ダーク・ファンタジー小説
- Re: カラミティ伯爵の事件簿 ( No.15 )
- 日時: 2017/09/04 11:01
- 名前: ももた (ID: jFPmKbnp)
「おやおやこれは……日をまたいだのに、現場はそのままなのですな!いやはや感心!」
ジェーンは部屋に入ってくるなり、明るい声で言った。そこは、事件現場となった、テヴァルー家別荘の、食堂だった。ジェーンが捜査しやすいようにとの配慮があってか、到着までに時間が経ったのにもかかわらず、現場は食事を並べたままだった。
場違いなジェーンの態度に、テヴァルー家の者どもは、一様に訝しげな顔をしている。
「挨拶が遅れましたな。私、ジェンキンス伯爵ジェーンと申します」
ジェーンは皆の注目の中、深々とお辞儀をしてみせた。レティは隣で、ひんしゅくを買いはしまいかとヒヤヒヤしている。
「遠路はるばるご苦労でした、ジェンキンス伯爵。調査には極力、我々も協力させていただく所存。どうか、弟の事件をよろしくお願いします」
それに答えたのは、被害者アルバートの兄、エセックス伯爵ヘンリー・テヴァルー。恰幅の良さそうな男は、弟が死んだというのに、にこやかな笑みを浮かべている。
「ありがとうございます、エセックス伯。それでは現場の調査を開始いたします。皆様は私から尋問に向かうまで、この館で待機していただきます」
ジェーンの言葉に、一同は納得したようだ。ジェーンはそこで、「おっといけない」とさらに言葉を続ける。
「厨房には、誰も出入りなさっていませんかな?今後も一応のため、厨房には立ち入らないでいただきたいのですが……」
それに答えるように前に出たのは、白い服の男だ。身なりからして、コックのようである。
「失礼ですが、あなたは?」
レティが問いかける。
「はい、料理長のウィル・カーターと申します。事件当日から、テヴァルー家の皆様には外食をしていただいており、誰も立ち入ってはおりません」
ウィルという男は、姿勢を正して答える。ジェーンは満足そうに笑った。
「よろしい。この事件、このジェーン・ジェンキンスが必ずや解決いたしましょう」
***
食堂から人が減り出すと、ジェーンは早速、アルバートの倒れていた場所に近づく。そこには、すでに遺体はない。
「ヘレフォード子爵のご遺体は?」
レティは、その場にいたリチャードに問いかけた。
「はい。子爵の変わり果てたお姿をいつまでも晒すわけには行かぬと、エセックス伯閣下の要請で移動させました。何か不都合でも?」
「構いませんぞ。あとで検死をさせていただきましょう」
ジェーンはそう言って、食卓に近づいた。毒を盛られていたという彼の皿を、注意深く観察する。
各々の明日の前に、前菜と思われるスープ皿が置かれている。アルバートの皿は、すでに空だった。ジェーンは、皿に顔を近づけた。
「アーモンドの香りがしますな」
ふと、隣から男の声がした。そちらを向くと、ジェーンと(実年齢的に)同年代の男が立っている。健康そうで、眼鏡はかけていない。
「あなたは?」
「失礼、ミセス。初めまして、私はこの家の主治医を勤めます、シドニー・スペンサーと申します」
ジェーンは、男の返答に眉をひそめた。
「私は独身ですが?」
「おや、失礼。娘様がいらっしゃいますもので、つい……」
ジェーンは「ミセス」という言葉を気にしていたようだ。シドニーという男は、頭を下げる。レティはその横で、何か思いついたような顔をしている。
「シアン化合物!きっと、その毒で殺されたのですね」
レティは、シアン化合物系の毒は、アーモンドの香りがすると聞いていた。ジェーンは「ふむ」と呟く。
「……誰か、銀のスプーンはありますかな?」
ジェーンが周りに問いかけた。まだ部屋を出ていなかった料理長のウィルが、ビクリと身体を震わせる。
「それでしたら、そこの食器棚に……」
ウィルはそう言って、ひときわ大きな食器棚に近づいた。ジェーンもそばに寄ってみてみると、高級そうな食器ばかりが並んでいることに気がつく。
「料理はここまで運ばれ、そして皿に盛り付けられたのですな?」
「そうです」
ウィルは「あった」と呟いて、ジェーンに銀色のスプーンを差し出した。ジェーンは礼を述べてから受け取り、スプーンを持って食卓に近づいた。
アルバートの皿は空だったので、ジェーンは隣の皿にスプーンを突っ込んだ。
「何してるんですか?」
「シアン化合物は銀に反応するのだが……」
ジェーンはスープをすくってみるが、色に変化はない。ジェーンは鼻の下に持って行き、匂いを嗅いでから……
「はむっ」
とスープを頬張った。隣で見ていたレティ、リチャード、ウィル、シドニーは、唖然としている。
「な、な、な、何やってるんですか!?毒が入ってたら、どうするんです!?」
「んぐっ。落ち着きたまえ、レティ。殺害されたのは子爵だけだ。犯人は、彼を狙って殺害している。だから、他の皿に毒が盛られている可能性は低い。何より、害がないことは今確かめたじゃないか?」
「だからって、自分で検証しないでください!毒は無くても、日が経ってるんですよ!?」
またもレティにゲンコツを落とされ、ジェーンは頭をさすっている。もはや、母の威厳など、どこにもない。
(これは、アーモンド臭というよりは……)
ジェーンが難しい顔をしていると、リチャードにも心配され、水を持ってこられる。ジェーンは心配ないと言って、それを受け取らなかった。隣でシドニーがジェーンの様子を観察しているが、中毒症状は出ていないと打診する。
「……失礼。そう言えばドクター、あなたは子爵のご遺体は見られましたかな?」
「はい、一応は。身体に赤い死斑が出ていました」
医学的な会話についていけず、周りの素人どもは取り残された。シアン化合物で亡くなった人には、赤みがかった死斑が出るのだとジェーンは説明する。
