ダーク・ファンタジー小説
- 1-1 ( No.4 )
- 日時: 2018/09/05 18:46
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: BBxFBYlz)
- 参照: 槙野つくもの告白
「またそんな昔の話を思い出してんの、マキは」
風子がメロンソーダを飲み干してぼそりと呟いた。机に勢いよくガラスコップを置き、カランカランという氷のぶつかり合う音が店内に響いた。
風子はさっきからわたしの話を聞いてくれるけれど、こちらを見ることはない。スマホばっか睨んでる。
「仕方ないじゃん。あれ、結構トラウマだし……」
記憶に残ってるのは、高二の夏休み。昼過ぎの教室で、空を飛ぼうとした女の子が窓から落ちた光景だ。黒板には大きな文字で「死ね」と書かれてあって、その下には踏み潰された白いチョークが落ちていた。
救急車がすぐきて、一命を取り留めた女の子は私を見て言った。
「二階から飛び降りたくらいで死なないよ。もう、バカだね」
また風子はあの時と同じことを全く同じ表情でいった。にかっと歯を見せて笑った彼女は、通り過ぎた店員にビールを注文する。メロンソーダの次に頼むものじゃないだろう、とわたしは心の中でそう思った。
「まだ風子は未成年でしょ」
「そうだっけ。忘れてた」
風子は届いたビールのジョッキを持ちグッと飲み干す。口元についた泡がヒゲみたいになっていて、少しだけ笑えた。
ふと、マナーモードにしてあるスマホが振動して、画面に文字が浮き出てきた。「風子ちゃんと一緒にいるでしょう」見えたのはそんな短いメッセージだった。
「ねぇ、誰から?」
ずっと振動するわたしのスマホを見て、風子が興味なさげに聞いてきた。答えたくはなかったけれど、わたしは溜息まじりに彼女の名前を出した。
「あんたの母さん」
風子の固まった表情を見て、しまったと思った。やっぱり、この話は地雷なんだ。わたしは空気を変えようと呼び出しベルを鳴らす。すぐに店員が来た。わたしはあたふたしながらも、さっきと同じカフェラテを注文した。
「美夜子さん、なんて?」
未だに自分の母親を他人行儀に、名前にさん付けまでして呼んでる風子には驚いた。この子の性格からして、会って三日で「ババア」呼びは確定だと思ってたから。眉間にしわを寄せて、嫌そうな顔で風子は母親のことをわたしに聞く。自分で確かめた方が早いのに、とわたしは心の中で毒づいた。
「風子ちゃんに何かしたら許さないからねって」
「何かって、何が?」
「さぁ、それは分かんないや」
一体いつ風子はGPSなんて物騒なものをつけられたのだろう。「◯◯市××町 喫茶店 弥生」と次に送られてきたメッセージを見てわたしはそう思った。何処にいるかもわかってんのよと言いたげなその文章には、流石のわたしも凍りつく。
「風子、スマホ貸して」
「……なんで?」
風子はそう言いながらも簡単に、カバンの中からスマホを取り出してわたしに渡した。最近流行りのアイフェイスのカバーには風子の好きなゆるキャラのシールがペタペタ貼られている。ロックの解除はすぐにできた。風子の片思いの相手の誕生日だった。これを解除したというなら、風子の母親はとても気持ち悪い。
調べると簡単に出てきた。位置情報サービスはいつもオフにしとけとあれほど言ったのに。きっと風子の知らない間に入れられたのだろう。奥の奥に見えないように隠されたアプリを、見つけた瞬間にわたしはすぐに削除した。
風子にスマホを返すと心配そうに「何かあった?」と聞かれた。わたしは都合のいい笑顔で「何もないよ」と答えるだけ。
「大丈夫だよ。ちゃんとわたしが守ってあげる」
わたしの母親は頭のおかしい人だった。わたしを産んだのも間違いだったと、泣きながら毎日訴えてくる人だった。施設に預けられたあとも、世間体だけを気にして「わたしの子供を返して」と言っていた。じゃあ今までやってた暴行はわたしを愛してたゆえのことだったのだろうか。
その母親の名前を美夜子という。今は新しい夫に娘までいる、幸せな家庭を持つ普通の女だ。ただ娘に対する、風子に対する愛情がわたしとは真逆の意味でやばいだけ。
風子が死のうとしたのもそのせいだって、わたしだけが知っている。
「クソババア死ね」と書かれたあの悲鳴のような黒板の文字は、三年経った今でも鮮明に覚えている。
- 1-2 ( No.5 )
- 日時: 2017/07/16 21:50
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: xV3zxjLd)
「ねぇ、ちょっとコンビニ寄っていい?」
昼間から酒を飲んだ風子は、少し酔っているのだろう。気分よさげにニコォっと笑ってそう言った。
「早く帰んないと、風子のお母さん心配するでしょう?」
「えー? だって美夜子さん風子のママじゃないし、どっちかって言えばマキのママじゃん。へへっ」
やっぱりビール三杯も飲ますんじゃなかったと少し後悔して、わたしはトイレに行くと嘘をついて先に会計を済ませた。「お会計、二千五百二十円になります」とレジを打ちながら店員が言う。半分以上風子のビールに消えて言ったと思うと、なんだか虚しい。
財布から千円札を三枚出して、お釣りをもらう。風子の元に帰ると、彼女はわたしのカバンをごそごそと探っていた。
「何やってんの、風子」
