ダーク・ファンタジー小説

Re: アビスの流れ星 ( No.20 )
日時: 2018/02/16 20:27
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)




15



 ボッ!と空気の壁を突き破ったような音。粉雪舞い散る屋上に連続して響く。ゆっくり息を吸う暇もない。ただひたすらに退いて避ける。避ける。避ける。迫る二本のサーベルの連撃を避ける。むしろ今まで生き延びているのが奇跡かもしれない。
 それほどまでに目の前の相手は強い。まさしく見ると触れるとでは大違いだ。何より恐ろしい。怖い。恐怖で泣き叫びたい。しかしそれすらも許されない。ひたすら目の前の鬼人は私を殺そうと迫るのみ。
 このままでは本当に殺される。大きく退いて距離を開く。だけど彼はすかさず片方のサーベルを私めがけて投げつける。サーベルは一直線に飛び私の頬をかすって過ぎる。怯む。彼がその隙を逃す筈もない。刹那にして間合いを詰めた彼に、私は為すすべもなく組み伏せられた。
 首を掴んで床に打ち付けられ、少し呼吸が止まる。私を見下ろす真紅の双眸は、どこまでも冷徹に鋭い。
 ようやく多少の声が出るようになる。

「なん……っで、ですか……シドウさん……!」

 真紅の流星は答えない。ただ、レイダーを見据えるときと同じ瞳で私を鋭く、無表情に睨みつけるばかりで。

「信じてたのに……!」

 真紅の流星は応えない。
 何も言わず、彼はサーベルを逆手に持って振り上げた。あれはヤバイ。咄嗟に全力で転げまわる。間一髪。サーベルはさっきまで私の首元があった床を易々と貫通した。皮肉にも、あれは彼に鍛えられていなければ避けられなかっただろう。
 彼は本気で私を殺すつもりだ。
 シドウさんサーベルを床から引き抜いて、肩から力を抜いたまま私と向き合う。いつもの赤い髪と赤い瞳、黒いコート。だが目の前に、強くも優しい彼の面影はない。あれは幾多の怪物を屠ってきた鬼人の姿そのものだ。そして殺気のすべては今、私に向けられている。
 何で?
 問いかけても、鬼に言葉は通じなかった。
 真紅の流星は再度踏み出した。想像を絶する速度。先程とは違って彼は一刀流。しかし脅威はなんら変わらない。むしろ一刀一刀が速さと鋭さを増したようにすら感じる。致命傷こそ受けていない。だが私の身体の傷は少しずつ確実に増えてゆく。
 生き延びるビジョンが思い浮かばない。私は死ぬのだろうか。この屋上で。もう笑い合えないのだろうか、スギサキとは、そしてこの人とは。
 何で?
 問いかけるにも、誰に問いかければいいのか分からない。
 剣戟は降り注ぐ。ついぞ切っ先は私を捉えようと迫る。白銀に私の絶望した表情が映ったような気がした。
 私は死ぬのだろうか。
 もう笑うことも、食べることも、彼らと話すことも、彼らのバカみたいなやり取りを見守ることも……彼らと一緒に居ることも出来なくなるのだろうか。
 ……——嫌だ。
 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。



 衝動が臨界点に達した。
 シドウさんが放った一撃を、受け止めた。
 いきなり変化した、灰色で、まるで怪物の腕のような、それでいて刃の生えた右腕で。



 シドウさんは目を見開いたが、すぐに細めた。そして素早く退いて距離をとった。
 少し状況が飲み込めなかった私も、直に理解する。ああ、そういうことかと。
 やっぱり運命は残酷だったのだ。
 私は悪魔だ。まるで悪魔だ。
 ……——いつの日かそんな風に綴ったことを思い出す。
 次に襲ってきたのは酷い虚しさだった。もうどうにでもなればいい。殺すなら早く殺せばいい。何が、ずっと一緒に居られますように、だろう。くだらないと思った。何でそんな絵空事を見たのか、私は。
 シドウさんが音もなく構えて、それから一息に私へと斬りかかる姿が、やけにはっきりと網膜に焼きついた。
 そして、その表情も。



「え」

 ……——次に気が付いたとき、私の右腕は、彼を貫通していた。



 からん、とサーベルの落ちる音が屋上に響いた。私にもたれかかっていたシドウさんは、何も言わず、ただ一度咳き込むと血を吐いた。今にも死にそうな深い呼吸で、彼は一言、私の横で私に言った。
 そして私の肩に喉元を預けるようにもたれていた彼は、そのままバランスを崩して、何の抵抗もなく、少し雪が降り積もった冷たい床に倒れた。

「シドウさん?」

 返事は無い。
 そして動かない。
 彼の眼光は虚ろ。純白に赤がみるみるうちに広がって染まる。彼の黒いコートに雪が触れる。
 自分の右腕を見た。人ならざるその腕は、今しがた貫いた人間の血液を滴らせていた。
 何の比喩表現も必要ない。今度こそ、私がシドウさんを殺したのだ。
 殺した、のだ。
 だ?
 私が?

「嘘だよね?」

 返事は返ってこない。
 痛々しいまでの静寂だけがそこに在った。