ダーク・ファンタジー小説
- 5 ( No.34 )
- 日時: 2017/10/07 22:11
- 名前: 立花 ◆FaxflHSkao (ID: J7cEmcFH)
綾ねえが婚約者をつれてきたのは、三か月前のことだった。
「私ね、この人と結婚したい!」綾ねえは有無を言わさない勢いでそう言った。母さんも父さんも結局綾ねえの気迫に押され「綾の思うようにしなさい」と結婚をあっさりと許したのだった。
あとになって、綾ねえがこそっと俺に耳打ちしてきた。
「略奪成功したよ」
その表情は、今までに見たこともないほどはじけた笑顔だった。
好きな人がいると綾ねえが俺に告白してきたのは一年前。それから一か月経ってその相手が既婚者だと知る。体の関係になったのはそれから三か月経って。彼が奥さんと別れたのは、今からほんの二週間前のことだった。
綾ねえは好きになったら必ず落とす女だった。流石に愛人から奥さんになるまでとは思わなかったけれど、綾ねえが幸せならそれでいいと思う。
だけど、それは絶対に両親には言えない。きっと、その一言は「黙っておけよ」という脅しだったのだろう。
「おめでとう。心から祝福するよ」
心無いおめでとうを言うのはこれで最後にしてほしい。
***
電話を切って、俺は教室に戻る。
綾ねえの入籍は一か月後になるらしい。それまで、俺は菖に嘘をつき続けようと思った。
それは菖のためじゃない。自分のためだ。俺を利用しようとした菖に、少しだけでいいから傷ついてほしかった。自分の純粋な「友達が出来た喜び」を馬鹿にされたその行為をもっと恥じてほしかった。
「遅かったじゃん、千里」
後ろからぽんと肩を叩かれる。すぐにそれが菖だと分かった。
「あぁ、でも間に合っただろう」
俺は机の中から教科書を取り出して適当に机に置いた。先生が来たのはすぐだった。
放課後になって、菖が俺の家に行ってみたいと言い出した。きっと綾ねえに会いたいのだろう。俺は感情を全部飲み込んで、笑っていいよと答えた。
うちの実家は小さな定食屋を営んでいる。俺の通っている高校の生徒もよく来る、安くて美味いで有名な店。そこの看板娘が綾ねえだ。
帰り道、しょうもない話をして、小石を蹴った。菖が嬉しそうに笑うから、少しだけ心が痛かった。
綾ねえは美人だし、明るいし、優しいし。ただ恋愛に関しては面倒くさい女だった。
きっと綾ねえに婚約者がいなかろうと、菖は彼女を落とすことはできない。
「こんにちは、この子が千里の言ってたお友達?」
綾ねえは何も知らずに菖に話しかける。嬉しそうな菖を見て、やっぱり胸が痛かった。
これから綾ねえは男子高校生の気持ちをずたぼろにするのだ。そんなことになろうとは一ミリも思っていない二人を見るのはやっぱり愉快だった。感情がぐちゃぐちゃになって、自分は最低だと思った。——今すぐにでもトイレに行って全部吐き出したい。
「やっぱ、素敵だったよなぁ。綾さん」
「そうかぁ。普通じゃん」
浮かれて表情筋がおかしくなった菖が話しかけてくる。
空は夕陽で赤く染まっていて、俺たちの影が長く伸びていた。
「ほんと、お前のお陰だよ。ありがとう、千里」
くるりと踵を返して此方を向いた菖の笑顔にただ心が痛かった。
俺はとんでもないことをしているのだと、気づかざるを得なかった。
騙してるんだ。大切な友達に、嘘をついてる。
ざまあみろと心の中で俺が叫んでいて、それをどうすることもできなかった。
ごめん、菖。笑顔の彼に心の中で謝った。
悪いことをしている自覚がありながら、それでもやっぱりこの感情はどうしようもなかったんだ。