ダーク・ファンタジー小説
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.33 )
- 日時: 2021/05/20 00:28
- 名前: わらび餅 (ID: Jf2bTTLH)
──だいすき。だいすきよ、ロゼ。
私の唯一となってしまった家族。大好きで、大切な、たったひとり。あの子はいつだって、そう言って微笑んだ。
私は、あの子と一緒に地獄にいけるだろうか。
二輪目「アイビー」
「──遅い!」
開け放たれた扉と同時に飛び込んできた罵声に、思わず目をぱちくりさせた。隣に立っているお兄さんをそろりと見上げると、微笑みを浮かべってはいるが目が笑っていない……気がする。
罵声の主はというと、仁王立ちで両腕を組みながらこちらを睨みつけていた。
「五分も遅刻するなんて姉様の貴重なお時間をなんだと思ってんだヒガン! 僕も姉様も暇じゃねえんだ、お前と違ってな!」
「……たった五分も待てないなんて、よっぽどお忙しいんでしょうね坊ちゃま」
「坊ちゃまと呼ぶなと何度言ったらわかるんだ貴様! 次言ったらその口縫い付けてやる!」
お互い遠慮のない言葉の応酬にひやひやとする反面、少しほんわかしてしまう自分がいる。なぜかというと、お兄さんが相手をしている人がとてもかわいらしいのだ。
私とたいして変わらない背丈の彼──おそらく彼──は、まるでお人形のような姿かたちをしていた。ふわふわの黒い髪、まるで飴玉のような桃色の大きなふたつの瞳。真っ白い肌に線の細い体で、一生懸命にふんぞりかえってお兄さんを見上げている。小動物が必死に威嚇しているように見えて、なんとも気が抜ける。この子が今回の依頼人だろうか。
「もういい、とっとと中に入れ! これ以上姉様をお待たせすることは許さねえ!」
「はいはい」
肩をすくめて、少年のあとに続いて中に入るお兄さん。
「薬は持ってきたんだろうな」
「当たり前じゃないですか。そのために来たんだから」
やたらに長く続く廊下をじゃれあいつつ進んでいく二人の背中を追いかけながら、馬車での会話を思い出していた。
*****
「──薬?」
「そう、薬……変な薬じゃないからね?」
妙なことを心配するお兄さんに頷きながら、話の続きを促す。
「俺の仕事は、大きく分けて二つあるんだ。一つはロゼも知ってるとおり、死花の手入れ……花師の仕事。もう一つは、薬の配達。ハイル先生が作った薬を届ける仕事。あの人、人前に出ることがないからさ。俺が代わりに届けてるってわけ」
ハイル先生という名前を聞いて、脳裏にあの眩しい金色が蘇る。確かに彼は薬剤師だと言っていたけれど。
「どんな薬?」
花咲き病を治す薬は、いまだに見つかっていない。だからハイル先生がどんな薬を作っているのか、気になってはいたのだ。色々あって、聞きそびれてしまったが。
「花咲き病の進行を遅らせる薬だよ」
「え」
病気の進行を、遅らせる。
その言葉に思わず動きを止めた。そんな薬があるなんて、どうして教えてくれなかったのだろう。それがあれば、私も──
「だめだよ」
私の心を見透かしたかのように、お兄さんがそう言った。はっとして彼の顔を見ると、そこにあったのはうつくしい微笑みだった。仮面を貼り付けたような、つめたい顔。
「……なにも言ってない」
「顔に出やすいって言ったろ。あの薬は、本当にどうしようもなくなった時にしか渡さない……あんなものを飲むくらいなら、そのまま死んだ方がましだ」
「飲んだことあるの?」
「……治験としてね。俺だけだったからさ、ちゃんとした人間だったの。ストーカーは『あれ』だし。先生本人も……まあストーカーよりはましだけど。それに、遅らせるといってもほんの僅かだよ。飲んでも飲まなくても大して変わらない」
