ダーク・ファンタジー小説

夜明けの演者 3-1-1 忠告はしたから ( No.21 )
日時: 2017/10/22 13:57
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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 †第三部 戦乱の彼方に†



 〈一章 覚悟を決めろ〉


 1 忠告はしたから


  ♪


 帝国アルドフェックが、セラン王国に宣戦布告した。


 そんな知らせが入ったのは、あの幸せな時間から一月が過ぎた頃。
 その日は、アルドフェックの建国祭の日。運命の、建国祭の日。
 前々よりその予兆はあった。次々と他国を侵略し、その国土を広げていったアルドフェック。
 セラン王国は、帝国の真南に川を隔てて在ったから。
 ギルド、部隊、その他様々な制度の整った、北大陸最南端の地セラン。
 そんな素晴らしい王国を帝国の王、「覇王」ニコラスが見逃すはずもなく。


 その日、戦争が始まった——。


  ♪


 元は小さな火花から始まった戦争だった。

 その戦争のさなか、多くの命がまるで火花のように一瞬だけ強く輝いて、散っていった。
 だからのちに人は、その戦争を「火花大戦」と呼ぶことになる。
 そんな動乱の時代に、フルージアは生きた。


  ♪


 開戦の知らせに揺れる特殊部隊をとある貴人たちが訪ねてきたのは、それから三日後のこと。
 やってきた人物は三人。なんと三人とも、セランの王族だった。

「お久しゅうございますわ、アミーラ・シーレ。そしてお初にお目にかかります、他の皆さま方」

 初めに挨拶した令嬢は、これまで何回か聞いたことのあるセラン王国第一王女、ファルフォンヌ・セラリスティア。

「エルシェヴェイツの件では世話になった。アルフォンソ・セラリスティアだ」

 次に挨拶した少年は、噂の神童アルフォンソ。その頭脳と判断力を買われ、御年十四にして商業ギルドマスターになっている天才だ。

「で、おれが」
「カルロス・セラリスティアだ。どうしてもついて行くと言ったから連れていったが、用件には関係ない」

 その次に挨拶しようとした弟の言葉を遮って、アルフォンソが口を挟んだ。

「って、あにうえー! おれ……」
「重要な話の場だ、時間が惜しい。お子様は黙っていろ」

 アルフォンソの冷たい一喝に、カルロスはしゅんとなる。
 咳払いを一つして、ファルフォンヌが唐突に言った。

「一つ忠告しておきますけれど、あなたたち、国から逃げた方がよろしくってよ」
「…………?」
「逃げるなら南大陸か、いっそ軍国イデュオンか……。シエランディアは近頃きな臭いので駄目。遠いけれど、プルリタニアもありですわね」
「いきなり、何を、おっしゃって……?」

 アミーラの疑問はもっともだ。
 アルフォンソが険しい顔で話す。

「知っているだろう、アルドフェックの宣戦布告のことを。そうするとこの国は荒れる。人心も荒む。そして人々は思い出すんだ、セラン特殊部隊、『不可視の軍団インヴィシブル・アーミー』のことをな」

 そもそも謎の多い部隊だ、と彼は続けた。明らかにされたのは、集団心理の恐怖について。

「怪しいものは何かあったらすぐに疑われ、生贄の子羊になる。いいか? 戦争が始まり少しでもこちらが不利になれば、人は疑い出すだろう。この国の中に何か、裏切り者やスパイがいるのではないか、そういった背信者がこの国に不利を呼んでいるのではないかと。それが集団心理、悪いことがあったらすぐに誰かに罪を被せようとする人の心……。その際に真っ先に浮かぶのが、この不可視の軍団インヴィシブル・アーミーだ」

 だから逃げろ、と彼は言う。
「そちらの働きはよく知っている。僕がわざわざ出向いたのもその為だ。いいから、逃げろ。戦争が本格化して、生贄の子羊になる前に」


 ……動けなかった。


 その言葉と内容に。フルージアはようやく戦争が来たのだと実感した。
 実感はできたけれど、現実感がなかった。
 戦争? 集団心理の恐怖? 国外逃亡? どれもまったく馴染みのないもので。
 戸惑う彼らに、畳み掛けるようにファルフォンヌが呼びかけた。
「お逃げなさい、わたくしの友。いえ、どうなさるかはそちらの勝手ではありますけれど。友として仲間として、忠告はいたしましたわ。あとはそちら次第ですの。ただしこちらも忙しいゆえに手助けできることは限られますが……。ご決断はお早めに。急いだ方が良いですわ」

 ファルフォンヌはそうとだけ言うと、くるりと背を向けた。

「では、忙しいのでこれで。……わたくしとしては、皆様とまたお会いしたいのですけれど」

 噛み締めるように言って背を向けて歩き出す。ではとアルフォンソが言った。

「忠告はした。これをどう受け止めるかはあなたたち次第だ。戦争は大きい。絶対に生き残れ」

 そう言い残してアルフォンソもいなくなる。その背をカルロスが追って、ついに突然の訪問者たちはいなくなった。


「逃げる……」


 選択の時は、迫っていた。


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夜明けの演者 3-1-2 始まったサバイバル ( No.22 )
日時: 2017/10/22 14:15
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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 2 始まったサバイバル


  ♪


「イデュオンには訳あって行けない。だから逃げるにしても、イデュオンに行くならそこで僕とはお別れだ」と時雨は言った。
 アミーラは頷く。

「でも、プルリタニアに行くならアルドフェック領内を通らなくちゃいけないしだいいち、あそこは島国だ。南大陸に行くには船が要る。この戦時中だ、南大陸行きの船はいつも満杯状態だろうサ」

 イデュオンにもプルリタニアにも南大陸にも行けない。
 そのことが指すことはつまり。

「逃げられないの?」
「ああ、そうさ」

 フルージアの疑問に、至極当然のように頷くアミーラ。

「セラン王族は優しいんだか馬鹿なんだか……。それにサ、時雨の件がなくったってイデュオンには行けないヨ。島国ってったら、あすここそ正真正銘島国じゃあないのサ。今頃避難民であふれていて、あたしたちが行く余裕なんてないんじゃないのかい?」

 時雨は静かにうなずいた。

「それ以前に、あの国は半ば鎖国状態。避難民を受け入れるとは思えない」

 決まりだネ、とアミーラは覚悟を秘めた瞳で言った。

「あたしたちは逃げられないのさ。王族サマがいくら逃げろって言ってくれてもね。そもそもセランは海に突き出た大きな半島。その後ろにはアルドフェックと、侵略されたティファイ属国しかない。この戦乱を絶対に生きぬく、そう覚悟を決めるんだね」

 平和な時代は終わったのさ、と悲しげに言う。

「これから戦争が始まる。もしかしたらこの中の誰かが死ぬかもしれない。それでもそれは戦場の理(ことわり)。そのことに嘆き悲しみ、歩みを止めてはいけないよ。死んで悲しんでもらえるなんてそれは、平和な時代の道楽さ。繰り返し言おう。……覚悟を決めな」

 幸せな時間はあまりにも短く、瞬きする間に消え失せた。

 今目の前にあるのは、非情なる現実。

 フルージアはその現実の重さに震えた。震えが止まらなかった。怖かった、考えるとつらかった。やっと見つけた自分の居場所、自分の幸せ。それらを奪われることが、それらを失ってしまうことが怖かった。

 そういった思いに震えていると、誰かの手が彼女をそっと抱きしめた。
 揺れる太陽の金髪。仮面の奥の、深海の瞳。

 クィリが、フルージアの背中を優しく撫でながらも言った。

「恐れるな、強き『演者』。そう簡単に我らは死なぬ。悲しかったら泣いても良いが、それで己の歩みを止めることだけは絶対にするな。でも、今なら……存分に泣け。覚悟のないまま怯えていては、とんだ足手まといだ」

 その言葉は冷たく、優しかった。フルージアはクィリにつかまって、声を上げて泣いた。心の中の悲しみや恐怖を涙とともに流し去るため。覚悟を決めるため。

「もういいよ。ありがとう、クィリ」

 やがてフルージアは彼から離れ、赤くなった目元をごしごしとこすりながらも言った。

「もう、大丈夫なのか?」
「ええ、今思うと恥ずかしいわ。わたし、まだ甘すぎる子供だったんだってことを改めて認識しちゃった」
「甘いことは悪ではない」
「やめてったら。戦場で甘い心を持ったままだったらわたし、真っ先に死んでる。今わたしは心を固い殻で覆ったわ。ようやく、覚悟が決まった。……ご迷惑をおかけしました」

 クィリも優しいねェ、とアミーラが茶化す。



「まあ、これで皆覚悟を固められたようだし。……始めようか、あたしたちのサバイバルを」



 青、紫、金、銀、緑、赤、茶……。さまざまな色の、強い意志を秘めた瞳が、アミーラを見つめる。





「——任務はひとつ! 自分の命は自分で守りなッ!」




〈一章 了〉

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夜明けの演者 3-2-1 死んでもいいですか ( No.23 )
日時: 2017/09/24 11:20
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=616.png

