ダーク・ファンタジー小説
- Re: 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』 ( No.1 )
- 日時: 2016/08/27 10:18
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: 3YwmDpNV)
Tale-0:『前夜』
「“五月蠅い”わね……」
ゴキブリか、ネズミか、或いは隅にうずくまる小さな弟子か。
何かの身動ぎする小さな音が、視界の中に極彩色の閃光を散らす。網膜を隙間なく突き刺す実体のない棘に、ロータスは文字を綴る手を止めざるを得なかった。
溜息をつきつき、胼胝と傷痕に覆われた手で、机に立てかけた鉄の杖を取る。髑髏とバラの装飾に覆われたそれは、周囲から大変な不評を買った代物だが、彼女にとっては数世紀の長きに亘って愛用してきた相棒。最早手放せないものだ。当然のように馴染むそれを握りしめ、先で小さく円を描いた。
音はない。光も出さない。しかし流れる空気の変化は、どれほど些細であっても肌に感じられる。何より、先程まで視界に居座っていた不快な覆いは一つ残らず消え去っていた。それが証拠だ。
「ロータス?」
一息ついて再びペンを取ったと同時、横合いからしわがれた声が掛かる。
しかし手は止めず、視線も合わせず、ただ意識だけをそちらへ向けた。それで通じる程度には、長い付き合いである。
夜の帳が降り、月さえ地平線の彼方へ没し、暗闇に沈んだ部屋の隅から、低い声が続いた。
「何やってんだ? 何度も“応急処置”してるけど」
「あーら、いつものことじゃない。あんたが気にする必要ないわ」
怪訝そうな声にも顔色一つ変えず、ロータスはおどけた風に言い返す。実際、これまでも何十回、時に何百回何千回と、同じことを繰り返してきたのだ。暗きに潜んだ声の主とて、それは分かっている。
いつもの光景と言い切ってもいいほど見慣れたそれに——否、すっかり馴染み慣れ親しんだ光景であるからこそ、彼は違和感を抱いた。
けれども。
「それもそうだな」
「そうよ」
かの声は淡白そのもの。
話題と違和感はただ一言の会話で全て無に帰し、二人の興味と意識も霧消していく。程なくして部屋の隅から立ち始めた寝息に、ロータスは少しばかり聞き耳を立ててはいたが、それも長くは続かない。意識は上等な紙の上に並んだ文字の方へ向いていった。
そうしてまた、静謐が満ちるばかり。