ダーク・ファンタジー小説

Re: シオンの行方 ( No.1 )
日時: 2016/10/04 01:43
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: /005aVGb)



Episode1 シオン

 #1


 
 世の中には、不可思議な存在が多くいる。と、私は思う。人間なんてひどくちっぽけで、本当はもっと不思議なもの——例えば、吸血鬼だとか霊だとか——で溢れているのではないかと。
 そんなことを言うのはおかしいと、誰もが言う。夢の見すぎね、なんて甚だ失礼だ。けれど、そう思うのは仕方がないのだろう。きっとそういう存在は隠れていて、私達の前には姿を見せないのだ。多分。
 そう考えると、何でもない空間が愉快に感じる。頭がおかしいと思われるかもしれない。多分、私の頭はおかしいに違いない。
 
 
 
 だから、私があいつと出会った経緯はやっぱり不満だ、少しだけ。隠れる気なんかさらさらないで、あいつはそこにいたのだから。
 自身を人間でないというのなら、もっとそれらしくしろというのは間違いなのだろうか。そんなことはない。あいつは堂々としすぎている。鬱屈としているくせに、馬鹿みたいに目立つのだ。
 
 そういうわけか、出会った時だってあいつは堂々としていた。堂々としていて少しだけかっこよかった、かもしれない。もう覚えていない。その日を、思い出したくない。
 
 
 
 ***
 
 
「王女殿下、お逃げください」
 
 若い侍女の枯れそうな声がした。小さく震える肩で、榛の瞳に涙をためて、私を見つめて笑っていた。お逃げください、ともう一度声がする。けれど、足が張り付いたように動かない。動けない。
 誰かに腕を掴まれる。別の侍女の手だ。固くこわばったその手が、私の腕を引っ張っていく。明かりはなく、けれど松明があちらこちらで燃え広がっているから明るいのだ。
 
「どうぞご無事で!」
 
 あの若い侍女の声が聞こえた。もう随分と遠ざかっている。その後に聞こえた、鈍い音。あれは、あれは、なんの音なのか、私には。
 榛の瞳を思い出す。あの子はいつもお茶を入れてくれた優しい子。ふわりと笑う愛らしい子だった。確か好きな人ができたのだと、つい昨日はにかんでいて、
 
「コーネリア様!」
 
 強い声とともに体が揺れた。私を引っ張っていた侍女の体が傾いていく。頬にかかる生温かさで現実に引き戻された頭が、彼女を捉えた。頬を伝っていくそれは、紅。赤い、紅い、雫。
 彼女に引きずられるように膝をつく。咄嗟に床に手をついた彼女は、こちらを勢い良く振り返った。睨むようなその瞳に思わず息が止まる。彼女のこめかみから、雫が滴る。
 
「コーネリア様、どうか」
 
 逃げてください、という彼女の声は音にならなかった。目の前の細やかな腹に刃が刺さる。紅が、飛ぶ。目を見開いたまま、彼女は倒れていく。喉元が震えて、ひゅっと息を呑んだ。

「アレサ、」
 
 彼女の名前が、なんの意味も持たずに散っていく。固まったその体が、長年共にいたあの侍女と似ても似つかない。見開いた瞳からひと粒だけ涙がこぼれて、燃え盛る松明に照らされて鈍く光る。
 もう一度名前を呼んで、動かない彼女の体を見て、震えが止まらない。薄い絹で作られた休憩用のドレスはどこもかしこも破れてしまっていた。
 
「覚悟」
 
 彼女を斬った誰かの——敵の兵士の声。遠くで何かが崩れる音がする。松明の爆ぜる音、足へ刺さるガラスの破片。うっすらと血の滲む手を眺めながら、目を閉じた。
 死ぬのだ、私は、ここで。どうしてなのか、何が起こったのか、わからないのに。死ぬのだ。こうして誰にも知られずに、首だけを晒されて死ぬのだ。
 
 その時私にできたことといえば、ただ目を瞑ることだけだった。もうすぐ刃に貫かれると思えば、祈ることなどできなかった。ひたすら強く、強く目を瞑る。
 
 ——だから何が起きたのか、すぐには分からなかった。