ダーク・ファンタジー小説
- Re: 暗闇を黒く塗り潰せ【短編集】 ( No.11 )
- 日時: 2016/03/28 22:12
- 名前: & (ID: bUOIFFcu)
cigarette-1
苦い。
凄く、苦い。
なのに。
まるでそれが、自分自身かのように。
ゆっくり、噛み締めているんだ。
***
「…ふぅ」
ゆっくりと上る煙、あたりを満たす独特の香り。
煙草だ。
「慣れたもんだね、嬢ちゃん」
「まあね」
話しかけてくるマスターに笑いかけることもなく、手短に返す。そのマスターは、その反応に特に気分を害した様子もなく、他の客に対してカクテルを作っていた。だから好きだ、ここのバーは。
「…つまらない」
ボソッと呟いてみるけど、だからって何が変わるわけじゃない。今日もまた、苦々しい思い出と煙草を味わうだけ。
もしも、お金で心の傷が治せるなら、あたしは全治何週間だろう?
きっと一生掛かっても治せないんだろうな。治療費も恐らくバカにならない。
特に大きな何があったわけでもない。他人から見れば、ありふれた話。
けど、あたしが煙草の味を覚えるのには十分な話だ。
ふと、隣に誰かが座る気配がした。
「何がつまらないんだい?」
…うざったい。
なるだけ手短に返そうと努力する。
「いろいろとね」
「へえ。例えば?」
「そんなこと聞いてどうするのよ。つまらない話よ、聞くだけ後悔するわ」
つまり、これ以上何も聞くなと とどめを刺して、そっぽを向いた。
だが隣に座った人物…声から察するに少しだけ歳上の男は、なおも続ける。
「後悔ねえ。聞いてみないとわからないじゃないか、話してみろよ」
「…随分と馴れ馴れしいことで。話す義理は無いわ」
少々突き放すように言ったつもりだったのだが、男はうるさく喋る口を止めない。しつこい野郎だ。
「義理は無くても、俺が聞きたいんだけどな。というのも、俺も最近退屈してて、同じこと思ってる奴がいるって思うと、なんか話してみたくてさ」
…馬鹿じゃないの。
あんたみたいに退屈してる程度じゃないんだ、こっちは。
もう何もかもがつまらなくて味気なくて苦いんだ。
お前みたいな存在を、視認することすらしたくないくらいに。
出来うる限りの威圧感と嫌悪感を前面に出して、男に言い放った。
「あらそう。話す気はさらさらないから、精々つまらない妄想でもするといいわ」
そう吐き捨てて、「マスター」とバーの主人を呼ぶ。
マスターはにこりと微笑し、奥の部屋に消えていった。続けてあたしは店を出る。
数分後…あたしとマスターはお決まりの場所で落ち合った。
- Re: 暗闇を黒く塗り潰せ【短編集】 ( No.12 )
- 日時: 2016/04/01 10:02
- 名前: & (ID: bUOIFFcu)
cigarette-2
「また派手にやったもんだな、嬢ちゃん」
マスター・ラヴィットはシシシと笑って言った。
ふさふさの白髪と小柄な体躯、少し曲がった猫背という容姿。人の善さそうな垂れ目に、物腰柔らかな態度から温厚そうに見えるが、実際は凶暴で何をやらかすかわからない…といったところからつけられたあだ名が、兎-----ラヴィットだ。
凶暴とはいえ、結構歳食ってるから肉体的にどうこうというわけではない。ただ…、
考え方と立ち回りが悪質なだけだ。
そしてそんなマスターに、あたしはお決まりの言葉を返した。
「まあね」
