ダーク・ファンタジー小説

Re: ぼくらときみは休戦中[短編・作者の呟き] ( No.101 )
日時: 2022/09/21 17:50
名前: 利府(リフ) (ID: 5nVUckFj)

楽園には人ならざる男女がいる。

男は空白だった。
瞳の色をふたつ持っている。
女は無尽蔵の黒だった。
黒髪の隙間から赤い双眸をのぞかせる。

学校が終わったら自分の家においで、と
誘ったのが男の方。
おもしろそう、と乗ったのは女の方だった。
かれらは連れ立って一夜を過ごすのだ。


***


「ねえリップ、さすがにこれはない」
「無いとは何でしょうか、シンエンヒトミ嬢」

「なしよりのなしよ」
「強調することある?」

そんな感じになるはずだったのに、わたしたちときたら。
建物の3階ベランダにふたり立って敗北の夕日をながめていた。

普通、男が女をおうちにお呼びするのは「そういうこと」なのである。そうわたしの同級生は言うのだ。
そしてみんなが嘘をついたことはないし、わたしが「あしたは男友達のおうちにいくの」と自慢したらみごとにみんな食いついた。
おみやげ話まってるね、男友達ってどんなひと?やさしくしてくれる?素直にまっすぐに、謎めいたわたしのスキャンダルを引きずりだそうとしてくるみんなはかわいらしかった。
だから喜ばせてあげよう、ついでにリップの部屋をのぞきたい!と思っていたら──

当日のリップは、ごみ屋敷の中で死体のように転がっていた。モウシワケアリマセン、とエイリアンのような謝罪をくりかえしていたのである。


「ねえリップ、テレビすらないの?わたし何回もともだちの家にいったけど、どこいってもあったのよ」
「……偶然最近売った。なんで売ったかは忘れた」
「じゃあほんとにベッドと机とむかしの新聞の山とその他のごみしかないのね?ほんとに?忍者みたいな隠し部屋は?」
「ない。誓ってない。あったらオレはもっと自信満々でお前をご招待してた」
「リップ!話題性ってだいじなんだって。身なりがきれいでもゴミに埋もれてるとね、そう、アレよ、陰キャになるから!」
「やめてくれ、陰キャの陰たる者がオレを諭すなッ!」

リップはベランダの手すりに寄りかかり、ゲンナリ顔で町に向かって叫んでいる。
どっち向いてんだ!よほど大ダメージだったんだろうけど、わたしだって大ダメージである。

──リップは安上がりの物件をだれかから借りて住んでいる。1階はリップがやってるバー、2階はちっちゃい事務所、そして3階はリップのお部屋だと聞いていた。
同級生もそれを受けて「おしゃれ!」「かっこいい!」と確かにはやし立てたのだ。だけど“ほんとう”というものはいつも非情である。
テレビはない、洗濯物はもはや敷物、置いてあるベッドにいまさっきまで着てた上着を投げ出し、キッチンは洗い物がたおれてご破算。新聞の山はとっくのむかしにちらばって足の踏み場なし。ホンモノのずぼら。もうほんとにばかやろう!

「シンエン、おおかたお前同級生に言ったんだろ。オレの家に来るって」
「そう。シンエンはみんなのことがすきだから、リップのお部屋のまっとうな評価をお伝えするの」
「やっぱりな!あのさ、かわいい女の子に嫌われるのは我慢ならん、ベッドだけは綺麗にしたから許してくれ!」
「いや、それ自分の巣だからでしょー。あと上着放りだしてる時点でダメ。ばってん」
「うぐ……」

こんなにも早く万事休すみたいな態度とられたらわたしも万事休すである。こんながさつなオトコある?それもこんな身近にいるわたしの一番の友達が。ひどくない?

これじゃいいオンナもよりつくまい。ベランダに無防備に干されたフリルの下着がダメ押しのように揺れていた。
ところでこれだれの?と聞くと、わからん、と肩をすくめられた。じゃあ深入りはよしとこうとサムズアップをキメておく。
わたしのおっきい主観で、ひとの在り方にぶつかるのはいやだから。

「いまからでも片さないの?」
「お前の同級生たちが評価を改めてくれるなら嬉しいが、それはそれとしてお前しか家に招く気はないんでね」
「すごいこと言ってるけど、わりとひどいことよ」
「至極真っ当で正直な発言なんだが」
「女の子にきらわれたくないって言ってなかった?いまさっき」
「あー、そうか。そんなこと言ったかな。まあどっちにしろ無理だよ。忘れるんだ、」



ごき、という音ともに、リップの首があらぬ方向を向き、言葉のしっぽは不明瞭になった。
瞳だけは首の動きについていかず、ちゃんとわたしを真摯にみつめている。わたしにとってはうれしいことなのだけど、そのありさまは人間にとっての普通ではなかった。