 (自分で言うのもなんですが)
 本編の中で、自分が好きな章トップ3に入る章、開幕です。

※ 貼ってあるURLは、次点獲得記念のイラストです。左からマキナ、フルージア、スーヴァルとなっております。遅くなりましたが、良かったらご覧ください。
 他のメンバーは描く暇なかったです……。

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〈二章 命の序列〉


 1 死んでもいいですか


  ♪


「…………っ!」
「ヴィラヌス! 大丈夫?」
「大事無い。矢がかすっただけだ。そっちは無事かっ!」
「今のところ無傷よ! ……ホントに大丈夫?」
「それは良かった! ……いや、気にするまでもないからっ!」
 彼らは逃げる。何から? それは……
「ああ、ったく! とんでもない奴らだねェ!」
 アミーラが、力任せに、大剣で誰かをぶった切った。
 ……そう。現状、セラン特殊部隊は。セラン国民中に「裏切り者」の汚名を着せられ、追われているのだった。
 アルドフェックには優れた将がいる。名前をよく聞くのは「戦場に咲く双つの絆」ことアルドフェック第二王子アルジェンティと、第一王女カトリーナの双子。双剣を使い、最前線で戦うアルジェンティをチャクラム使いのカトリーナが援護するのだが、このバランスが固すぎる。
 それ以外にも、傭兵デュアラン・ディクストリや死霊術師のベアトリーチェ・ニーナクィンなど、アルドフェックの将の強さは群を抜く。
 それで、少々苦戦しているとの報が届けば、セラン国民は疑い出す。
 苦戦しているのは、内部にスパイがいるのではないかと。
 謎めいたところの多い「不可視の軍団インヴィシブル・アーミー」ことセラン特殊部隊は、格好の生贄の子羊だった。
「理不尽だよ! あたいたち、これまで国のため皆のため、一生懸命頑張ってきたのにさっ!」
 マキナの不服ももっともである、が……。 ……とはいえ。
 今、彼らに迫るはアルドフェックとセラン、双方からの追手。場所は平原、振りきるのは難しく、しかも両軍ともに、なぜか共闘している模様。呉越同舟、と言ったところか。しかし、十数人の部隊をここまでして追おうとするとは理解しかねる。
 長引く戦いに皆、疲弊し。未来は見えず、真っ暗なまま。

 そこで、とある人たちが提案を持ちかけた。















「——アミーラ、私たち、死んでもいい?」















 いきなりそんな物騒なことを言ったのは、フルージアが出会ってからまだあまり時が経っていない、シェルマ・クリーズィア。その近くには、無邪気さを捨て去った、強い決意の燃える瞳の、シェルマの双子の弟のシェルフがいた。
「……いきなり何を言うんだい? 誰も死なせないとあたしは誓った。それはあんたたちだって例外はない。死んでもいいか、なんて物騒な」
 アミーラが首をかしげつつ反駁すると、シェルマは言った。

「——なら、全滅してもいいのかしら?」

「————!」
 その言葉に、アミーラは目を見開く。畳み掛けるようにシェルマは続ける。
「だって、この現状をご覧なさいな。このままだったら絶対に、私たちは死ぬわ。でもね、誰かが犠牲になってみんなを逃がせば、全員が死ぬってことはなくなるの。少数の犠牲で皆を守れれば、それに越したことはないわ。だから……私たちは、死ぬのよ」
 告げられたのは、重い現実と非情な選択。
「だ、だからって、あんたたちじゃなくったってさァ……」
「いいからっ! このままじゃ皆、全滅してしまう! あとは私たちに任せてっ! 運がよかったらまた会えるわ」
「シェルフ、シェルマ……っ!」
 シェルフが、最後に優しく微笑んで、言った。
「さようなら、みんな。長くはなかったけど、楽しかったよ」
 大群が迫りくる。それをたった二人で迎え撃つ。どれほど保つのだろう、この小さな、しかしかけがえのない盾は。


 誰かを生かすために、誰かが死ぬ。


 世の中は非情だった。


 それでも、生きなければならないから。


 涙をこらえて、アミーラ達は逃げ延びた。


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夜明けの演者 3-2-2 「無敵」と呼ばれた子 ( No.24 )
日時: 2017/10/02 18:02
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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 2 「無敵(インヴィンシブル)」と呼ばれた子


  ♪



「……命には序列がある」



 低い声で、歯を食いしばりながらもハインリヒがつぶやいた。
 それは、双子の犠牲の肯定。
 彼は、ひとつ、たとえ話をした。
「ここに国がある。王と家臣がいる。しかし、ある時城が襲われた。こんな時、誰が真っ先に逃げるべきだと思う?」
「……王だ。でも、あたしは——」
「王ではないが、この集団の長だ」
 アミーラの反駁を一言で封殺する。フルージアにも、彼が言わんとしていることがわかってきた。
 でも、それは——。
「よって、王は逃げるべき。では、クィリは? 彼は宰相。宰相だって重要人物。宰相も逃げるべき。では、ヴィラヌスは? 彼は重臣。民を束ねる小隊長。彼も逃げるべき。では、オレは? 自分のことだから言いにくいが、この際言わせてもらおう。オレはアミーラの右腕。つまり、王の側近ないしは王の補佐。この人物も逃げなければならない。で、残るのは家臣たちだ」
 ——家臣は、王と王国のために、その命を投げ出さなければならない——。
「命には序列がある。少なくとも、集団においては」
 彼は、話を続ける。
「だから、もしもこの中の誰かが死ななければならないような場合——」
「……そこまでだ、ハインリヒ」
 ハインリヒは、冷たい敵意を感じて振り向いた。
 そこにいたのは——無表情な瞳に青の炎を宿した——

「……スーヴァル?」

 彼は、怒っていた。普段は全然感情をあらわにしないのに。
 ——心から、ハインリヒに対して、怒っていた。
「……道理はわかっているつもりだ。だが、ハインリヒ。あんたは『命の序列』なんて言葉で、彼らの想いを片づけていいのか」
「? 事実だろう?」
「彼らは仲間だろうっ!」
 スーヴァルの心の中には、いつもあの日のことがある。誰も信じられなくなったあの日。リクセスの言葉で絆を確認しあったあの日。
 だから、許せない。何よりも仲間を大切に思うスーヴァルにとって、仲間の命を、尊い犠牲を。「序列」なんて言葉で片付けるなんて。
「彼らは仲間なんだっ! アミーラは隊長だが王ではなく、ましてや僕らは家臣でもない! 貴様が王の側近、補佐だと? 聞いて呆れるね!」
「ス、スーヴァル……」
 ……誰にも、止められなかった。ハインリヒは確かに正論を吐いているが、それ以上に、スーヴァルの言葉は心を打った。
「仲間が僕らの犠牲になるのに序列なんて関係ないっ! 彼は『序列があるから』死ぬのではなく、自分の死がみんなを救う、そう考えてその選択肢を選んだんだ! 貴様にわかるかっ? その高潔な精神を! 常に損得でしか全てを見られない貴様にわかるのかっ?」

「……まだ、オレは、『人形』なのか」

 スーヴァルの非難を、特に怒鳴るでもなく反論するでもなく静かに聞いていたハインリヒは、突然、そんなことを言った。
「……なんだって……?」
 ハインリヒは、悲しげに、そしてどこか自嘲するように、自分の両手をじっと見つめた。
 空間使いの力の宿る、その両手を。
「かつて、オレにはもう一つの生があった。そこで、オレは愛を知らず、絆を知らず、人形のように生きてきた。……だけど、その次の生で特殊部隊に入り、愛を知り、絆を知った……はずなんだけどな。オレはまだ……そんなにも、利に聡く、冷酷か」
「……ハインリヒ」
「悪かったな、何も察せなくて」
 貴様の言い分はいまだ許せないが、とスーヴァルは荒い呼吸をしながら前置きした。
「……良かったら、聞かせてほしい。あんたの『前の生』の物語を。そこで何があったのか、そこであんたは何をしたのか。あんたは謎が多かったんだ。『ハインリヒ』という、どこか貴族めいた名前。そのくせ、どこの家の者かはわからないし、名字だって名乗らない。そして、自称十七歳、か? その歳に似合わない、卓越した経験の見える戦いぶり……。あんたは一体、誰なんだ?」
 それを話すには時間がいる、と彼が言うと、
「時間ならいくらでもあるさ。どこかの誰かさんが、『序列』に従って死んだおかげでね」
 スーヴァルは嘲るように皮肉った。
「……悪かった」
「別に構わない。もう、気は鎮まった。今回はリクセス、怒らなかったね。……まぁ、いいか。話して」
 ハインリヒは、うなずいた。


 そして、語り出す。自分はどこから来たのか、そもそも何者なのか。

 彼が意図して隠していたそれは、とある鬼子の物語。





 ——時代は、三百年前にさかのぼる——。





  ♪♪♪


 この世界「アンダルシア」の最北の国、島国プルリタニアに彼は生まれた。
 プルリタニアには、「イーターゼンテル」という貴族の家があった。ハインリヒはその家の長男だった。
 しかし、ある時判明する。彼が、あまりにも強き「空間使い」の力を有していることが。
 その力を使えば空間を裂いて剣で遠方攻撃をすることができるし、場所さえわかれば、遠方にあるものを「空間を裂いて」取り出すことだってできる。「空間を引きよせて」瞬間移動だって思いのままだ。
 その、あまりにも圧倒的な力を家族は恐れ、彼を「鬼子」と呼んで一時は牢に監禁し、最終的に家から放り出した。
 かくして彼は、独りになる。


  ♪


 誰も振り向いてはくれなかった。誰も彼を愛してくれなかった。そんな日々が続くうち、いつしか彼は忘れてしまった。

 ——愛って、絆って、友情って、何?

