ダーク・ファンタジー小説
- 005 ( No.44 )
- 日時: 2017/11/19 19:51
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: xV3zxjLd)
ふと思い出すことがある。彼女、真尋ちゃんの名字である。
小学四年生になれば、もう大人まであと半分。記憶力だってよくなってくる、だから心の中でずっと引っかかっていたものに気づいてしまった瞬間に、俺は真尋ちゃんのほうを見ることはできなかった。
宮下。そんな名字世の中いっぱいいるのだろうけれど、それでもこんな時期に俺を訪ねてきてその上に先生たちが「会わなくても大丈夫だからね」なんて念押しした人物。そんなの気づく人は気づく。
俺の父親が殺した夫妻。その名字が「宮下」だった。
「死んだんだって、私のお父さんとお母さん」
俺の後ろから聞こえたその言葉。最初はぎくりと方が震えた。どこかの汗が尋常にないほどに出ていた気がする。気づいているってばれていないかな。俺が真尋ちゃんの両親を殺した父親の息子だと、俺が気づいてしまったことに真尋ちゃんには気づかれたくなかった。
だから俺は一旦落ち着こうと大きく深呼吸をしていったのだ。
「きみは、だれ」
その言葉に、真尋ちゃんはさっきまでの色のない表情を変え、大きく声を上げて笑い出した。俺はその意味と意図が全く分からずにただただ真尋ちゃんを見ていた。
きれいな黒髪を長く伸ばしている。毎日お母さんに櫛でとかしてもらっていたのかな。お父さんに頭を撫でてもらったりしてたのかな。
幸せそうに暮らしていたと、ニュースで特集されていたのを思い出して俺はそんなことを考えた。無駄なことだとわかっていた。けれど、微笑む彼女は美しく、そしてどこか儚げだったのだ。
□ □ □
「ねぇ、なんで真尋ちゃん笑ってるの」
「なんでって。うん、なんでだろうね、そういうもんだよ、そういう、」
真尋ちゃんはまだ笑い続けている。施設の子供たちが謎に爆笑し続ける真尋ちゃんを変な人だと認識したのは間違いないだろう。
さっき先生がやって来て「どうしたの、何かあった」なんて本当に心配そうな声で聞くものだから俺は何て言っていいのかわからずに「別に」とそっけなく返してしまった。代わりに真尋ちゃんが「何でもないんです、ただじゃれあっていただけなんで」と答えてくれた。けれどそれが先生にとっては違和しか感じなかったみたいだ。俺と真尋ちゃんを見る目がやっぱり変に意識しているのが分かった。
「きみは、だれ。とか、そんなの一番きみがわかることでしょうって。しかも、さっき自己紹介したのに、そんなかわし方したってこっちにばれること承知だったのかなって、いろいろね、考えちゃった」
俺より一つ下の女の子は、俺の考えていることがすべてわかるエスパーのような少女だった。目の縁に涙を浮かべるほどの爆笑だった真尋ちゃんはさっきの俺と同じような大きな大きな深呼吸をして俺に手を差し出した。
握手なのかな、と思って俺が手を出そうとすると彼女は笑っていった。
「にぎったら、おわりだよ。けど、はじまり」
その笑顔はとても怖かった。
最初はその言葉の意味が全く持って意味不明だったのだが、すぐにそれに気づいてしまった。お互い勘付きやすい性格みたいだ。
朝比奈さんが先生たちと話を終えて部屋から出てきた。俺に手を伸ばす異様な状況にも何も言わずただ彼は見ているだけだった。
握ったら、おわり。何が終わりなのかはわからない。何が始まりなのかもわからない。けれど、真尋ちゃんと朝比奈さんが俺に「選択肢」をくれたのがわかる。もうどこにも行けない、犯罪者の息子に手を差し伸べてくれたのがよくわかる。
「優しくされると、勘違いするよ」
朝比奈さんがふぅと息をついてその場を去った。
もう俺の結論がわかっているかのように、彼は玄関へと向かってしまった。
真尋ちゃんは俺の言葉ににこりと微笑むだけで、あとはそっと俺の耳元でささやくだけ。魔法の言葉だ。俺のすべてを批判する魔法の言葉。
「私の奴隷になりませんか?」
真尋ちゃんは普通の人なら言わない言葉を平気で言うのだ。
自分のことをいつか殺してくれて構わないから。だからその時まで、自分のそばにいてと。自分のそばで父親の代わりに永遠私に懺悔して、一生私に囚われればいいと。
でも、俺にくれた選択肢はもう決定されていたのだ。選択肢、じゃなくて絶対。それ以外に俺に進む道はない。最後の道しるべだと、ちゃんとわかっているのだ。
奴隷。その言葉に俺はアフリカの奴隷を思い出す。ヨーロッパの人たちにいいようにつかわれるだけの奴隷。人身売買、身売りというべきか。
でも結局は、間違っていない。俺に権利なんてものはない。
真尋が「来い」というならば、それについて行かなくてはならない。
真尋が殺せと俺に命じるならば、俺は真尋を殺さなくてはならない。
きっと、真尋はずっとずっと思っている。俺との約束を、彼女はきっと破らないから。だから、いつだって彼女はあの日のように俺のことを奴隷と呼んで俺のことを蔑むんだ。殺されたいから、俺に殺されたいから、だからきっと彼女は永遠に俺の手を離さないのだ。
あの日、俺が握ってしまった手は、もう大きくなってしまっている。
忘れない、あの掌は暖かかったわけでも冷たかったわけでもない。俺の触角はあの時からおかしかったのだ。