ダーク・ファンタジー小説
- Re: いつか花を。 ( No.1 )
- 日時: 2022/01/16 00:57
- 名前: わらび餅 (ID: GYxyzZq9)
花咲き病。
そう呼ばれた病気が広まったのは、つい最近のことではない。ある日突然、体のどこからか花の茎が生え始める。それは全身を覆い、やがてこの世のものとは思えないほどの美しい花を咲かせる。一つの命と、ひきかえに。
原因不明、どんな薬でも治らないそれは現代の科学では治す事は不可能。つまり、不治の病だった。
そんな花咲き病患者は、その異形な姿から見た者には畏れられ、疎まれた。しかし、一部の人々からは世界一美しい花と称えられ、死んだあとに咲いた花が高値で取り引きされることも少なくはなかった。
その花は、『死花』と呼ばれた。
そしてたった一人、その死花の手入れを専門とする『花師』という職業を生業とする男がいた──
***
痛い。
裸足で走ることがこんなにつらいなんて、いまのいままで知らなかった。石や草で足は傷だらけで、私の体をすっぽり覆うローブもぼろぼろだった。なにせ慣れない森を抜けてきたのだから、仕方のないことだけれど。
痛い。
ああ、痛い。
足が、頭が、腕が、
心が。
必死に走ってたどり着いたのは、ちいさな町だった。夜も遅いから、あまり人はいない。けれど、そんな数少ない人達は私の格好をみて顔を歪ませた。こんなに汚い姿だし、無理もない。
息を整えて、ゆっくりと歩き出す。行くあてはない。ただ、あの場所ではないどこかへ行きたかった。一歩踏みだす事に、足の裏がじんじんと痺れる。これじゃあ長くは歩けない。どこか人気のないところで野宿を──
「そこのお嬢さん」
一瞬だけ固まってしまった体を慌てて動かす。
聞こえない。なにも聞こえない。後ろからの声に知らないふりをして、ふらふらと震える足を動かした。
「......お嬢さん?」
だけど、無視してもその声は追ってくる。しつこいな。
そんなことを考えた瞬間、腕を、掴まれた。そう考えるや否や、頭の中でガンガンと警報が鳴り響く。だめだ、だめだ、だめだ、触られてしまったら。
「っはなせ!」
咄嗟に相手の手を振り払いながら振り向く。そこには少しだけ困ったような顔をした男の人が立っていた。
バレた? バレたか? まだ腕にはまわってないはずたけど、もしバレていたら? どうしよう、どうしよう、逃げる? 逃げるってどこに?
自問自答を繰り返しながらぐるぐると様々な感情が頭の中を忙しなくめぐり、嫌な汗が全身からじわりとしみだすのを感じた。そんな私の様子に気づいたのか、男の人は両手を少しあげて手のひらをみせた。なにもしない、という意味だろう。
「あー......驚かせてごめんね、俺はその......怪しいものじゃないから!」
どうみても怪しいのは私のほうだろう。けれど彼は私を安心させるように優しく笑った。
「お嬢さん、あんまり見ない顔だけど......こんな夜更けに君みたいな小さい子が歩いてたら危ないよ。お父さんかお母さんは?」
私の目線まで屈み、心配そうに尋ねてくる男の人。こんな小汚い子供に、この人はどうして優しくしてくれるのだろうか。
「......関係、ないだろ」
これは、この人はきっと善人なんだ。善人だから薄汚れた小さな子供は放っておけない。いうなれば、善人の義務みたいなものだ。しなければならないことであって、したいことではない。
私たちは、他人を信じてはいけない。例えどんなに善人であろうとも。
だからこの人も、信じてはいけないのだ。
自分に言い聞かせるように繰り返しそう考えて、構うなと男の人を精一杯睨みつける。
すると彼は、ゆっくりとその整った顔を私の耳によせた。そして放たれた言葉に、私は頭が真っ白になるのがわかった。
「花咲き病、だよね?」
ああ、ああ。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ、殺される。
「っいやだ......!」
慌てて体を引こうとした時、ぎゅっと片手を掴まれた。振り払おうにも、力が強くてこれじゃあ逃げられない。
彼は私の耳に顔を寄せたまま、優しい声音でまたぽつりと囁いた。
「大丈夫、落ち着いて。俺は君の味方だよ。殺したりしないし、誰にも言わない」
でも、と、彼は顔を離してにっこりと笑った。
「この近くに宿があるんだ。今夜はそこに泊まるといい。お金なら俺がだすから心配しないで」
振り払って逃げればいい。隙をつければきっと、この体格差でも。
けれど、他の誰かに私のことを教えるかもしれない。そうしたら私は、この命は。
そこまで考えて、拒否権など最初からなかったのだと気づく。
酷い喪失感に襲われながら、私はそっと手を引かれた。
連れてこられたのは、木造のこじんまりとした宿だった。言っていたとおり、お金は払ってくれた。まあ、例えそれが嘘で払えと言われても、私が持っているのはこの身一つだからどうしようもないのだが。
受付のおばあさんに部屋の鍵をもらった彼は、いまだに掴んだままの私の手を引っ張り、目的の部屋へと歩を進めた。
ギィ、と音をたてながら部屋のドアが開かれる。どうぞ? と笑顔で促され、恐る恐る踏み入れた。フローリングの床にあまり大きくはない白いベッド、タンスや収納ケースなどが置いてある、普通の部屋。それでも不安で思わずきょろきょろしていると、ベッドに腰掛けるよう言われた。ギシ......と二人分の体重でスプリングが軋む。もう隠す必要もないだろうと、私の頭をおおっていたフードをとった。
「さて、どこから話そうか」
「......どうして、私が花咲き病だって」
「ん? ああ......簡単なことだよ。たいして寒くもないのにそんなブカブカなローブを着てるし、あとちょっと足から茎がみえた」
「......!」
「俺以外は気づいてないよ、暗かったし。俺は少し……そうだな、目がいいんだ」
「嘘だろ? あんな暗闇でみえるわけがない。それに私は、まだ足までまわってない」
「へえ、そうだったんだ。ということは、君はまだかかったばかりだね?」
「……それが聞きたくて、わざと嘘を?」
「まさか! 偶然だよ。茎に関しては俺の見間違いだったみたいだ、ごめんね? ……でも、普通の花咲き病でしかもまだかかったばかりなら、誰かに掴まれてもあそこまで怖がる必要はないんじゃないかな? 腕にも足にもまわっていないということは、君の発症箇所は体の中心だろ? それなら……って、ああ! もしかして、俺がやつらの仲間だと疑って? 大丈夫だよ、やつらはいまこの町にはいない……あれ、おかしいな。そのことは有名なはずだけど。患者である君が知らないわけがないよね?」
心臓が、うるさいくらいに跳ねている。この人は、もう全てわかっている。どうして、なぜ、出会ったばかりなのに、そこまで。
「ではなぜ怯えるのか? 答えは簡単、普通じゃないからだ」
──君、『茨持ち』だろう?
確信を持った問いかけに、喉が震えた。
希に、茨のついた茎が生えてくる花咲き病患者がいる。
その茨には毒があり、それを体内に入れてしまうとものの数分で死に至る。その患者達は『茨持ち』と呼ばれ、害のあるものとみなされ、発見しだい殺される。
そして私は、その『茨持ち』だった。
- Re: いつか花を。 ( No.2 )
- 日時: 2022/01/16 00:58
- 名前: わらび餅 (ID: GYxyzZq9)
国の端にある、小さな村。村人たちは皆手を取り合って助け合い支え合い、決して裕福とは言えないが、平和でぬるま湯のような生活を送っていた。それが私の育った場所。
私の両親は、私がまだ赤ん坊のときに行方を眩ませた。理由は未だに分からないし、生きているのか死んでいるのかも分からない。そんな私を育ててくれたのが村のとある優しい夫婦。その人達にはすでに子供がいて、私とあまり歳の変わらないその女の子と親友になるのに、そう時間はかからなかった。生きる為に食べる物をかき集め、うすい布にくるまって朝を待つ。そんな生活も彼女や村の皆がいれば苦ではなかった。幸せだったのだ。
『......ねえロゼ、それ』
私が、花咲き病にかかるまでは。
『ロゼ、他の人に言っちゃだめ。これはアタシ達の秘密。絶対よ? 大丈夫、アタシが必ず守るから』
こんな端の村でも花咲き病は有名で、かかった者がいたら国に引き渡す、茨持ちは排除するのが暗黙の了解だった。
彼女は私を隠してくれた。それでも病の進行は進み、とても隠しきれるものではなくなった。ついに彼女の両親__私の育ての親に気づかれてしまったのだ。それからははやかった。あっという間に村中に伝わり、そして、
彼らは、私を殺そうとした。
私に向けられた目は、仲間に向けるものでも、家族に向けるものでも、ましてや人間に向けるものでもなく。
恐ろしいなにかに、向けるものだった。
彼女はそれでも必死に庇ってくれた。人気者だった彼女の言葉を一時は受け入れた村人達。しかし、そんな中で聞いてしまった両親の言葉が、私の足を動かした。
『あの子はああ言うけれど、もし花咲き病がうつったらどうするの......! それも茨持ちでしょう、“あれ”は! 私耐えられないわ......いままであんなのと一緒に暮らしてたなんて......』
『......あの子が寝ている間に、“あれ”を処分しよう。気づかれないように』
ああ、もう、名前も呼んでくれないのか。
私はもう、あなたたちの娘じゃないのか。
優しい過去などもう存在しない。彼らにとって私は害であり、もはや人と呼べるものでもない。
あの声は、あの笑顔は、こんなにもあっけなく崩れてしまうものなのか。
──ここにいれば、殺される。
気づけば村を抜け出し、ひたすら走っていた。
遠く、遠く、私の知らない町へ。私のことを知らないどこかへ。
「......私は、逃げてきた。死にたくなかったから」
彼の問いかけにただ答えるだけの人形と化していた私は、どうしてここに来たのかという質問の答えを口にしていた。話し終えて、なぜだかまた足が傷んだ。傷だらけのそれを、そっと撫でる。
いままで口を挟まず私の話を聞いていた彼は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「君は、すごいね。いままで茨持ちが生き残った例はないんだ。君が初めてになるかもしれない」
少し大きい手が、ぽんと私の頭に置かれた。
「頑張ったね」
優しい音色で奏でられるそれは、私の体にすっと染み込んだ。じんわりと広がる暖かさは、両親だと思っていた彼らがくれたものに、少し似ていた。
「......あなたは、なんのために私を? 花を咲かせて売るため? それとも……ただの、偽善者か」
そう聞くと、彼は私の頭から手を退けて大袈裟に肩をすくめてみせた。
「生憎、金には困っていなくてね。それに偽善でもない。俺は、俺が興味のあることにしか手を出さないよ。同情や偽善じゃお腹は膨れないだろう?」
彼は、まるでなんてことのないようにさらりと言ってのけた。隠す気なんてこれっぽちもないのか。言外に私を利用すると言われたようなものだ。
「君を連れてきた目的だけど......そうだなぁ。花師って知ってるかい?」
「聞いたことは......あるけど」
「花咲き病で咲いた死花を手入れする職業で、一人しかいないって言われてるんだけど......」
そう言いながらにこにこと自分を指さす彼に、少しだけ目を見張る。
「......あなたが?」
「そうそう。だから普通の人よりは君たちに詳しいし理解もできる。そこで、だ」
彼自身の顔に向けられていた指が、今度は手ごと私のほうをくるりと向いた。手を差し出されるという形になり、どういう意図かわからず恐る恐る彼の顔を伺う。
「俺と一緒に来ないかい?」
この人は本当に、なにを言っているのだろう。
私の表情からそう思っているのがわかったのか、彼はケタケタと笑い出した。
「あっはは! 君、結構顔に出るタイプだろ? おかしなことじゃあないさ。さっきも言った通り、茨持ちが生き残ったことはない。つまり、その死花を誰もみたことがない。俺は花師としてぜひそれをみたい」
まるで、小さな子供が新しいおもちゃをみつけたような、そんな顔で。
この人は、私に死ねと言った。
差し出されていない方の手が、私の髪をするりと撫でた。
「それだけじゃない。君は生きたいんだろう? だから逃げてきた。俺は色んな患者のもとへ行くから、その時になにか治す手がかりがみつかるかもしれない。俺はそっちでも構わない、死人が減るからね。仕事はなくなるけど、別に熱意を持ってるわけでもないから問題ない。茨持ちの死花をみたいのは......まあ単なる好奇心だね。悪い話じゃないだろ? で、どうだい?」
この手を、取る?