 力を現す前はあった、幼い日々には確実にあった、温かいそれらを。
 いつの日か彼は忘れていった。冷えた心に残ったのは。

 ——オレより強い奴は、一体どこにいるんだ——?

 飽く事なき、漆黒の闘争心のみ。
 彼は心の空白を埋めるために強い者を求め、ことごとくそれらをほふっていった。
 それでも、彼の心の空白が埋まることはついぞなかった。空間使いの強さはあまりにも圧倒的で、誰も彼に敵わなかったから。
 彼より強い者がいないということは、すなわち彼と同じ所に立つ者がいないということ。誰も知らない。誰もわからない。そんな「無敵」の強さなんて。
 だから——孤独だった。
 彼は、自分と同じだけの強さを持つ者と、ついぞ出会うことはなかった。
 誰にもわかってもらえない強さを持ち、それゆえに孤独な彼、ハインリヒ・イーターゼンテル。
 いつしか人は、彼をこう呼ぶようになった。


 ——無敵インヴィンシブル、と——。


  ♪


 果てない闘争の毎日に、いつしか彼は、自分の名さえ忘れてしまった。
 覚えているのはあだ名のみ。無敵インヴィンシブルという、あだ名のみ。
 彼は機械のように、人形のように、壊れた歯車のように、ただ、戦い続けた。自分より強い者を求めて。心の渇きを癒すため。
 戦っても戦っても、心の空白が埋まるわけがないのに——。
 そんな彼に目をつけたのは、人を愛する奇妙な神、闇神ヴァイルハイネン。
 心を持たぬ「無敵」を知り、面白そうだと舞い降りた。
 それが、彼の再生の始まり。
 その日、無敵は初めて、敗北を知った。
 相手は最強の神の一人である。人間最強といえども、敵うわけがなかった。


  ♪

 
 「無敵」と闇の神はかくして出逢い、長い長い旅の途中、彼はいつしか、名前を取り戻していた。
 Vailheinen(ヴァイルハイネン)Heinerich(ハインリヒ)。Heinの所が同じだ、と気付き、つながりを感じた。
 双方とも、愛称は「ハイン」。不思議な符合だった。

 闇の神は彼に教える。人の世の愛、絆、友情を。
 しかしそれでも、彼の欠落した何かが、戻ることはなかった——。


  ♪


 やがて、ハインリヒ・イーターゼンテルは、争いの中、命を落とす。
 さんざん嫌った故郷の家族を、暗殺者の凶刃から守るため。
 自らその身を犠牲にして、守りきって死んだ。
 一対一なら誰にも負けない彼だったけれど、守るものができたとき。初めて彼は弱くなる。
 ああ、これが守るということか。その言葉を遺言に、彼は逝った。
 ヴァイルハイネンは悲しまない。人が死ぬのはよくあることだから。彼はこれまで、たくさんの「相棒」の死を看取ってきたから。
 ——悲しくない、はずなのに。
 知らず、頬を流れた涙の意味を、人ならぬ彼は知らない——。
 彼が守りきった家族は皆、驚いたような顔をしていた。
 彼の母親が、つぶやいた。
「ああ、この子は鬼子ではなかった! もっと……もっと、愛を注げばよかったのに……!」
 こうして、彼の第一の生は終わる。


  ♪


 それから三百年。なぜか「前世」の記憶を持ったまま、彼はこの世に生まれ変わった。
 空間使いの力は健在だったが、彼の二度目の生は、名もなき孤児だった。
 生まれたときから誰もいなくて。自分の名前すらわからなくて。
 ——でも、記憶があった。
 だから彼は、前世の名、「ハインリヒ」を名乗ることにした。ただし、「イーターゼンテル」という名字は名乗らない。それを名乗れたのは前世の時のみだ。
 今はもう——貴族ではないから。
 もう、彼の傍には闇の神はいない。何もやることがなく、あてどなく各地をさ迷っていた彼を、

「——よかったら、ウチに来ないかィ?」 

 誘ってくれた大きな背中を、忘れない。
 アミーラに出会い、そして、セラン特殊部隊に引き取られた。
 部隊での生活は、これまで彼が経験したことのないもので、どこか新鮮で——楽しかった。
 温かい仲間たちに恵まれて、大切にしてくれる人がいて。
 いつしか彼は、失った心を次第に、取り戻していった。

 ——これが、愛。これが、絆。これが、友情。

 そんなものに気づかせてくれた部隊を守りたいと思い、「任務」が受注されるたびに他の仲間に代わって、自らそれを積極的に受けに行った。
 幸せな日々の中、「人形」はいつしか「人間」になる——。


  ♪♪♪


「……と、思っていたのだがな」
 と、彼は話を締めくくった。
「利に聡い、冷酷、情がない……。あれは、あの時代の置き土産だ。オレはまだ……変われていないのか」
 固く閉じた目に浮かぶのは、「人形」だった虚ろな自分。
「……命に序列なんてない。あんなことを言って……悪かった」
「……もういい」
 ハインリヒの謝罪を、無表情で退けるスーヴァル。
「……でも、そんな事情があるならもっと早めに言ってほしかったね。まるで、僕ら信用されてないみたいだ。少し悲しい」
「…………」
「まァ、いいじゃないのサ!」
 辛気臭い空気を追い払うかのように、アミーラが大きく手を叩いて言った。
「せっかく二人が命捨てて稼いでくれた時間さ。あたしたちが生き延びるため、次に何をするべきか考えようじゃぁないのさ!」
 その言葉に、皆、目が覚めたかのように瞬きする。
 ハインリヒは、空を見上げていた。
 ——見ているか、もう一人の「ハイン」——。
 今、あんたはどこにいる——?

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 ハインリヒの過去編をお送りします。藍蓮です。

 長いのは仕方がないのです。この話、途中で切ってもおかしいですしね。
 明かされた空間使いの過去。「無敵(インヴィンシブル)」と呼ばれ、本当の名前すら忘れ果てたある貴族の長男。
 いずれ、彼の前世の話も書いてみたいですねぇ。

 穏やかに終わった第二話。
 しかし、第三話では——?

 次の話に、請うご期待!

夜明けの演者 3-2-3 命の重さ ( No.25 )
日時: 2017/09/06 20:39
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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 3 命の重さ


  ♪


  油断していた、ただそれだけだったのに。
  ドウシテコンナコトニナッタノダロウ。




 ヴィラヌスと別れてから三日。とある森に避難した特殊部隊の面々は、久しぶりに、まとまった休憩を取っていた。

 アミーラはトレードマークである大剣を地面に置いて、木に寄りかかって座っていた。
 シフォンは穏やかに微笑みながら、木に留まる鳥を眺めていた。
 フルージアは近くを流れる小川に足を浸し、マキナと色々と話していた。
 時雨もリクセスもアイオンもクィリも。久々の休憩に、思い思いに時を過ごしていた。
 だから、初めにそれに気づいたのは、昔からの習慣で、どんな時も警戒を怠らないハインリヒだった。