彼は、自分自身すら想定していないうごきをしてしまうことがある。
おっきい主観を持ったわたしとはちがって、リップには固定された自我がない。ぼんやりと言うなれば、彼の中には自我と魂がたくさんある。話せば長くなるけど、神さまに目をつけられてしまったのだと教えてくれた。それをわたし以外に教えるつもりもないと。

陰陽の陽。生命の再出発点。──空の棺。
そんなかんじでどこかのえらい人がよんでいるらしいけど、はっきりいうと、リップは“食いもの”にされているだけだった。

「───……、?」
「どっち向いた、って?真後ろのななめうえ」
「……だめだ、これは。部屋の、中、に」
「そうしましょう。こっちが日かげだから寄りなさい。手を──」

そこでやっと、リップの袖から血がダラダラとたれているのに気づいた。指がない。
どこでおとしたの、ときく前に、わたしが振り向いた暗い部屋のすみで、彼の指がバラバラにころがされていたのに気づく。そのそばに使用ずみの刃物も。
死んだものが、夕日に照らされてじっとりと光っていた。

わたしはなんにも聞かずリップの背をおした。部屋に戻るまえに、リップはベランダの下で伸びる路地裏を瞳だけで見下げながら、喉から絞り出すような息を夕焼けの中にとかした。
この息遣いの中に無数のいのちが宿っていて、わたしだけがそれを理解できる。はやる呼吸、ゆっくりとうごめくような呼吸、鋭く鳴らす呼吸。いまにも止まりそうなか細い呼吸。それらぜんぶを統率して、リップはどうにかリップなりの息をするのだ。

「そのまま腰をおろしていいよ、ここがベッド。横になる?すわる?」
「いまは、座る、だけで……」
「横になりたいんでしょう。首をもどしてあげる」

ごめん、と告げてベッドに腰掛けたリップの背中をそっと支え、もう片方の手で彼の首をできる限り戻す。可動域ぎりぎりってやつだ。寝違えましたとどうにか言いはれるぐらいまでもってきて、わたしは少し大きめの声で告げた。

「わたしと目をあわせなさい」

あわせるといっても、両目ではない。
リップがどうにかしてほしいのは右目だ。左目の方には彼の大切な魂が安らかにねむっている。
触れてくれるな、とかつてリップは請うた。
レスト・イン・ピースを祈るような顔で。

わたしはすべてを呑み込むようにして、目蓋の裏にかくした目を見開く。
ぐっとのぞきこんだリップの片眼の先で、こわいものから逃げようとしたのか、身を滑らすような潰れるような、湿り気を含んだ無数の音が衝撃となって伝わってきた。
じたばた、がたがた、非難轟々。
リップのなかのかれらは、口をそろえて「くるな」とさけんでいるのだろう。
からっぽの男の身体の主導権をほしがる人々は、それだけこの世に未練をのこしたままひとの形を失ってしまった。


今わたしは形なき深淵になって、ただの重圧をかれらにつきつける。
あなたが生命の最後のよすがであるように、
わたしは希望のひとつも残さない、絶対なるものの端くれなのだから。


『こんにちは 暴れん坊たち』


死が口を開ける。
そうしておまえの眼をこじ開ける。


『わたしをよく見ろ』


可能性が無意味と化す。
そのすべてが深淵わたしだった。



うごめく魂たちは、かすかに震えたあとに静止した。
ほんものの寝違えにもどったリップが、枯れた喉で笑い声を上げてベッドに倒れこむ。かはは、という乾いた音がもれた。

「……すまん。助かった」
「しばらくはみんな怯えてうごけないはずよ。リップ、だれが、あなたになにをしたの」
「綺麗にしといたはずだったんだが、気がついたらこの惨状だった……ハズレの日だよ。きょう肉体を奪い取るほど意志の強かった奴が、単に暴れん坊だったんだ」
「それで指を?」
「どうしようもなくてさ。もうすぐお前帰ってくるだろうなって思って、どうせ治るから、刃物に通しちまった」
「リップ、めちゃくちゃがんばってくれたのね。いやなことを言ってごめんなさい」
「……いいよ。お前がオレを肯定するのは珍しい」

リップが伏した眼をほそめて微笑む。いま、いろいろなものを許したんだな、とわたしは直感的におもった。──それはいやなことを言ったわたしだけじゃなくて、じぶんの極端な在り方とか。

「オレは、成すことも成されることも極端なんだ。だから趣味を持つに向いてない。今日もオレの中の誰かが個人的嗜好で暴れ回っただけで、数分後には、綺麗好きの誰かが部屋の惨状を見て絶叫してたかもしれない。お前がいなきゃな」

