ダーク・ファンタジー小説

Re: シオンの彼方 ( No.4 )
日時: 2016/11/19 17:59
名前: あんず ◆zaJDvpDzf6 (ID: N2./lBnZ)

 
 
 
 #4
 
 声が、深まる夜へ木霊する。じわりじわりと消えていく余韻と、相変わらず表情の変わらない男の瞳。熱を持っているかのように熱い頭で、もう一度だけ言葉を吐き出す。
 
「もう、誰も、いないとして、それから……?死さえ私は、選べないなら」
 
 どうしろと、どう生きろと。死ぬ日が決まっていると言うのなら、それはどうあがいても死ねないのだと、この男は言うのだろうか。
 
「……お前がどうするべきか、俺は一切何も言えない。死神が行うのは、生命の最期に魂を導くことのみだ」
 
 男の声はやはり冷たくて、淡々としたその声は静かに響いた。
 
「俺達は人間の未来へ干渉してはいけない、それが規定である限り。だからお前の決断こそが、お前の未来を決める唯一のものとなる」
 
 再び立ち止まったまま、彼は振り返る。月に輝く、今は青い瞳。こんな時なのに見惚れてしまいそうなほど、まるで宝石のように深い色。その瞳が語っている気がした。選べと。

 彼の言葉は、ただ自然に心に流れた。
 自分の生き方を決めるのは、結局は自分自身なのだから。そんな言葉は、これまで溢れるほど聞いてきた。だけれどその言葉の意味をこれほど重く、深く、確かなものとして受け止めたことがあっただろうか。
 
 誰にも教えてもらえない。もう誰もいないとしても、誰かがいたとしても。私の残りの生き方は、きっとここで大きく変わってしまう。何を選べば正解かも分からずに。
 
 それでも選べ、と。
 
 彼はきっと、そういうことを言っている。
 
 
「あなたは……どこへ行くの」
 
「俺の管轄である人間の元へ向かう。消える魂を送り出すために」
 
「旅をするの?」
 
 男の手にいつの間にかある漆黒の革鞄に気付く。男はあれほどに人間離れしていながら、けれどそれでも地を歩いた。それならば、彼は歩き続けるのでないか、と。唐突に私はそう考えた。
 
「目的の地までただ歩くことを旅というなら、旅と言っても違わない」
 
「……そう」
 
 月が明るく辺りを照らす。男の人間離れした美しさは、夜の闇と似ている。
 これほどまでに人でないのに、いや、いっそ死神だというのに。怖いとは思わなかった。
 
「歩いて、その地に着いて、そのあとは?」
 
「その繰り返しだ。終わりはない。人間だって、日々の暮らしに終わりはないだろう。俺は“旅”を繰り返して生きている」
 
 確かにそうだ。私達はたとえ何があっても、日々の暮らしに終わりはない。人間だけだと考えるのはおかしなもので、人間以外の生命だって、暮らしを営むことは変わらないのかもしれない。
 
「あなたの旅に、付いて行ってはいけない?」
 
 声が震えないように意識しながら、先程から思っていた言葉を告げる。それを聞くと、男はわずかながらに瞠目した。
 
「……俺達の人間への干渉は制限されている」
 
「あなたが私に干渉するのではないわ。私があなたに付いていくだけ」
 
 だから彼には何も責任はない。そういうことにするのは、ひどく横暴だと自分でもわかっている。
 それでも、今の私はそれ以外の道を知らない。目の前の人ならざる存在以外、頼るものは何もない。
 
「私が死ぬ日は決まっていると、あなたは言った。だからどうかその時まで」
 
 あなたに付いて行かせてほしい。
 
 彼はわずかに瞠目したままに私を見た。何を言っているのかと問うような視線。それを今度こそ見つめ返す。
 これが私の生き方だ。私が選んだ最初の生き方だ。
 彼は何かを言いたそうに静かに口を開いて、けれど何も言わずに閉口した。そのまま何かを思案する。男の答えが肯定であるように、そうあるように。私はただ願うしかない。それが少し、不安だった。
 
 再び男の口が開く。深い声が歌うように流れた。
 
「……好きにしろ」
 
 それは確かに、肯定の言葉だった。
 
 私は彼と旅をしていいのだと。そういうことだ。付いて行ってもいいのだ、震えるほど固く握っていた手をそっと緩める。
 ぶっきらぼうに歩きだした彼の背中に遅れないように、今度は追いかけながら。
 
「私は、私の名は、コーネリア・シオン・カルヴァーデル。あなたの名は?」
 
 歩きだした夜は、ひやりとした空気を運んでくる。
  
「……アルベルトだ」
 
 ややあってから聞こえた彼の名前。アルベルト、口の中でそう呟いてみる。
 黒い背中はゆっくりと歩きながら、けれど振り返らない。それでも、いい。私が彼に付いていくだけだから。彼は振り返らなくてもいいのだ。
 
 私はいつか彼に魂を導いてもらうまで、その隣を歩くのだろうか。
 
 見上げた空は濃紺で、やはり月は柔らかく光を発していた。