ダーク・ファンタジー小説

夜明けの演者 3-3-1  ( No.27 )
日時: 2017/09/26 19:30
名前: 流沢藍蓮 (ID: GfAStKpr)

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〈三章 天秤に掛けるなら〉


  ♪


「みんなには悪いけど」

 ヴィラヌスが、仲間に剣を向けた。

「ヴィラヌス——!?」





「僕は、あなたたちの敵になる」





 青い瞳が悲しげに揺れた。


 カシャーン。向けた魔法素の剣が。


 震える思いに儚く砕けて。


 そうしてヴィラヌスはいなくなった。


  ♪


「……どうしてだと思う?」

 フルージアは、悲しげにみんなに問いかけた。
 あの日。みんなを裏切ったヴィラヌスは。
 アルドフェックに、フルージアたちの居場所を告げた。
 以来、追手は多くなるばかりで。
 皆の疲労も限界に近づいていた。

「事情があったんじゃないの?」

 とリクセス。

「僕はあいつとはそれなりに長い。妹がいるとか聞いたことがある。で、その妹を人質に取られているとしたら? 裏切るよね。家族は大事さ」
「しかしリクセス」

 ソールディンが、疑問を提示する。

「あの生真面目さんが、普通、裏切りなんて卑怯な真似をするのかな?」
「誰にだって大切なものはあるさ。……私事だけど。僕にも、年の離れた兄さんがいるんだよ」

 ……要は。
 ヴィラヌスは、何か弱みを握られて、裏切ったということなのだろうか。
 そうでもなければ。「あの」ヴィラヌスが、仲間を裏切る道理がない。

 金銭? 地位? そんなもので。心動かされる人ではないと。これまでの付き合いで知っている。

「諦めろ」

 今度ばかりは冷徹に、ハインリヒが、言った。

「裏切った奴なんて放っておけ。それに——」

 その脳裏に浮かぶはシフォンの死。





「……死に別れるより、生き別れた方が、いい。戦争が終わったら、きっと戻ってくるさ」





 ……今度ばかりは、彼を「冷徹」と罵ることはできなかった。
 彼は無言で皆に言うのだ。





 ——今を見ろ——。


  ♪


 ——もしも。唯一の肉親と、これまで過ごしてきた仲間たちと。
 天秤に掛けるとするなら、あなたは一体どちらを優先しますか——?





(僕は——選んだ。唯一の肉親を。これまでの自分を全否定して。大好きな人たちを裏切って——)

 カツカツカツ。ヴィラヌスは、暗い表情で廊下を歩く。その隣では、一人の男がほくそ笑んでいた。
 男はヴィラヌスに笑いかけた。いやらしい笑みとともに。

「よう戻られましたな、ラーヴィラ様。ルーリ様も、お喜びでしょう」
「……どの口がそれを言う? 人の妹を監禁しておいて……。あと、僕はラーヴィラじゃなくてヴィラヌスだ。そんな偽名はとうに捨てた」
「では、ヴィラ様と」
「勝手にするがいい。どうせ僕に自由はないんだろ」
「まあまあ、運命を悲観なさらないで」
「悲観したくもなるさ。あんたとは違ってな」

 カツカツカツ。堅い革靴が音を立てる。歩む廊下は長かった。
 ヴィラヌスには、その廊下が。処刑場への道に見える。

(どうせ僕は殺されるんだ。でも、せめて妹だけは)

 そう思って、ここに来た。妹のためにここへ来た。
 数時間前のことを思い出す。そうだ。あれからまだ一日も、経っていないんだ。
 あのとき。平和に暮らしていた僕のもとへ。現実を突き付ける使者が来た——。


  ♪


 夜だった。暗い、夜のことだった。
 みんなが寝静まった夜。一人、不寝番をやっていたヴィラヌス。
 すると、そこへ訪れる者があった。それは、彼のよく知る人だった。

「お戻りください、ヴィラヌス様。これ以上命令に従わなければ、ルーリ様を処刑するとのお達しです」

 ルーリとは、彼がアルドフェックにとられた人質のこと。心優しい、彼の妹のことだった。
 しかし、彼は悩んだ。
 もう、「あの生活」から離れて三年になる。彼の任務の特性上、「長いこと離れる」のは当然のことだ。だが、彼は禁忌を犯した。


 ——決して、感情移入してはいけなかったのに。彼は「仲間たち」に、感情移入してしまった——。


 アルドフェック建国祭の時も、呼び出しはあったのだ。「戻ってこい」と上は言った。
 けれども彼は断った。感情移入した仲間たち。今更離れたくはなかったから。
 離れなくてはならなかった。部隊生活をやめねばならなかった。
 それでも。仲間を想う思いが。彼をずっと足踏みさせた。