抗ってもがいて、それでも迫り来る死は止められない。私は一人で、美しい花が咲くのを待つしかない。
この人と、一緒にいかなければ、の話だ。
ついて行けば、なにかが変わるかもしれない。
でもこの人はきっと、私には興味がないのだ。興味があるのは、私が咲かせる花だけ。
でも、それでも。
私は生きたい。
逃げてしまった、なにもかもから。私を庇ってくれたあの子の勇気と、愛情から。
私はあの子に会いたい。会ってただ一言、一言だけでいい。伝えたい。そのために、この忌々しい病をどうにかしないといけない。
生きなければ、ならない。
少しでも可能性があるのなら。闇しかないこの世界でわずかでも光がさすのなら。
私はそっと、彼の手に自分の手を重ねた。
「......連れていって」
この人の手をとろう。
「......いい判断だ。お嬢さん、お名前は?」
誰にも呼ばれなくなった名前。もう呼ばれることはないだろうと思っていた名前。
きっとこの人は、お兄さんは、呼んでくれるだろう。私が死ぬまで。彼の興味がなくなるまで。
「ロゼ」
「ロゼ、俺はヒガン。これからよろしく」
にぎられた手はあたたかくて、どうしようもなく優しくて、なんだか泣きそうになった。
- Re: いつか花を。 ( No.3 )
- 日時: 2016/10/16 09:14
- 名前: ゼロ (ID: zbywwA5R)
すごくおもしろいです。
文章も物語の設定も好きです。
続きが気になる…。
更新楽しみにしています。
- Re: いつか花を。 ( No.4 )
- 日時: 2016/10/20 19:03
- 名前: わらび餅 (ID: hfyy9HQn)
ゼロさん
はじめまして!! 読んでくださってありがとうございます......!!
うわああありがたいお言葉......!! 嬉しいです!!
ダークのほうは初めてで、ちゃんと書けるかどうか不安だったのでそう言っていただけてほんとに嬉しいです。
更新頑張ります!!
コメントありがとうございました!!
- Re: いつか花を。 ( No.5 )
- 日時: 2016/10/25 19:23
- 名前: ゼロ (ID: /YdTLzNI)
頑張ってください(^^)
読んでます。
- Re: いつか花を。 ( No.6 )
- 日時: 2022/01/16 01:00
- 名前: わらび餅 (ID: GYxyzZq9)
空の色が、徐々に白んでいく。隠れていた太陽が顔を出し、朝を告げる。可愛らしい小鳥のさえずりが鼓膜を優しく震わせる。
カーテンの隙間から差し込む陽の光に、小さくうめき声を上げた。あたたかい微睡みに誘惑されながらも、重い瞼をなんとか押し上げる。もう朝か。いつもならまだ陽が出ていない頃に目を覚ますのに、随分と寝こけてしまっていたみたいだ。ベッドなんてはじめて使ったけれど、町の人はみんなこれで寝ているんだろうか。やわらかくてふわふわで、起きるのが一苦労だ。
あの後、結局ヒガンのお兄さんは言っていたとおりに宿のお金を私の分だけ払い、夜もそこそこに部屋を出ていった。帰る場所はあるのかと聞いたら、住んでいる場所はないけれど寝泊まりさせてくれるあてならあると言っていた。まさかの家無し人だった。
そういえば出て行く際、妙にしつこく心配をしていたな。やれ暗いのは平気かとか、やれ一人は寂しくないかとか。一体人のことを何歳だと思っているんだと問いかけたら、案の定実際より一回りも小さい答えがかえってきた。私はもう十五だ。確かに背は低いし細いし童顔だけれども。逆に彼は何歳なのだろうと思ったら、十八だといわれて驚いた。もっと離れているものだと思っていたが。
「明日の朝、迎えにいくから待っていて」
そう言われていたのを思い出し、かといって準備するものもなにもないから、洗面所で顔を洗ったあとベッドに腰掛けてお兄さんが来るのを待つ。ぼんやりと天井を仰ぎながら、昨日の出来事を思い出した。
何も言わずに逃げてきてしまって、あの子は心配しているだろうか。村の人たちは、私を探しているだろうか。どこぞで野垂れ死にするか誰かに殺されるか、そんなことを考えているのかもしれない。恐らくお兄さんに会っていなかったら、慣れない場所をさ迷い、茨持ちをよく思っていない連中にみつかって殺されていただろう。花咲き病はまだ未知だ。わからないことがほとんどで、それは人々にとって恐怖の対象でしかない。もし病にかかっていたのが私ではなく、あの子だったら。私は彼女のように、最後まで庇ってあげられただろうか。
そんなことばかり、考えている。
「お客さん、起きてるかい? お連れ様がきてるよ」
私の思考は、受付にいたおばあさんの声により遮られた。
扉を開ける。私がこれからみるものは、一体なんだろう。ただの絶望かもしれない。人々の冷たい眼差しかもしれない。それでも。
私はこの一歩を踏み出すと決めたのだから。
「そういえばサイズ、大丈夫だったかい?」
新品のブーツにこれまた新品でふわふわのローブを身にまとい、昨夜はゆっくりみれなかった町をお兄さんの隣で練り歩く。迎えに来たお兄さんは私を見るや否や、その手に持っていた新しい着替えを押しつけてきた。もしかして私のためにわざわざ買ってきてくれたのだろうか。そんなの聞くまでもなく、是だ。たとえそこに私への情はなくとも、どうしようもなく嬉しいと思ってしまう。私は、こんなにも弱かっただろうか。
「大丈夫、丁度いい」
そっか、とお兄さんは笑った。この人の笑顔は本当に、綺麗だ。まるで人形のように。まだ出会って一日とたっていないが、みていればすぐにわかる。この人は、綺麗な笑顔しか作れないんだ。
「......これから、どこに行くんだ?」
ああ、そうだ、余計なことを考えてはいけない。私とこの人の関係に、そんなものはいらないのだから。
「仕事をしに、ある人のとこへ行くんだ」
──『世界一美しい死体』って、知っているかい?