嘘ではないのだろう。お兄さんは私の死花を見ることを目的としているが、咲いても咲かなくても彼はどっちでもいいのだ。その程度の、繋がりでしかない。だから、私の病気の進行を早めようなんてことはしないはずだ。彼に、嘘を吐く理由がない。
お兄さんがそこまで言う薬がどんなものか、逆に気になりはするが。飲まない未来がやってくることを祈るしかない。
ああ、けれど──
「……それでも、そんな薬を飲もうとする人がいるんだ」
そう呟くと、お兄さんは私からそっと視線をはずした。
「……そうまでしてでも、生きたいと思うんだろ。俺には、わからないけど」
*****
そうして、たどりついたのがこの屋敷だった。作家さんの屋敷よりもずっと大きな、豪華絢爛という言葉がよく似合うような場所だった。こんな場所にいったいどんな人が住んでいるのか、と少し身構えてしまったけれど、出迎えてくれた子のおかげで少し力を抜くことができた気がする。それほどまでにあの子は可愛らしかったのだ。
「……そういえば、お前誰だ?」
「……私?」
前を歩いていた彼が突然振り返り、私のほうをじっと見つめる。ぼうっとしていた私は思わず気の抜けた声で返事をしてしまった。そんな私に呆れたように眉尻を上げた。
「お前以外に誰がいるんだよ。ヒガンに薬を依頼したときはいなかった」
「この子は俺の助手だよ。最近雇ったんだ」
「助手? こいつの助手なんてろくなことないだろ。見る目ないな、お前」
「……坊ちゃまはそろそろお勉強に力を入れたほうがいいんじゃないですか? 敬語とか。それにこの子はお前じゃなくて、ロゼっていうかわいい名前があるんですよ」
「敬語は敬う相手に対して使うものだろ。僕は姉様しか敬わない。……おい、ロゼ。僕は優しいから忠告してやるが、さっさとこいつから離れた方が身のためだぞ。どうせろくなことにならない」
随分嫌われているんだな、とどこか遠い目でお兄さんを後ろから見つめていると、その視線に気が付いたのか心底癒そうな顔をしてこちらを振り返った。そしてゆるく首を横に振る。「気にしないで」というようなその顔に、小さくうなずいた。
険悪な雰囲気をなんとか変えようと、恐る恐る男の子に問いかける。
「その……姉様、っていうのは……?」
「僕の姉様だ。僕の、双子の姉。この世で一番うつくしくてかわいらしくて気高くて、いついかなる時も凛としたその佇まいは女神と見紛う……いや姉様こそ女神そのものだと僕はいつも思うんだ。お前も一目見ればわかると思うがくれぐれも邪な目を姉様に向けるなよもしそんなことをしたら僕がその目を潰して二度と姉様を見ることができないようにしてやるからな。ああそれと必要以上に口をきくな姉様のうつくしく可憐な御耳を余計な雑音で汚したくない。ヒガンお前は薬だけを置いて立ち去れいいか」
「大丈夫だよロゼ。無視して」
いまだに「姉様」について熱く語る彼からそっと距離を置き、私の隣にやってきたお兄さんは苦笑いを浮かべていた。
「この子はちょっとばかりお姉さんが好きすぎるだけで、特に害はないから大丈夫」
なんだかとんでもない人に出会ってしまったな、と、小さい背中を眺めながらそんなことを思った。……大丈夫、だろうか。
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.34 )
- 日時: 2021/07/26 01:35
- 名前: わらび餅 (ID: ysRqUZCY)
二人の背を追いかけながらたどり着いたのは、これまた大きな扉の前だった。ここに来るまでに、一体何部屋あるんだろうかと疑問に思うほどの数の扉を通り過ぎたが、その中でも特別大きなものだった。道中、仕立てのいい服を着た大人たちがこちらを見るなり恭しく頭を下げる、なんてことも何度かあり、ここが自分とは違う世界の人が住む屋敷なのだと身をもって感じた。
「この中で姉様がお待ちだ。くれぐれも粗相のないように」
「はいはい」
「お前は口を開くな」
「仕事になりませんが?」