(そして、来たか。まるで借金取り立て人みたいだな)

 だが、今に至っても。引き裂かれ、逡巡する心。
 すると、その迷いを見透かすように、男は言った。

「人質を」
「は」

 どこからか、黒づくめの男たちが現れて。

「——兄さま」

 美しい少女が。怯えた顔で引き出されてきた。

「ルーリ……ッ!」
「近づいていいと、誰が言いました?」

 思わず近寄ろうとすると。男がルーリの首元にナイフを当てた。

「——嫌ッ!」

 恐怖で泣きそうな顔のルーリ。
 男はいやらしい笑みを浮かべた。

「困りますよ、ヴィラヌスさん。そんなに妹を泣かしちゃあ。あなたが言うことを聞かないならッ!

 妹さんはこんな目にあうんですよッ!」
 その腕をぐいと掴み、骨を折らんと手刀が振り下ろされ——





「やめろッ! ゲスがッ!」





 ——なかった。

 咄嗟に前につきだした腕。ポキリという音とともに、激痛の走った左腕。
 妹をかばって。彼は代わりに傷を受けた。

「兄さま——」
「いいよ、わかったよ。僕は行く。それでいいんだろ? そうしたらルーリに何もしないんだろ?」

 折れた腕を庇いながら。妹を守るように前に立つ。
 男は呆れたように、溜息をついた。

「……最初から、そうおっしゃればいいものを。怪我をなされたではありませんか」
「そうさせたのはあなたの方だ」
「庇ったのは、あなたの方です」
「……変わらないな、あんたも」
「変わりましたねぇ、あなたは」

 ヴィラヌスは、苦い笑みを浮かべて、言った。

「で? 拒否権はないんだろう? いつ、どこに集合か、言ってくれ。その時間に着くようにするさ」
「あれれ。一緒に行かれませんので?」
「お別れをしたいんだ」
「……大した感情移入のようで。しかし、もしも我々のことを話したら——」
「わかってる。その時は、煮るなり焼くなりしてほしい。僕が演じるのは——」

 これが、一番後腐れがない。





「裏切りだよ」





  ♪


 そして、今、ヴィラヌスは。「結果」を伝えに廊下を歩く。
 やがて、見えてきた扉。男はそれをこんこんと叩いた。

「誰だ」

 誰何する声に。
 ヴィラヌスは、答えた。


「ヴィラヌス・フォン・アレクセイ。別名スパイのラーヴィラだ」


 スパイ。アルドフェックの、スパイ。それが彼の、正体だった。
「入れ」という声がして。
 彼は初めて向き合った。
 その部屋の主。



「覇王」ニコラス・アルドフェックと。



 スパイの仕事は、敵国についての情報を集めること。ヴィラヌスは妹解放を願い、知っている全ての情報を話した。それが仲間を見捨てることに、つながったとしても。唯一の肉親たる妹を、見捨てることはできなかったから。
(それが、僕の弱みなんだけど、ね)
 わかっている。だから、そこを利用されたんだ。
 でも、全てを吐くしかないから。
 三年間のスパイ活動で得た、全ての知識を。
 彼は、目の前にいる「覇王」に、語ったのだった。

「ご苦労」

 全てを聞き終わって、「覇王」は言った。
 しかし、その次に発せられたのは。
 あまりにも惨い、


 無慈悲な言葉。





「処刑人、連れ去れ。妹ともどもだ」





「覇王」の声に。どこからか現れてきた、たくさんの兵士たち。
 ヴィラヌスは思わず悲鳴を上げた。

「覇王! なぜ!」

 その言葉に。
 地上に降りた戦神とまで言われた王は、あまりにも冷酷に言うのだった。





「スパイに欠陥品は要らぬ」





 ——それが。

 それが、観察対象に感情移入し、再三の要請にも関わらず、動かなかった、





 「欠陥品」たるスパイの、末路だった——。





「兄さま!」

 妹の声。彼女もまた、殺される。欠陥品の、付属物だから——。
 天秤に掛けるなら。天秤に掛けるなら。
 どちらを優先すべきだったのか。
 それは、そもそも。


 ——感情移入さえしなければ、済む話だった——。


「覇王! あなたという人は!」
「今は戦時中ぞ。欠陥品なんぞに、構っている程の余裕はないわ」


  ♪





 ——その日。一人のスパイが殺された。





 罪状は、密告罪。その妹ともども処刑された。



『……死に別れるより、生き別れた方が、いい。戦争が終わったら、きっと戻ってくるさ』

 ハインリヒの言葉は。
 結局、叶うことなく。
 魔素使ヴィラヌスは、ここに果てた。


〈三章 了〉
  
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