「そう言えば確かに、子爵の身体は赤くなっていました」
そう証言したのはウィルだ。2人の証言が一致したことから、ジェーンはそれが嘘でないことを悟る。
「よろしい。現場検証は済みました。みなさんの証言を取りたいのですが……まずは容疑者のスコット氏から」
ジェーンが言うと、リチャードが隣で説明する。
「はい、スコット氏は今、地下室に閉じ込めているそうです。ただ、容疑は否認していますが……」
ジェーンはステッキで肩をポンと叩く。
「それはいけない。早く彼女を出して差し上げねば」
会ってもいないのに、まるでアリスが犯人でないかのようにジェーンは言う。周りの者は不思議に思いながら、彼女たちを見送った。
〜レティのメモ〜
シドニー・スペンサー(49)
テヴァルー家の主治医。アルバートの検死を行なっている。
ウィル・カーター(41)
テヴァルー家料理長。料理を作った人物。
・食事中、前菜のスープを飲んでいると、アルバートは突然倒れた。
・料理は、食堂で盛り付けられた。
・他の人の皿に、薬物反応はない。
・皿からはアーモンドっぽい匂い。
・アルバートの遺体は、皮膚が赤くなっていた。
今回の事件は、やや捻くれています。ジェーンはチート技を使って、犯人を特定出来るのです。みなさんはレティの視点から、謎を解いてみてください。
- Re: カラミティ伯爵の事件簿 ( No.16 )
- 日時: 2017/09/04 20:57
- 名前: ももた (ID: jFPmKbnp)
ジェーンとレティとリチャードは、地下への階段を降りていく。アリスが閉じ込められているという部屋に着くと、リチャードはコンコンとノックをした。少し間を置いて、「どうぞ」という返事が聞こえてくる。
「失礼しますぞ」
ジェーンはそう言って、部屋に足を踏み入れた。どことなくカビ臭く、普段は使われていないようだ。そんな部屋の真ん中に、絵に描いたような美女が座らされている。
「アリス・スコット氏ですかな?」
「そうですが、あなたは?」
「ジェーン・ジェンキンスと申します。この事件の調査を依頼されたものです」
アリスは、探偵が来ることは聞かされていたらしい。しかし、ジェーンの姿を見て、目に見えてガッカリしたような様子を見せている。
「ジェンキンス伯爵閣下がいらっしゃると聞いていて……てっきり、男性だと思っていました」
「何か不都合でも?」
「いえ、そういうことでは……」
ジェーンを馬鹿にされた気がして、レティの口調はいつになく強かった。ジェーンはその横で、アリスの様子を注意深く観察する。
着ているのは、テヴァルー家のメイド服だ。胸元は、必要以上にはだけさせている。部屋の光源はランプだけで、彼女の魅惑的な身体を照らしていた。
(なるほど。探偵が男だったら、色仕掛けで無実を勝ち取る魂胆だったのか……)
ジェーンはすぐに、アリスの考えていたことを看破した。レティは隣で、面白くない顔をしながら、手帳を広げている。
「現場の検証は済みました。まずは貴女のお話を聞こうと思って……」
「私、子爵閣下を殺してなんかいません!」
レティが言い終わる隙も無く、アリスは強い口調で言った。アリスは、キッとジェーンを睨みつけている。
(やれやれ。女とわかった途端、敵意剥き出しかね……)
ジェーンは場を落ち着けるように、やんわりとした口調で尋ねる。
「それを証明すべく、我々も努力しているのです。貴女の身のためにも……まずは、ヘレフォード子爵との関係から話してくれますかな?」
アリスは、それ以上噛みつくような様子は見せなくなった。ジェーンの問いかけに応じ、低い声で話し始める。
「関係なんてありません。子爵閣下は旦那様の弟です。それだけです。ただ……」
「ただ?」
メモを取りながら、レティが先を促す。
「子爵閣下は、人の秘密に首を突っ込みたがる節があります。誰かに恨まれていても、不思議じゃありません」
アリスの言葉には、悪意がこもっているように感じた。動機がある人は自分以外にいて、その罪を自分に被せたがっていると言っているのだ。
「では次に、ヘレフォード子爵の人となりを教えていただけますかな?」
ジェーンが問いかけると、アリスは鼻を鳴らした。
「知りません。それほど親密ではありませんでしたから、先ほど申し上げた通りです。強いていえば、子爵閣下は体が弱く、本家のあるロンドンでは暮らさず、ずっとこの別荘に住んでいらしたことくらいでしょうか」
レティは新しい情報を手帳に記した。
「なるほど。では、エセックス伯爵がヘレフォード子爵を訪れた際、事件が起こった……と」
バースは確かに、滋養都市だ。アルバートが療養のためここに暮らしていたというのは、充分に納得できる事実であった。
「そういえば先ほど、子爵は人の秘密を嗅ぎまわっていると仰っていましたが……貴女はその秘密に心当たりは?」
ジェーンの目が怪しく光った。アリスは目を伏せながら
「いいえ全く。私には、知られて困るようなことはありません」
と答えた。ジェーンは満足そうに頷き、退室するそぶりを見せた。それを見て、アリスが声を上げた。
「ちょっと……伯爵閣下、私はいつになればここから出していただけるんですか?」
本音が出そうになったのか、アリスの口調は変化が大きかった。ジェーンは首だけ振り向くと
「それは、捜査の進展次第ですな」
とウィンクをして出て行った。バタンと扉を閉めると、何かが壁に叩きつけられているような音がする。アリスが物にあたっているらしい。
「出て行った途端、とんでもない人ですね……やはり、彼女が犯人なのでしょうか?」
レティは呆れたように呟いた。隣でジェーンは、ステッキで肩を叩きながら何かを考えている様子である。
「彼女が犯人としたら……動機はなんだね?」