素っ気なく言ったのを特に咎める様子もなく、マスターはまたシシシと笑った。
「今度はどうしたんだ?急に呼びつけたりして、随分と儂が恋しそうじゃないか?」
「バカ言うな。誰がじーさんを恋しがるか」
「おーおー、そりゃすんませんね…でも、まだ儂50だけどな?じーさんっちゃあ少し言い過ぎじゃないか」
「じゃあおっさんか」
「おっさんか、そんならじーさんとどっちも変わんねえな」
薄い笑みを浮かべ、ヘラヘラと軽口を叩くじーさん(もしくはおっさん)を胡散臭そうに見る。
が。
「…で、本当にどうしたよ」
薄い笑みが更に薄くなり、眼差しが鋭く変わる。…本気になったってことか。
「いつものこと。また胡っ散臭そうな野郎がいるわけ」
その一言で、マスターは全てを察したように頷いた。相変わらずヘラヘラした笑みは剥がれていないが、目が据わっている。
「そりゃまた面倒くさそうなこったな。嬢ちゃんも大変だなぁ、爺さん心配だよ」
「やっぱりじーさんじゃないか」
「そりゃ自分で言うからいいんだよ。他人様からじーさん言われるのはどうも不快だね」
「じゃあ言い続けてやろう。不快なんだろ?」
「おいおい、参ったなこりゃ…とにかく」
マスターはまたシシシ、と笑い、
「そいつのこと洗い出して、白か黒か見極めろってことだろ、嬢ちゃん?」
「まあね」
そして煙草をふかす。
その後は苦い話だ。煙草が似合う。
つまり-----怪しい奴を調べ上げて、証拠を片手に責め立てるのが仕事であり娯楽なのだった。
つまらないこと、この上ないだろ?
- Re: 暗闇を黒く塗り潰せ【短編集】 ( No.13 )
- 日時: 2016/04/04 18:08
- 名前: & (ID: bUOIFFcu)
cigarette-3
近況報告、というのは大事なことだ。
自分がどこまで仕事をやりきっていて、これから何をすればいいのか。
下手をすると相手方がもうすでにやり終えている仕事をすることになりかねない。それは時間の無駄だ。
つまり、また例のバーに訪れた、ということ。
「慣れたもんだね、嬢ちゃん」
「まあね」
お決まりの会話を交わす。やはりあたしの返答は素っ気ない。
勿論今も煙草をふかしている。...苦い。
ふと、隣に誰かが———覚えのある雰囲気の誰かが座る気配がした。
この前のあいつだ。怪しい奴...。
「よ。また会ったな...ところで、俺の顔をちゃんと見てくれないか?」
「結構よ」
顔なんか見ない。この前も見なかったし、見てしまえば親密さが少しだけでも上がる。...それは避けなくては。
「そう言うなって。見てほしいのには理由があるんだ、だから、な?」
「結構———と、言ったのが聞こえなかったのかしら」
ぐさりぐさり、突き刺すように言葉を放つ。
自分としては最高に威圧感を放っているつもりなのだが。
「そりゃ聞こえていたけど。それでも俺は、君に俺の顔を見てほしいんだよ。勿論理由もあるし...なあ、頼む」
「頼まれごとなら断るわ」
ぴしゃり。
断る、つまり見ない、と完全な意思表示をして、話を切り上げ、今日も「マスター」と呼んだ。
だが。
店を出たあと、何かが引っかかる感覚をぬぐえないでいた。
何が引っかかっているのか?...何だろう。
男が不審な件については、考える由もないだろうし、マスターやバーが何か変わった様子があるかといえばそうでもない。あたし自身も別にさしておかしくない。
ならば...?
