ダーク・ファンタジー小説
- 8-1 ( No.20 )
- 日時: 2017/08/22 21:15
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: y68rktPl)
- 参照: 御門雪無の啼泣
好きな人が呆気なく死んだ。蝉がうるさい夏のある日のことだった。水を飲みたいと譫言のように呟いた彼女のために自動販売機に行ったのが間違いだったのだろうか。俺が病室を出たほんの三分の間に彼女は息を引き取った。タイミングはバッチリ、まるで俺に死を看取られたくなかったかのように、彼女は永遠の眠りについた。
「最低だよ、つくも」
葬式でぼそりと俺は呟いた。隣にいた風子ちゃんが青い顔でこちらを見た。顔は泣き腫らしたのか真っ赤で、ちょっとつついたらまた泣き出しそうな表情だった。
「なんでもないよ」
つくも、槙野つくも。彼女の名前を生前俺は呼んだことがない。たったの一度も、俺は「つくも」と呼んだことがないのだ。
彼女自身、名前で呼ばれることを嫌っていた。それでも、あんなに自分の名前に拒否反応を表すのはきっと、何か理由があったんだと思う。
「死んだんだな、マキ」
俺の愛しい恋人、俺の愛しい奥さん。呆気なく秋を迎える前に死んだ。
最後にとんでもないことをしでかして、死んだ。きっと最後の復讐だったのだと思う。今までの人生の復讐、自分の「経験するはずだった幸せ」を壊された彼女の唯一の、怒りだった。
「ねぇ、御門くん」
「どうしたの」
焼かれるマキを待っている時に、ふと隣にいた風子ちゃんが呟いた。
「これがマキの望む未来だったんなら、風子は受け入れなくちゃならないのかな」
お腹をさすりながら、目の縁に涙をためて風子ちゃんは言った。
骨だけになったマキを見ながら、俺は返答に少し悩んだ。マキのやったことが正解だとは思わない。それでも、彼女の復讐を知っていたとしても、俺が止めることはできなかった気がする。
「俺さ、ずっと思ってた。もしかしたらマキは風子ちゃんのことが好きなのかもしれないって」
「……え?」
「いろんな意味でさ、マキは風子ちゃんに依存してたし。ずっとずっとマキは君に罪悪感を持ってた」
だけど、それは間違いだったんだってマキが死んだ今わかったよ。
「でも、逆だった。本当はマキは死ぬほど君のこと嫌いだったんだね」
死んだのは二人。一人は槙野つくも、もう一人は彼女が殺した新しい命。
優しかった彼女は、いとも簡単に殺人犯になった。まるで幼い頃にいとも簡単に殺していた蝉を仕留めるように、音もなく。
彼女の残した最後の手紙に書かれていたあの悲鳴を、風子ちゃんはどう受け取ったのだろう。小さくなったマキを抱きしめながら、俺は鼻をすすった。
- 8-2 ( No.21 )
- 日時: 2017/08/18 09:13
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: G1aoRKsm)
マキの最後の復讐は、結果的には成功した。だけど、本当にそれが彼女が望んでいた結果かどうかは誰にも分からない。
ただ一つ、風子ちゃんのお腹の子が死んだのは、彼女が紅茶に混ぜた薬が原因ということ。それを知っているのは俺と風子ちゃんの二人だけということ。
「美夜子さんには、言わないの?」
流産したと風子ちゃんが俺に電話してきた日、俺は安直な質問をしてしまった。
『言わないですよ。だってこれが、きっとマキの最後の復讐だったと思うから』
電話越しに聞こえる泣いた後あとの独特の掠れ声に、ごくんと唾を飲み込んだ。風子ちゃんにとって、いや母親にとって、娘を殺されるということは人生で一番悲しいことに違いない。
「マキのこと、恨んだりしないの?」
『しませんよ。これが結果です。風子が今まで無自覚でマキを傷つけてきた結果』
風子ちゃんのことを大事に大事に、妹のように可愛がっていた。俺が知ってたマキは偽物だったのだろうか。
心の奥深く、彼女の真っ黒な部分では風子ちゃんのことを殺したいほどに嫌ってたのだろうか。
電話を置いて、俺はベッドに寝転んだ。当たり前のように隣にいたマキはもうどこにもいない。俺の隣で幸せそうな寝顔を見せることはない。そろそろ、マキが「いない」現実を受け入れなければならないのに……自然と溢れた涙を服の袖で拭って少し笑った。
いなくなるなんて、わかってたはずなんだけどな。
「そういや、マキが最後にあれくれたんだよな」
空の写真集。彼女はそのアルバムをそう呼んでいた。中はまだ見ないでね、と笑いながら言っていた俺の誕生日、きっと「わたしが死んでから見てね」という意味だと思い、俺は一度もそのアルバムの中は見ていない。
だけど、もう彼女はいない。
自然とページをめくる手が動く。
「御門 雪無 さまへ」
たくさんの空の写真に、その空を見た日の短い日記が添えられていた「空の写真集」。その最後のページ、俺の誕生日の日の朝焼けの空の写真とともに一通の便箋がはさまっていた。
俺の下の名前覚えてたんだ。と、何でかそれで笑ってしまった。
そういや俺もマキの名前を呼んだことなかったけれど、マキも俺の名前を呼んだことなかったな。
「御門へ
御門がこの手紙を読んでるのはきっと、わたしが死んだ後だと思います。御門は変なとこでバカ真面目だから、きっとわたしとの約束を守ってくれたんだよね。ありがとう。
空の写真集、どうでしたか。御門に買ってもらっためちゃんこ高いカメラで撮った写真だから、やっぱ綺麗に撮れてたでしょう?
特に、最後に撮った御門の誕生日の日の朝焼けは綺麗でした。何でかわかんないけど、涙が出てきたの。これが感動したってことなのかなって思った」
マキの文字だ。少し角ばった漢字と、それとは対照的な丸字のひらがな。
懐かしくて、辛くて、暖かくて、憎い。
もう、この世にはいない人間の残した文字。
マキがこの手紙を残したのにはきっと意味があるのだろう。俺はベッドからゆっくり体を起こし、二枚目の手紙の文字を目で追った。
それは、彼女の罪の告白から始まった。