「! ————アミーラっ!!」


 突如叫んだ彼は、アミーラの前にその身を投げ出した。


「——え——……?」


 赤い、赤い、血飛沫が飛ぶ。それは、アミーラの顔に、もろにかかった。


 誰かが大慌てで逃げだす足音。そして。


 ハインリヒが、「無敵」だった空間使いが。


 ドシャリ、と鈍い音を立て。





 倒れた——。





 地面に、彼の流した血の赤が散る。


「————ハインリヒっ!」


 アミーラは慌てて彼を抱き起こす。


 そして、見た。





 その胸の真ん中に、鋭いナイフが刺さっているのを——。





「ハインリヒっ!」


 変事に気づいた他の面々が、こぞってアミーラに近づく。
 その傷は、一目で致命傷と見て取れた。シフォンが治すまでも無い——。

「な、なな、何が——」
「……落ち着け……アミーラ」

 らしくもなく慌てる彼女に、彼は掠れた声で呼びかけた。

「……あんたを狙う刺客がいた……。それに気づいたのはオレだけだった……。空間を裂こうにも時間がなく、だからオレは、身を呈してあんたを守った……そういうことだ」

 ハインリヒしか気づかなかった。ハインリヒしか気付けなかった。
 そこまでも、特殊部隊を狙う悪意は強いのか。
 彼は、さらに言う。





「『序列』で言うなら……あんたより、オレの方が先に死ぬべきだぜ……?」





 一対一では他の追随を許さない強さ。ゆえに彼は「無敵インヴィンシブル」の名を授かった。

 しかし、彼は。守るものを得たとき、弱くなる。
 彼は、知った。前の生で。誰かが犠牲になることで続く、命の輪廻を。
 そして、前の生で、彼はそれを実行した。

 今。現在。彼は再び、前世での死に様を再現している——。

「お前…………」

 目に驚きを浮かべ、スーヴァルがつぶやいた。
 ハインリヒは大きく咳き込んだ。その手についたのは——血。
 こんな致命傷を負って、ここまで生きていられること自体、奇跡のようなものだった。
「嫌だ……」
 フルージアは大きく首を振り、叫んだ。

「失いたくない……せっかくつかんだ幸せなのにっ! どうして……どうしてみんな、死んじゃうの……? 嫌だよ、もう、こんなのは嫌っ!」

 すると。





「……ハインリヒさんは、ずるいですっ!」





 今まで何も言わずに、その様を見ていた少女が、叫んだ。

「……シフォン——?」





「わたし、ずっとずっと、ハインリヒさんのことが好きでしたっ! なのに、このまま逝くなんて絶対に許せないですよ。しかも、こんなに格好良く死んじゃって! 私、恨みますよう。戦争が終わったら言うつもりだったけれど、今、言っちゃいました。もう一回言いますね。
 わたし……ハインリヒさんのことが好きでしたっ!」





 告げられたのは、一つの告白。

「…………」

 シフォンは、ふと、悲しげな表情をした。

「でも……わたしなら、命の魔導士たるわたしなら、ハインリヒさんを助けられるんです。相手が死んでいない限り、どんな傷だって治せる。だけど、相手が致命傷を負っている場合、代償が要るんです……」

 シフォンは、震えていた。覚悟を決めた瞳の奥に宿る、本能的な恐怖。
 シフォンは。恐れている。その術を行使することを。

 ハインリヒが再び咳き込んだ。時間がない。彼はもうすぐ死んでしまう! 今やその目は閉じられ、呼吸するのさえ苦しそうだ。


 ……シフォンは、覚悟を決めたようだった。





「……皆さん、今までありがとうございました。色々と楽しかったです。わたし、みんなに出会えてよかったなって、心から思ってますっ!」





 その言葉は、死ぬ前のひとこと。


「何をするつもり——」





「——邪魔しないでくださいっ!」





 悲鳴のようにシフォンは叫んだ。そして、瀕死のハインリヒに近づいていく。

「ハインリヒさん? 聞こえますか? これから、胸に刺さったナイフを抜きますよう。返しはついてないみたいだから、一瞬だけ我慢してください。それじゃあ……それっ!」

 ナイフが抜かれ、血飛沫が飛ぶ。ハインリヒはうめき声一つ上げなかった。すでにその力さえない。
 シフォンは座り込んで、ハインリヒの傷口に手をあてた。
 最後に、今にも泣きだしそうな笑顔で、皆を見た。

「ハインリヒさんの『序列』で言うなら、ハインリヒさんよりも先に、わたしが死ぬべきなんです。そしてね、致命傷すら癒すこの魔法は、一生に一回しか使えない……。なぜなら、その代償というのが、
 









 ————術者の命だからです」










「————っ!」


 驚愕に包まれる仲間を背に、シフォンは術を唱え始める。
 知らず、フルージアは叫んでいた。

「駄目、駄目よ、シフォンっ! そんなことしたら、あなたが死ぬわっ!」
「死んでもいいから行う術ですっ! 生物としてのわたしは死にますが、こうすればわたしが生きることになるっ! わたしは死にませんよう。だって……思い出はそう簡単には消えないんです。みんなの心の中で、わたしは永遠に生き続けますっ!」

 そしてもう一点、と彼女は言う。

「今度話しかけてきたら、わたし、自殺しますから。……話しかけないでくださいね。いつまでたっても彼を救えません」
「…………っ」

 シフォンの凄みに、フルージアは黙るしかない。
 再びハインリヒの方を向いた彼女の口から、言葉が漏れ始める。それは、フルージアの知らない言葉だった。
 時間が経つほどにハインリヒの顔色は良くなっていったが、それとは対照的に、シフォンの姿は老いて行く——。


 ——それは、生命力を譲る魔法だった。


 人には「生命力」と呼ばれる力があり、それがなくなると人は死ぬ。怪我や病気や老いなどで生命力は失われるが、怪我や病気で失われた分ならば、時の経過や治療などで元に戻る。

 しかし、相手がどう見ても助からない場合は別。
 その場合、生命力を納める「器」が崩壊したと言っても過言ではない。
 そしてそうなった場合、人はほとんどの場合助からない。

 その数少ない例外が、生命力の譲渡。

 その力を持つ術者が己の生命力をすべて与えて、「器」の破損個所を完璧に直すというもの。
 しかし、それを行うには、術者が死ななくてはならない。そうでもしなければ「器」は直らない。
 さらに、相手にわずかなりとも生命力が残っていなければ、そもそもこれは、術として機能しない。「器」を満たすものなくては、「器」の意味がないからだ。
 ハインリヒはギリギリ間に合った。流れだしていった生命力。しかし、それは彼のすべてではなかったから。

 だから、直す。直せるうちに。彼の生命力が、涸れ果てる前に。
 己の命を犠牲にし、シフォンは無言で問いかける。





 ——命とは、命の重さとは。一体、何なのでしょう——?



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

夜明けの演者 3-2-4 あの子の墓標 ( No.26 )
日時: 2017/09/08 21:30
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

 他の作品は更新しなくても、こちらだけは毎日更新する藍蓮です。
 どっちがメインだ……。

 計算ミスで1000文字未満。
 すみません、短いです。

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 4 あの子の墓標


  ♪


 『さようなら』。


 口の動きだけでそう言ったシフォン。

 その身体はもはや少女ではなく、醜く老いさらばえた老婆のものだった。


 それが代償。それが重荷。死に近き者を蘇らせた、禁忌を起こした者への罰。


 それは、あまりにも残酷で。あの、内気な少女シフォンは見る影もない——。


 しかし。

「…………っ」

 死んだと思われていたハインリヒの瞼が、生きている証に震えたのを見て。
 その目が開かれ、漆黒の、澄んだ瞳が再び姿を現すのを見て。


 彼が、生きているのを見て。


「…………ハインリヒ」


 彼女のしたことは、確実に一人の命を救ったのだと、実感した。
「……聞こえていた。何もかも全部」
 その声はまだ苦しそうで、呼吸するのにも難儀しているようだった。
 当たり前だ。限界まで減った生命力は、そう簡単には戻らない。
 それでも、彼には伝えたいことがあった。
「……生きているのが……夢の……ようだ。済まないことをした……」
 その顔が苦しそうに歪んでいるのは、何も、身体的な苦しみばかりではない。
「……オレ……は……」

「もういい」

 彼の言葉を遮ったのは、スーヴァル。
「懺悔はいい。折角助かった命なんだ、ゆっくり養生したら? 必要なものは僕らが用意する」
「……済まない」
「別に。あんたが好きで言ったわけじゃない。けど……」
「……けど?」
 スーヴァルは、ちょっとはにかむように笑った。

「あんたの行動には、感謝している。あんたが割り込んでくれなきゃ、きっとアミーラは即死だった」

「そりゃどうも」
 オレは疲れたから、とハインリヒは皆に言い、そのまま眠りについた。
 シフォンの譲った命の灯は。まだ勢いは弱いものの、こうして受け継がれた。


  ♪


 その後、皆によって、一つの墓標が立てられた。



 セラン特殊部隊(不可視の軍団(インヴィシブル・アーミー)メンバー

 シフォン ここに眠る

 誇り高き、白銀の命の魔導士よ。気高きその血は受け継がれた。
 安らかに眠り、永遠に生きよ。
 たとえ生命は消え果てても、命は久遠に続くもの。


  ♪


 ヴィラヌス、シフォン。命の犠牲で続いた輪廻を。


「序列」なんかじゃなくて、想いによって受け継がれた命を。


 忘れない。何があっても。


 この犠牲を。この想いを。


 絶対に忘れない。


  ♪


〈二章 了〉

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夜明けの演者 3-3-1  ( No.27 )
日時: 2017/09/26 19:30
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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〈三章 天秤に掛けるなら〉


