか考え始める。
「とにかくこの状況を打開する方法を考えてみよう……」
「そんなの……決まったようなモノじゃない」
すると突然、トイレに声が響いた。
まさか……母親が?
そう直感で判断した美咲はびくっと体をこわばらせ、すぐにトイレを見回した。
しかし狭く、しかも障害物が便器ぐらいしか無いトイレに人など隠れてるハズもなく、さらにまだ母親はドアの向こうでうめき声を上げているので、母親が侵入してきたということはなさそうだった。
それじゃぁ誰が……?
そんな問を込めた視線をトイレ中に注ぐが、また「その声」は美咲の近くから発せられた。
「私が消したいのなんて、アレ以外……何があるって言うの?」
思わず「誰なの!?」と叫ぼうとする美咲だったが……なぜか口が全く動かなかった。いや違う! 動かないのではない、『動いていたから動かせなかった』のだ。
そう、その声は……。
「アレだよ……そこの喚き散らすダケしか能が無いバケモノ……」
その声は『美咲の口から発せられていた』。
「何? コレ……」
意味が分からず心の中で絶句する美咲をよそに口は続ける。
「アレいらないよね……? 絶対いらない」
嫌だ……それ以上は聞きたくない……。
必死にそう口を動かそうとするが、口は全く言うことを聞いてくれない。
その間にも口はさらに勝手な文句を吐き始めた。
「人を傷つけることしか能が無い母親なんて……さ?」
嫌だっ!! 黙って……! 黙れ、黙れ! 黙れ黙れ黙れッ!!
「ゲホッツ……エへッ……エ、エヘッ」
美咲は喉に無理やり指を入れ、勝手に言葉を吐き出す自分の口を黙らせた。
はっきりとした理由は分からない。ただ、得体の知れない恐怖に飲まれて反射的に自分の指を喉に突っ込んでしまったのだ。
「……ぁあ、ぁ、あぁ……」
どうにかまた呼吸を整えながら美咲は恐怖する。
どういうこと……? まさかこれもこのティッシュの影響……?
そう考えては見るものの、そうではないという確信が美咲にはあった。
なぜなら、さっき『自分が』口走った言葉に対して美咲は、
言わされたというより、むしろ『言ってしまった』という感情を抱いたからである。
言ってしまった、隠していた言葉を言ってしまった。
そんな罪悪感が、今美咲を包んでいたからだ。
……でも私はそんなことなんて一度も——
(ガンッ!!)
「な……っ!」
理解しがたい状況に対して、様々な考察をめぐらしてた美咲だが、その背後から突然大きな打撃音が響く。
「みさ……きぃっ!」
母親だ。
回復した母親が美咲の部屋から持ちだしたセロハンテープの台でトイレの扉を叩き始めたのだ。
「…………」
迷ってる時間は無い。とにかく今はこの窮地を脱することだけ考えよう。
そう決心した美咲はすぐさまティッシュに書く文言を思いつき、右手に筆ペン左手にティッシュを構えて例のティッシュに文字を書き始めた。
「さ……っ、きの、奇……声っと」
もちろんもったいないのでティッシュは一枚しか使っていない。
ファミレスの時のように何枚も重ねて書いた方が書きやすいものの、下のティッシュにまで墨汁が染みることを配慮したうえで、美咲は左手を机代わりに『さっきの奇声』とティッシュに書き終えた。
「これを流して……本当にこのティッシュが私の推理通りなら、『さっきの奇声』が無かったことになって……この状況を打破できるのよね?」
さっきの奇声。つまり母親を怒らせた出来事が無かったことになれば美咲はこんな目に遭わずに済んだハズだ。ということはそれさえ無かったことになれば——
「うん、そうなれば私は助かるハズ」
美咲は誰に言うでもなく、自分にそう言い聞かせながらその薄いティッシュを便器の中に落とした。
「…………っ」
あとは水を流すだけなのだが……便器洗浄弁のスイッチを押す手が震える。
まだこのティッシュが本当に過去を流してしまうと確信したわけではないものの、『過去を変える』という行為に一瞬、抵抗を感じたのだ。
しかし美咲は、「躊躇していても何も変わらない」と思い切ってスイッチを押した。
流れて行く、流れて行く……『水に流せるティッシュ』が流れて行く。
さっきの奇声が……奇声が……あれ?
そこでやっと美咲は自分の感覚がおかしくなっていることに気が付いた。
ただティッシュが流れているだけだというのに、まるで自分までティッシュと一緒に流されているかのような感覚に陥ったのだ。
「……え? ……えぇ?」
回る、回る……。頭が回る。世界が回る。トイレが回る。風景が歪んで回る。
風景を構成していた線が回る。もはや何の色か分からなくなった色が回る。
回る、回る、回る……そうして美咲は1人、トイレの中で気を失った。