ジェーンに問われ、レティは頭を捻らせた。
「エセックス伯爵と不倫しているのが知られた……とか」
ジェーンは同意したように頷く。
「その昼ドラ的展開には賛成だ。この事件のタイトルも『カラミティ伯爵の湯けむり殺人事件』とかにしたほうが良いと思っているよ」
「そういう文句は、作者に言ってください。あと、大体そういうタイトルの作品は、旅館で事件が起こるんです。私たちの場合、事件が起きてから温泉に来てます」
2人は異次元的な会話を始めているが、要はアリスがヘンリーと不倫していることには賛成らしい。ジェーンは付け加えるように話し出す。
「エセックス伯が私に捜査を依頼したのは、愛する女中のためだろう。ただ、それでは動機にならないと思ってね……レティ、エセックス伯のスキャンダルが公になって、一番に困るのは誰だと思うかね?」
レティは「うーん」と唸りながら考える。
「エセックス伯爵夫妻でしょうか……」
「その通りだ、レティ。スコット氏はあの性格だ。いざという時、エセックス伯と手を切ることは、厭わないだろう。だからこそ、動機には不十分なのだよ」
ジェーンは拍手をしながら、レティを褒めた。レティは満更でもない様子だ。
「では何故、伯爵様は、アリスさんをあそこから出して上げないんですか?」
ジェーンは、ステッキで肩をポンと叩く。
「まだ、彼女がシロと決まった訳ではない。他に動機が見つかるかもしれないからね。それに……」
ジェーンは傍にいたリチャードにウィンクする。
「周りの男衆を手玉に取られたら、さすがの私もたまらないからね」
「勘弁してくださいよ、閣下!カミさんにそんな話聞かれたら、家に上げてくれなくなってしまいます」
「はははっ」
〜レティのメモ〜
〈アリスの証言〉
・アルバートは、人の秘密に首を突っ込みたがる人柄。
・動機が考えられる人物は、いくらでも。
・アルバートは体が弱く、別荘に住んでいた。
・兄夫婦が訪ねてきた矢先、事件が起こった。
・アリスはヘンリーと不倫をしている?
・スキャンダルがバレても、アリスに火の粉はかからない。
- Re: カラミティ伯爵の事件簿 ( No.17 )
- 日時: 2017/09/06 07:25
- 名前: ももた (ID: jFPmKbnp)
「次は誰の話を聞きに行くのですか?」
地下からの階段を上りながら、レティがジェーンに問いかけた。
「カーター氏だ。料理長なら、事件の概要を詳しく知っているであろう」
レティは「なるほど」と呟く。ウィルはレティも疑いをかけている人物の1人だ。彼なら、幾らでも毒を盛るチャンスがあるからだ。
「了解しました、確認をとって参ります」
リチャードは敬礼をすると、足早に階段を上って行った。
「警部はやはり若いな……」
「え!?伯爵様って警部より年上なんですか!?」
「そうだとも。と言っても、3つ4つ違うだけだが」
ジェーンはステッキをつきながら、「えいこらしょ」と掛け声を上げながら、一段一段上っている。さすがに、この歳で長く続く階段は堪えるらしい。
「はあ、一仕事終えたら温泉に浸かろう……」
「お酒は控えてくださいね」
「ぬぅ……」
レティに労られながら、ジェーンは階段を上りきった。
***
ウィルは応接室で待たされていた。ジェーンが入ってくる前からリチャードと立ち話をしていたようで、こちらに気がつくと2人にソファに座るよう勧めた。
「お時間をとらせて済みませんな、カーター氏」
「構いません。私に分かることでしたら、協力させていただきます」
3人は席に着いた。隣ではリチャードが控えている。レティは手帳を広げた。
「さて、それでは給仕に至るまでの、厨房の出入りについてから伺ってもいいですかな?」
ウィルは姿勢を正してから答える。
「はい。料理中に厨房に入って来たのは、奥様と旦那様と女中のアリスの3人でした」
すると、レティが隣から口を挟んだ。
「それぞれ、どのような要件で、どの順番で入って来ましたか?」
ウィルは視線を上げた。思い出そうとしているらしい。
「最初に奥様がいらっしゃいました。子爵閣下はお体の弱い方ですから、スペンサー先生から栄養のつくレシピを預かってきたと」
「そのレシピはありますかな?」
「は、はい。こちらです」
ジェーンの問いかけに応じ、ウィルはあっさりと紙束を渡した。特に目立った食材はない。煮込み時間を多くしたり、消化が良くなるように材料を細かく切るようにと書かれているだけだ。
「問題なさそうですね」
「…………」
ジェーンは食い入るようにレシピを見つめていた。満足すると、ウィルに返した。
「ありがとうございます。その後は誰が来られましたかな?」
「はい、それからしばらくして、旦那様がいらっしゃいました。ワインを選んでいらしたようです」
レティは頷きながらメモをとった。
「エセックス伯が飲まれたボトルは分かりますか?」
「はい、厨房に行けばお教えできます」
ウィルの申し出に、レティは少し顔をしかめた。彼が犯人だとしたら、何か隠蔽をされてしまうかもしないからだ。
「それでは厨房に場所を移しましょうか?」
ジェーンはさらりと言ってのける。レティは隣で、驚いた顔をした。慌ててジェーンに耳打ちをする。
「そうなこと言って、大丈夫ですか!?もし彼が犯人だったら……」
「落ち着きたまえ。後で説明するから」
小声で話すレティに対し、ジェーンはウィルにも聞こえてしまうような声で答えた。ウィルは首を傾げている。
「娘が失礼しました。移動中にもお話を伺ってよろしいですかな?」
「はい。構いませんよ」
そう言って3人は立ち上がった。そのまま部屋を出ると、周りの警官たちも、ゾロゾロと3人についてくる。ジェーンはウィルの隣に立ちながら問いかけた。
「子爵はお酒は飲まれましたかな?」
