ダーク・ファンタジー小説

Re: 滅びた世界の存在証明 ( No.3 )
日時: 2017/05/23 12:46
名前: はむ。 ◆H5CzBEem7. (ID: 9rKDLQ3d)

〈失った子供〉

 その環境がいかに恵まれている物なのか、母親はいつも伝えてくれた。理解しようとしないバカ息子を見て、何を思ったのだろうか。
 あの日はやけに優しかった。外出する事を勧めて、時間まで指定した。でかけるときには、涙目でキスをした。それを嫌がった察しの悪い息子を見て、何を思ったのだろうか。あの時点で気づくべきだった。少年は何度でも後悔する。
 あの日家に帰ると、周りでざわめく野次馬たちが、溶けるように消えていった。含み笑いが、聞こえた気がした。つまりは、そういうことだ。そこで逃げることはできなかった。馬鹿で察しの悪い……愚かな少年は、何も感じ取る事が出来なかった。感じの悪い奴らだ、そう思いながら周囲を睨み家に入る。好奇の視線は、前々から向けられていた。

 ……鉄の臭いがした。半開きのドアに、遠慮なく画鋲がねじ込まれている。挟まった紙の端には赤黒い何かが付いていて、そこで察した。あぁ、あぁ。あぁ、もう全て終わった。中で何が起こったのか分かってもなお、足を止めない。もはや意地だった。涙が頬を伝って、自分の嗚咽がやかましく響く。乱暴に破られた紙には、機械が書いたように整頓された文字。でもそれは人の書いた物だった。あいつらは、殺した人間の血でメッセージを書く。それはまるで遺された者を嘲笑うかのように。

『 神 の 仰 せ の ま ま に 』

 そこには、想像よりも遥かに酷い惨状が広がっていた。驚いたことに、涙が引いて何故か冷静だった。
 壁に塗りたくられた紅色。羽虫が群がる赤黒い何か。傷だらけの手足には、蠢く白い何かがびっしりと張り付いていた。踏み出した足に潰された、銀色のリングがはめられた指。そこで行われたであろう行動と母親の悲鳴が脳内で反響した。ビクン。残っている肉片で一番大きい本体が、少しだけ震えた。首は、もう付いていないというのに。

「お母さん!?」

 近寄ろうとして、まだ固まっていない床の血で滑って。母親の血でまみれて、仰向けに倒れた。振動で羽虫が舞う。顔の横に転がる肉片を見て、あろうことか微かに笑みが零れる。
 いつも母親が使っていた姿鏡が視界に入り、自分の笑いをじぃ、とみつめる。貼りつけた様な歪な微笑み。機械の書いた文字よりも、無機質で生きていない嗤い。家の周りで此方を窺っていた、卑劣で臆病なあいつらのようだ。なぜ、なんで自分はあいつらと同じように。心臓が止まったような気がした。時も止まる。

——母親と同じ、ガラス玉のような翡翠の瞳が、暗い濃紺色に変わっていた。

 いったいどこで。これじゃあまるで、「普遍色」みたいじゃないか。浮かんだ笑みが嘘のように、引いた涙がもう一度。濃紺の瞳から流れた。まるで、張りつめていた糸がたわんでしまったように。いつの間にか変わったそれの色は、赤黒く咲いた花に良く似合う色だと思った。細い息が漏れだす。あぁ。

あぁ……ああ、あぁ。おかあさん。お母さん。オカアサン。おかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんおかあさんもういちどめをああけてはなそうよほほえんでぼくにきすをしてばかでさっしがわるいけどそれでもあなたのきもちがぼくにはいたいほどつたわった。
——糸はまだ切れていない、ただたわんでしまっただけ。
 花は散れどまた咲いて、根を張り地を這い生き延びていく。願わくば、花のように美しく。