ダーク・ファンタジー小説

Re: 影舞う月夜に君想う〜What a ugly beast〜復旧 ( No.64 )
日時: 2016/02/24 20:22
名前: 吉田 網張(RINBYO) (ID: jV4BqHMK)


「ねぇ、鈍」
 暗い部屋。家具はシンプルな黒いソファ1つのみ。窓も、ドアさえもなく、ここにいるたった二人の人影は、お互いがうっすらと認識できる程度だった。
 その無機質な部屋の隅に、体育座りをしていた鈍に、ソファに深く腰掛けた巫は声をかけた。
「……何?」
 枝暮と話し、何を思ったのか、何を考えたのか。返事をした鈍の目は虚ろだった。
 鈍の声は、見た目同様、成人男性のものだ。身長も、体格も、しっかりと『大人』のものだ。しかし、巫はどこからどうみても子供だった。鈍と巫は双子ではあるが、全く別の存在だった。そのことを鈍は一番よく知っている。
「……弱くなったよねぇ、巫の弟のくせして、あんな言葉1つで壊れちゃうんだから」
 鈍は、ぎゅっと膝を抱える腕に力をこめた。被っていたフードが脱げた。
「俺様には分からない。いままでずっと姉さんのために働いてきたから。何も理由なんていらなかったから。どうしてアイツらは……自分よりも人を大切にできるのか分からない。俺様はそんな守る価値のあるものは持ってない……」
「へぇ、巫は大切じゃァないの?」
「……姉さんは俺様が守るような存在じゃない。姉さんには、誰も刃向かえないから」
「あは、昔はそんなことで悩むような子じゃなかったのにねぇ……」
 巫のしゃべり方や態度は、今日夜に『殺された』時の鈍を彷彿とさせた。一方、そのころの強気な、自分が絶対という様子は、鈍から消え去っていた。

「僕が屋形くんを守るから……ずっと側にいるよ」

「……どうして愛されないの?」

「姉さん……」

「……僕が今日夜から愛される権利はないよ」

「たすけて……」

「俺は、俺は何で……こんなの、こんなの本当の怪物じゃないか……」

「あなたは……わ、私と同じですね……」

 鈍の脳内に、今まで何回も見て、何回も聞いた科白がブワリと蘇った。思わずギリ、と歯噛みして、頭を両手で押さえつけた。

「……つかえないなぁ」
 いつのまにか鈍の目の前に立っていた巫の、冷めた視線が突き刺さる。まだ頭を押さえつけたままの鈍は、何も言わずにそれを受け止めた。

「もういいよ、鈍。仕事は終わり」

 その言葉をいつか聞くことになると、鈍は分かっていた。だから、嗚呼、ついに俺様には何の意味も無くなるのか……と、そう、少しだけ悲しく思っただけだった。
「……そう」
「うん。弱虫になっちゃった鈍にはァ……もうなぁんにもできないから。あとは[計画]を最後まで見届けて? 巫が幸せになるのを見てて?」
「もう、俺様には用無しってことでしょ。もう俺様を利用する価値は無いって……そう言えば良い。そう言ってよ。じゃないと、本当に姉さんのことを見棄てられないから」
 今にも泣き出しそうな……悲しげな表情。しかし微笑んでいる鈍は、巫を見上げて言った。

「どうして……どうして願做[カンナ]には、誰も好きって言ってくれないの……?」
 
「……俺は、姉さんのこと……」

 姉さんは変わった。もう、昔の可哀想でとても弱い姉さんは、どこにもいない。願做はどこにもいないのだ。

「……なに、それ。わけわかんない。鈍を見棄てるのは、巫。巫には、もう鈍はいらないの」
「うん、それで良い」
 安心したように頷いて、鈍は立ち上がり、そして、力強く、見た目だけ昔と変わらない、幼い巫を抱き締めた。
 そして、あの日言えなかった言葉を、優しく、愛情を込めて囁いた。

「……俺様は、姉さんのこと、好きだよ」
「……」

 巫は、何も言わなかった。

 そのまま、鈍はいつものように、黒いコートを翻して、その場を去った。二人の間に……全然違って、全く同じ双子の間に、別れの言葉はいらなかった。

「何を、しに来た……」
「キョウヤおにいさん……」
 鈍が音もなく降り立ったのは、今日夜と綴の暮らすアパートだった。
 今まで封じ込めていた何かが、溢れ出した。

「お願いだ……」

 自分を縛りつつげていた巫から解放された鈍は、本当に独りになった。それでも、巫のことを思っていた。今の今まで、巫は、たった一人の、鈍の理解者であり、心も、身も捧げた相手だったのだ。
 鈍は、誰かを自分を犠牲にしてまでも守ろうと思ったことがない。そんな気持ちを、巫しか無かった鈍にわかる筈もなかった。

 __巫と自分は、もう守る以前に、最初っから傷だらけで、最初から、底まで堕ちていたからだ。
 自分のことで精一杯だった、というのもある。底に堕ちてさえも襲い続ける刃から、自分を守るのが、子供の自分たちには精一杯だった。
 大人になった頃には、願做は……巫は、もう、自分には手が届かないところに居た。
 それでも、それでも鈍は巫とともに居ることを、彼女を独りにしないことを選んだ。

 そして、生まれて初めて彼女と離れた今、鈍は思う。

 封じこめていた何かは、きっと、その感情だった。

「俺様は……俺様は、姉さんを……守りたい。いや……救いたい……! 自分勝手すぎるって分かってる……今まで今日夜君を散々苦しめておいて、虫が良すぎるってことも分かってる……でも! でも、俺様は弱いから……姉さんを救うには、今日夜君たちの力が無いとできないんだ……」

 鈍は、初めて巫以外の前で、もう何年も流していなかった涙を流した……