***
それは、一言でいうと『異常』だった。
「ヒガンか。いらっしゃい、よく来てくれたね」
お兄さんに連れられてやって来たのは、こんな小さな町に似合わないほど大きなお屋敷だった。執事のような人に案内されて入った部屋には、そう言って嬉しそうに微笑む、車椅子に乗った可愛らしい少女がいた。みたところ、私と同い年のように感じる。
異常なのは、服で隠れきれないほどその体にところ狭しと這う茎が、地面にまで伸びていたこと。そして、美しい紫色の花が、狂ったようにその花弁をひらいていたこと。いくつも、いくつも。
「お久しぶりです、モネさん。具合はいかがですか?」
「今日はすこし調子がいいみたいだ。つい最近咲いたばかりだから」
これは、目の前のこれは、一体なんだ。どうしてひとつの死にひとつしか咲かない死花が、こんなにもたくさん咲いているんだ。
「その子は......」
「俺の助手で、ロゼといいます。モネさんと同じですよ」
どうやら私はお兄さんの助手という立場らしい。そんなの初耳だが。
「......そう。まだこんなに小さいのに、大変だっただろう」
眉をきゅっとひそめたモネさんと呼ばれた少女は、本当に私を心から案じてくれているのだと、その痛ましい姿をみて思わずにいられなかった。
ただただ目を見開いて見入ってしまっている私に、少女は苦笑いを浮かべた。
「申し訳ないね、こんな姿で」
「あ......いえ......」
「ロゼ、彼女はモネさん。モネさん、この子にあなたのことを話しても?」
「もちろん」
「ありがとうございます。......ロゼ、不老不死って知ってるかい?」
こくり、とひとつ頷く。決して歳を取ることも、死ぬこともない、それが不老不死。
はっとして、モネさんの顔を見る。
それじゃあ、この人は。
ただただ目を見開く私に、モネさんはゆっくりと頷いた。
そんな私たちをみて、お兄さんは話を続ける。
「不死といっても、死なない訳じゃない。ちゃんと死ぬんだ、ただし終わりのない死だけれど」
「終わりのない、死?」
「死んでも生き返る。何度でも。そんな不老不死が花咲き病にかかったら......」
「私のようになる。ただそれだけの話だよ、ロゼちゃん」
モネさんはなんてことのないように言う。これは至極当然のことだと。
「私が不老不死になったのは確か......十六の時だったかな。人魚って言ったらわかるかな? その肉を食べたら不老不死を手に入れられる、そんな伝説を聞いたことはある?」
私はまた首を縦に振った。随分と昔にそういう噂が広まったらしいと、村のおじいさんに教えてもらったことがある。
「その伝説にご執心だった私のお父様は、血眼になって人魚を探し捕らえ、その肉を私に食べさせたんだ。めでたくも伝説は嘘なんかじゃなく、私はこうして不老不死になったけれど、残念なことに同じように肉を食べた彼は死んでしまってね。恐らくあの人の体が耐えきれなかったんだ」
淡々と、酷く静かに遠い物語を語る少女の顔には、美しい微笑みが浮かんでいた。
「そうして生き続けて、もう幾つ年を重ねたかわからなくなってしまった。いつの間にか花咲き病にかかっていて、私は花が咲く度に死んだ。この茎も花も増えすぎて、自力では動けなくなってしまったけれど、この屋敷にはたくさん人がいるからね、不便はないよ。それにこの病で死ぬ時は痛みも苦しみもない。眠る様に、死んでいく」
きっとそれは、幸せなことなのだ。
そう語る彼女の姿は、まるで夢を見ているかのようだった。この世のものとは思えないほどの美しい花が、数え切れないほど咲いている。それは、彼女のいう「幸せなこと」が何度も何度も重なって作り上げられた、彼女が人ではないという証拠だった。
「でもねロゼちゃん、あなたは違う。茨持ちの死花はいまだに咲いた例がないから、あなたの花がよくない連中の手に渡る可能性は大いにある。あるいは咲く前に殺されるか......ヒガンがいれば大丈夫だとは思うけれど、それが嫌だったら自分で命をたつことだってできる。けれどあなたの命はひとつしかない。だからどうか、どうか──」
「......どうして」
言いかけて、口を噤む。どうして、笑って生きていられるのか、赤の他人である私の心配なんてできるのか。そんな残酷な問いかけを、彼女にしてしまいそうになった。それを悟ったのか、彼女は微笑んだまま目を伏せた。
「長く生きていれば、いろんな人に会う。その人にとっての私がどんなものであれ、私にとってのその人はかけがえのないたったひとりなんだ。そんな人の幸せを願うことは、当たり前のことだよ」
たったひとつの命しかもたない、たったひとり。
愛しいのだと、彼女は言う。私のように生きようとする人間は等しく愛しくて、眩しいのだと。
「生きたいと、私も思っているんだよ。......花咲き病にかかろうがかからまいが、私は結局死んで生きてを繰り返す。そこに意味なんてないんだ。けれども、そんな私にも大事な人っていうのがいてね。そのひとが『迎えにいく』と言ってくれたから。だから『待つ』んだ。この世界が終わろうと、私は彼を待っている。そのためにこうして生きていられるんだよ。ああ、でも......」
──『世界一美しい死体』だなんて呼ばれているから、私はもう死んでいるのかもしれないね。
「君の目に、モネさんはどううつった?」
お兄さんが丁寧に時間をかけてモネさんの死花の手入れをしたあと、私達はあの屋敷をあとにした。日はもう傾きかけており、私達が歩く道を夕日が赤く染め上げている。
その道中、お兄さんがそんなことを問いかけてきた。
「......こわいひとだと、思った。悲しいひとだとも、思った」
けど、優しいひとだ。どうしようもなく。
なにも憎まず、ただひたすら誰かを待っている。そのために生きている、悲しい人。
「病気を、治す方法をみつけたい。そうしたらモネさんだって、きっと自由に動けるようになるんだ。私だってもっと長生きできる」
まだ、死にたくない。まだあの子に恩返しのひとつもできていないのだから。
私はまた決意をひとつ心にためて、歩みを進めた。
お兄さんが立ち止まったことに、気づかずに。
「......あれをみて、まだ、生きたいと思うのか。
──それじゃあ、君にこの病を治すことは、一生無理だ」
小さく呟かれた言葉は、私の耳に届く前に、風に流され消えていった。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.7 )
- 日時: 2022/01/16 01:02
- 名前: わらび餅 (ID: GYxyzZq9)
『......なん、で』
目の前の、大切ななにもかもが崩れ去っていく。
充満する酷い血の匂いに、顔をしかめる余裕すらなかった。
ひらり、ひらり、と。
消えた町に、赤い花びらが降り落ちる。
それは悲しいほどに美しく、俺達はただそれを呆然と見つめることしかできなかった。
『......なあ、どうして』
震える問いかけに、答えはない。
やがて、ゆっくり、ゆっくりとこちらを振り返って。
『......ごめん、な......』
ひらり、ひらり。
あかいはなびらが、頬を伝った。
「──っ!」
声にならない叫び声をあげながら、勢いよく体を起こした。ばさりと掛け布団が床に落ちる。
飛び出さんばかりに跳ねる心臓を押さえつけながら、あたりを見回す。ここは......確か、そう、宿だ。町なんかじゃない。
また、あの夢か。
寝間着が汗でべたつく。いい加減慣れてもいいほど見ているんだが。
自分の両手をみつめる。暗くてよくみえないが、赤く染まってはいない。
ふと、すぐ隣にあたたかいなにかがあるのに気づく。決して綺麗とは言えない、肩まであるブロンドの髪を枕に広げて、触れれば壊れてしまいそうな小さな体を丸め、微かな寝息をたてている少女。現実に戻ってきたという確信を得て、小さく息を漏らす。
モネさんの家を出たあと、もう用はないし長居する必要もないからと、あの町からお暇した。次に向かうのは大都市だ。かといって急ぎの用というわけではないし、ロゼをつれて野宿するなんて出来るわけがなく、適当なところで宿をとった。
残念なことに部屋がひとつしか空いておらず、彼女には悪いが同じ部屋で朝を待つことになった。俺は床で寝るから、と最初はベッドを譲ったのだが、どうしてだか頑なに首を縦に振ることはなかった。埒が明かないので、同じベッドの端と端で寝ることになった。
そんなこんなで俺の隣には彼女がいる。寝返りをうったのだろう、最初背を向けていたのに顔がこっちを向いている。だんだんと暗闇にもなれてきて、じっとその顔をみつめる。閉じられた目の下には、ひどいクマができていた。起こさないように、そっと指を這わせた。ひと目でわかる、この子はあまりいい暮らしをしてこなかったのだろう。
あの日偶然、本当に偶然、夜の町でこの子をみつけた。ふらふらと覚束無い足取りで、お世辞には綺麗といえない格好で、燃えるような赤い瞳を鈍く光らせながら歩いていた、この子を。
あの時、足から茎が見えたなんてことを言ったが、彼女の言う通り真っ赤な嘘だ。花咲き病の茎は肌にぴったり沿うように伸びる。靴も靴下もはいていなかった彼女の足には茎はなかった。腕を掴んだ時にも茎の感触はない。ということはおそらく、彼女の発症源は胸からふとももにかけてのどこかだろう。もちろん彼女はその時ぶかぶかのズボンをはいていたから、外から茎がみえるはずがない。
ではなぜ彼女が花咲き病患者だとわかったのか。答えは簡単、俺は患者の見分けがつくからだ。なぜだか、そういう能力が俺にはあった。まあ、原因はなんとなくわかっているが。
茨持ちというのがわかったのも、その能力のせいだ。名探偵でもあるまいし、彼女の一挙一動でそんなことがわかるわけがない。
ふわり、と彼女の頭に手を乗せる。
あの時、この子を見つけた時。絶望や怒り、様々な感情をないまぜにした深い深い赤を見た時、俺の体は引き寄せられるように動いた。ああ、この子は患者だ、そう気づいた時にはもうその細い腕を掴んでいた。
彼女は馬鹿じゃない。幼いながらも頭の回転ははやいし、きっと俺が彼女になんの情も抱いていないと気づいているだろう。それでも彼女はこの手をとった。
ただ、生きたいという理由で。
世界一美しい死体と呼ばれているモネさんに会わせ、この数の花が咲いている間も治療法は見つかっていない、そう暗に教えた。それでもロゼは、告げた。病気を治すのだと。その赤い瞳には、生きたいという欲が静かに燃えていた。
おそらく、この子の病は治らないだろう。それを知ったら彼女は、騙した俺を憎むだろうか。この世に絶望するだろうか。そうか、そうなったら、
もしかしたら、彼女が『彼ら』に会わせてくれるかもしれない。
それは、とても楽しみだ。
俺をみて、あいつらはどんな顔をするだろう。
ああ、なんて待ち遠しい、再会の日。
鳥の囀る声が、外から聞こえる。
朝日がもう、その顔をのぞかせていた。
***
朝、刺すような日の光で目が覚めると、開いた瞼の先にはお兄さんの顔がまつ毛の本数が数えられそうなほど近くにあった。「おはよう、よく眠れた?」なんてたずねてくるその整った顔を呆然とみつめながら、まだ働かない頭で寝る前の記憶を探る。ああそういえば、一緒のベッドで寝たんだった、と思い出す。それにしてもお兄さんはいつ起きたのだろうか。
おはよう、と答えたあと、小さく欠伸をこぼした。まだ眠い、やっぱりふかふかのベッドは朝の敵だ。襲い来る眠気と戦っていると、お兄さんが起き上がり、出かける支度を、と促された。お兄さんと出会って二日目、今日はどこへ行くのだろう。
そして連れてこられたのは、この国で有名な大都市のど真ん中だった。
慣れない人の多さに圧倒されながら、はぐれないようにと繋がれた手をちらりとみる。この人の手は、とても暖かい。大きいそれは、私のをすっぽりと覆ってしまうほどだ。
しばらく歩いていると、路地裏の隅に隠れる様にしてたつ、小さな建物の前までやってきた。あまり入りたいとは思わない、どんよりとした空気に思わず顔をしかめる。
「少し用事を済ませて来るから、ロゼはここで待っていて」
そうにっこりと笑って建物の中へ入っていったお兄さんの背を、私は呆然と見送るしかなかった。
無情にもパタンと閉じられた扉をみて、どうしようかとあたりを見回そうとして、諦めた。どうせ、お兄さんがいなければどこにもいけないのだ、ここは大人しくしておいたほうが身のためである。せっかくもらったローブが汚れてしまうので少し躊躇ったが、ずっと立っているのも疲れるので、扉の前の小さな段差に腰を下ろした。
息をついて、なんとなしに自分の手のひらをみつめる。まだ、普通の手だ。お世辞には綺麗とはいえないが、ただの子供の手。
きっといつか、この手にも死は巻きついてくるのだろう。私には決して刺さらない、毒の茨をひきつれて。怖くないわけがない。私はまだ死にたくない、例えどれだけ恨まれようと憎まれようと、この死の花を一生背負うことになろうとも、今は生きてさえいれば構わない。だって、あんまりじゃないか。一番大切だったあの子を置いて、私をこんなふうにしたこの世を恨みながら死ぬなんて。
長生きがしたいわけじゃない。ただ、あの子に言いたいのだ。言葉で言い表せるものではないけれど、それでも、そばにいてくれてありがとう、幸せをくれて、ありがとう、と。そうして笑って死ねたら、私はそれでいい。だからそれまでは、なにがなんでも生きなければならないのだ。
ただの花咲き病なら、まだあの子のそばにいられたかもしれない。こんな、こんな茨さえなかったら、私は......
