ダーク・ファンタジー小説
- Re: 僕らは、あなたを殺したい。 ( No.1 )
- 日時: 2016/01/16 16:01
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: G1aoRKsm)
第零話 : あなたを殺したい。
不気味なほど雲が近く、ざあざあと雨が降っていた。時刻は丑三つを回ろうかという頃、未だ大広間には灯りが灯っている。帝への謁見は当然の如く全てが終わり、そこに居るのは帝とその妻が二人、宰相、帝と宰相の付き人の六人だけだった。
「それで、話というのは」
肘掛に右ひじをのせ、体重を預けただらしの無い格好のまま帝が尋ねる。正面に座す正妻、雪乃は、たいそうひどい剣幕をしていた。怒りを静めようとしているのか、眉間には深く皺が刻まれている。
「一体これは、どういうことです? 尚季様ともあろう方が、このような下衆と関係を持つとは……」
睨むようにして雪乃が見たのは、この場に相応しいとはお世辞でも言えないほど、みすぼらしい着物を纏った一人の女。名前を、京という。帝都の片隅に設けられた遊郭の出で、その中でも虐げられていた身分のものであった。
「それがどうした、雪乃よ」
身分に問題があるのか、と。
何を怒っているのか分からないと言いたげな視線を向ける尚季に、雪乃は更に噛み付く。
「どうしたではありません! 帝の地位を何だと思っておられるのです! 尚季様の犯したことは、あってはならないことなのですよ!」
前傾姿勢になってまでそう怒鳴る雪乃に、尚季は内心面倒くささを感じていた。好きな女と関係を持つことの何が悪いのか。政治のため、両家の地位を安泰させるため、そのために関係をもったことの方が悪いのではないか、と。顔には出さない感情が、渦を巻く。
ちら、と京を見やれば、一切顔を上げずにその背も丸くしていた。
「市春、零、此処から去れ。私と彼女等で話がしたい」
正面に座す二人から視線を外さずに、宰相である道洟だけが残るよう告げる。名を呼ばれた二人は恭しく座礼をし、音を立てないよう気をつけながら部屋を後にした。道洟も尚季に軽く会釈をし、一歩後ろへと下がる。
「私が遊女と関係を持ったのが許せないか、その子を授かったことが許せないのか? 雪乃、私はお前の全てではない。お前も、私が全てであるまい」
見る見る内に、雪乃の表情が変わっていった。怒りだけだったものが、徐々に悲しみとも絶望とも分からないものを帯びていく。いや、憎しみか、と尚季はその様子を見ながら納得した。所有物を取られることが嫌いな女だったな、と。
「……子を授かったなぞ、聞いておりませぬっ」
だんっ、と右の拳で畳を殴りつける。力強く握り締められた掌には、きっと爪が食い込んでいることだろう。
「奥様、そのままでは掌に傷が」
「あなたは黙っていなさい!」
身を乗り出した道洟に怒鳴りつける雪乃は、もう既に分別などついていないのかもしれない。再び京を見れば、雪乃が恐ろしいようで肩を震わせていた。
「ならば、私を殺してしまえよ。雪乃。お前は私を殺したいほど憎み、それでも愛しているんだろう? ならば、京と手を取り、私を殺めよ」
「尚季様何を仰るのです!」
胡坐をかき、わずかに前傾姿勢になる。きっと私は疲れているのだ。厚畳の後ろに置かれた短刀を、二人の前に投げ捨てる。不安気な表情をする道洟に一言、
「すまんな。このような最期で」
と言えば、泣き出しそうな表情で「いいえ」と声を震わせた。二人は驚いているのだろう、お互いの顔と短刀とを交互に見ている。殺したいほど憎んでいるのは事実のはずだ。今まで、これから。歴史に名を残す人間が、最底辺に近い身分の者と関係を持ったのだから。
「私を殺したところで、二人は何の罪も問われん。見ているのは、道洟だけだ」
さあ、殺しなさい。
二人をじっと見つめる。歯がすれ、軋む音がしたかと思うと、雪乃が短刀を持ち立ち上がった。私はそれを微笑を浮かべて見上げる。
「雪乃一人に業を圧しつけるか、京」
声をかければ戸惑いながらも立ち上がり、雪乃の直ぐ傍へと向かった。まだどこか逡巡するような二人を、私はただひたすら見る。真白い着流しが紅色に染まるのを見たくないのか。身体に突き刺さる短刀から、感触を得たくないのか。
ゆっくりとではあるが、二人は私へと迫ってくる。見上げるのも首が痛くなり始めた。昼間のように美しい十二単で着飾った雪乃は、我が強いながらも素晴らしい女であったなあと、出会ったときを思い出す。京にも同じで、昔のことばかり思い出された。
「尚季様を……殺したいほど憎んでなお、私は、貴様を愛しております……!」
「尚季様。私のようなものを愛して頂けたこと、有り難く思っておりました。私も、愛しております……」
言い終わり直ぐ、腹部へ激痛が走る。呻き声を漏らすまいと口を紡げば自然と腹に力が入り、二人が横へ動かす刃を挟もうとした。それがまた、新たな痛みにつながる。
噴き出す血を、顔を強張らせて見る二人を遠ざかりつつある意識の中に見、がくりと頭を垂れた。——全てが、すっきりしている。
「あ、あぁ……尚季様……っ」
短刀から手を離した二人は、今更怖気づいたように足を震わせながら後ろへ下がった。噛み合わない歯をがちがち鳴らしながら、雪乃も京も、屍となった尚季を見ている。さっきまでの現実が、非現実のように思われた。
「おやおや、何だ道洟。本当に殺させてしまったのか! カッカッ! こりゃあ愉快なもんだな!」
あまりにも場違いなその声は、骸から少し離れたところに座す道洟のすぐ後ろから聞こえるものだった。恐ろしがりながらも、雪乃は道洟を睨む。
「ふうむ、お前らが主を殺したか! カッカッカッ! 殺す勇気もなかったくせに、主の下手糞な言葉に乗ったか! そうかそうか!」
その声はふっと、姿を現した。
「ひっ!」
「な、何よあなた!」
切れ長の瞳は帝都に住む大多数とは異なり、僅かに翠が混じったような金色を宿していた。腰のあたりで結われた長い髪は黒く、その頭頂部には大きな耳が二つ。豪華に着飾られた帯の下辺りからは、同じく黒い尾が生え左右に揺れていた。
「名乗るほどのもんじゃない、とでも言っておこうか。主を殺された手前、お前らには相応の罰でも受けてもらわんとならなくてな」
何処からか煙管を取り出し、煙を口から飛ばす。
「さあ、どうしてくれような」
面白い出し物を見るような笑顔を向ける人狐の帯から、零と書かれた札がぶら下がっていた。
雨は未だ止みそうにない。