  ♪


「みんなには悪いけど」

 ヴィラヌスが、仲間に剣を向けた。

「ヴィラヌス——!?」





「僕は、あなたたちの敵になる」





 青い瞳が悲しげに揺れた。


 カシャーン。向けた魔法素の剣が。


 震える思いに儚く砕けて。


 そうしてヴィラヌスはいなくなった。


  ♪


「……どうしてだと思う?」

 フルージアは、悲しげにみんなに問いかけた。
 あの日。みんなを裏切ったヴィラヌスは。
 アルドフェックに、フルージアたちの居場所を告げた。
 以来、追手は多くなるばかりで。
 皆の疲労も限界に近づいていた。

「事情があったんじゃないの?」

 とリクセス。

「僕はあいつとはそれなりに長い。妹がいるとか聞いたことがある。で、その妹を人質に取られているとしたら? 裏切るよね。家族は大事さ」
「しかしリクセス」

 ソールディンが、疑問を提示する。

「あの生真面目さんが、普通、裏切りなんて卑怯な真似をするのかな?」
「誰にだって大切なものはあるさ。……私事だけど。僕にも、年の離れた兄さんがいるんだよ」

 ……要は。
 ヴィラヌスは、何か弱みを握られて、裏切ったということなのだろうか。
 そうでもなければ。「あの」ヴィラヌスが、仲間を裏切る道理がない。

 金銭? 地位? そんなもので。心動かされる人ではないと。これまでの付き合いで知っている。

「諦めろ」

 今度ばかりは冷徹に、ハインリヒが、言った。

「裏切った奴なんて放っておけ。それに——」

 その脳裏に浮かぶはシフォンの死。





「……死に別れるより、生き別れた方が、いい。戦争が終わったら、きっと戻ってくるさ」





 ……今度ばかりは、彼を「冷徹」と罵ることはできなかった。
 彼は無言で皆に言うのだ。





 ——今を見ろ——。


  ♪


 ——もしも。唯一の肉親と、これまで過ごしてきた仲間たちと。
 天秤に掛けるとするなら、あなたは一体どちらを優先しますか——?





(僕は——選んだ。唯一の肉親を。これまでの自分を全否定して。大好きな人たちを裏切って——)

 カツカツカツ。ヴィラヌスは、暗い表情で廊下を歩く。その隣では、一人の男がほくそ笑んでいた。
 男はヴィラヌスに笑いかけた。いやらしい笑みとともに。

「よう戻られましたな、ラーヴィラ様。ルーリ様も、お喜びでしょう」
「……どの口がそれを言う? 人の妹を監禁しておいて……。あと、僕はラーヴィラじゃなくてヴィラヌスだ。そんな偽名はとうに捨てた」
「では、ヴィラ様と」
「勝手にするがいい。どうせ僕に自由はないんだろ」
「まあまあ、運命を悲観なさらないで」
「悲観したくもなるさ。あんたとは違ってな」

 カツカツカツ。堅い革靴が音を立てる。歩む廊下は長かった。
 ヴィラヌスには、その廊下が。処刑場への道に見える。

(どうせ僕は殺されるんだ。でも、せめて妹だけは)

 そう思って、ここに来た。妹のためにここへ来た。
 数時間前のことを思い出す。そうだ。あれからまだ一日も、経っていないんだ。
 あのとき。平和に暮らしていた僕のもとへ。現実を突き付ける使者が来た——。


  ♪


 夜だった。暗い、夜のことだった。
 みんなが寝静まった夜。一人、不寝番をやっていたヴィラヌス。
 すると、そこへ訪れる者があった。それは、彼のよく知る人だった。

「お戻りください、ヴィラヌス様。これ以上命令に従わなければ、ルーリ様を処刑するとのお達しです」

 ルーリとは、彼がアルドフェックにとられた人質のこと。心優しい、彼の妹のことだった。
 しかし、彼は悩んだ。
 もう、「あの生活」から離れて三年になる。彼の任務の特性上、「長いこと離れる」のは当然のことだ。だが、彼は禁忌を犯した。


 ——決して、感情移入してはいけなかったのに。彼は「仲間たち」に、感情移入してしまった——。


 アルドフェック建国祭の時も、呼び出しはあったのだ。「戻ってこい」と上は言った。
 けれども彼は断った。感情移入した仲間たち。今更離れたくはなかったから。
 離れなくてはならなかった。部隊生活をやめねばならなかった。
 それでも。仲間を想う思いが。彼をずっと足踏みさせた。

(そして、来たか。まるで借金取り立て人みたいだな)

 だが、今に至っても。引き裂かれ、逡巡する心。
 すると、その迷いを見透かすように、男は言った。

「人質を」
「は」

 どこからか、黒づくめの男たちが現れて。

「——兄さま」

 美しい少女が。怯えた顔で引き出されてきた。

「ルーリ……ッ!」
「近づいていいと、誰が言いました?」

 思わず近寄ろうとすると。男がルーリの首元にナイフを当てた。

「——嫌ッ!」

 恐怖で泣きそうな顔のルーリ。
 男はいやらしい笑みを浮かべた。

「困りますよ、ヴィラヌスさん。そんなに妹を泣かしちゃあ。あなたが言うことを聞かないならッ!

 妹さんはこんな目にあうんですよッ!」
 その腕をぐいと掴み、骨を折らんと手刀が振り下ろされ——





「やめろッ! ゲスがッ!」





 ——なかった。

 咄嗟に前につきだした腕。ポキリという音とともに、激痛の走った左腕。
 妹をかばって。彼は代わりに傷を受けた。

「兄さま——」
「いいよ、わかったよ。僕は行く。それでいいんだろ? そうしたらルーリに何もしないんだろ?」

 折れた腕を庇いながら。妹を守るように前に立つ。
 男は呆れたように、溜息をついた。

「……最初から、そうおっしゃればいいものを。怪我をなされたではありませんか」
「そうさせたのはあなたの方だ」
「庇ったのは、あなたの方です」
「……変わらないな、あんたも」
「変わりましたねぇ、あなたは」

 ヴィラヌスは、苦い笑みを浮かべて、言った。

「で? 拒否権はないんだろう? いつ、どこに集合か、言ってくれ。その時間に着くようにするさ」
「あれれ。一緒に行かれませんので?」
「お別れをしたいんだ」
「……大した感情移入のようで。しかし、もしも我々のことを話したら——」
「わかってる。その時は、煮るなり焼くなりしてほしい。僕が演じるのは——」

 これが、一番後腐れがない。





「裏切りだよ」





  ♪


 そして、今、ヴィラヌスは。「結果」を伝えに廊下を歩く。
 やがて、見えてきた扉。男はそれをこんこんと叩いた。

「誰だ」

 誰何する声に。
 ヴィラヌスは、答えた。


「ヴィラヌス・フォン・アレクセイ。別名スパイのラーヴィラだ」


 スパイ。アルドフェックの、スパイ。それが彼の、正体だった。
「入れ」という声がして。
 彼は初めて向き合った。
 その部屋の主。



「覇王」ニコラス・アルドフェックと。



 スパイの仕事は、敵国についての情報を集めること。ヴィラヌスは妹解放を願い、知っている全ての情報を話した。それが仲間を見捨てることに、つながったとしても。唯一の肉親たる妹を、見捨てることはできなかったから。
(それが、僕の弱みなんだけど、ね)
 わかっている。だから、そこを利用されたんだ。
 でも、全てを吐くしかないから。
 三年間のスパイ活動で得た、全ての知識を。
 彼は、目の前にいる「覇王」に、語ったのだった。

「ご苦労」

 全てを聞き終わって、「覇王」は言った。
 しかし、その次に発せられたのは。
 あまりにも惨い、


 無慈悲な言葉。





「処刑人、連れ去れ。妹ともどもだ」





「覇王」の声に。どこからか現れてきた、たくさんの兵士たち。
 ヴィラヌスは思わず悲鳴を上げた。

「覇王! なぜ!」

 その言葉に。
 地上に降りた戦神とまで言われた王は、あまりにも冷酷に言うのだった。





「スパイに欠陥品は要らぬ」





 ——それが。

 それが、観察対象に感情移入し、再三の要請にも関わらず、動かなかった、





 「欠陥品」たるスパイの、末路だった——。





「兄さま!」

 妹の声。彼女もまた、殺される。欠陥品の、付属物だから——。
 天秤に掛けるなら。天秤に掛けるなら。
 どちらを優先すべきだったのか。
 それは、そもそも。


 ——感情移入さえしなければ、済む話だった——。


「覇王! あなたという人は!」
「今は戦時中ぞ。欠陥品なんぞに、構っている程の余裕はないわ」


  ♪





 ——その日。一人のスパイが殺された。





 罪状は、密告罪。その妹ともども処刑された。



『……死に別れるより、生き別れた方が、いい。戦争が終わったら、きっと戻ってくるさ』

 ハインリヒの言葉は。
 結局、叶うことなく。
 魔素使ヴィラヌスは、ここに果てた。


〈三章 了〉
  
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夜明けの演者 3-4-1 欠け逝く仲間たち ( No.28 )
日時: 2017/10/02 17:24
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