「いえ。お身体が弱いこともあって、お飲みにはなりませんでした」
「なるほど……他に飲まれない方は?」
「お子様たち以外は召し上がっておられました。お子様たちには、果汁ジュースを代わりに……」
ジェーンはステッキで肩を叩きながら、何やら考えている。沈黙が気まずくなったのか、今度はレティが問いかける。
「カーター氏は……アリスさんとエセックス伯の関係はご存知で?」
途端、ウィルは慌ててレティの口を抑えようとした。動揺した様子で、周りをキョロキョロと見回す。
「この館内では、そのようなことを仰ってはいけません!奥様のお怒りに触れてしまいます!」
それは肯定しているようなものではないか……と2人は思った。ウィルがこんなにも怯えているあたり、エセックス伯爵夫人 サンドラ・テヴァルーは、よほどその事実が気に入らないようである。
「この話はよしましょう。さあ、厨房に着きましたよ」
ウィルは冷や汗をかきながら、厨房のドアを開けた。ジェーンは裏で、レティの背中をステッキで小突いた。レティは自分の失言を反省している。
「旦那様がお選びになっていたのは、このワインです」
中に入ると、ウィルはワインボトルを一本引っ張り出してきた。ジェーンはそれを大切そうに受け取る。年代物の赤ワインだ。
「ついでですが、果汁ジュースの瓶も見せていただけますかな?」
「はい」
ジェーンは、ワインボトルを少し振った。底の方の沈殿物を見ているようだ。次にコルクを抜き、中を覗く。かさが減っていて、沢山の人に振る舞われたことがわかる。最後に、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
「こちらが果汁ジュースの瓶です」
ワインボトルを調べていると、横から別の瓶を差し出される。ジェーンはその瓶も同様に調べている。レティはそんなことをしているジェーンの横で、ウィルに尋ねた。
「最後に厨房に出入りしたのは、アリスさんでしたっけ?」
「そうです。給仕用のワゴンに鍋を乗せ、食堂に運んでいきました。食器に取り分けたのは彼女です」
レティはメモを取りながら頷く。レティ達が話しているうちも、ジェーンは厨房内を歩き回っていた。
「事件が発覚した時、あなたは?」
「何も知らず、ここで調理を続けていました。最初は私が疑われたのですが、奥様が『食事を盛り付けた人物の方が怪しい』と庇ってくださったのです」
ウィルはその時のことを思い出し、ため息をついていた。確かに、厨房から一歩も出ていないウィルでは、誰が毒入りスープを飲むかは操作できないはずである。レティは、ジェーンの言っていたことがわかった気がした。
話を終えたころ、ジェーンが戻ってきた。ジェーンはレティの手帳を覗き込み、笑みを浮かべている。
「レティもこの仕事が板についてきたな……ありがとうございます、カーター氏。これ以上私から確認することはございませんぞ」
ジェーンはウィルに一礼した。ウィルも恐縮そうにお辞儀を返すと、一同は厨房を後にした。
〜レティのメモ〜
サンドラ・テヴァルー(51)
エセックス伯爵夫人。ヘンリーの妻。アリスとヘンリーの関係を気づいているが、気にくわない様子。
〈ウィルの証言〉
・厨房に出入りしたのは、ウィル以外に3人。
・シドニーが、体の弱いアルバートのためにレシピを書いた。
・サンドラは、シドニーからレシピを預かり、厨房に持ってきた。
・ヘンリーはワインを選びにきた。
・アリスは食事を運び、食堂で盛り付けた。
・ウィルはずっと厨房にいた。
・当初疑われたのはウィル。サンドラに庇われた。
・不倫の話をすると、サンドラはめっちゃ怖い。
・食事の席で、アルバート以外は他の誰かと同じものを飲んでいる。
一貫性の無い事実は排除するのが推理のコツ!
- Re: カラミティ伯爵の事件簿 ( No.18 )
- 日時: 2017/09/07 03:58
- 名前: ももた (ID: jFPmKbnp)
次はアルバートの遺体を調べるとジェーンは言い出した。ジェーンとレティとリチャードの3人は、アルバートの遺体が安置されている部屋に向かう。
「そう言えば、伯爵様。どうして瓶を調べていたんですか?」
移動中、レティが問いかける。
「スコット氏が犯人でないとすれば、犯人はどうやって子爵の皿にだけ毒を盛ったのかを考えていたのだ」
ジェーンが言うと、レティも隣で考え始めた。そもそも、毒はスープに入っていたのか、食器に塗ってあったのか。食器に塗ってあったとしたら、どうやって指定したのか。
「私は、毒は全ての皿に盛られていて、子爵にだけ効いたのではないかと考えた」
レティが言うと、隣でリチャードが目を丸くする。
「そんな魔法のようなことが可能なのですか!?」
「もし、ワインとジュースに解毒剤が含まれていたら?」
ジェーンの言葉に、2人はハッとした。確かに、子爵は1人だけワインも果汁ジュースも口にしていない。レティがそのことを、手帳に記そうとすると……
「しかし、どうやらそれらしいものは入っていなかったらしい」
ジェーンは、期待はずれだとでも言うように、肩を落とした。レティは顔をしかめる。
「それじゃ、振り出しに戻ってしまいますよ」
「降り出し……か」
ジェーンは、ステッキで肩を叩いた。そんな会話をしている間に、アルバートの寝室に着いた。ジェーンは、中から人の気配がすることに気がつく。
コンコンとノックをしてから、ジェーンは部屋に踏み入った。部屋にいたのは、エセックス伯爵 ヘンリーだった。弟の死を悼んでいたのだろうか。
「エセックス伯。申し訳ありませんが、弟君のご遺体を調べてもよろしいですかな?」
ヘンリーは「もちろんです」と答えて、ジェーンと場所を代わった。ジェーンは祈りを捧げると、アルバートのシャツを脱がせた。