相変わらず軽口のようなものをたたきあう二人に、本当は仲がいいのではないかと思いながら扉へと向き合う。この先で、彼のお姉さんだという人が待っている。彼の話を鵜呑みにするのならば、まるで女神のような人が。
期待と少しの緊張を抱えながら、彼が慎重に手の甲で扉を三回鳴らすのを見つめた。
「姉様。ヒガンを連れてまいりました」
お兄さんと話している時とは打って変わって、どこまでも優しい声色にぎょっとする。このような声から罵詈雑言が飛び出してくるなんて夢にも思わないほどに、甘い声だった。
「──どうぞ、お入りになって」
扉の向こうから、高く、けれど凛とした声が返ってくる。
彼は短く息を吐き一拍置いたあと、ゆっくりと扉を押し開けた。できるだけ音をたてないように。彼の、そのそこまでも姉を想う気持ちに感嘆を覚えつつ、開いていく扉の先を見つめた。
「よく来てくださいました、ヒガン──あら」
視界の隅で、白い羽が舞った。
そう錯覚するほどに、言葉にならないほどに、目の前の彼女は可愛らしかった。
双子、というのは確からしい。彼とそっくりの顔立ちに、同じ色の瞳。ふわふわの髪は彼女の肩まで伸びていた。けれど、その髪の色だけは彼と違った。穢れを知らない、真っ白な髪。まだ村にいたころ、物知りのおじいさんに聞いた「天使」のようだと思った。神様の使いで、彼女の髪のような真っ白い羽が背中に生えているのだという。モネさんが言っていた、人魚のことを教えてくれたのもそのおじいさんだった。おじいさんは不思議な話をたくさん知っていて、村の子どもたちに語って聞かせていたのだ。あの子はあまり、おじいさんの話が好きではなかったみたいだけれど。
懐かしい記憶に思いを馳せながら、目の前の少女を見つめる。目を奪われる、というのはこういうことなのだろう。
「ふふ、可愛らしいお客様もいらしたのね。ようこそ。お名前を聞いてもいいかしら?」
「……ロゼ、です」
「ロゼ。いいお名前ね、素敵だわ。わたしはヘデラ。この子は弟の──」
「ヘデル。覚える必要はない」
「ヘデル?」
「…………よろしく、お願いします」
どこか圧を感じる笑みをヘデラさんに向けられ、彼──ヘデルくんは、渋々、本当に渋々、私たちに頭を下げた。どれだけ嫌がっても、ヘデラさんの言うことは聞くらしい。本当にお姉さんのことが好きなんだな、と改めて感じた。
「それで……約束のものですけれど。持ってきていただけたのかしら」
「ええ。ここに」
ヘデラさんに答えたあと、お兄さんが腰の小さい鞄から取り出したのは、液体が入った瓶だった。乳白色のそれがちゃぷちゃぷと揺れている。あれが、お兄さんの言っていた「飲むなら死んだ方がまし」という薬だろうか。見た目はさほどおぞましいものではないが、お兄さんの話を聞いたあとだと少し身構えてしまう自分がいる。これを、ヘデラさんが。
「──確かに、受け取りました。ありがとう、ヒガン」
「最初にもお話しましたが、飲むときはくれぐれもお気をつけて」
「お気遣いありがとう、優しいのね」
「……いえ、仕事なので」
「ふふ、素直じゃないところも素敵だと思うわ。……できれば、これを作った方にもお会いしたかったのだけれど」
「あの人は……少し、難しい人なので。すみません」
「ああ、いいの。わかっています、そういう約束だもの。直接お礼を伝えたかっただけだから。報酬も、あなたにお渡しすればいいのよね?」
「ええ」
この薬を欲しがるということは、ヘデラさんも花咲き病患者なのだろうか。でないと欲しがる理由なんてないとは思うが、彼女があまりにも──普通、というか、これから死に向かう人には見えなかった。
「姉様、これ以上はお体に障ります。お客様にはお引き取りを──」
「少し下がっていなさいヘデル。私がいいと言うまで発言を禁じます」
「──はい。申し訳ございません姉様」