 終盤に向かって一気に駆け足。
 次は一体誰が死ぬのか——。

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〈四章 燃える生き様〉


 1 欠け逝く仲間たち

  
  ♪


 ——アルジェンティ王子、討ち死に——。

 そんな報が届いたのは、シフォンが死んで三日後のこと。
 以降、国をめぐる情勢は変わったが、特殊部隊は相変わらず、日蔭者だった。
 どこに行っても、特殊部隊員であることがわかったら白い目で見られたし、ひどい言葉もたくさん言われた。

 ——わたしたちはただ、幸せに暮らしたかっただけなのに、

 どうしてだろう、どうしてこんな。残酷な運命の中に叩き落とされるのか。
 欠けていった仲間たちを、フルージアは想った。


  ♪


 次に死んだのはアイオンだった。まだ幼い女の子。スーヴァルの拾ってきた、小さい死神。
 大きな魔法を放った直後で無防備だったスーヴァル。彼を狙った刃に自らの身を差し出して。

「スーヴァルはアイオンのともしびなの。だから、しんじゃだめなんだよ」

 彼のために犠牲になって、幼い命を炎と散らした。


  ♪


 次に死んだのはソールディン。沢山の敵に囲まれた中を。
 たった一人で飛び出して、自らみんなの囮になって。
 大切な仲間を。大好きな仲間を。守り、逃がしきって、死んだ。

「……駆け続けよ、蒼き狼」

 その死に様を見て。弔うように、クィリがつぶやいた。


  ♪


 その次に死んだのは、時雨。自らの命と引き換えに、一個分隊を壊滅させて死んでいった。以前、彼が言っていた「操速師」の力を応用して。自らの身体を限界まで加速し、生ける弾丸となって敵陣に突っ込み、そこで全魔力を開放して——死んだ。





「一世一代の大舞台だ! 雨の名を持つ僕は今宵、地を潤す雨のひとしずくとなって——

 ——果てるッ!」





 その、あまりにも見事な死に様には。










「——これが、僕の正義だ、フルージアッ!」









 
 涙を流すことすらも、失礼なように思われた。


  ♪


 その次に死んだのは、アミーラ。
 フルージアは、思い出す。

「オレと戦って勝ったら、傭兵団はあんたらを見逃す。負けても見逃してやるが、戦闘を拒否した場合には戦いは避けられない」

 アルドフェックの傭兵団の長、デュアラン・ディクストリが、アミーラにそんな条件を持ちかけてきた。それを聞いて、アミーラは笑った。

「大した戦闘狂なこって。……ま、拒否するわけにはいかないさね。いいさ、受けてやるよ。……真剣勝負で、いいのかい?」
「上からの命令でね。……死ぬまで戦えと」
「了解した」

 言って、アミーラは皆を下がらせた。フルージアは止めた。止めたけれど。

「黙ってな。これは戦士の戦いなのさ。戦士以外が、口を出すものじゃない」

 そして戦士であるクィリもハインリヒも、アミーラを止めなかった。フルージアは己の甘さを再確認した。
 傭兵デュアラン・ディクストリは左目が見えない。そこに大きな傷があるのか、顔の左半分を、常に赤いバンダナで隠していた。それでもその動作に、不自由さは微塵として感じられなかった。
 始まった決闘。その序盤こそアミーラは彼の左側を狙って斬撃を叩き込んでいたが、それが無駄だと知り、そこばかり狙うのは諦めた。
 アミーラは強い。フルージアの知る限り、最強の戦士の一人だと思う。扱っているのは身の丈ほどもある大剣なのに、まるで重さを感じさせないほど軽々と操る。そんなことをするには並外れた力と技量がいる。
 今まではそんな彼女を倒せた者はいなかった。誰もが大剣使いゆえにのろいと侮り、アミーラほどの技量も無いがために次々と倒されていった。
 しかしデュアラン・ディクストリは、これまでの相手とは格が違った。
 その動作はあまりにも俊敏かつ、細い見た目からは想像もつかないような重い斬撃を、彼は次々と放っていった。

 これまでの相手ならアミーラは勝てた。しかし、力も技量も同じ相手なら?

 あとは武器がものを言う。
 アミーラの武器は大剣。威力を重視した大振りの武器。
 対するデュアランの武器は片手剣。素早さを重視した、小回りの利く武器。
 同じ力と、同じ技量と。そんなものを持つ者同士がそういった武器で戦った場合、軍配が上がるのは普通、





 ——片手剣の、方だ。




「——アミーラぁぁぁぁあああああ————ッッッ!」


 ドシャリ。地に倒れ伏したのは、アミーラ。
 素早さに欠ける彼女は、いくら頑張ったって、素早さ重視のデュアランには勝てない。武器が違う。
 対するデュアランだって、無傷というわけではなかったけれど。


「……見事だった」


 荒い息をつきながらも、剣を払って鞘におさめた。

「約束は……守る。アミーラ・シーレ……。覚えておくぜ」

 言って、立ち去ろうとする背中を。


「————デュアラン・ディクストリッ!」


 もう、動けないはずなのに。
 地から半ば起き上がり、アミーラは渾身の叫びをその背中に放った。


「覚えて——覚えて……おきなッ!」


 血を吐くような、魂の叫びを。










「——これがあたしの生き様だッッッ!」










 フルージアは、忘れない。隊長として皆を守り、精一杯生きて散った、あの大きな赤い背中を。その生のすべてのこめられた、あの魂の叫びを。
 こうしてまた、一人が欠けて。

 残るはたったの七人となった。


  ♪


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夜明けの演者 3-4-2 彼岸を見た瞳 ( No.29 )
日時: 2017/09/10 18:10
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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 2 彼岸を見た瞳


  ♪


 どんなに仲が良くたって、いつかは、死ぬんだ、ね。
 アミーラを失ったばっかりなのに。こんなこと、耐えられない。
 フルージアは涙を流した。


 ——ねぇ、お願い。戻ってきてよ——。


  ♪


「——っ!」
「マキナ!」

 アミーラが死んだ、あと。マキナがぴょんととび跳ねた。

「痛ったぁい……。やだこれ、矢?」

 その肩には、一本の矢が。今や治療担当のシフォンはいない。代わりに、医学の心得があるらしいリクセスと、スーヴァルが傷を看た。
 矢は肩の肉に深々と食い込んでいて、肉を裂かなければ取り出せない。

「痛いよぉ、痛いよぉ……。……あたい、もしかして死ぬの? 嫌だ嫌だ嫌だ!」

 経験したことのない激痛が、彼女に恐怖を呼び起こさせた。
 リクセスは、大丈夫さ、と笑う。

「矢が刺さっただけさ。痛いのは承知だけど、抜けば何とか……な…… ——……」

 その笑顔が、凍りつく。フルージアは嫌な予感がした。

「どうしたの、リクセスっ!」
「……無理だ」

 その顔には、絶望。

「スーヴァル、見てみて。君ならわかるだろう? ……これは、ただの矢じゃないんだ」

 その傷を覗き込んだスーヴァルも、絶句した。
 そして、フルージアは見た。


 赤黒く変色し、ものすごい勢いで腐りつつある傷口を——。


「……安楽死させるしかない」

 唇を噛んで。リクセスが絞り出すように言った。

「このままじゃ、苦しいだけだ。……言いたいことは、わかるな?」

 フルージアは、頷いた。泣きながら、頷いた。
 リクセスは全てを諦めたような顔で、静かに首を振った。

「君は見ない方がいい。……苦しむのは、僕だけで。十分なんだから」
「リクセス……」
「僕の近くには寄らないでね。そうしたら、君は一生後悔することになる」


  ♪


 その日、マキナも死んだ。流れ矢に当たって、その毒にやられて。


 ——リクセスが、安楽死させた。


 大切な友達だった。一番の親友だった。——なのに。

「——どうして……どうしてみんな、消えちゃうの……?」

 今や、あの子はもういない。無邪気で明るくて騒がしい、千里眼だけが取り柄のあの子は。楽しいムードメーカーは。
 失うたびに傷付いた心。滂沱と溢れた熱い涙。

 失うたびに、彼女は思う。


 ——どうして、消えていっちゃうの?


