ダーク・ファンタジー小説

Re: シオンの彼方 ( No.2 )
日時: 2016/10/16 17:10
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: /005aVGb)

 

 #2
 
 
 刃が体を貫いた。
 
 
 それは確かだ。身の毛がよだつようなヒヤリとした銀色の感触は、今まさに私の体を通ったのだ。兵士が瓦礫の中で足を踏み出す音も、その刃が勢い良く風を切る音も聞こえた。
 その途端、背中から冷水を浴びせられたように寒気が走って、だけれど痛みがない。いつまでたっても体を斬られたことへの痛みが来ない。それどころか、いつの間にかあの刃の感触でさえ消えている。ついに恐怖で感覚まで馬鹿になってしまったのだろうか。震える体はそのままなのに。
 
 「っ!?なんだお前は、どういうこと、——っ」
 
 誰かの狼狽える声。それは先ほど聞いた兵士の声ではなかったか。無意識のうちに止めていた呼吸をゆっくりと繰り返し、指先を動かす。そう、動くのだ。確かに斬られたはずなのに、痛みもなくこの指は動いている。
 
「戻ったか」
 
 唐突に声が聞こえた。誰?先程の兵士の声ではない。ならば誰か。わからない。それに私は、その言葉の意味が理解できなかった。戻った?何から?いったい、何が。
 
 くっついた様に閉じていた瞼を震わす。ゆっくりと開いていくうちに、目の前に誰かが立っていることを知る。
 長身の男だ。短い黒い髪。青か黒か、形容できない色をした鋭利な瞳。冷たく整った顔には赤い雫が跳ねている。その後ろには倒れた兵士の姿。
 
 そして、男の手にあるものは。それは。
 
「戻ったか、と聞いている」
 
 冷ややかな声が降り注ぐ。何が、と掠れる声で問えば、鋭利な瞳は更に細められた。その唇が何かを言おうと開きかけた、ように見えた。気のせいかもしれないけれど。
 わからなくなったのは、突然遠くから足音が聞こえてきたからだ。何やら怒鳴り声も聞こえる。どうやら敵の兵らしい。目の前の男は小さく舌打ちをつくと、こちらに手を伸ばす。
 
「……?」
 
「ぼうっとするな。今すぐ逃げる、お前もだ」
 
「……何を、言って、いるのか」
 
 その言葉を言い終わらないうちに、腰に手が回された。ひやりとした長い指だ。行くぞ、という声が聞こえた時にはもうすでに景色は動いていた。後ろへ後ろへ、目も回るような速さで遠のいていく。あまりの勢いに息が詰まって、ただ呼吸することに意識を傾ける。
 
 窓から飛び降りたような気もする。兵士たちが叫んでいた気もする。しかし担がれていると明確に自覚して、自体を整理しようとする頃には、すでに王城の門すら抜けていた。
  
 王城近くの森の中。幼い頃走り回ったその場所は、夜だからかひどく怖ろしげに見える。小さな音一つ一つが耳に響いて、それが虫の羽音なのか動物なのか、はたまた人ならざるものなのか。私にはわからない。
 
「あなた、は」
 
 速度を落として、お互いに歩き始める。王城近くといえどそれなりに離れている場所だから、きっとしばらくは大丈夫だろう、という男の意見によって。
 ちらりと隣を見上げてみる。あの不思議な色の瞳は、今は月明かりからか青く見えた。先程の私の問は聞こえたのか聞こえなかったのか、未だ答えはない。
 
「あなたは、どなた……なの」
 
 今一度と絞り出したその声で、男はようやくこちらに目を向けた。鋭利な瞳と冷ややかな美貌のせいで、まるで睨まれているかのように凄みが増している。 
 今はこうして歩いているが、先ほど、本当につい先程まで自分は王城内にいたのだ。あの、赤と埃でまみれた——、
 そこで想像するのはやめた。きっとこれ以上を瞼の裏に描けば、得体のしれない何かが胃の底から浮かび上がってきそうになる。
 
「俺に明確な種族分けはない」
 
 唐突に聞こえたその声によって現実に引き戻される。はたと隣を見れば、男はすでに前を向いていた。
 
「どういう、こと」
 
「……少なくとも、俺は人ではない」
 
 男の声が、森の中に響く。深い声だ。若いようにも、熟しているようにも聞こえる深い声。それがさながら、彼の正体のような気がした。