ダーク・ファンタジー小説
- Re: 青き蓮の提言:『或いは可能な七つの奇跡』 ( No.5 )
- 日時: 2017/01/09 03:31
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: bEtNn09J)
Tale-2:『薬師 -1』
「お疲れジャック。妖精がこっちまで入って来ようとしてたよ」
「あー悪ィね、生け捕りにしようとして気が回んなかったんだ。怪我とかしてないよな?」
八番街廃棄区に程近い、寂れた裏路地の一角。小奇麗に整備されながら、しかし沈鬱な空気が澱のように停滞する小径を、小烏、もといジャックは飛んでいた。
小さなハットを頭に乗せ、雄鶏のように長い尾羽をたなびかせながら、悠々と路地に添い飛ぶ烏。その奇妙な姿を見咎める者は、この寂れた路地にはいない。それどころか、十年来の知人に会ったかのように声を掛け、烏の方も気さくに返す。慣れたものだ。
「アル君が何とかしてくれたさね。ところで今は急ぎ?」
「大急ぎ。ユーリのトコにいるから、何かあったら呼んでくれな!」
酒場の女将との会話を手短に終え、ジャックは更に路地を往く。
その先は、新旧も古今も様々な家屋が雑多に軒を連ねる中で一際に大きく新しい、赤い屋根の家。煉瓦の壁から張り出したポールには、年季の入った臙脂色の旗が下がっている。そこに縫い取られるシンボル——蛇の巻き付いた杯——は、そこに正規の薬師が常駐している証だ。
『ラビエル施薬院(せやくいん)』。檜の看板に刻まれた店名を横目に、止まり木のように張り出した桟へ羽を休めたジャックは、薄いレースのカーテンが引かれた窓のガラスを嘴で軽く突いた。
ぱたぱたと軽い足音が窓越しに近づき、細い手がカーテンを脇に払う。桟に止まるジャックの姿を認めたのは、眼鏡を掛けた白衣の女。濃い色のレンズの向こう、鮮やかな黄蘗(きはだ)色の眼を少し細めて、彼女は窓から離れると、傍らのドアを押し開けて顔を出した。
「お疲れ様、ジャック。こっちから入って頂戴」
「おう、ダンケ。そっちの首尾はどうだい? ユーリ」
何の気なしに尋ねつつ、ジャックは開け放された扉から中へ入る。
一方の女——ユーリは、自分の横を通り抜ける小烏の後ろ姿を見上げながら、困ったように肩を竦めた。
「貴方、彼に何したの? ずっと怯えてるわ」
「幽体離脱を半分だけ。妖精とグール何匹も出されて結界ぶっ壊されそうになったかんね、調整がてら痛い目見てもらったよ」
先程の窓の傍に設えられた机の端に止まりつつ、あっけらかんとして答えるジャック。ユーリは呆れ顔でその後を追い、大きな一室を仕切る衝立(ついたて)に軽く寄り掛かって、深く溜息を吐いた。あのねぇ、と諫めるような声を上げ、その続きを綴りかけた口で、もう一度嘆息する。
やれやれとばかり重い足取りで、ユーリは衝立の向こうに一度姿を消したかと思うと、すぐに幾つかの薬瓶を手に携えてジャックの隣へ歩み寄った。
「いくら隣国のイカれた狂信者って言っても、実験台にしてたら同類でしょ? 何度もやってるんだからもう止めなさいよ」
「だけど、生身の人間で加減掴まないといざって時に使えないだろ? どーせカイルよりマシな扱いだと思うし、もうちょっと調整したいんだけどな……ぐぇえっ」
調子に乗って喋りたくるジャックの嘴を、ユーリの手がむんずと引っ掴む。止せ止めろ、と不明瞭に声を上げながら羽をばたつかせる小烏に、向ける黄色の眼は冷たい。
「お願いだから、そんなことで楽しまないでよ。結界の管理者がまともな感性してないで、一体誰が正気だって言うの?」
「分かってる、分かってるってば! ふざけて悪かった! 折れるから止せっ!」
バサバサとけたたましい羽音に混じる、懇願めいた悲鳴。対するユーリは心底呆れた風に首を小さく横に振り、黙ってジャックの嘴から手を放した。その手で机に置いた薬瓶を取り、中の液体を小さく揺らしながら、彼女は足取りも気怠く歩き去っていく。
その重い足が向かう先を、ジャックは知っている。そこで何が行われ、ユーリが先程持って行った薬が何に使われているかも——その筆舌に尽くしがたい残虐さは、理解している。
だからこそ、彼女が己へ向けて言ったことの意味も、分かっている。
しかし。
「でもユーリ。何の因果もない人間を巻き込まない為には、俺がやらなきゃいけないんだ。本当に」
「言い訳よ、ジャック」
ユーリの声は暗く、重く。
心の深奥を抉りだすように、黄蘗の眼は透徹としてジャックを睨んだ。
「結果が出なきゃ、どんな覚悟もただの綺麗事でしかない。……貴方は何がどうあれ人の魂を弄ったんだから、その結果を見てちゃんと考察しなさいな。どんな人体実験も活かせなきゃ単なる虐待よ」
「高名な薬師様に言われるまでもねぇよ、そんなこと。こちとら六百年は魔法の研究やってる大賢者だぞ」
「その内の何年が師匠に会話スキルを教わる時間だったのかしら?」
ジャックの軽口に、ユーリは容赦ない。ざっくりと大雑把に切り返され、思わず言葉に詰まったジャックへ、苦々しくもおかしそうに小さく笑いかけて、薬師は扉の向こうへ姿を消した。扉を隔てた奥では——人のような烏の価値観から見ても——残虐極まりない行為が続いているのだ。
そこにジャックが立ち入る資格は、これからも与えられはしない。
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【Author's Memo】
「ヘビの巻き付いた杯」=「ヒュギエイアの杯」
「ダンケ」=「Danke(独:ありがとう)」