「っ!?」
どす黒いなにかが胸の内をのたまわりはじめた、その時。
背後からやってきた影に私は気づくことが出来ず、突如がつん、と頭が揺れた。痛い、なんて感じる暇もなく、
私の意識は、ゆっくりと遠ざかっていった。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.8 )
- 日時: 2021/05/06 02:25
- 名前: わらび餅 (ID: Jf2bTTLH)
一体どれほど眠っていたのだろう。
ぼんやりと目を開ける。まだ霞む視界にうつる天井。ここは、どこだ。私は、なにをしていたんだっけ。
覚醒しきっていない頭で、記憶の引き出しを片っ端から開ける。そう、そうだ、お兄さんと一緒に大都市に来て、それから......
今の状況を思い出した私は、がばり、と勢いよく体を起こした。が、途端に頭に鋭い痛み走り思わず唸る。私は殴られた。この傷みが確かな証拠だ。服の乱れはない、ローブもちゃんと着ている。
痛む頭をおさえつつ、あたりを見回す。廃れたコンクリートでできた、ひび割れが目立つ壁と床。家具らしい家具らしいは置いておらず、随分と殺風景だ。窓はなく、外をみることはできない。扉は正面に一つだけ。両手は後ろで縛られている。みたところ柱に鎖で繋がれた手錠のようだ。足は動かせるが、このままじゃ歩けない。どうしたものか。というか、犯人はどこへ?
内心そう首をかしげていた時、ただ一つしかない扉がガチャリと音を立てて開いた。
「......ああ、起きたのか」
入ってきたのは、背の高い男性だった。浅葱色の短い髪をさらさらと揺らし、ズボンのポケットに両手を突っ込んだままこちらに大股で近寄ってきた。長めの前髪からちらりと覗く鋭い翡翠の瞳。この人が、私をここへ? うわ目つき悪い、なんて心の中で呟いている場合ではないのは重々承知なのだけれど。
床に座り込んでいる私を冷めた目で見下ろしながら、ゆっくりと口を開いた。
「お前の連れ......名前は、ヒガンであってるな?」
そう問われ、頭の中で様々な憶測が飛び交う。
なぜお兄さんの名を? この人は誰だ? 私がお兄さんの連れになったのは昨日だ、一体いつから、どこから見ていたというのだろう。モネさんのところへ行った後か前か、もしくは出会った時からか。そうなれば、この人は随分前からお兄さんに目をつけていた可能性が高い。もしかしてこの人の目的は、私ではなくお兄さんなのだろうか。
「......あんた誰?」
この人は私がお兄さんの連れだという確信を持っている。私に投げかけたものは質問ではなく確認だった。おそらくなにを言ってもデタラメだと流されるだろう。
けれど私はお兄さんに迷惑をかけるわけにはいかない。あの人は私のことをせいぜい玩具としか思っていないだろうけど、私にとっては生きるために必要な人だ。ここで失うわけにはいかない。
だが、お兄さんはどうだろうか。
私なんて、いなくたって構わないだろう。ただの興味の対象だ、下手したら荷物ですらある。
このまま、見捨てられてしまったら。
そこまで考えて、頭を振った。
ああ、私は、こんなに弱かっただろうか。
嫌いだ。一人になるあの瞬間、なにもかもから忌み嫌われたあの時のようなあんな気持ちは、もう二度と味わいたくない、そう思ってしまう弱い自分が。暖かい手を知ってしまった卑しい自分が、大嫌いだ。
ずっと一人だったら、きっと楽だった。
「お前がヒガンって男の仲間だってのはもう割れてんだ、しらばっくれたって無駄だぜ。あいつは何者だ?」
「知らないし知ってたとしても教えない。……そんなことを聞くために、わざわざこんな人攫いみたいな真似を?」
「ハッ、まさか」
馬鹿にするような言葉とともに、突然こちらに伸びてきた手。骨ばった大きなそれに思わず体が竦む。
その手は躊躇いなく私のローブを掴んだ。まさか、この人。
冷や汗が吹き出す。咄嗟に体を捩るが私の抵抗などお構い無し、力任せに無理矢理脱がされただの布と化したローブは遠くに放り投げられる。そのまま中に着ていたの長袖のシャツを捲りあげられ、私のお腹が冷たい空気に晒された。
そこに巻きつく、死の茨。
目にした瞬間、頭が真っ白になる。
嫌だ、見たくない、見たくない見たくない見たくない! 私を殺そうとする、こんなもの!
「......本当に、茨持ちだったのか」
ぽつりとこぼされた言葉。静寂に響く、乾いた笑い声。
「俺はなぁ。お前と同じ茨持ちになにもかも奪われたんだよ」
憎いのだと、確かにそう言った。
「......どうして、そんなに。茨持ちが嫌われなくちゃ」
「どうして? どうしてだって? お前がそれを言うのか茨持ち! あの日。ああそうさ、忘れもしない『赤い町』の日だ。あの茨持ちが暴走したあの日」
赤い町。茨持ちの暴走。
誰だったか、村の人たちもそんなことを言っていたような気がする。
一夜にして、ひとつの町が消えたのだと。
「なにもかも手遅れだった。着いた時にはもう、全てが消えていた。なにもかもが! 茨持ちのせいで! お前らのせいで! 殺す......全員、殺してやる......!」
憎悪に染まった瞳が、私を睨んでいる。
疑問と恐怖が私のなかで渦を巻く。どうして私が、こんなにも憎まれているのか。
花咲き病を目の敵にしている団体がいるのは知っている。もしかしたらこの人はその一人なのかもしれない。そうだったら、私は殺されるだろう。
怖い、けれど。
「......私が、あんたに何かした?」
この人は、勘違いをしている。
「っまだそんなことを! お前らが──」
「私は、何もしてない。したのは他の茨持ちの人でしょ」
「同じだ! お前もいつか」
「いつかの話なんてしてない。私は何もしてないからあんたに恨まれる筋合いなんてない。......けど」
他の茨持ちがなにをしたかなんて知らない。この人が何を奪われたかなんて知らない。
でも、それでも、何かを恨みたい気持ちは、それだけはわかるから。
「私を殺せば、あんたは幸せになれるの?」
目の前で、息を呑んだ音が聞こえた。
ガラガラと崩壊するように、彼の膝が崩れ落ちた。私のシャツを掴んでいた手がゆっくりと離れ、彼の顔を覆う。
「......お前に、お前になにがわかる。ひとり残された俺の気持ちが。傍にいてやれなかった、なにも守れなかった俺の気持ちがわかるか!? 俺は、俺は、あいつの最期すら見届けられなかった!」
劈くような叫び声のなか。置いていかないでと、弱々しい泣き声が聞こえた気がした。
「憎い、憎いんだよ。俺は! だって約束したんだ、すぐ帰るって。帰ったら、祝言を挙げようって! あいつは、笑ってて! なのに!」
縋りつくように、また手が伸びて来る。そこに恐怖など、もはや存在しなかった。がしりと肩をつかまれ、体が揺れる。
「なあ、頼む。頼むよ、恨ませてくれ。わかってる、わかってるんだよお前が悪いんじゃない。どうしようもなく理不尽で傲慢だって、俺が一番わかってるんだ。それでもなにかを恨まなくちゃ、俺は、もうおかしくなる。俺じゃなくなる。なあ恨ませてくれ。俺を恨んでいい、祟ってもいい、だから」
──殺させてくれ。
悲痛な叫び。頬をつたう涙。
ああ、そうか。この人は、私が辿るかもしれなかった末路だ。絶望に駆られてどうしようもなくなって、なにもかもを恨まなくちゃ壊れてしまう。普通の人が憎い。私を殺そうとした人たちが、家族と思っていた人たちが、憎い。
殺してしまいたいほどに。
でも私にはあの子がいた。私を想ってくれる人がいた。だからこうしていまここに立っている。
この人には、誰もいなかった。いや、いたのだろう。けれど、いなくなってしまった。
「……可哀想」
「……え?」
「......いいよ、殺しても。それであんたの気が晴れるなら」
彼の目が驚きで見開かれた。
さっきまで怖がっていたのが嘘みたいだ、いまはなんだか笑えてくる。
「でも、今じゃない。私にはやらなくちゃいけないことがある。病気を治す方法をみつけて、会わなきゃいけない人に会って、全部終わったらその時は、殺されてあげるよ」
「……自分が何を言ってるのか、わかってんのか? 死ぬのが、怖くないのかよ」
「は? あんたが殺させてって言ったんじゃん。……私だってこの病気が憎いんだ。私からなにもかも奪って、その上命までなんて冗談じゃない。全部こいつにくれてなんてやるもんか。だったら私の最期はおじさんにやる」
ぽかん、と口を開けていたおじさんは、はっと我に返り、心底分からないとでも言うように呟いた。
「…………お前は頭がおかしいのか……」
「殺させてくれ、なんて頼んでくるおじさんよりはまだ正常のつもりだけど」
「……はは。そう、そうだな。俺達はきっと、どっちも頭がおかしいんだろうな……」
可哀想な私達。病に全てを奪われた、憐れな私達。辿る道はきっと同じだろう。
だったら、少しでも幸せな方へ。気が晴れる方へ。それが最善で、それが正しいのだ。
気が狂っている。
殺される約束をするなんて、どうかしている。
けれどどこか、清々しい気分だ。
私はなにも、背負わなくていい。私は私を殺さなくていい。
ふと、モネさんの顔が頭に浮かぶ。私の身を案じてくれた彼女がこの会話を聞いたらどう思うだろう。怒るだろうか、必死に止めてくれるだろうか。
何もかもが終わったら、私はこの人に殺される。痛いだろう。苦しいだろう。けれどそれは、私が生きていた証拠だ。私がこの人に必要とされた証拠だ。そしてこの人も幸せになれる。
きっとこれが、私の「幸せな終わり」なのだ。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.9 )
- 日時: 2022/01/16 01:05
- 名前: わらび餅 (ID: GYxyzZq9)
「──殺すだのなんだのって、俺の助手に、物騒なこと教えないでほしいなぁ」
なにかを壊すような大きな音をたてて開け放たれた扉の向こう、そんな言葉とともにやってきたのは、お兄さんだった。
私の目が悪くなければ、息を切らしているようにもみえる。もしかして、走ってきてくれたのか。
「彼女に死が訪れるのは、彼女の花が咲いた時だけだ。それ以外は認めないし、俺が殺させない。大事な助手だからね」
その言葉に、どきりと心臓が音を立てた。