「あ!ウィルさんの言った通り、身体が赤くなってますね」
レティは、隣で見ながら呟く。アルバートのお腹には、斑点が出ていた。
ふと、ジェーンの動きが止まっていることに気がつく。レティが心配して声をかけようとすると、ジェーンはさらに服を脱がせた。少々手荒に扱ってしまったため、ヘンリーに咎められる。
「申し訳ありません。少し確認したいことがありましたもので……」
レティは、隣で見ていて、あることに気がつく。
「伯爵様、子爵の背中が……」
レティが指摘した通り、アルバートの背中は暗い褐色に変化していた。ジェーンは冷静に説明する。
「大丈夫。これは、死後時間が経って、血液が重力に従って背中に溜まっているだけだ」
ジェーンが確認したかったのはこれだったらしく、丁寧にアルバートの衣服を直し始める。その間、ジェーンはずっと難しい顔をしていた。
「エセックス伯、ここでお会いできたついでに、ヘレフォード子爵のことについて伺ってもよろしいですかな?」
「は……はい」
ヘンリーはしばらく呆気にとられていたようで、ジェーンに声をかけられるまで、心ここに在らずだった。
「ヘレフォード子爵のは、身体が弱かったと聞いています。子供の頃、何か命に関わるような発作を起こしたことはありませんでしたか?」
ヘンリーは、腕を組んで考える。
「発作……そう言えば、そんなことがあったような……」
「詳しく思い出してください!」
ジェーンは、いつにも増して真剣である。ヘンリーは気圧されながら語り出した。
「私がまだ学校にも上がっていない頃のことです。私たちはティータイムの後、外で遊んでおりました。するとアルバートが突然苦しみ出して、病院に運ばれたことがありました」
ジェーンは何か思いついたような顔をしている。
「ティータイムに何を食べたかは覚えてますかな?」
「いや、そこまでは……あぁ、そう言えば、あの時もこのような斑点が出ていました」
ジェーンはピンときたようだ。
「ありがとうございます。解決の糸口が見えてきましたぞ」
ジェーンはヘンリーの手を取り、ブンブンと振る。散々礼を述べると、ジェーンは部屋を後にした。レティもそれに続こうとすると、ヘンリーに呼び止められる。
「くれぐれも、弟を頼みます」
ヘンリーはそう言って、頭を下げた。レティの中で、彼の評価が変わる。彼は愛人に狂わされているだけではない、しっかりと弟を悼んでいるのだ。
「はい、必ず!」
レティは笑顔で答えた。
〜レティのメモ〜
・飲み物の瓶は細工されていない。
・アルバートの遺体は、お腹側に赤い斑点があり、背中側は変色している。
〈ヘンリーの証言〉
・アルバートは、幼い頃にひどい発作を起こしたことがある。
・時間帯はティータイム直後。
・その時も斑点が出ていた。
- Re: カラミティ伯爵の事件簿 ( No.19 )
- 日時: 2017/09/08 07:08
- 名前: ももた (ID: jFPmKbnp)
レティは、ベッドの上で半身を起こした。温泉に浸かった翌朝だからか、とても身体が軽く感じた。
結局、昨日はアルバートの遺体調べたところで捜査を終えた。その後、旅館で手続きをし、たっぷり温泉を堪能したのち、今に至る。
「さて、支度をしなくちゃ!起きてください、伯爵さ……ま?」
レティは、隣のベッドに眠っているはずの人物に声をかけた。しかし、そのベッドはもぬけの殻になっていることに気がつく。
「もう現場に向かわれたのかしら……あら?」
ジェーンのベッドには、紙切れが載っている。手に取り、内容を確認する。
『レティへ。調べることが出来たので、現場を預ける。警部やエセックス伯によろしく頼む』
文面はあっさりしていた。レティは、ため息をつきながら、紙を戻そうとする。その時、書き置きには裏があることに気がついた。
『追伸。横向きに寝ていたようだから、今頃君の右頬に跡がついているのではないかね?』
レティは慌てて鏡を見る。確かに、レティの右頬にはシーツの跡がくっきりとついていた。
「ん〜もう!」
このまま部屋を出ていたら、恥をかいていただろう。この時ばかりは、ジェーンの洞察力に救われた。しかし同時に、気がつきにくい場所にそれを記したジェーンの悪戯に、苛立ちを覚えた。
***
「おはようございます、お嬢さん」
「おはようございます、警部。今日もよろしくお願いします」
馬車から降りようとすると、リチャードに手を差し出された。レティはその手を取り、馬車から降りる。
「おや?ジェンキンス伯はいらしてないのですか?」
リチャードは、からっぽの馬車を見て呟く。
「はい。起きたらホテルに置き去りにされていました」
「そ……それは『キマシタワー』というやつですかな?」
レティの言い方は、リチャードにあらぬ誤解を与えたようだ。しかし、彼の使う隠語は、彼女には理解できなかったらしい。
「よく分かりませんが、今日はまず、エセックス伯爵夫人のお話を伺おうかと……」
「了解いたしました。すぐにとりついで参ります」
リチャードはそう言って館に入っていった。レティにする。ふと、昨日厨房でジェーンに褒められたことを思い出した。
「よし!やるぞ!!」
レティは意気揚々と館に入っていった。
***
レティが通されたのは、別荘のテラスだった。テーブルを挟んで対峙するのは、エセックス伯爵夫人 サンドラ・テヴァルー。目元が切れ長だからか、非常に威圧的な容姿である。レティは話を書き出せるのか不安になってきた。
「え……えっと……カーター氏のお話では、スペンサー氏からレシピを預かって、厨房にいらしたとか。その時のことについて教えていただけますか?」
「はぁ……」
「失言デシタ、申シ訳アリマセン」
ため息をつかれたと思ったレティは、即座に頭を下げた。勢い余って、額をテーブルにぶつける。