ぴしゃりと言い放ったヘデラさんに、思わず息をのむ。可愛らしい顔に反して結構はっきり言う人なのだな、とこっそり驚いた。少しだけヘデルくんがかわいそうに思えて、心の中で応援をした。
「報酬はしっかりとお渡しします。はじめにおっしゃっていた額の倍を」
「……なぜ、とお聞きしても?」
「もちろん、聞いてもらわなくても言っていたわ。……ひとつ、お願いがあるのです。優しいあなたに」
「話は聞きますよ。必ずお受けします、とは、お約束できませんが」
「あなたはきっと受けてくださるわ。もうすぐ死にゆく女の、些細なお願いですもの」
にっこりと笑うヘデラさんとは対照的に、お兄さんは苦笑いを浮かべた。なんだか、彼女にはお兄さんも強く出られないようだった。なんとなく、わかる気がする。可愛らしい天使のような彼女だが、どこか迫力がある。彼女に挟む口など、決して許されない。そんな迫力が。
一体どんなお願いなのだろう、と少し緊張しながら待っていると、彼女の口がゆっくりと開く。そうして放たれた言葉は、とても意外なものだった。
「──私たちに、思い出を作ってほしいの」
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.35 )
- 日時: 2021/09/18 19:49
- 名前: 祝福の仮面屋 (ID: siKnm0iV)
お久しぶりです〜
見ましたよ、ダーク・ファンタジー板の金賞受賞おめでとうございます!
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.36 )
- 日時: 2021/12/04 17:34
- 名前: わらび餅 (ID: b5jqtspc)
祝福の仮面屋様
お久しぶりです!
わ~!!!ありがとうございます!自分でもびっくりしました。まさか金賞をいただけるなんて……!
とてもゆっくり更新ですが、これからも見ていただけると幸いです。
コメントありがとうございました!
- Re: 死んで花実が咲くものか ( No.37 )
- 日時: 2022/03/03 23:33
- 名前: わらび餅 (ID: 5G1Y6ug9)
「……わかりました」
ヘデラさんの言葉に少し考える素振りを見せたあと、お兄さんはそう口を開いた。
「ふふ、そう言ってくれると思っていたわ」
ヘデラさんは、にっこりとその綺麗な顔に微笑みを浮かべた。それがあまりにも美しくて、思わず魅入ってしまうほどに。そして両手を合わせて、パチンと叩いた。
「では早速行きましょうか、思い出作りに」
「……は?」
さすがのお兄さんもその言葉は予想していなかったようで、普段は聞けない少し間の抜けた声が飛び出ていた。そんなお兄さんには目もくれず、ヘデラさんはいそいそと立ち上がる。
「善は急げ、という言葉をご存じ? 東の国に伝わることわざなのだけれど。良いと思ったことは、ためらわず、すぐに行動するという意味だそうよ。私はこの言葉が大好きで、人生の目標にもしているの」
「……それが今、ということですか」
「姉様に文句をつけるつもりか貴様、身の程をわきまえろ」
「ヘデル、誰の許しを得て発言しているのかしら」
「申し訳ございません姉様!」
突然出てきたヘデルくんはお姉さんにぴしゃりと叱られ、スッと彼女の傍に控えた。そんな彼を呆れたような目で見つめた後、お兄さんはヘデラさんに向き直った。
なんだか、この双子の関係性が分かってきたような気がする。
「文句を言うつもりは毛頭ありませんが、今からとなると……なにも準備できていませんし」
「あら、それなら問題ありません。もう、行きたいところも、やりたいことも決まっているもの。ヘデル、出かける準備をしなさい。すぐにね」
「かしこまりました」
そう言って、ヘデルくんは颯爽と部屋を出ていった。
なぜかあっという間に出かけることになってしまった。ちらりとお兄さんのほうに目を向けると、彼は心底いやそうだったた。顔はにこやかだけれど、目がそう言っている。間違いない。