お兄さんにとって大事なのは私ではなく、私の花だ。そうわかっていても嬉しいと感じてしまうのは、私が私を必要としてくれる人を欲しているからなのだろう。
ただ、それだけのことだ。
「......どうしてここが? それに、どうやって入ってきた? 外にも人がいただろ」
「知り合いに、誘拐犯をみたっていうストーカーがいたんだ。外にいた彼らならお休み中。わかったらその子から離れてくれないかな?」
お兄さんが笑みをたたえたままそう言い放つと、私の肩を掴んでいた手はあっさりと離れていった。そんな単純でいいのか誘拐犯。
というか、誘拐犯をみたストーカーというのはなんだ。その人も犯罪者じゃないか。
「......お前がヒガンか」
「そういう君たちは十字軍だね?」
十字軍。
花咲き病患者──特に茨持ちを憎み、虐殺する集団。体のどこかに十字架の刺青がはいっているらしい。
彼がその十字軍だというのなら、私が茨持ちだということが十字軍全体に知られているのではないだろうか。それはまずい。非常にまずい。
今回は人質としての役割もあったから殺されなかったものの、今後十字軍の人間に出逢ったらあいさつよりも先に殺されてしまう。しかもなんと都合のいいことに、茨持ちの殺害は罪には問われない。とことん私達に優しくない国なのだ、ここは。
「でもどうしてここに? いまは処刑場にいるんじゃなかったのかい?」
近頃あちこちで噂になっていた、国がわざと殺さず捕まえた茨持ち達の処刑。茨持ちは悪であると、あらためて知らしめるための発表会。それに十字軍も参加するため、いまは処刑場のある東の都にいるはず。大都市とは正反対だ。
「......全員で行くわけがないだろ。俺たち下位部隊は別の仕事だ」
「それが俺の捜索ってわけか。つい最近できたばかりの助手の存在まで知られてるなんて、随分と有名人になっちゃったなぁ、俺も。まあ......」
ゆっくりとお兄さんは一歩、また一歩と私達に近づいてくる。おじさんはぴくりとも動かない。そしてついに男性の目の前に立ち、その肩をぽん、と軽く叩いた。
「君、もう彼女を殺すつもりも、俺を連れていくつもりもないだろう?」
かすかに、息を呑む音が聞こえた。
そんな彼の反応にお兄さんは目を細め、私の元へと再び歩みを進めた。
どこからか取り出したナイフで鎖を切ったあと、しゃがみこんで、両手が自由になって呆然とする私の頭を撫でた。
「怖かっただろう。ごめんね、目を離してしまって。こいつらがいないなら大丈夫だと思ってたんだけど」
あたかかくて、大きな手はとても気持ちがいい。存外怖かったのか、今更震えはじめる体をなんとか誤魔化し、その手に擦り寄る。
「......迷惑、かけて、ごめん」
そう言うとお兄さんは少しだけ目を見開いた。けれどすぐにもとの微笑みに戻り、そんなことないよと優しい声で宥めてくれた。
「さ、ここを出よう。ここを教えてくれた知り合いにもお礼を言わなくちゃいけないしね」
それってさっき言ってたストーカー? なんて聞けるはずもなく。私の手を取り立ち上がらせると、そのまま十字軍の彼の横を何事もなく通り過ぎた。おじさんとは、きっとまたいつか会うだろう。そう約束したのだから。
けれど、壊れて扉がなくなった出口を出ようとした時。
「......お前、本当にヒガンなのか」
つぶやくような小さな問いかけに、お兄さんは振り返った。
「......本当だって言ったら、君はどうするんだい?」
「ボスのところに連れていく。そういう命令だからな」
「それは、君の意思?」
「俺は......殺したいさ、お前も、そこのガキも。特にお前は、どんな手を使ってでも殺したかった、はずなのに。いまは......どうしたらいいか、わからない。なあ、なんでお前は、あんなことを」
二人が話している内容はわからないことだらけで、それでも、繋がれた手に力が篭ったことだけはわかった。
「......君たちのボスに言っておいて。『俺は逃げも隠れもしないから、自分の足で堂々と会いに来い』って。君もね。俺を殺したいなら、誰も巻き込まず一人で来るといい。......そうしたら、答えてあげられるかもしれない」
──俺が生きていたら、の話だけど。
その声に、言葉に、ぞくりと背筋が震えた。
嬉しそうだったのだ。笑っていたのだ。今までみた笑顔なんか比べ物にならないくらいに、楽しそうに、お兄さんは自分の死を語った。
たった一言で察してしまった。分かってしまうほど、その言葉は、声音は、重かった。
ああ、そうか、この人は。
彼は、死を望んでいるんだ。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.10 )
- 日時: 2018/05/26 18:03
- 名前: わらび餅 (ID: TimtCppP)
どうやら、ここはどこかの工場の一室だったようだ。
扉が消え、開放感溢れる物件になってしまったが、まあ仕方がないだろう。弁償など求められても、非があるのはこちらではないのだから勘弁してもらいたい。そうならないことを祈るばかりである。
外に出ると、おじさんのお仲間であろう人達があちらこちらに転がっていた。一体お兄さんはなにをしたのだろうか。気にはなるが、世の中には知らない方がいいこともある。私はそっと、彼等から目を逸らした。
私の手を引いたまま、お兄さんは無言でその足を動かす。けれど私に合わせてくれているのか、その歩調はゆっくりだ。
そんなお兄さんの後を追いながら、彼の背中を見つめる。顔は見えない。どんな表情で、いま私の手を掴んでいるのだろう。
きっとこの人にはなにかがある。それはわかっていた。気づいていた。それでも、そこにどんな理由や過去があろうとも、私が彼の手を取ることには変わりない。利用するならすればいい、私は今を生きられるのなら、それでいいのだから。
ただ、ほんの少しだけ、その顔がみたいと思った。
「……お兄さんの、用事は?」
「まだ終わってないから、戻るよ。今度はちゃんとロゼも一緒に」
「……うん」
相変わらず、こちらを見ようとしない。顔を見れないことに不安を覚えつつ、なんだか少し気まずくて、小さな返事をしたきり言葉が出なくなってしまった。
ふと、先程の言葉を思い出す。
殺させないと、大事な助手だと、彼はたしかにそう言った。たった二日。たったそれだけの時間しか過ごしていないのにも関わらず、だ。
信じられない。信じる理由も、絆も、なにもかもが足りない。なぜお兄さんは、あんなことを言ったのだろう。
「……俺のこと」
突然零された言葉に、思考を止めた。それでも足は動き続けている。
「信じられないだろ?」
「え……」
まるで心の中を読まれたかのように、たった今考えていたことを問われ思わず声が漏れる。小さな笑い声が、背中の向こうから聞こえた。
「言っただろ。顔に出やすいんだよ、君」
顔を見ていないくせにそんなこと言うものだから、私は唇を尖らせた。
「……だって、何考えてるのかわからない。胡散臭いし」
「言うねぇ! 正直な子は嫌いじゃないよ。……そうだな、例えば、君を殺させないっていうのは本当だ。これからはちゃんと君を守るよ、俺がそばにいる限りはね。それだけは信じてくれていい」
「それだけ?」
「それだけ」
お兄さんはエスパーかなにかなんだろうか。疑り深い目線を送っている私に気づいているかのように、ケタケタと笑い声を上げた。
「というか、何考えてるのかわからない胡散臭い男にのこのこついてきたのは君だろ? 君の方こそよく俺のことを信じたね」
逃げ道を失くさせた当の本人がそんなことを言うのか。抗議の意味も含めて、私はギリギリとお兄さんの手を強く握った。
「いてて、ごめんごめん。そうだね、俺が脅したんだった」
全く痛くなさそうな明るい声が背中の向から聞こえる。なんだか、ご機嫌そうだ。
絶えず動く足がどこか軽やかな気がして、私は手の力を緩めた。
「でも本当に、どうして君がついてきてくれたのか疑問だったんだ。脅した俺が言うのもなんだけどさ。だって君なら、茨の毒で俺を殺せるだろ?」
「……そんなこと、したくない」
「優しいなぁ。殺してくれてよかったのに」
どくり、と心臓が音を立てる。
彼が言ったあの言葉が、私にみせたあの笑顔が、脳裏に浮かぶ。だからつい、言うべきではない言葉が口から飛び出してしまった。
「……お兄さんは、死にたいの?」
口に出してから酷く後悔した。踏み込んではいけなかった。なにも知らないままでいいのに。知らない方が、いいに決まっているのに。
少し間を空けて、お兄さんが息を吸う音がかすかに聞こえた。
「……そうだね。俺は、死ぬために生きている」
穏やかな声だった。子守唄を歌う母親のように、物語を紡ぐ語り部のように、あたたかくて優しい声だった。
今すぐに繋がれている手を振り払いたい衝動に駆られた。やめてくれ、聞きたくない、知りたくない。お互いを利用する存在のままでいたいのだと、自分から聞いたくせに心が我儘を吐き出した。
「大切な人達に、あいたいんだ」
少し掠れた声が、私の鼓膜を震わせた。
ああ、いっそ、彼が酷い人なら。極悪人で、血も涙もない、そんな人ならよかった。私と同じ願いなんて、持っていなければよかったのに。
情など、信頼など、抱くべきではない。必要ないのだ、私達の関係にそんなもの。だというのに、愚かな私は彼の手を振りほどけない。彼にも想う人がいる。ただそれだけの事で、私はこの人を信じてしまいそうになる。
「だから、こんな男のことなんて信じなくていい。君は、自分のことだけ考えて生きていればそれでいいよ。あ、でも俺の側からは離れないでね。手を伸ばして触れられる距離じゃないと、守れないから」
今みたいにね、なんて、少しからかうように繋いだ手を揺らした。
「まあ今回手を離したのは俺なんだけど。……で、本当のところはどうなの?」
「……え?」
「俺を殺さなかった理由……いや、ついてきてくれた理由。脅された以外で、なんかあったりするのかなって」
少し静かになった空気を変えるかのように、お兄さんは朗らかな声で尋ねてきた。
「どうして、そんなに知りたがるの」
「うーん……今日、君のことを少し好きになれたから、かな。ほら、気になる子にとっての自分の第一印象とか、知りたいだろ」
散々迷惑をかけたのに、好きになれる要素がどこにあったのだろうか。もしかして、機嫌が良さそうだったのはそのせいか?
