ダーク・ファンタジー小説
- 008 ( No.47 )
- 日時: 2017/12/06 11:54
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: KG6j5ysh)
「——真尋!」
真尋が落ちたのと、俺が真尋の手を掴んだのが同じタイミングだった。ぐらーんとぶら下がった状態の真尋は何事もなかったかのように一つあくびをして、そして俺はどくんどくんと喧しく鳴り響く心臓の音を聞いていた。
真尋は宙に浮かんでいる状態だというのに、俺が手を離せば確実に死ぬという状態のはずなのに、何とも呑気なご様子だ。
「な、なんでこんなことするんだよ」
やっとのことで絞り出した俺の声は震えていた。
真尋はきっとこの状態でも平気で言うんだろう。その手を放しても構わないと。だからその言葉を言わさないように、俺は精一杯の力で彼女を引き上げて抱きしめた。びっくりする様子もなく、かといって怒るわけでも泣くわけでもない真尋は、代わりにただ俺の腕の中で笑っていた。
真尋はゆっくりとスカートのポッケの中から何かを取り出した。それを俺に向けて彼女はまたさっきのように笑って見せた。
それはカッターだった。彼女は何も言わなかったが、俺に与えられた選択肢はこのカッターで自分の身体を傷つけるか、それが嫌なら真尋の身体を傷つける。この二つだと俺は知っている。
真尋は呼吸をするように、当然のように口に出す。
「さっき、敬語抜けてたね、浩輔」
それは、どうでもいい話だった。
俺は渡されたカッターを空中に投げ捨て、また彼女を抱きしめた。
「心配したから、って言えば満足ですか」
「そうかもしれないね。けど、私がほしいのはそんな言葉じゃない。浩輔の本音だよ。浩輔はきっと私に早く死んでほしいって思ているでしょう」
俺の腕からゆっくりと離れていく。真尋は足に力を入れるように立ち上がって俺を見下ろした。
「私が心中したいって言い出すのが、怖くて怖くて仕方がないくせに」
真尋は、あの日のように無感情なままそう告げた。
足元に落ちていたカッターを踏みつけて、彼女は無言で屋上から出て行った。何も言えなかったのは事実だったからだ。彼女の目的が、最初から俺を殺したいという感情だったことを、ちゃんとわかっていたのだ。
□ □ □
家に帰ると、そこには和幸さんがいた。玄関に入ったすぐに、俺を待っているかのように彼は立っていたのだ。時計の針がちょうど三時になって鳩時計が音を立てていた。彼は朗らかな表情で俺におかえり、と告げる。
「今日は真尋ちゃんがご乱心だったけど、どうしたのかな?」
「真尋様がご乱心なのはいつものことです」
和幸さんは声を上げて笑いながら、リビングへ向かった。何も言わずともわかる。俺に話があるみたいだ。
いつも真尋はイライラしているが、今日の真尋はいつも以上にイライラしていた。そうでないと、屋上から飛び降りるなんていったバカなことはしない。それに和幸さんも気づいたのだろう。
俺が着替えてリビングに行くまでの間に、彼は俺の分までのコーヒーを入れて待っていてくれた。
「で、真尋ちゃんはどうしたの? とうとう彼氏に振られた?」
「いや、それはないと思います。今日も城谷先輩は真尋を溺愛していましたし」
「……スバルくんが真尋ちゃんを溺愛ねぇ。いや、本当に笑える冗談だよ」
真尋の恋人である城谷先輩は、何回かこの家に訪れたことがある。とても紳士的な彼はにこやかに和幸さんに対応したのだが、和幸さんも相当な目の持ち主ですぐに彼の本性を見破ってしまった。猫かぶりは真尋と同じだね、と城谷先輩から挨拶された後に彼がつぶやいた言葉を俺はまだ忘れられない。
「仲がいいことは、よいことではないのですか」
「そうだけど、少なくともスバルくんは真尋ちゃんのことを利用しているし、きっと真尋ちゃんもそれに気づいているからね。偽恋ってこういうことだと思うんだ、僕は」
コーヒーカップに口をつけて、彼はそういった。机に上にあった資料は、すべて英語で俺には何が書いてあるか全くわからなかった。
真尋は今どこに、と聞くと和幸さんは人差し指を一本立てた。上の階。つまり自分の部屋に閉じこもっているということみたいだ。俺はお辞儀をして、席をたった。
「真尋ちゃんが迷惑かけてごめんね」
代わりに謝る和幸さんの声のトーンはいつもより高かったように感じた。