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夜明けの演者 3-4-3 壊れた仮面 ( No.30 )
日時: 2017/09/11 13:48
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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 3 壊れた仮面


  ♪

 
 
 失うのが怖くて、死ぬのが怖くて、ずっとずっと泣いていた。
 でも、そのたびに、仮面のクィリが慰めてくれた。
 無口で不愛想で不器用で。でも、とっても優しくって。

 心から笑うことがなかった彼が、初めて心から笑った日。
 死神の手が、彼に伸びた。


  ♪


 ヴィラヌスもシフォンもアイオンも時雨も死に、アミーラもマキナも死んで、残るメンバーはフルージア、スーヴァル、クィリ、ハインリヒ、リクセスの五人だけ。十一人いたメンバーは今や、半分もいない。

 その日、クィリは言ったんだ。

「全て終わったら、部隊を解散しようと思う」

 隊長亡き今、副隊長から隊長に昇格したクィリ。解散権限も彼にある。

「……我々は、失いすぎたのだ。ここしか帰る場所がないという者もいようが、たった五人では『部隊』にならん。だから……戦いが終わったら、特殊部隊は、不可視の軍団、インヴィシブル・アーミーは——この世からなくなる」

 その言葉は悲しかった。フルージアが今までここで積み重ねてきたすべてが、一瞬で崩壊するような気がした。おかしいんだ、こんなことになるなんて。わたしは居場所を探していただけなのに……その居場所も、たった半年でなくなるのか。「解散」という言葉が、重く響いた。
 それを見て、誤解だ、とクィリは首を振る。

「なにも解散したからって、二度と会えなくなるわけでもなかろう? 新しい場所で新しい日々を築き、生活が安定したら、また旧友と再会すればいいのだ。しかし、そのためには……アミーラも言ったことだが、まず、生き延びろ」

「また……会える」

 部隊が解散したら劇団に戻ろう。大丈夫、今なら力を完全に制御できるから。
 と、そこまで思って、フルージアははっとした。


 ——居場所が、ある。


 あのときはここしかなかった。でも、今なら。
 フルージアは、にっこりと笑った。

「いいわ、クィリ。また会いましょう。その時はわたし、劇団の花形スターになってやるんだから! 絶対に見に来てねっ!」

 と、悪戯っぽい声が割り込んだ。

「なら、僕もそこに入ってみようかなァ?」
「リクセス? だーめ! リクセスには帰る場所があるんでしょ。そう言ってたじゃない。リクセスはいい俳優になるかもだけど、まずは帰ってからだよっ!」
「冗談、じょーだん」
「もうっ!」

 束の間、流れる穏やかな時間。もう、ムードメーカーのマキナはいないけど、代わりにわたしが空気を明るくするんだ。明るい方が、いいじゃない?

 すると。


「アハ、アハハハハハッ!」


 場違いな、笑い声が、した。


「——クィリ……?」


 見ると、仮面を外して。あまり笑わなかった彼が、大笑いしているのだった。

「だ、大丈夫? 何か悪いものでも食べた?」
「そうじゃない」

 仮面を外した彼の声は、驚くほど透き通っていた。

「いや、嬉しくて、楽しくてね。この戦乱の世にあっても、こうやって未来を語り合えることが。……解散しても、明るい未来があるって素敵だろう? 生きてるって、幸せだよね」

 心なしか、口調まで変わっている。

「あ、あの……?」
「だから、もう一度、言うよ」

 いつしか見た、クィリの素顔。金髪青眼の、驚くほどの美青年。
 生きていることの喜びと輝きを、精一杯瞳に宿して。
 人形のように整った唇が、鈴が鳴るように綺麗な音を紡ぐ。





「その未来をつかむため、生き延びるんだ」





「——はいっ!」

 私たちを守るため、散っていった仲間たち。その死を決して、無駄にしないためにも。受け継いだ命を、守り抜いて——!
「……生き延びるから」

 その紫水晶アメシストの瞳は、まだ見ぬ夜明けを見ていた。


  ♪


 失い、喪い、うしない続けて。逃げていった旅の果て。
 夜明けを信じたクィリも死んだ。あんなに「生きろ」と言っていたのに。
 生きる喜びを、感じたんじゃなかったの? そんな所で死んでいいの?
 現れた残党狩り。すべて倒して彼は倒れた。
 トレードマークだった仮面は、斬撃を受け、真っ二つになっていた。

「生きろ……我が仲間たちよ」

 致命傷を受けながらも全員を守り切り、まだ喋ろうとしたクィリ。

「全員で夜明けを見られるなんて、端から信じてはいない……。我は満足だぞ、フルージア、スーヴァル、ハインリヒ、リクセス。もう、そなたらならば、我がいなくともやっていけるだろう……?」

 涙は、流れなかった。凍りついた心に、さらに霜が降りただけ。

「わたしじゃ……わたしの力じゃ……誰も、守れない……?」

 力を使うには時間が要って。しかし戦場には、そんな時間すらなくて。何もできずに噛みしめた無力感と絶望。死に逝く仲間を守れなかった。
 今回だって、自分が力を使えばクィリは死ななかったかもしれないのに——。





「……泣いてもいいが……絶望はするなよ」





 その言葉に、顔を上げる。瀕死のクィリが、強い瞳で彼女を見ていた。

「守れてないなんて……それはない。そなたは守れているさ……誰かを……我々の知らない所でも、な……。そんなことで……くよくよするな」
「…………クィリ」

 その息が、荒くか細くなっていく。命の灯が——消えていく。





「死んじゃだめえぇッ!」
「——甘えるなッ!」





 青い瞳に炎が宿る。

「我は死ぬ! 死ぬんだ! この運命は変えられぬ! いい加減受け入れろ、フルージアッ!」

 もう呼吸すらあやふやなのに、一体どこに、そんな息が残っていたのだろう。
 燃える青い魂が、渾身の叫びを放った。

「我は幸せだった! 特殊部隊の副隊長として過ごし、そなたらに出会えて! それで十分だ! ここで燃え尽きても、我の人生に一片の悔いなし! この出会いに感謝している! だから、今、最後に、言うぞ——ッ!」

 散り際の一言に、己の生の全てを乗せて!










「生き延びろ! 生き延びて——その目で夜明けを見届けろっ!」










 ——そして。


 そして、彼は。


 クィリ・ロウは。


 絶息した。息絶えた。


 カランと音を立てて仮面が転がる。


 それが、彼の生き様だった。



〈三章 了〉

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夜明けの演者 3-5-1 信頼と約束 ( No.31 )
日時: 2017/09/11 21:31
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)


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〈三章 爆発の太陽エクスプロード・サン


 1 信頼と約束


  ♪


 クィリという司令塔を失ってから三日。
 今度は誰も死んでいないが、一人が行動不能となった。
 最強の空間使いハインリヒ。誰かを守れば弱くなるハイン。
 己の魔法を根本から破壊され、体を紅蓮の炎に焼かれ。
 救いだしたはいいものの、彼は昏睡したまま目を覚まさない——。


「信頼できる人に託すしかない。動けない人がここにいても……。自分の身を守るのが精いっぱいな僕らは、彼まで守れる余裕はないよ」

 すべて諦めた顔で、スーヴァルが言った。でも、こんなところに、信頼できる人なんて——?




 いるわけがない、と、思っていたのに——。




「! 嘘……嘘、だよね……? こんな所に、何でフルージアがいるのよ……」


 劇団時代、何回も聞いた声。負けないからねと強気に言った、ウォルシュの娘。フルージアのライバル。

「ルー! 何であなたが……!」
「……フルージア! ってことは、これ、あたしの見た幻じゃないの? ホントにホントにフルージアなのっ? 捜してたの! 心配したんだからぁ!」
「……ルーシュ」

 話したいことはたくさんある。けれど、今は時間がない。
 フルージアは、部隊の仲間を見た。

「……信頼できる人、見つけたわ」

 彼女なら。アスフィラル劇団なら! 眠り続ける大切な仲間を託せる。そう、確信した。

「彼女はルーシュ・アスフィラル。劇団時代の大親友で、彼女の父は劇団長。ルーはともかく、父のウォルシュはとても信頼できる人だから……大丈夫よ」
「……信じていいの?」

 ルーシュを値踏みするように、スーヴァルは睨んでいる。

「ハインは大切な仲間だ。その人、絶対に信頼できるんだね? でなきゃ、僕は、任せない」

 失うことへの恐怖から、慎重にならざるを得ないスーヴァル。失うことを誰よりも恐れた彼はしかし、多くのものを失った。怯えて当然だ。でもね——。

「大丈夫、彼女達なら絶対に! ハインを守ってくれるわ。……信じてくれる?」
「君がそう言うのなら」
「横に同じだね」

 スーヴァルもリクセスも、頷いた。
 そして、フルージアは前を見る。まだ混乱している様子の、ルーシュの方を。

「フルージア! あたしを置き去りにして話さないでよ! その人たちは誰?」

 彼女の瞳はどこまでも無垢で、美しかった。戦場を知らない目。
 フルージアはそれを懐かしく思いつつ、口を開く。

「時間がないの。戦乱が終わったら全て話すから。お願いがあるの」
「折角会えたのに、すぐ行っちゃうわけ? それはないよね、フルージア!」
「話を聞いて」
「!」

 いつもと違う真剣な口調。ルーシュは言葉を呑み込んだ。

「今、私たちの仲間が大怪我をして、昏睡してるの。でもね、私たちには彼を連れていくことができない。生きていくだけで精一杯で、大切な人を守れるほどの余裕はないの」

 だからお願い、と真摯な口調で訴えかける。

「彼を、目が覚めるまで劇団に置いてやって。大切な仲間だから、あなたたちしか頼れないの。戦乱が終息したら迎えに行くから。……ルー、一言言っておくけど……。わたしはもう、前のわたしじゃないから」