言おうか迷って、結局息を吸いこんだ。大した事ではない。もしかしたら、笑われるかもしれないけれど。なんとなく、機嫌の良さそうな今なら言える気がした。
「お兄さんの手が、あたたかかったから」
ぽつり、とそう零すと、お兄さんは驚いたように足を止め、こちらを振り返った。
ようやく見れた彼の顔はポカンとしていて、なんだか可笑しかった。
「……それだけ?」
「それだけ」
しばらく無言で視線を合わせていたが、お兄さんが眉を寄せながらフイと目をそらした。
「……やっぱり君って変な子だ」
そう呟いて、お兄さんは再び歩き出した。
失礼な。やっぱりってなんだ、やっぱりって。
心の中で不満を唱えながらも、素直に手を引かれた。
結局、彼が私のことを信じているのか、そうでないのか、どうして少し好きになってくれたのかは教えてもらえなかったけれど。珍しい顔が見れたから、まあいいかな、なんて。
絆され始めた自分から目を逸らして、繋いだ手をみつめた。
どうか、この距離が縮みませんように。
どうか、手を離されたら寂しいなどと、思いませんように。
そうなる前に、あの子に逢えますように。
叶うかわからない願いを唱えて、私はお兄さんの背中をゆっくりと追いかけた。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.11 )
- 日時: 2018/07/26 00:47
- 名前: わらび餅 (ID: TimtCppP)
重そうな鉄の塊が、微かに擦れたような音を立て口を開けた。私が入ろうとしても、その口が閉じられる様子はない。お兄さんは私に向かって「おいで」と声をかけた。
その背を見送ることはもうない。だというのに、どうしてだか心が落ち着かない。不安なのだろうか。それとも焦燥か。そこまで考えて、頭を振った。また余計な感情に流される前に、私は一歩を踏み出した。
「いらっしゃい──ああ、無事だったか」
暗いくて細い、大人ひとりがやっと通れる通路を抜けた先。そこは鉄やコンクリートで固められていた重々しい外観と違い、壁、床ともに木のぬくもりが感じられる優しい一室だった。いたるところに花が飾られており、様々な匂いが鼻をかすめる。不快、という気持ちにはならなかった。少々濃い匂いだが、いい香りのものばかりだからだろうか、どこか心地良さを感じるほどだった。
そんな中、ひとり佇む男の人がいた。パキン、パキンと花の茎を切っていたその人は、手に持っていた鋏を机の上にそっと置いた。
顔の左半分が包帯で覆われており、隠されていない右目はどろどろの蜂蜜を流し込んだような金色だった。夕日をそのまま閉じ込めたような橙色の紙は短く切り揃えられ、太くしっかりした首がさらけだされている。身につけている真っ白な白衣は、清潔感を漂わせている。
なんだか、そう、全体的に──
「眩しい……」
しまった、と思った時にはもう遅かった。思わずこぼれ落ちた口に慌てて蓋をする。隣でお兄さんが吹き出しているのが聞こえて、思わず睨みつけた。
お兄さんは謝るように片手を上げて、男の人に声をかけた。
「だそうですよ? ハイル先生。よかったですね、怖がられなくて」
ハイル、と呼ばれたその人はゆっくり顔を上げ、こちらに近づいてきた。
近くで見るととても背が高い。巨人みたいだ。
「お前はいちいち一言余計なんだよ。……嬢ちゃん、名前は」
金色の鋭い瞳に捕えられ、体が竦む。その低い声音は絶対的強者を思わせるほどで、肉食動物の前に飛び出してしまったか弱い小動物の気分になった。
「……ロゼ」
「そうか……いい名だ」
そう言いながら私の目の前でしゃがみこむと、大きな手をこちらに伸ばしてきた。少し体が強ばってしまったのは仕方ないだろう。怖いものは怖いんだ。
何をされるのかと思えば、その大きな手は私の頭に乗せられ、優しく撫で付けられた。予想していなかったその行動に思わず彼の顔を伺った。
その顔はなんだか、とても穏やかで。
「すまなかった」
「……え?」
「すぐに助けられなくて。怖かっただろ」
かけられた言葉に、目を見開いた。
どうしてこの人が謝るのだろうか。結果として私は助かったし、そもそもこの人にとっては見ず知らずの赤の他人だろう。
ああもしかして、お兄さんの言っていた知り合いのストーカーってこの人──
「ストーカーさんは人前に出られないんでしたっけ?」
違った。
「ストーカーじゃない、見張りだ。あいつは俺より酷いからな、俺以外の人間には顔をみせないんだ」
「……酷い?」
「ああ。見た目だけだったら幽霊や化け物の類といい勝負だな。だから普段は身を隠してこの辺りを見張らせているんだが……情報を得るためにわざと泳がせた。悪かったな、巻き込んで」
なるほど、それでさっきの謝罪か。でも、経緯がどうであれ、助かったのはその姿の見えない誰かだというのは紛れもない事実。
だったら、私が伝えるべき言葉はこれしかないだろう。
「……ありがとう、って」
「ん?」
「居場所、お兄さんに教えてくれてありがとうって、伝えてほしい」
私の言葉を聞いて、ハイルさんは目を丸くした。けれどすぐに微笑んで、私の髪を少し乱暴にくしゃくしゃとかき混ぜた。
「ああ。伝えておく」
ひとしきり満足したのか、頭に置かれていた手が離れ、ハイルさんは立ち上がった。そしてお兄さんのほうに体を向けると、ん、と手を差し出した。
「……なんです?」
「お前に貸しただろ、あれ」
「……ああ! えーっと……」
お兄さんは合点がいったように手を叩くと、腰に巻いていた皮のポーチから黒い何かを取り出した。
「はい、これ。ありがとうございました。おかげで楽に片付けられましたよ」
「殺してないだろうな」
「どうでしょう。神様が彼らを見捨てなければ」
「……神なんざ信じていないだろうに」
「やだな、信じてますよ。人間がもがき苦しんでいるのを高笑いしながら見下ろしている、性格の悪い神様がいるってことは」
ハイルさんは顔を顰めてその黒い何かを受け取った。工場の外で倒れていた人達のことが頭の中をよぎったが、まあ、言わないでおこう。
それよりも、あれはなんだろうか。会話から察するに武器のようなものだろう。長さはあまりない。先端に二本、小さな角のように銀色の金属のようなものがついているが、攻撃力もなさそうだ。
じっと見つめていた私に気がついたのか、ハイルさんが黒いそれを机の上に置いた。
「嬢ちゃんにスタンガンは……いや、あってもいいだろうが……」
スタンガン、というのか。別に欲しかった訳では無いのだけれど。
「俺がいるので必要ないです」
「もしもって事もあるだろう。ナイフや銃よりよっぽど安全だ。しかしまあ、とりあえずは保留か。いまは──」
「十字軍、ですよね」
「ああ。どうしてやつらが嬢ちゃんを攫ったのかは……ある程度予想がつくからいいとして。問題は、どうやって彼女が茨持ちだと知ったか、だ」
……いま、なんて。
私が、茨持ちだって?
「ここに来るまで、誰かにつけられていたか?」
「いいえ? よっぽどの手練じゃないかぎりすぐにわかりますが、誰も。ここの近くで待ち伏せされていた可能性が高いですね。あっちも俺の行動パターンを掴んでいるみたいで」
「そろそろここも引越しが必要か。なかなかいい場所だったんだがな……それで、なにか情報は」
「まって!」
声を張り上げた私に、ふたりはピタリと会話をやめ、少し驚いた表情でこちらを向いた。
「どうして……私が、茨持ちだって、知って……」
戸惑いを隠せない私をみて、なぜだかハイルさんはじろりとお兄さんを睨みつけた。
「……言ってなかったのか、お前」
「……言ってませんでした、そういえば」
はあ、と大きなため息をついたかと思えば、ハイルさんは机の上に飾ってあった花を一本、花瓶から引き抜いた。それを私に差し出すように見せてきた。
「これは、死花だ」
「……え」
「これだけじゃない。ここにある花は全て死花だ。全て、誰かの命を吸って咲いた殺人花。俺はそれを研究し、薬なんかを作っている……いわば、花咲き病専門の薬剤師だ」
「やく、ざいし」
「ああ。嬢ちゃんのことはヒガンから聞いた。言いふらすつもりは勿論ないが、本人の許可なく聞くものじゃなかったな。すまない」
「先生は信頼できるから大丈夫だよロゼ。でもごめん、勝手に喋って。いくら緊急だったからって、そう簡単に言っちゃいけなかったね」
ふたりの申し訳なさそうな顔をみて、ばくばくと跳ねていた心臓がようやく落ち着いた。
「……お兄さんがそう言うなら、いい」
あまり誰かを信じなさそうなお兄さんが言うのだから、大丈夫なんだろう。それに、話を聞いている限りではいい人だ、本当に。
いまは少しだけ、誰かを信じるのが怖いだけ。ただそれだけなのだ。
「……でも、どうして薬剤師に?」
そう尋ねたその瞬間、ほんの少し、ハイルさんの瞳が揺れたような気がした。
「どうして、か。どうしてだろうな。自分でもはっきりとは分からないんだ。目的という目的は、あるにはあるんだが……ああ、だが、ひとつだけ」
そう言って、ハイルさんは薄く笑った。
「一度目は、救えなかったから。今度は、今度こそは、救えるように。理由を述べるのなら、きっとこれなんだろう」
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.12 )
- 日時: 2019/02/04 04:58
- 名前: わらび餅 (ID: Z/MByS4k)
「……話が逸れたな」
花をそっと花瓶に戻すと、ハイルさんはお兄さんに向き直った。その顔にもう笑みはなく、金色の瞳はまっすぐにお兄さんを捕らえていた。
あの瞳が揺れた時。薄い笑みを浮かべた時。救えなかった誰かを、思い浮かべていたのだろうか。
この人の心の中にも、大切な誰かがいる。お兄さんにも、私にも。それを抱えながら、引き摺りながら、この人たちは生きてきた。きっと、これからもずっと。
重い、想い。いつか押しつぶされそうになった時、私たちはそれを捨てることができるのだろうか。そう考えて、私は心の中で首を横に振った。
無理だ。どんなに重くても、どんなに痛くても、これを捨てることは出来ない。だって、あの子への想いは私の生きる理由だ。
私にとっての「幸せ」は、あの子の形をしていた。
「それで、嬢ちゃんを攫ったやつは何か言っていたか」
「ボスにヒガンを連れてこいと命令されたらしいです。見張りのやつにも話を聞いてみたんですが、随分俺にご執心みたいで」
「それはそうだろうな。ただひとりの花師となれば、向こうも血眼になって探すだろう。──それとも、『わざと』か?」
「何がです?」
笑みを崩さないお兄さんに、ハイルさんは大きなため息をついた。
「……まあ、いい。だが、お前の我儘に嬢ちゃんを巻き込むな。死にたければ一人で死ね」
その言葉に、少しだけ息を呑んだ。ハイルさんも知っているんだ、この人の願いを。
「そうしたいのは山々なんですけどね。ああ、なんなら、ハイルさんが殺してくれてもいいんですよ?」
「生憎、馬鹿の自殺に付き合う程暇じゃないんでね」
「やだな、俺が自殺嫌いだって知ってるでしょう」
「お前のそれは自殺だ、紛れもなくな。他の誰かに殺されようが事故で死のうが、お前が死にたいと思っている限りは自殺でしかないんだよ」
交わされる言葉の端々に、二人の間の関係が感じられるような気がした。特別仲がいいというわけでもなく、かといって悪いわけでもなく。どこか一線を引きつつも互いのことを理解し合えている、複雑で言葉では言い表せない関係が確かにそこにあった。
「そもそもお前、体は──」
ハイルさんは途中で言葉を止め、部屋の奥にあった扉に顔を向けた。
どうしたのだろうと首を傾げた時、チリンチリンと軽やかな音が微かに聞こえた。
「悪い。少し呼ばれた」
そう言ってハイルさんはそのまま扉の方へと歩き出した。
ふと見えたその顔が、なんだか穏やかで。眩しいと思っていた彼の姿が、すこしやわらかく映った。
微かな話し声、といってもハイルさんのものしか聞こえなかったが、それがしばらく続いたあと戻ってきた彼は、苦笑いを浮かべていた。
「嬢ちゃん、あいつからご指名だ」
「……私? あいつって?」
「俺の部下だよ。そこの扉から廊下に出て、奥の部屋だ。廊下は一本道だから迷う心配はない」
悪いことはない、行けばわかる。
ハイルさんのその声に背中を押され、言われた扉にそろそろと近寄る。ちらりとお兄さんを見ると、彼は微笑みながら頷いた。その仕草だけで、なんだか少し安心したのはどうしてだろう。ハイルさんを信用していないわけではない。ただ、今は人を信じるのが怖いだけだ。
知らない人ばかりが、私に優しくしてくれるから。信じていた人達は、愛していた人達は、私を捨てたから。
また誰かを信じるのが、少しだけ、怖い。
お兄さんのことだって、信じているわけではない。あの人の優しさは私を利用するためだけのもの、もしくはただの興味本位だ。目的が果たされるか飽きられれば私はお払い箱で、そこに私の意志が入る隙間などどこにもない。終わりが分かっているから、安心できる。
だけど、ハイルさんは私に優しくしてもなんの得もない。むしろ、自分達の身を危険に晒しているだけだ。いくら花咲き病の薬を作っているからと言って、十字軍に殺されるというのはないと思うけれど、目はつけられるだろう。それとも、私を囮に十字軍をおびき寄せ情報を得ようとしているのだろうか? いや、そんなことをする意味はあるのか?