「まだ何も言っていませんわ。落ち着きになって」
レティが恐る恐る顔を上げると、サンドラは優しい笑顔を浮かべている。上品に、手で口元を覆って笑っていた。
「この顔立ちだから、怒っていると勘違いされることが多いんですの。私も義弟の死の真相を知りたいから、協力はさせていただくつもりですわ。どうか緊張なさらないで」
レティは、その笑顔を見て、自分が見かけで判断していたことに気がつく。サンドラは、レティが思っていたよりも穏やかな人であるらしかった。
「仕切り直しましょう。私がレシピを持って行った時のことですわね?」
「はい。何か気がつかれたことはありませんか?」
サンドラは少し空を見て考え込む。
「関係があるかは分かりませんけれど……料理長は材料が足りないというようなことをぼやいておりましたわ。買い出しに行く時間がなくて、代わりの材料を使うと言っていたような……」
レティはそのことを手帳に記す。
「何の材料が足りなかったのですか?」
「ごめんなさい、覚えていませんわ」
サンドラは、申し訳無さそうに謝る。レティは気にしないように声を掛けた。
「大丈夫ですよ!……そう言えば、夫人は事件が起こった時、すぐにスコットさんを告発なさいましたよね?」
「はい……何か問題でも?」
スコットという名に反応し、サンドラの目がギラリと光る。レティは冷や汗をかいた。
「イエ、ソンナ、実ニ的確デシタナ〜」
レティが怯えきっている様子を見て、サンドラはクスッと笑った。
「そうですわね。彼女に対して、敵意がなかったと言えば嘘になりますわ。でも、合理的に考えて、彼女が一番怪しかったんですもの……」
サンドラは、悲しそうな表情を見せながら答えた。レティはその顔を見て気がつく。彼女は、アリスに対して嫉妬は抱いているものの、夫の不貞を仕方ないと諦めているのではないかと。
「夫人。伯爵様の捜査の結果次第では、スコット氏の実態を明らかにせざるを得なくなるかもしれません。それでも……」
「構いませんわ」
レティが聞くよりも早く、サンドラは答えた。
「醜聞の一つや二つ、公になったところで、義弟の死の真相を知ることの方が大切です。主人のことは……事件が解決してから、どうにかして見せますわ」
サンドラは笑顔を向ける。レティは、ヘンリーに怒りを覚えた。サンドラが裏切られてもなお、夫と向き合っていこうとしている一方で、ヘンリーは愛人の窮地を救うことしか考えていない。
「夫人、きっと伯爵様が事件を解決します。結果がどうであれ、私に出来ることがあれば、お手伝いさせて下さいね」
レティの申し出に、サンドラは目を丸くする。
「ありがとう、お嬢さん」
ややあって、サンドラは礼を述べる。その瞳は、僅かに潤んでいた。
***
「夫人は意外にも、気さくな方だったのですな」
廊下を歩きながら、リチャードが呟く。レティは、同意するように頷いた。
「目つきで周りに怖がられていただけだったんですね……色々と不憫な方です」
ふと、前方から人影が近づいてくる。視認できる距離に来ると、それがシドニーであると気がついた。
「お疲れ様です、レディ、並びに警部」
「ありがとうございます、スペンサー先生」
シドニーは、レティが手帳を握りしめたまま歩いてきたことに気がつく。
「常に手帳を手放さないとは、捜査熱心なのですね」
「あ、これはクセで……」
レティが恥ずかしそうにすると、シドニーは逆に感心したように労ってくれる。
「あなたのような探偵に捜査をしていただいて、子爵閣下もきっと安心しておられますよ。頑張って下さいね」
「はい!ありがとうございます!」
レティはふと、シドニーが瓶を手にしていることに気がつく。中には、透明な液体が入っていた。
「スペンサー先生、その瓶は何ですか?」
「あぁ、温泉水ですよ。せっかくバースに来たので、興味があって」
シドニーはそう言って瓶の蓋を開けた。クセのある匂いがする。
「飲んでみますか?」
「え!飲むんですか!?」
レティが驚くと、シドニーは小さく笑った。
「温泉水は、普通の水よりも養分が豊富です。健康に良いのですよ。警部もいかがです?」
匂いが気になったので、2人は遠慮した。シドニーはあっさりと引き下がり、瓶に蓋をする。
「テヴァルー家の方々を本当に気にかけていらっしゃるんですね。子爵のためにご自分でレシピを書かれたり……」
レティにそう言われると、シドニーは恥ずかしそうに頭をかく。
「エセックス伯爵閣下には、恩がありますからね……私はせっかく医師になれたのに、職場に恵まれませんでした。エセックス伯爵閣下に雇われなければ、貧しい町医者を続けていたでしょう」
シドニーは遠い目をしながら答える。
「この家には何年ほど勤めているのですかな?」
隣でリチャードが尋ねた。
「12年になります。閣下のおかげで、何不自由なく過ごせておりますよ」
シドニーはニコッと笑った。良さそうな人となりがうかがえる。
「子爵閣下にも随分とお世話になりました……早く事件が解決するといいのですが……」
シドニーの顔に影が宿る。
「大丈夫です!伯爵様が帰ってくれば、すぐに解決しますよ!」
レティは自信を持って答えた。シドニーはその言葉に、首をかしげる。
「おや?ジェンキンス伯爵閣下は、ご不在なのですか?」
「いや、これには理由がありまして……多分」
さすがにジェーンは考えなしに動く人ではないと信じてはいるが、シドニー達からすれば頼りなく思っているかもしれない。しかし、シドニーはそんな様子は見せず
「そうですか。私も、彼女の帰りと、吉報を待つとしましょう」
と言って微笑んだ。
〜レティのメモ〜
〈サンドラの証言〉
・シドニーのレシピには、在庫がない食材が記されていた。
・ウィルは、別の食材で代用した。