ぐぶ、という音を立ててリップの指が生え直す。神さまみたーい、と言ったら、だろー、と言葉がかえってきた。ブラックジョーク。

「リップの中のみんなって、家の中でさえあっちこっちいくのね」
「連中、オレが何者かなんてどうでもいいのさ。オレが器である、オレが摂理であるという性質だけがあればいいらしい。お前もそういう、役割の悩みぐらいあるだろ」
「そうかな?わたしはもっと自由だよ。キャラ変だって何回したかわからない。おんなのこは流転するの」

そうか、いいな、と口の中でいうのがわたしには聞こえた。表情をゆがめ、中身をきしませるように吐きだす弱音。それを聞きとどけるのは、きっと特別なことなのだろう。わたしは万象を覗くものとしてそう思う。
身体ではなく、おたがいの魂がぴったりと寄りそわないとそんな芸当はかなわない。魂がちょっとほかより進化してしまっただけのちっぽけな人間たちには、とくにむずかしい。
故に、おたがいのきしみがきこえる人間は、きっとおたがいの深みまでとけて混じり合っている。

「何考えてる、シンエン。いま憐れんだか?」
「いいえ」

おもしろいと思ったのよ。

汚れた部屋のベッドに腰掛けて、リップは美しい衣をまとっている。わたしの、深淵色のセーラー服とつがいになる、まっさらなスーツとスラックス。穢れを寄せつけない高潔。いつも中身が定まらないのに、わたしのために繕うひとつの弱きもの。
おんなのこにはとうてい看過できないゴミ溜めの中で、それだけが輝いている。
胸を張るように誇らしげに。

「キャラ変の権化、散らかしたがりでも、この身なりだけは守りたいとおもったみたい。リップ、不釣り合いなぐらいキラキラして見える」

ポケットにしのばせたスマートフォンを自撮りの定位置にもっていくと、リップは困ったようにほほえんだ。部屋にまぶしいフラッシュがはしる。
びなん・びじょ。あしたの同級生たちはこれをみて大フィーバーだろう。

「これならわたしたちと壁しかみえない。──おうちはかっこよかったけど付き合うカンジじゃない。でもズッ友ってかんじ。感想はこれでよかろうか?」
「よかろうと思う。ありがとうシンエン。……なんでオレがお礼言ってんだ」
「女友達ってワガママなものなのよ」
「そうか。友達ね」

リップはじっくりと言葉の意味を考えて頷く。思うところがあったのだろう、とわたしは彼のなりたちを想った。
彼には憧れがいて、その憧れは命をわるいものに呑まれた。彼女がよくない死にかたをしたものだから、リップはしばらくだれかと関わるのをやめた時期がある。
そのとき、わたしは自我を持たされていなかったのが、どうにもくちおしかったなあ、とときおりしょんぼりするのだ。

「友達、いいな。オレの多面性を個性として見過ごしてくれる奴は、どんなに長く生きてももう、お前しかいないだろうから」
「見すごしてばっかりじゃないよ。わたしのおっきい主観は、リップのいいことはほめるし、わるいことはけちょんけちょんにします」
「はは。こうしてみると人間らしいな……」

ああ、くそ、頭が痛い、とうめきながら、リップはゆっくりとうずくまった。おそらく自我の統一がおっつかなくなったのだろう。しかたない。
わたしはリップのからだを両腕でぎゅっと抱えて、ふたりでリップの寝床にからだをごろーんと託した。

「むりしない。もう眠るの、そうすればあしたには元気ハツラツになる。テレビを買うお金をためないと。きたる日のために4Kを買うのよ。彼女にもみせたいんじゃないの」
「シンエン……」
「なあに?」


「テレビを売ったのは……きたなかったから……」
「ねむそうな顔」
「まだ、世界が……神が……だめだ、あれを綺麗に……」
「うん」
「それでやっと、彼女の見たいものを……」


リップはわたしの腕の中で静かにつぶやいた。
色も輪郭もうしなった領域で、彼のきしむ音がしずかに揺れていた。




わたしは過去、深淵だった。
すべてを赦す底なしの器だった。

あなたの前ではそう在れないと気づいて、
わたしは深淵であることを放棄した。
あなたの前ではそう在りたいのだと願って、
わたしはデストルドーを不平等に切り分けた。

わたしの名前はシンエンヒトミ。
とってもキュートでフレンドリーな、
あなたの友達のおんなのこ。
あなたをちょっと蔑ろにするし、けっこうワガママいうし、でもきらわれることはしない。


いつか大きなことをやって、
誰からも嫌われてしまうあなたへ。

わたしはあなたの影でいましょう。
だれもいなくなる最後まで、
ほかでもないあなたの人生に寄り添うのです。



***

燦々たれ陰陽の渦
(おちついたら、そのうちどっかにいきたいね)