「ロゼ、大都市に行ったことはある?」
「大都市……お兄さんと、一度だけ。でも自分で行ったことは……」
この国には、東西南北それぞれに大都市が存在する。私は地図の上でしか見たことがないが、どこも人が多く栄えているのだとか。ここから近いのは、西の大都市だ。あの子が一度出稼ぎに行ったとき、高い建物がたくさんあったと聞いて驚いたのを覚えている。私もついていくと言ったのだが、頑なに許してくれなかったのだ。あの子は私が外に出ることを酷く嫌がっていた。そのため、私は村の外に行ったことがない。もちろん、大都市にも。
西の大都市といえば、ハイル先生がいた場所だ。そして、あの人に攫われた場所でもある。「殺されてあげる」と約束した、あの人。彼は今、どうしてるだろう。
あの日の記憶に浸っていると、突然ぎゅっと両手を握られた。美しく可憐な顔が目の前に迫っていて、思わず息をのんだ。
「実は、私もないの! ないというか、仕事で行ったことはあるのだけれど……観光したことがないの。ヘデルも私も、生まれてからずっと家のことばかりで、遊んだことなんてなくて。だから、楽しい思い出を作ってあげたいの。私があの子のそばにいられるうちに。……ああでも、ごめんなさい。急なことで驚かせてしまったわね。ねえヒガン、このあとなにか予定はあったのかしら」
「急ぎのものは特にありませんよ。今日はヘデラさんに薬を届けるだけでしたから」
そうお兄さんが答えると、ヘデラさんは花が咲いたように笑った。
「そう、よかった! なら思う存分連れ回せるわね」
「はは……お手柔らかに」
「ふふ、楽しみだわ。ヘデルも今頃そわそわしながら準備しているわよ、あの子はそういう子だもの。かわいいでしょう?」
「そうですね、子犬みたいで可愛らしいです」
本当にそう思っているのだろうか。そう尋ねたくなるほどお兄さんの目は笑っていないが、尋ねたところで応えてはくれないだろう。私はそっとお兄さんから目を逸らした。
(……お出かけか)
慣れない言葉に、自分の気持ちが浮つくのがわかる。ろくに村から出たことがなかった私にとって、外の世界は少し怖い。あの子にそう教えられてきたというのも大きいのだろうけれど、どうしても他人の目が気になってしまうのだ。この病気にかかってからは、特に。道行く人々全員が私のことを見ている気がして、怖い。絶対に違うと分かっていても、自分の肌に這う茨のついた茎がどこからか見えてしまっているんじゃないかと、心臓がどくどくと鳴り響く。だから、外の世界は怖いのだと聞いて安心していた自分もいた。あの子が出なくていいと言うから、外の世界は恐ろしいから、だから、私は閉じこもっていていいのだ、と。
「……ロゼ? 大丈夫かい?」
お兄さんが私の顔を覗き込みながら、そう声を掛けてきた。その声にはっとして、目線を上げる。慌ててこくりと頷くと、彼はじっと私の顔を見つめた。その金色の瞳に吸い込まれそうになりながらも、「なに?」と尋ねる。
「……いや、なんでもない。大丈夫ならいいんだ」
逸らされた瞳に、内心ほっとする。元々誰かに見られるのは苦手だが、お兄さんに見られるは更に苦手かもしれない。全てを、見透かされているようで。けれど、同時に少し安心する。この目は、きっと、村の彼らのように私を見ることはないのだろう。そこには嫌悪も侮蔑もなく、ただひたすらに『研究対象』としての興味だけがある。それが、私にはひどく居心地がいい。この人の隣にいて、手を引いてもらえれば、きっと、外の世界も怖くない。そんなことを思いながら、ヘデラさんたちの準備が終わるまでお兄さんの隣で時間を過ごした。
私は知らない。ヘデラさんの楽しそうな声を聴きながら、自分の頬が緩んでいたことを。それを、お兄さんが目を細めて見ていたことを。私は、なにひとつ知らなかった。