まあいいか、と考え直す。
違和感がぬぐえないのは正直嫌だが、あの男を絞めるのには何ら不都合もないだろう。それとも、何かまずい事態になっても、取り返しがつかなくなるようなことはほぼない。
「...不味い」
煙草の味だけが、苦くて不味いのであれば、それが1番だ。
染みわたる苦さに顔をしかめでもすれば、あたしは負けてしまうから。
そういえばあの男、声が『あいつ』と似てたような———
- Re: 暗闇を黒く塗り潰せ【短編集】 ( No.14 )
- 日時: 2016/04/09 19:25
- 名前: & (ID: bUOIFFcu)
cigarette-4
「んで、だからこの男、裏で色々...それはもうイロイロやってる奴だってことだ。わかったかい、嬢ちゃん?」
「...ああ、一応はね」
「嘘つけ、目が理解してねえぜ」
...。
ラヴィット、その名に相応しい洞察力だ。
もともと顔には出にくいタイプだし、出しているつもりもなかったのだが...敵わない、と言うべきだろうか。
「ちょっと引っかかることがあってぼーっとしてた。悪いけどもう一回説明してほしい」
「おいおい、幸先悪いな?まあいいが...。まずこの男、女癖がかなり悪くてな。何人もとっかえひっかえして、その度に金巻き上げたり大事な一線を奪ったり一夜だけ一緒に過ごしてあとは捨てたり、な」
「理解した。それで?」
「おう、目が覚めて何よりだ。んで、それ以外にも、カジノ行って賭け事したり、地位に物言わせて脅しつけたり...あ、こいつ、裏商事で結構お偉いさんなんだと。裏だからそうでもないが、やっぱりお偉いさんがこんなのだとガックリくるよな」
「まあ、そうだな」
あんなのがお偉いかと思うと、裏商事も大丈夫なのかと心配になる。あんなへらへらした奴がな...。世の中わからない。
「極めつけに、なんとこいつ、過去に大事な女と娘捨ててるらしくてな」
「大事な?女癖悪いんじゃなかったのか」
「まあ聞けって...その女は格別なんだよ。最初の女だ。そいつとこいつは結婚して、子供もひとり生まれて、幸せだった。ところがな、これが聞いて驚いたんだが...」
「...なんだよ」
「その女、そいつの他に10人を超す男がいたらしくてな。しかも———
娘がそれを告発した」
「...なんだって?」
10人を超す男と遊ばれていて、それを娘に告発されて、その後やさぐれた...、そんな男、あたしはひとりしか———
「この男の名はエルヴィ・サーチャック。マヴァ—ナ・サーチャックよ、この名に覚えはないか」
———ひとりしか、知らない。
- Re: 暗闇を黒く塗り潰せ【短編集】 ( No.15 )
- 日時: 2016/04/16 21:08
- 名前: & (ID: bUOIFFcu)
cigarette-5
「おい」
あのバーに来ていた。
勿論、マスター・ラヴィットのバーだ。
「...何かな?」
「顔を見ろって言ったのはお前だ」
質問に対する答えになってないというのはわかってたが、なんというか、そうとしか言えなかった。いや、それを言うなら、質問の方だって漠然としているのだし、どんな答えだっていいだろう。
座っている相手に対して、立っているあたしはそいつを見下すように睨み付ける。相手は引き攣ったような顔をして言った。
「はは、そりゃそうだけどね...そんなに怒った顔されてると、何だろうなって思うじゃないか?」
「そうかよ」
「そりゃ、そうだよ。...で、急に見る気になったようだけど?」
それは何故なのか———おそらく、知ってて訊いているんだ、こいつは。
なら。
非情で残酷な事実を、言葉にして叩き付けてやろうか。
「まあな。...、父さん」
呼びたくもないその呼称で、よもやお前を呼ぶことになろうとはな。
残念だ———と、目を眇めて言い放てたら。
父さん、なんて呼ばずに、ゴミクズと吐き捨てるように呼べたら。
返事や会話なんかしないで、無視を決め込めたのなら———あるいは、放つ言葉という言葉、すべて暴言で埋め尽くせたのなら。
なんて幸せだったんだろうか、あの頃のあたしは。
「...はは、気づいたか...それはアレか、ラヴィットの差し金なのか」
「言う義理はない」
「そうか、まあいい。...さて」
ぎしっと音を立てて椅子から立ち上がり、薄い笑みをにやりと浮かべるゴミクズ。ゴミクズだというのに、確かな威圧感と迫力を以て迫ってくる。思わず、なんて言うのは気に食わないが...思わずあたしは、後ずさった。ドクンドクンと心臓が速くなり始める。