取り出していたのは一枚の白い紙。茶色い封筒に入れていたはずのそれを、いとも簡単に風子が見つけた。
黙ったままの彼女がようやく口を開く。「結婚するの?」風子の唇は弱々しく震えていた。表情は、さっきとはまるで正反対だ。彼女が見つけたのは婚姻届だった。
「うん。するよ」わたしは風子と同じくらいのトーンで答えた。笑わずに、真顔で答えた。
「それにしても、人の荷物を漁るなんて風子も酷いことするんだね」
「話をそらさないでよ!」
わたしがこのギスギスした雰囲気を変えようと冗談めかして話題を振ると、風子は叫ぶようにわたしに怒りをぶつけた。
睨むようなその顔は、三年前も見た。「大事なものは全部マキ先輩が奪ってくじゃないですか」あの日言われた言葉を思い出して、何でか泣きそうになった。
「風子が御門くんのこと、好きなの知ってて」
うん。知ってるよ。
風子のスマホのパスコードが未だに御門の誕生日だって、気づいたもん。
「それでも、幸せになりたい?」
知ってるんだ。風子がどれだけ御門のことが好きか、大好きか。それを知ってても、わたしは風子に御門をあげることができない。風子の方がわたしより御門を幸せにできることも分かっている。だけど、渡せない。
風子の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。頬を伝う涙が机に落ちて、彼女の声にならない音が聞こえた気がした。
風子は泣いてる。自分の好きな人が姉と結婚するという事実を受け止められないんだ。
「幸せになりたいよ。幸せになりたい」
わたしの方が御門のことが好きだから。そう思い込みたいんだ。
本当のことは、風子には言えないや。ごめん。
だって、御門と同じくらい風子のこと大事なんだもん。
もうすぐ死ぬんだ、わたし。
風子にはこの先絶対に言わないその告白を、ごくんと唾と一緒に飲み込んだ。泣きわめく彼女にハンカチを渡して、喫茶店を出た。その頃にはもう空は暗くなっていた。
- 1-3 ( No.6 )
- 日時: 2018/09/05 18:58
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: BBxFBYlz)
「なぁ、マキ。どこ行くの?」
その問いかけに、答えてしまったのが間違いだったのだろう。
後になって後悔した。御門はソファに寝転んだまま、小さな欠伸を一つ。
「病院だよ。ちょっと最近、頭痛が酷くて」
じゃあ俺も行く、と御門が言ったとき断ればよかったんだ。断るべきだったんだ。
医者がもっと詳しく検査しましょうと言ったときに、御門を帰しておけばよかった。そしたら、きっと。
きっと君は結婚しようだなんて言わなかった。
「すいません、セブンのソフト一つ!」
目元を真っ赤に腫らして、泣いたのが丸わかりのその顔で風子はコンビニ店員に言った。年齢確認をお願いしますと言われ、風子は当然のごとく「はい」にタッチした。十九歳の彼女はいとも簡単に嘘をつく。
会計を済ませて、風子は外に出る。外はもう真っ暗で、月の光がわたしたちを照らしていた。
風子は足早に前に進んで行く。それについて行くだけで精一杯で、わたしはやっぱり言わなければ良かったと少し後悔した。
「マキは御門くんの何が好きで、どうして結婚すんの?」
ずずっと鼻水を吸い込んで、真っ赤な鼻の風子はわたしにそう尋ねる。
どう答えたら、風子が納得してくれるんだろう。本当のことを言ったらきっと、風子はまた怒るのに。
「御門とはもう付き合い始めて五年になるんだよ。そろそろ結婚を考えたっておかしくないじゃん」
「……でも突然すぎる。今までそんな話出たこともなかった。それって風子がいたからじゃないの?」
その通りだよ。とは、言えなかった。
本当のことを言うと、御門と結婚しようなんて思ってなかった。だって、風子がいたから。
風子がいる限り、御門と幸せになることは許されないと思っていた。ただでさえ、わたしのせいで不幸にしている妹に、これ以上苦しめなんてそんな酷いことできなかった。それでも。
「風子、もう家に着いたよ」
お屋敷のような大きな家の門が目の前にそびえ立つ。風子の背中をポンと推し、わたしは踵を返す。
星空に照らされた風子の顔は、泣きそうに見えた。
「おやすみ、マキ」
門の中に入っていった風子が玄関のドアを開けたとき、すぐに母親が飛び出てきた。ドアの隙間からわたしを睨みつけるあの女の瞳に、ぞわっと寒気がする。消え失せろ、目だけであれほど訴えられるとは。
すぐにわたしは歩き出す。あの女の顔をこれ以上見たくないから。あんたは立派な母親には絶対になれない。一度失敗したくせに、今度こそなんてそんなの無理だ。
「ごめん。風子を生贄にした」
後悔している。赤の他人だった風子が、あの女の玩具にされてることも分かっていた。可哀想だと思いながらも、わたしは風子に救いの手を差し出さない。関わりたくないという気持ちが勝ってしまう。ごめん。ごめん。
風子に対する感情は、罪悪感よりもっと酷い。
歩いていると、黒い影が重なった。
街灯の点滅で、誰かすぐには分からなかった。でも。
「マキ」
その声に。
「やっぱりここにいた。……帰ろう」
その手の温度に。
ぎゅっとわたしの手を掴んで歩き出して御門にわたしは何も言わずに着いていった。どこにいくの、とも聞けずにただ御門に着いて行く。
帰ろうってどこに帰るの?