 言って、リクセスの方を見た。彼は、背負った仲間の身体を揺らして見せた。華奢なリクセスに人を背負わせるなんて普通はしないけど、武闘派の人はみんな死んだ。スーヴァルやフルージアよりはまだリクセスの体力は上なので、彼に背負わせてはいるが……。その顔には、疲れがにじんでいた。

「フルージアの旧友さん、僕は彼女の仲間のリクセス。背負っているのが問題のハインリヒさ。フルージアも言ったけど、僕らには時間も余裕も無いんだ。引き受けてくれないと困るのさ」

 スーヴァルも、友のために進み出る。

「同じく。無属性魔導士のスーヴァル。僕からも、お願いしたい」

 見知らぬ人たち。信用できるの? と青い瞳が問いかけた。フルージアは大きくうなずいた。
 仕方ないわね、とルーシュは溜め息をついた。

「いいわ、あたしが引き受ける。でも、戦乱が終わる前にこの人が目覚めて、あなたたちと合流したいって言ったって、あたしは知らないからね。あと——」


 青い瞳に、真摯な願いが宿る。


「約束してよね、生きて帰ると。あたしは知らない。あなたたちがどういう状況にあるのか、なぜ逃げなければならないのか。でも、あたしはあなたが好きなんだ。好きな人には死んでほしくない。だから、約束。必ず生きて帰ってね」
「ルー……」
「その人、ここに置いといて。あたしが事情を説明して、劇団の皆に託すから。……言っとくけど、変わったのはあなただけじゃない。あたしも変わったわ、フルージア」

 フルージアは、言葉が返せなかった。

「じゃあね、フリンジ。急いでるんでしょ、行かないの」
「ルー……」
「いくら敵が増えたって、あたしはあなたの味方だから」

 言って、彼女は背を向けた。劇団の皆を呼びに行こうと、動き出す。

「待って!」

 凛とした、つよい瞳が振り返る。

「……ありがとう、ルー」
「……当然じゃない」

 今度は、振り返らなかった。ルーシュはいなくなった。

「……いい仲間をもっているんだね?」

 リクセスが、微笑んだ。

「なら、彼女を大切にするんだよ。僕には……歓迎してくれる人はいるけど、帰る場所はないから、ね……」

 一瞬、悲しげにゆれた瞳は、しかしすぐに元に戻る。

「じゃあ、行こうか」

 次なる戦場へ。生き残るための闘争へ。
 戦いに生きた彼らには、そうするしかなかったから。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 藍蓮です。
 う〜ん。本当はハインリヒの場面をもっと書きたかったのですが。
 内容が浮かばなかったのでこうなりました。
 いずれ短編集を作りますので、キャラの知られざる過去などはそちらにて書きます。

 次の話に、請うご期待!

夜明けの演者 3-5-2 英雄は死んだ ( No.32 )
日時: 2017/09/12 09:46
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

 あとはエピローグを残すのみ!
 約一か月の連載でしたが、長かった……!

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 2 英雄は死んだ


  ♪


 囲まれていた。またも、またしても。

 知らぬ間に。気づかぬうちに。疲労でかすむ視界の端、見えた剣の反射光。
 ヴィラヌスが死んだ日のことが脳裏に蘇る。
 あの日、彼は皆の犠牲になって、死んだ。
 そして、感じた既視感は、現実となった。


  ♪


「……仕方ないね」

 じゃらんじゃらん。金メッキの知恵の輪を弄びながらも、リクセスは言った。

「あのさ、王都に、ヴィクトールって人がいるんだ。僕の兄さんで、騎士団長やってる。その人に、伝えてくれないかな」

 その瞳は、シェルフの、シェルマの瞳だった。ヴィラヌスの瞳だった。シフォンの瞳だった。時雨の、アイオンの瞳だった。アミーラの瞳だった。


 ——死の覚悟を決めた、決意の瞳だった。


「リク……セス……?」


「——リクセス・オルヴェインは、友のためにその命を燃やし尽くした、とね」


「————!」
「……なぜ、あんたが」

 スーヴァルの冷静な問いに、彼は朗らかに答えた。

「フルージアはまず、駄目。劇の役程度で何とかなるような数じゃない。スーヴァルも駄目。無属性魔法なんて役に立たない。なら、僕は? 僕ならこの状況をなんとかできる? そう、できるのさ。臨機応変、千変万化、魔法素(マナ)を自由自在に組める、『組師』の僕ならね!」

 言って、彼は首から、トレードマークの知恵の輪を外した。
 使い古されたそれは、ところどころメッキがはがれ、黒ずんできていた。

「でもね、本番にこれは要らないんだ。……受け取って、フルージア」
「リクセス……」
「説得しようったって無駄だから。僕しかこの状況を打破できる人がいないなら、僕がやるしかないんだ。……その身を自爆させたって、ね」


「! じば……く……?」


 代わりに彼が取りだしたのは、カラフルな立方体。

「これはルービックキューブという、パズルの一種さ。これを使う。こっちの方が、大掛かりな魔法に向いているんでね。かさばって邪魔っちゃ邪魔だけど」

 リクセスは、ぽつりとつぶやいた。

「本当はこの魔法、自爆用じゃないんだけどね……。でも、式をちょこっといじくれば、そうなれる。……死にたく、なかったよ。でも、仕方がないじゃないか! このままじゃ僕ら全滅だ。誰かが……死ななきゃ……!」

 いつも飄々としていた彼は、怯えていた。死ぬことに。死への恐怖に。


 ——どうしてもそれを選択しなければならないという、運命の非情さに。


 しかし、どんなに怖くても、立たなければならない時がある。戦わなければならない時があるから。——それが、自分であるというだけで。

「……未来を、託すよ。フルージア、スーヴァル」

 リクセスはやがて、覚悟を決めたように、顔を上げて、前を見据えた。アルドフェックの残党達が、こちらを睨んでいた。
 カシャカシャカシャカシャン! 高速で組み合わされるルービックキューブ。

「リクセス——!」





「天空のヘヴンズ・ウィングッッッ!!」





 その瞬間、リクセスの背から翼が生えた。輝ける純白の、あまりにも美しい。
 かつて、その魔法は補助魔法にすぎなかったけれど、今は、違う。

 リクセスは最高の笑顔を見せ、その翼で、敵陣の真上まで飛んでいった。

 誰もが、神と見まごうばかりのその姿を、放心して見ていた。
 しかし、彼は神でもなければ、天使でもなかった。強いて言うなら——悪魔。
 カシャカシャカシャカシャン! 上空で再び組み合わされた立方体。





「大好きだったよ、フルージア、スーヴァル。……さよならだ。夜明けの果てで、また会おう。僕は——幸せだったよ! だからっ!」





 彼の周囲に、素人でも分かるくらいの莫大な魔法素の流れが生まれる。
 炎の赤に、命の緑。リクセス一世一代の、命を代償にした魔法が放たれる——!















「——爆発の太陽エクスプロード・サンッッッッッ!!!」















 爆発。限界まで集められた魔法素が、彼の全ての魔力とともに解き放たれる。
 爆ぜる。人智を超えたエネルギーが、酸素という酸素に引火して惨劇を生む。
 燃え盛る。さながら地獄の炎のように。彼の人生が燃えている。
 燃え尽きず。立ち上った火柱は、どこまでも赤い色をしていた。
 燃やし尽くし。その命を、あまりにも鮮やかに燃やし尽くし、彼は逝った。

「……リクセ……ス……」

 彼らを追っていた敵は、全滅していた。
 炎の中に、翼の天使の姿は、ない。
 自爆、と彼は言っていた。ならばおそらく、もう彼はいない。
 自分の命と引き換えに、守り切った仲間たち。

「見事すぎるわ……見事すぎる……よ……」

 幻想的にさえ見える炎は、彼の命の色だった。

「だから……失いたく、なかったのに……」

 渡された知恵の輪を、握りしめた。





 英雄は、死んだ。





〈五章 了〉


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 ……はい、藍蓮です。

 「夜明けの演者」も、あとはエピローグを残すのみとなりました。
 出会い、別れ。悲しみを乗り越えながらも。成長していった少女の記録。
 あとはラストスパートです。彼女の物語は、一体どのような結末を迎えるのか——。
 その目で、お確かめ下さい。

 ……次の話に、請うご期待!