それが、あの時と重なる。
『そうか、まあいい。...さて』
「せっかくこうして会えたんだ。するべきことをしようか」
『せっかくこうして二人きりなんだ。するべきことをしようか』
そのセリフのすべてが、確かにあの時のセリフと重なる。
そしてまた、一歩後ずさったあたしの挙動も、あの時と全くズレずにぴったり重なってゆく。
それに合わせるかのように、ドクドク、心臓の動きがもっと早くなってゆく。
「ほら、ここじゃ目立つから、場所を移そうか?」
『ほら、ここじゃ声が漏れてしまうから、場所を移そうか?』
「前よりさらに、ずっと美しくなったその姿で———」
『お母さんよりもずっと美しくて穢れのないその姿で———』
ドクドクと心臓が更に速く動いてみせる。
ついに後ずさることもできなくなったあたしの耳元にそいつの口が寄せられ、
「『精一杯喘いでみせろ』」
醜いほど妖艶で、小さすぎて聞き取れないはっきりとした大きな声が———爆ぜた。
- Re: 暗闇を黒く塗り潰せ【短編集】 ( No.16 )
- 日時: 2016/04/24 19:25
- 名前: & (ID: bUOIFFcu)
cigarette-6
「—————あ、ア———」
声にもならない声が小さく出る。
それを聞き取ってか聞き取れずか、ニヤリとさらに醜く顔を歪ませ、そいつは迫ってきて、あたしの手首を掴む———
「おい」
———寸前で、マスター・ラヴィットに絞め上げられた。
おそらくだが、壮年の爺さんとは思えない力と速さでそいつを行動不能に陥らせる。既に口から少し泡が吹き出ていた。
「...怪我はないですか、お客様」
「ふ、ふぁ...え...ええ」
あくまであたしを客として扱いつつも、柔らかい声で問いかけてくるマスターのその声に安心してしまった。情けない声を出しつつ、殊更情けなく腰から崩れ落ちる。
「まったく...困りますよ、店内で荒事を起こされては。...ねえ、お客様?」
にっこりと悪魔のような笑顔でそいつに笑いかけるマスター。後ろに悪魔か死神かのオーラが浮かんできそうな形相である。
「とりあえず、警察には連絡いたしましたので。貴方には他にもたっぷりと余罪がありまして———悪しからず」
言葉とは裏腹に、顔には「地獄に堕ちろドクズ」と書いてあるようだった。
その後、警察が来てそいつは引き渡された。あまりにもあっけなく引き渡された。マスターの手配で、事前に呼んであったようだが、それにしても来るのが早かった。
そして———
「マヴァ—ナ」
「...え、ええ、何?マスター」
「怪我はないようだが...『また』、か」
「.........ええ」
いつもの場所に、2人で一緒に行った。
いつもならバラバラに行くが、そんなものは今は無理だった。
「あいつも懲りないな...10年も前から」
そう、10年も前から。
あいつは、ひとりの女を愛してから、気が狂った。
その女があまりにも美しくて、あまりにも残酷だったから。
そして狂った感情、つまり欲情の行き先と言えば———
「あたし...か」
その女にそっくりに生まれてきた、娘だったわけだ。
性欲のすべてを娘にぶつけ、自分の欲求を満たすためだけに小さな体を何度も蹂躙した。めちゃくちゃになってぼろぼろになってもまだ使われるボロ雑巾のように、身体の各部分を解体されたかのような感覚に陥ってもまだ、そいつに何度も抉られ掘られ食いつくされ、最早自分の身体が自分のものであるかすら疑わしくなった時期もあった。
救ってくれた光は、マスター・ラヴィット———そいつの兄である。
その光にすがり、これまで生きてきて、そして恩返しのため協力するようになった。
それが、このあたし、マヴァ—ナである。
「煙草、いるか?」
「ええ、お願い」
叔父はとても気が利く性分だ。
少し眠くなってきた。そのまま眠気は加速していくが、それでも叔父に煙草をもらう。そして火を点けて吸った。
その叔父が煙草を吸っていたから、逆に、あいつが煙草のことを嫌っていたから、あたしは煙草を吸うようになった。まだ幼い少女だったが。
曰く。
『煙草』———シガレットの通り名がつくほどには、あたしは煙草に依存した。
依存した。
依存した。
依存、したのだ。
そしてそのまま、溺れるように眠りにつく———。
「おやすみ」
叔父の声が聞こえる。
「今度目を醒ましたら、今度は俺が———てやるから———」
最後の方は、何も聞こえなかった。