その言葉を言えずに、あともう少しでわたしは死ぬのだ。
- 1-4 ( No.7 )
- 日時: 2018/09/05 19:00
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: BBxFBYlz)
「ねぇ、御門。ほんとにわたしと結婚するの?」
「するよ」
向かっている先が御門の家だとすぐに分かった。引き返そう、今なら間に合う。何度もそう思ったけれど、わたしは御門の手を振り払えなかった。
街灯が減ってきて、さっきより星が綺麗に見える。でも、わたしの目に映るのは御門の大きな背中だけ。
「ねぇ、御門」
別れよう、とは言えなかった。
御門が結婚しようといった時も、頷くこともできず、断ることもできなかった。優柔不断だとは分かっている。それでも。
「わたしは御門の何にもなれないよ」
御門の足が止まって、こっちに振り返る。
「なれるとしたら、あれだよ」
弱々しく呟くわたしの言葉を、御門はどんな気持ちで聞いているのだろう。
「思い出」
ぎゅっと抱きしめられて「違うよ」と強く叫んだ御門の優しさは、逆に胸がいっぱいで苦しかった。
御門の胸に顔を埋めるわたしは、どんな表情になってるんだろう。熱くなる体温が、冷えきった心を温めていく。電子レンジでチンしたみたく熱くなったわたしの感情は、今すぐ壊れてしまいそうなほど脆かった。
でも、思い出にしかなれない。死ぬ人間が、それ以上になってはいけないのだ。
ただの記憶の一部となって消えていく存在でなければ、そうじゃなかったらわたしは。
御門を見上げた。泣きそうな顔をした御門は、わたしの頭をポンと撫でて、黙ったまま、またわたしを抱きしめた。御門に最低なことをしていると分かっているんだ。風子と幸せになった方が絶対に御門も幸せなのに。それなのに手を離せない。
御門が好きだという自分を、消すことができない。
「好きなんだ。ごめん」
本当は風子なんかより何倍もわたしの方が御門を愛してる。死ぬ人間が人を愛するなんて無意味だと気づいてる。それでも御門が好きだ。
「御門のそばに……ずっと、ずっといたいよぉ」
ごめん。好きでごめん。何度も繰り返し謝った。君の隣で一生を過ごせたとしても、君の人生の最後までわたしはいてあげられない。
自分だけこんなにいい思いをして、結局わたしはいなくなるのに。
どうしたら、御門が傷つかずにわたしを忘れられるのかばかり考えてる。
ずるい奴だ。わたしは。
御門が玄関の扉を開けて中に入る。続けてわたしも中に入った。学生料金で家賃は五万円を切ってるという割に、全然ボロくないそのアパートの一室。教科書が地面に散乱していて、お世辞でも綺麗な部屋だとは言えなかった。
いつぶりにここに来るのだろう。前に来た時にちゃんとわたしが片付けたのに。
わたし以外の女が来た形跡もない。御門がそんなことしないのは分かってるけど、それでも一ヶ月も姿をくらませた恋人をまだ好きでいられるなんて、変だ。しかも「結婚しよう」といった次の日にいなくなる恋人だ。絶対に結婚したくなくて逃げたと思うだろうに。
「マキ」
いつの間にかベッドに押し倒されていて、わたしの上には御門が乗っていた。
キスでもされるのだろうか、と思ったら彼はまた優しくわたしの頭を撫でた。
「マキが幸せだと思える最期を迎えてほしい。ゆっくり、今までできなかったこと俺とやっていこう」
布団をわたしにかけて、御門は耳元でおやすみと囁いた。こういうところだ。こういうところが、好きだ。
ぎゅっと御門の枕に抱きついて、赤くなった頬を隠した。御門は夜通し資格の勉強をやっている。わたしは寝たふりをしながら、それを見ていた。
◇ 槙野つくも、御門雪無 20歳
遠野風子 19歳