いくら考えても答えなんてでない。そんなのはわかっている。それでも、怖いのだ。無条件の優しさが。
それを、失うことが。
扉の前で固まってしまった私に、どうしたとハイルさんの声が掛かった。
なんでもないと首を横に振り、扉を開ける。冷えた廊下に足をおろす。
私はそのまま、奥の部屋を目指して歩き始めた。
***
「──随分と懐いているな。洗脳でもしたか」
パタン、と扉が閉じられ、二人だけになったと思いきや落とされた先生の容赦のない一言に苦笑いを零す。
「そんなことしてないですよ。俺のことなんだと思ってるんですか」
「頭のおかしい自殺願望者」
「ひどいなぁ。まあ間違ってはいませんけど」
「本当に、どうして嬢ちゃんみたいな子を連れているんだ? あの子は生きたがっているし、お前を殺そうともしていないだろう」
この人は本当に人のことをよく見ている。先生と話していると、その片方しかない目で心の奥底までじっとりと睨みつけられているような、そんな感覚に陥ることがある。どこで身につけたのか分からない観察眼の鋭さと隙の無さは、いままで出逢ったどの人間よりも優れている。彼が纏う空気は、切れ味の鋭いナイフのようで人を寄せつけない。まあ、その半分はガタイの良さと目つきの悪さのせいでもあるかもしれないが。
「俺も最初はそう思ってましたよ。モネさんをみても、あの子の目から光が消えることはなかった。だから、好きじゃなかった。でもね、違ったんです。あの子は生きたくて生きているわけじゃなかった。あの子の願いを叶えるためには、生きるしかなかった。ただそれだけで、生きたいわけじゃなかったんです」
「……それは本人から聞いたのか」
「もちろん。盗み聞きですけど」
「……」
なんだかじろりと睨まれている気がしないでもないが、さらりと受け流しておこう。うっかり誘拐犯との会話が聞こえてしまっただけで、聞こうとした訳ではないし。
「そうだとしても、生きようとしているのは事実だろう。嬢ちゃんを巻き込むような真似は、」
「──随分、あの子に肩入れしますね。出会ったばかりなにのに。ああ、もしかして、『救えなかったあのひと』にロゼを重ねているんですか? だとしたら、それこそ先生の我儘で自己満足でしょう? ロゼは全部わかっている。その上で俺の手を取って、俺についてきた。それが全てで、事実です。だから、あの子に余計なことは言わないでくださいね?」
空気がピンと張り詰めたのがわかる。明らかな敵意と、怒りと、殺意がぶつけられている。それらが全て形を持っていれば、俺は瞬きする間もなく死ねていただろうに。
ああ、これだからこの人は飽きないな、本当に。
「……お前は、なにも分かっちゃいないな」
先生がため息をひとつ零すと、張り詰めていた空気が一瞬で緩んだ。
「何がです?」
「俺はお前の花師としての腕を信用しているが、お前という人間は信頼していない」
「それは分かってますよ」
「それでも。短くない付き合いだ、お前が人並みに幸せになれるように、くらいは思ってるんだよ」
「……え」
「嬢ちゃんがお前を殺したとして、お前も、嬢ちゃんも、幸せにはならないだろ。絶対に」
心臓が、嫌な音をたてる。
先生の黄金の瞳が、俺の心を見ている。
「嬢ちゃんがお前の手を取れたのは、お前が嬢ちゃんに手を差し伸べたからだ。目の前で誰が這いつくばっていようが、助けを求めようが、笑顔で去っていくのがお前だったのに。例え助ける手段があったとしても、手は差し伸べなかったお前が、嬢ちゃんには手を差し伸べた。なぜだ?」
「……気まぐれですよ。ただの好奇心だ」
「気まぐれや好奇心で面倒事を背負い込むような人間じゃないだろう、お前」
違う。使えると思った。本当に気まぐれで、好奇心だった。
でも、咄嗟に動いたのは。あの赤い瞳をみて、あの子の腕を掴んでしまったのは、どうしてだろう。
「お前は嬢ちゃんに動かされたんだよ。お前の死んだ心が、死んだと思っていた心が、嬢ちゃんを助けたいと願ったんだ。……もう、認めてしまえ。お前は死んじゃいない。生きているんだよ」
「……」
「変わらない『それ』が証拠だ。進みはしないが、消えもしない。きっとこれからも。だから──」
「黙れ」
それ以上、先生の言葉を聞きたくなかった。地面が崩れて、そのまま奈落の底に落ちてしまうような気がした。
「黙ってくれよ、お願いだから。それ以上踏み込むな。先生、ハイル先生、あなたは俺を殺せる存在でいてほしいんだ。俺は死んだよ。俺の心も死んでる。動かされてなんかいない。だからもう、いい加減名前を呼んでくれ。ヒガンって。そして殺してくれよ。じゃなきゃあの子が殺すよ。それが嫌なら、あなたが殺してくれ。出来るだろ?」
先生に、赦しを請うように、祈りを捧げるように、何度も何度も頼んだことがある。
頼むから殺してくれ、と。
その度に彼は言うんだ。
「言っただろ。馬鹿の自殺に付き合うほど、俺は暇じゃないんだ」
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.13 )
- 日時: 2019/03/26 00:19
- 名前: わらび餅 (ID: Z/MByS4k)
ギィ、と軋む音を立てながら、扉はぽっかりと口を開けた。
そうして思った。なにもない、と。こちらに背を向けたロッキングチェアと、あちこちがボロボロになった丸い小さなテーブルが部屋の真ん中に置かれている。ただそれだけ。人が生活している気配が全くない。物置部屋の物となんら変わりはなく、それらはただ置かれているだけのようだった。一通りぐるりと見回し、一体なんの部屋なんだろうかと首をかしげながら、唯一置いてある物に視線を戻した。
テーブルの上に、細長い木の箱と紙切れがあることに気づき、そっと近づく。なんとなく椅子に座るのははばかられて、椅子の横に立って紙切れを手に取った。そこには、短い文章が黒のインクで綴られていた。
『ありがとうと言ってくれたきみに、感謝を。これはお守り代わりにでも持っていてほしい。きっと似合うよ。なにかあったらハイルさんに連絡を。あの人、見た目は怖いけどすごくいい人だからさ!