・ヘンリーの不倫は知っている。
・スキャンダルになることも覚悟している。
〈シドニーの証言〉
・アルバートの健康を考えて、レシピを作った。
・テヴァルー家には、12年勤めている。
・昔より生活に困らなくなって、ヘンリーに感謝している。
さあ、次話で犯人が明らかに……なるのでしょうか?(不安)
- Re: カラミティ伯爵の事件簿 ( No.20 )
- 日時: 2017/09/08 21:38
- 名前: ももた (ID: jFPmKbnp)
数日の後、用事とやらを終えたジェーンはひょっこり旅館に帰ってきた。手には、たくさんの書類を抱えている。
「伯爵様、何ですか、その紙束は?」
「これかい?これは、犯人を告発するための書類だ」
レティは、首をかしげる。殺人の証拠以上に、何が必要だと言うのだろうか。
「例えばだが……ハンマーで人を殴って死傷させた場合と、上から植木鉢をうっかり落として運悪くそれが人に当たって死傷させた場合、どちらが厳罰に問われるかね?」
レティは、考えるまでもないと答える。
「そんなの、前者に決まってます。前者は殺意を持って犯行に及んでいますが、後者は事故ですから」
レティが答えると、ジェーンは満足そうに笑う。
「そう……つまり、そう言う事なのさ……」
その言葉だけでは、レティは意味が理解できなかった。ジェーンはそんな彼女を引き連れ、事件を解決すべく、テヴァルー家別荘に向かう。
***
ヘレフォード子爵毒殺事件。その関係者たちは、事件現場である食堂に集められた。
「諸卿、お集まりくださりありがとうございます。それでは今回の事件の真相を、このジェンキンス伯爵 ジェーンが解き明かしましょう」
ジェーンは、食堂内を移動し、ある地点に向かう。それは、アルバートが殺された席だ。
「まず、事件の概要はこうでした。ヘレフォード子爵は生まれつき体が弱く、この別荘に長らく住んでおられた。そこにエセックス伯夫妻がお尋ねになり、宴が催された」
ジェーンはスープ皿を持ち上げる。
「そこで振る舞われたスープを飲んでいる最中、ヘレフォード子爵は突然苦しみだし、息を引き取った。毒を盛られたと判断した諸卿は、最初に料理を作ったカーター氏を疑った」
ジェーンがチラリと目をやると、ウィルは目を伏せている。
「しかし、そこで伯爵夫人が機転をきかせてくださった。怪しいのは鍋に触っていた彼ではなく、スープを取り分けたスコット氏だと告発なさった」
次に、サンドラとアリスを交互に見た。2人とも、その事実は認めている。
「実に賢明な判断です、夫人。私もその場にいれば、そう言っていたかもしれない。なにせ、毒の入った皿を子爵に選ばせることができるのは、貴女だけですからな……」
レティは皿を食卓の上に戻す。そして「しかし」と言葉を紡いだ。
「スコット氏を疑うには、動機が不十分でした。そこで私は、毒は全員に盛られ、皆様はなんらかの方法で助かったのではないかと思ったのです」
部屋中からどよめきが上がる。サンドラが一喝すると、途端にそれは静まった。頃合いを見て、ジェーンが、話し出す。
「皆様は一様に、ワインか果汁ジュースを飲んでいらっしゃる。私はそこに解毒剤が仕組まれていたのではないかと思いました」
ジェーンは、今度はグラスを手に取る。
「しかし、ワインボトルにも、ジュースのボトルにも、細工した跡は見られない。そもそも、給仕の前段階で毒が盛られていたとすれば、時間が経つ間に毒は変質し、味が変わります。口にするだけで気がつくはずです」
ジェーンはグラスを元に戻す。すると、アリスが口を開いた。
「ちょっと待ってください!それじゃ、私が犯人だって言いたいんですか!?」
アリスは苛立っているようだ。このままのジェーンの推理では、アリス以外に犯行は不可能なことを示してしまう。リチャードは、慌ててアリスを落ち着かせに走った。
「そうは言っていません。私は更に、次の可能性を考えたのです」
ジェーンはそう言って、懐から紙束を取り出した。
「それは『全員毒を飲まされたが、効果が発揮されたのは子爵だけだった』という可能性」
ジェーンは紙束の一部を、全員に見えるように掲げた。レティは隣で内容を見る。どうやら診断書のようだ。
「これは、子爵が子供の時に発作を起された時の診断書。子爵はティータイムの後、エセックス伯と遊びまわり、身体中に発疹が出て、発作を起こした……」
ジェーンは診断書をパチンと指で弾いた。
「確かに書いてあります。子爵はナッツアレルギーでした」
一同はポカンとする。そんなことが、事件とどう関係すると言うのか……
「今回の事件、真犯人は我々に嘘をつき、間違った方向に捜査を誘導していました……」
「嘘?一体誰が?」
レティは、もう一度手帳を見返す。アリスを犯人とするシナリオでは、虚偽を述べている人物はいないはずだ。
「まずは、今回使われた毒物を明らかにしましょう。レティ、シアン化合物は、どんな匂いがすると言っていたかな?」
レティは即答する。
「アーモンドです」
「そう、アーモンド……犯人はその性質を使って捜査を撹乱させたつもりでしたが、思わぬ妨害でそれは失敗に終わった」
ジェーンは、ステッキでウィルを指した。
「カーター氏、レティから聞いた話では、貴方は料理の材料が無くてボヤいていたとか……」
すると、ウィルは頷いて答える。
「はい、アーモンドが無かったので、ピーナッツで代用いたしました」
周りもトリックがわかってきたようだ。ジェーンは笑みを浮かべて説明する。
「そう、犯人は本物のアーモンドを毒として使うつもりだった。ナッツアレルギーの子爵は、アナフィラキシーショックを起こし、そのまま息をひきとる。皿からアーモンドの匂いがすれば、勘のいい人物はシアン化合物を思い浮かべる。そうやって捜査を撹乱しようとしていたのです」