きみの果てない旅路の先が、幸せであることを祈ってる。
──P.S. ストーカーじゃないから!』
決して長い文章ではない。けれど、まだ出会ったばかり──正確には出会ってすらいない──人間に贈るには、少しばかりあたたかすぎるものだった。
差出人の名は書かれていない。けれど、すぐにあの人だと分かった。そしてハイルさんが誰と話をしていたのかも。顔も名前も分からない、けれど確かに自分を助けてくれた恩人だ。ありがとうという言葉に感謝を返されるなんて思ってもみなかった。次はなにを返せばいいのかわからなくなる。きっと、この差出人はそんなこと望んではいないのだろうけど。
文字に余すことなく目を通した後、細長い木の箱を手に取った。力を込める間もなくすんなりと開いた蓋の先、そこにはキラキラと輝く首飾りが静かに鎮座していた。
「……きれい」
ぽつりと言葉が零れる。
深い青色がとじこめられた、大きくて丸い宝石がひとつ。いままでこういうものには縁がなかったせいで、どれほど価値があるものなのかは分からない。けれど、きっとこの先も手が届くものではないのだろう。
似合わない。相応しくない。そんな言葉が頭の中を占めるより先に、ただただきれいだと、美しいと、そう思った。
村にいたおじいさんが言っていた。とても物知りで、モネさんが話していた人魚の伝説を教えてくれたのもおじいさんだった。言葉の書き方や話し方を教えてくれたのはあの子だったけれど、彼女が村の外の話をしてくれることはなく、私の知識はそのおじいさんから得たものがほとんどだ。
そんなおじいさんが、物には魂が宿ると、いつだったかそう言っていたのを覚えている。大切にされた物には魂が宿るのだと。どうしてだか、この首飾りにがそれなのだと、本当になぜだかは分からないけれど、そう思った。
「……私には、もったいない。でも、ありがとう。聞いているかは分からないし、どうして私にくれるのかも分からないけれど。きっとこれは大事なもの、でしょ? 私も、大事にしたい」
それが今の私にできるお返しだと、そう思うから。お返しだとか、見返りだとか、そういうものを必要としている人達ではないのは分かっている。それでも、私がそうしたい。知らない人達ばかりが優しくて、少し怖いんだ。私に優しくしてくれる理由がほしいんだ。期待してしまう自分が嫌なんだ。また手を差し伸べてくれる人を、心の奥底で待っている自分が吐き気がするほど嫌いで、嫌いで、嫌いで、それでも、待っていたい。
だから、少しだけ、いまは少しだけしかできないけど、信じてみたいと思う。もらった優しさを地面に捨てるなんて、私にはできなかったから。
「今度は、顔を見せてくれるとうれしい……です」
紙切れは折って、首飾りと共にそっと箱にいれた。つけかたがわからないから、お兄さんに頼んでつけてもらおう。
箱を持って、部屋を出る。なんだか言い表せない感情が湧き上がってきて、思わず細長いそれを抱きしめた。
大事にしよう。できるかな。大事にしたいな。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.14 )
- 日時: 2019/05/13 00:34
- 名前: わらび餅 (ID: Z/MByS4k)
***
「…………どうしたの?」
お兄さんたちがいる部屋に戻ると、二人が向き合いながら難しい顔をしていた。お兄さんは心なしか、少しだけ泣きそうな顔をしていて驚いた。そんな表情、お兄さんがするとは思ってもみなかったから。
私が尋ねると、ハイルさんは小さくため息をついてこちらに視線を向けた。
「なんでもない。それより、話は終わったのか?」
「話……は、してないけど……優しい人だった」
「……そうか。よかった」
ふ、とハイルさんの金色の瞳が柔らかく細められる。はじめて彼の瞳に自分の姿を映された時、体が勝手に強ばってしまったけれど、いまはただひたすらにその瞳が綺麗だな、と思えた。私の血のような赤い目は、きっと何を映してもこの人のようにきらきらと輝はしないだろう。
そういえば、お兄さんの瞳もハイルさんと同じ金色だった。
そう思って、お兄さんの顔をちらり、と盗み見る。金色だ。でも、ハイルさんの色とは少し違う。ハイルさんは蜂蜜のような優しい色をしているけれど、お兄さんは、例えるならばそう、夜闇に浮かぶ月のようだった。ひんやりとした冷たさを纏い、髪とおなじ銀色の睫毛が雲のようにかかると、その淡い輝きは隠れてしまう。綺麗だと、そう思う。けれどどこか寂しそうに、孤独に浮かぶふたつの月はいまは輝きを失ってしまっていた。
私がいない間に何かあったのだろう。きっと、話してはくれないだろうけど。
「……お兄さん」
「……なに?」
「これ、つけてほしい」
箱の中から首飾りを取り出してみせると、お兄さんは少し驚いたように目を丸くした。隣にいたハイルさんもだ。
「それは?」
「貰った」
「誰から」
「……知らない人。顔も名前も知らない。けど、助けてくれた人」
そう言うと、お兄さんはすべてを理解したように頷いた。その顔は少々……いや、かなり苦いものだったが。
「なるほどね。あのストーカー、俺の助手に手を出したのか。ロゼ、それ頂戴。捨てるから」
なんだかとんでもないことを言い出したお兄さんに白い目を向け、渡そうとした首飾りを抱きかかえる。そんな私をみてお兄さんの顔はますます歪んでしまった──どんだけだ。嫌いにも程があるだろう。いや、薄々感じてはいたけれど。あの人に対する言動がどこか刺々しいものだとは思っていたけれど。
呆れたようなため息が聞こえたと思ったら、ハイルさんがこちらに手を差し出していた。
「嬢ちゃん、貸してくれ。つけてやるから。こいつは気にするな、ただあいつが嫌いなだけだ」
「嫌ってるのは俺じゃなくて向こうです。確かに奴の視線を感じる度虫唾が走りますけど、嫌いではないですよ。一発といわず何発か殴ってやりたいとも思いますけど」
「それが嫌ってるんじゃないならなんなんだ。変なところで意地を張るな」
ぽんぽんと交わされる言葉の間に、先程のぴんと張り詰めたような空気は感じられない。ほっと息を吐いて、首飾りをハイルさんの手に渡した。間違ってもお兄さんには触らせないようにしよう、そう誓いながら。
後ろを向いてくれ、と言われた通りハイルさんに背を向けると、首元にひんやりと冷たい金属が宛てがわれる。髪を横に流され、顕になったそこに少しだけ重さを感じる首飾りがかけられた。
私の胸元で輝く宝石をみて、口の端をほんの僅かに上げた。
「似合ってる。綺麗だ」
振り向いた私にそう言葉を零し、ハイルさんの大きな手が私の髪をくしゃくしゃと撫でた。
お兄さんに視線を投げると、彼は肩を竦め苦笑いを浮かべた。けれど、開かれた口から出た声は、柔らかいものだった。
「……似合ってるよ。癪だけど」
──でもやっぱりムカつくから俺からも今度なにか贈らせて。
その言葉にハイルさんは心底呆れたといった風に眉根を寄せた。私も少し白い目を向けた。
「一言余計だな、お前は本当に」
「先生こそ、余計なお世話です──ロゼ、もう行くよ。そろそろ仕事の時間だ」
「なんだ、もう行くのか」
「ええ。薬は貰いましたし……長居もできそうにありませんしね」
私が箱を懐にしまうのを見届けたあと、お兄さんは私の手を取り、そのまま出口の扉まで導いた。
お兄さんが扉に手をかけたまま、ハイルさんのほうを見た。口元にはいつもの、とってつけたような笑みが浮かんでいる。
「ああ、そうだ。モネさんから伝言です。『直接例の薬の話がしたいから、会いに来てほしい』、だそうです。……何があったか知りませんが、いい加減、あの人から逃げるのは止めたらどうです?」
──それじゃあ、また。
パタン、と扉が閉じる寸前に見えたハイルさんの顔は、とても辛そうに歪んでいた。
***
「……逃げるな、か」
ふたりの背中を見送ったあとに零した言葉は、しんとした部屋にやけに響いた。
仕返しだと言わんばかりの顔で、あいつは最後に土産を置いていった。あまり、嬉しくない土産を。
「モネ様のことに関して、今度ばかりはヒガンの奴に賛成っスよ」
誰もいなかったはずの背後から、聞き慣れた声が聞こえた。その声音からは隠しきれない、いや隠す気もないのだろう、苛立ちが滲み出ており思わず笑ってしまった。
「なんだ、聞いてたのか」
「そりゃあもうばっちり。あいつがオレのこと殴りたいって言ってたのもしっかりくっきり聞こえてたっス。今度脅迫文でも送り付けてやろうかなぁ」
「やめてやれ、いまは洒落にならん。……あの首飾り、よかったのか? 形見だろう、妹の」
振り向いて、声の主の姿を片目に映す。
人では、ない。一目見てこいつを人だと思う者はまずいないだろう。人ではあるが、限りなく化け物に近い。
ドロドロにとけて土のような色に変色した全身の皮膚は、巻かれた包帯からいまにもこぼれ落ちそうで、人の形を保てていない。艶やかな黒髪はすっかり抜け落ちた。元あった背丈からは一回りも二回りも小さくなり、包帯の隙間から黒い瞳がぎょろぎょろと辺りを見回す様子は、気味が悪い。
何年も何年も積み重ねてやっと歩けるようになったこいつは、今やすっかりその体を使いこなしていた。文字も書けるようになった。手や足の形を変えて狭い空間に潜り込んだり、普通では考えられないほど素早く動くこともできる。
嘆いて苦しんで憎んで泣いて哭いたその先に、やっと手にしたものだった。
「形見ですけど、オレが持っていても錆びつかせるだけだし……それに、ちょっと似てるんスよね、あの子。オレの妹に。だからなんか、気になるっていうか、心配っていうか」
「直接言ってやったらどうだ。嬢ちゃんなら、お前の姿も受け入れてくれるだろう」
「いやぁ、怖がるでしょ。オレだって怖いのに。いいんスよ、あれを大事にしてくれるって言ってくれたから。それだけでいい。……っていうか話逸らすなよ。モネ様のとこ、行かなくていいんスか」
話が戻ってきてしまった。うまく逸らせたと思ったんだが。
「……会わないさ。会ったところで、いまはどうにもならん」
「……貴方がそう言うなら、オレは従うだけっスけど。でもね、オレはもういいとも思うんです。だってあれは、貴方のせいじゃない。オレがこうなったのも、モネ様のことも、貴方のせいだなんてそんな馬鹿な話がありますか。貴方は全部背負い込もうとしてるけど、オレはそんなの望んでない。モネ様もきっと。貴方に罪なんてない。逢いたい人に逢ってなにが悪いっていうんスか」
黒い瞳が、俺を真っ直ぐ見据える。
こいつは今も昔も変わらない、優しい馬鹿なままだ。自分の気持ちに正直で、嫌なものは嫌だと言って、好きな物は誰に何を言われようと好きだと言う、良く言えば素直、悪く言えば頑固な男だった。
変わったのはきっと、俺の方なのだろう。
「……あの方がもし俺を覚えていて、今のこの姿を見たらきっと、今度こそ壊れてしまう」
「……それは」
「だからいいんだ。会うのは全てが終わった時──その時には、迎えに行くから」
俺の言葉を聞いて、俯いて目を伏せたと思ったら勢いよく顔を上げて詰め寄ってきた。なんだ近いな。
「オレは! オレは、最後までついていきますからね! 途中でいらないって言われても返品不可っスよ!」
「……そうか」
「だってこんなオレを受け入れてくれるのは貴方だけですし! これからもコキ使ってくださいね! でもたまには優しくして!」
「気が向いたらな」
「ひどい!」
俺たちは、化け物になれなかった成れの果て。見た目だけなら化け物のそれに近いが、俺たちには最期がある。死がある。だからまだ、人でいられる。
──私のことを人として扱わないでくれ。死んで生き返る人間など、存在しないのだから。
今でも、彼女の言葉を思い出す。自分を嘲笑うように吐いた言葉を、悲しげに歪んだ顔を、思い出す。
救えなかった。彼女は差し伸べた手を取ってくれたのに、離してしまった。振りほどいて、言葉という呪いまでかけて。後悔してもしきれない。それでも、今あの時に戻れたとしても、また同じ選択をするだろう。
化け物だと、思えなかった。それほどまでにうつくしかったから。
この命は全て、捧げると誓った。あの時死ぬはずだった、皮肉にも生き残ってしまったこの命を、彼女のために。そのために薬剤師になった。
ただひとつ、誤算だったのは、死に場所を探していたこどもを拾ってしまったこと。全てを失って、唯一残った命さえ捨てようとしていたその姿があまりにも痛々しかった。
そんな彼が、ひとりの少女に手を差し伸べた。捨てるばかりだった手を、救うために差し出した。寂しいものと寂しいものが一緒になっても、きっと幸せにはなれない。握られた手は冷たいままだから。それでも、人並みに幸せになって欲しいと思う。くそったれな人生が、少しでもましになればと、そう思う。
いつか、彼の名を呼ぶ時が来たら、その時は、盛大に笑ってやろうと思うのだ。
お前、生きててよかったな、と。