レティは思い出す。初日、ジェーンは無謀にも、スープをスプーンで掬って飲んでいた。その時に、ピーナッツが入っていることに気がついたのだ。そしてレシピや厨房の様子から、材料が指し変わっていたことに気がついていた。
「犯人がついた嘘はそれだけではありません。犯人は、遺体の変色のことまで偽っていた」
初日の証言を思い出しながら、レティは首をかしげた。
「どうしてです?お二人とも『遺体が赤く変色していた』と言っていました。嘘はついていないと思いますが」
ジェーンは指を振る。
「よく思い出したまえ。そう証言したのはカーター氏だ。もう1人は『赤い死斑が出ていた』と言ったんだ」
ジェーンは、舐められたものだと肩をすくめた。
「いいかい、レティ。死斑とは、あの背中側の変色を指す。あの色はどう見ても褐色だ」
レティは、ようやくジェーンの取った行動の真意に辿り着いた。犯人は、レティにまさか医学知識があるとは思わず、証言の文面だけで誤魔化そうとしていたのだ。
「さあ、諸卿!もうお分かりですね。ヘレフォード子爵を毒殺奉り、巧妙に捜査を撹乱させた真犯人……」
ジェーンその人物を指差した。
「それは貴方ですね、ドクター」
シドニーは悔しそうに顔を歪めていた。
- Re: カラミティ伯爵の事件簿 ( No.21 )
- 日時: 2017/09/09 18:23
- 名前: ももた (ID: jFPmKbnp)
「君、これはどういうことだね?」
男は、書類を見せながら問いかける。彼はそれを見て、絶望にも近い表情を見せた。
「閣下……その、私は……」
「君には失望した。テヴァルー家から出て行きなさい」
男は冷たく言い放つ。彼は考えた。この男さえいなければ、今の地位を失うことはないと。
「閣下、しばらくの猶予をくださいませ」
「構わん。しかし、必ず出て行くのだぞ?」
彼は恭しい表情を浮かべながら、心の中では陰謀が渦を巻いていた。最も自分にとって安全な方法で、男を殺す方法を……
***
「いかがですかな、ドクター?」
シドニーは悔しそうに顔を歪めていた。しかし、すぐに笑みを浮かべる。
「なんと、子爵閣下がアレルギーをお持ちだったとは、初耳でした」
シドニーはしらばっくれた。そんな彼の様子に、レティは驚きと怒りを覚える。
「主治医のくせに、そんな言い訳が通りますか!?」
「叱責は受け入れましょう。これは私の過失です」
レティは呆れて言葉を失った。しかし、彼の殺意を示す証拠がない。『アルバートをのことを思って』取った行動が、結果裏目に出たと言って仕舞えば、殺人には出来ない。
レティは今朝の話を思い出した。ジェーンは、この事態を予想していたのかもしれない。レティは、悔しそうに歯噛みした。
「そう……貴方ならそう言うでしょうな。ですから、別件で貴方を告発させていただきます」
ジェーンは先ほどとは別の書類を持つ。そして、シドニーに詰め寄り、問いかける。
「ドクター……貴方はいったい『誰』です?」
シドニーは目を丸くした。
「『誰』とは何ですか?名乗った通り、私はシドニー・スペンサー……」
「その顔で、その名を騙るな!」
ジェーンは、珍しく気が立っているようだった。書類を手に持つと、シドニーに語りかける。
「ここ30年ほどの、認可された医師の名簿です。この中に、シドニー・スペンサーという名は一つだけあります」
ジェーンが語り出すと、途端にシドニーの顔が青ざめる。ジェーンは、今度は別の書類を手に取る。
「そしてこちらは、捜索願。15年前に、私が提出したものです」
シドニーはガタガタと震えだした。それは、彼が最も知られたくない秘密。アルバートを殺してまで、守ろうとした秘密……
「行方不明者の名は『シドニー・スペンサー』。職業は医師……かつて、私の友人だった男です」
男はその場に泣き崩れた。もはや彼は『シドニー・スペンサー』ではない。その皮を被った、ただの無免許医だ。
彼の最大の失態は、彼が最初に言った言葉……『初めまして』その一言だった。
***
関係者たちは、食堂で待たされていた。ジェーンは物憂げな表情で、窓の外を眺めている。15年も経ったとはいえ、彼女の中で、友人を喪った悲しみは消えないのだろう。レティは声をかけずに、ジェーンをそっとしておいた。
そこへ、バタンと扉が開いて、リチャードが入ってくる。
「シドニー・スペンサー、本名エリック・ハドソンが、子爵閣下殺害を認めました」
一同の顔に、安堵が広がる。ただ1人、ジェーンを除いて。皆が食堂から出て行った後、リチャードはジェーンの元に近寄る。
「スペンサー氏の事件についても、関与を認めました。15年前、スペンサー氏を殺害し、彼になりすまして医師を務めていたと。ハドソンは医師になり損ない、彼に成り代わることで夢を果たそうとしたようです」
「そうですか。ありがとうございます」
ジェーンは、そう答えた。その顔は、悔しさはあるものの、どこかやり切ったような満足感がある。これでようやく、友人を弔える。
「……伯爵様!お疲れのようですし、しばらくバースに泊まっていきましょう!」
レティがそう提案した。ジェーンは、思わぬ言葉に目を丸くした。
「別に、体の疲労は……」
「体じゃありません、精神的な疲労です!」
レティはジェーンの手を取る。ジェーンはこの15年間、心のどこかでは友人の生存を信じていたはずだ。しかし、今日、真実が明かされ、それも途絶えた。
不意に、ジェーンの瞳から涙がこぼれた。
「あ……れ?」
ジェーン自身、その涙に驚いているようだ。自覚してしまうと、次から次へと溢れ出てくる。人の前だというのに、ジェーンは声を上げて泣いた。
(シドニー、終わったよ)
帰らぬ友人を思いながら……
ヘレフォード子爵毒殺事件、これにて終幕。