ダーク・ファンタジー小説
- Re: アビスの流れ星 ( No.23 )
- 日時: 2018/02/19 20:08
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)
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待て、と叫んでも遅かった。フミヤは何も言わないで、振り返って走り出す。
最悪だ。聞かれてしまった。よりにもよって本人に。
「説明する手間が省けたようだな」
シドウが努めて冷静な、いつもの口調で言う。こいつは今の話の間も徹頭徹尾、苛立ちさえ覚えるほどに落ち着き払っていた。フミヤがレイダーであるとタカノが告げたときでさえ。
そして今も。
何より、フミヤに対する突然の除隊命令。こいつの意思が一枚噛んでいると言っていたな。
「真紅の流星、最初から見破っていたな?」
「確証が無かっただけだ」
さらりと言ってのける。顔色一つ変えず、俺と視線すら合わせぬまま。喰えない奴だと思っていたが、ここまで厄介とは。何を以ってして見破ったのか、というよりは見当を付けたのかは知らないが。
シドウはしばらく考え込んだ後、俺ではなくタカノの方を振り向く。
「さて、支部長。このクラヴィス日本支部に、ネズミが一匹紛れ込んでいると発覚したが……どうする?」
シドウの平坦で端正な口調に、全身に怖気が纏わりつく。
いやな予感の具現であった。
考えうる限り最悪の展開が容易に浮かぶ。
考えまいとする。
しかしたいていの場合、そういう時の嫌な予感は的中する。
タカノはゆっくり瞳を閉じて、数秒。そして命令は放たれた。
「シドウ大佐。貴官にフミヤ少尉、改め、クラヴィス日本支部に紛れ込んだ人型のレイダーの迅速な討伐を命ずる」
「委細承知」
——おいおい。本気かよ。うわ、目がマジだ。というか、眉一つ動かしてないし。どこまで表情無いんだよコイツ。
「増援を送ろうか」
「必要無い。半端な戦力は足手まといになるだけだ。巻き込まん保証も無いしな」
真紅の流星は踵を返して、黒い手袋をきつく嵌め直す。
普段の任務の直前と同じ眼だった。軍靴の音を鳴らし始める。
「待てよ、シドウッ!」
支部長室を後にするそいつを追って肩を掴む。
「事態は一刻を争うのだ。邪魔をするな」
「ふざけんな……お前、フミヤを斬るつもりか!?」
視線だけこちらを向いた。剣のように鋭い視線だった。
「レイダーと戦うことが、我々クラヴィス隊員の仕事だ」
「……ふっ、ざ、けんなッ!!」
心でも死んでいるのかこいつは。なんでそう簡単に割り切れる。
「その台詞、そのまま返そう」
「は?」
「貴官こそレイダーをこの日本支部に連れ込んで、どういうつもりだ」
それは。
「まるで自分と同じだとでも思ったか」
言い返そうにも言葉に詰まる。
シドウの口調も瞳も切っ先のように鋭かった。
でも、そこまで理解しているなら、そこまで理解できる感情が在るなら、どうしてそこまで冷徹になれる。
仕事だからなのか。
「スパイとは知らなかったから。無害だと思っていた。同じ境遇を感じた。言い訳は一切通じんぞ」
向き直って、冷たい言葉の槍は突き刺さる。
「アイカワ大尉と懇意にしていたそうだな。彼も、貴様が殺したようなものだ!」
それからやっと理解する。
ここでフミヤを生かしておけば、また犠牲者は増えるだろう。アビスが更にこちらを観察して、それに合わせたレイダーを送り込んでくるから。
今回の件も、たとえどれだけ隠していたとしても、その内フミヤは全て知ってしまうことだったろう。そのとき脆い彼女は、本当の意味で、自分のせいで多くの人が死んでしまったという事実に耐えられるのか。
全てを考えた上で、犠牲が一番少なくて済む。
すべて少し考えれば理解できることだった。
「理解したならば去れ。任務に私情を挟む者は要らん」
幾らフミヤがレイダーだといっても、今までその自覚は全く見当たらなかった。そして何より、コイツは真紅の流星。
コイツ自身から直接トレーニングを受けていたとはいえ、きっと数分かかるまでもなく綺麗に切り分けられるのだろうな。
そうすれば、今までより多少の被害は減るかもしれない。
それに、コイツなら悪戯にフミヤを苦しめることなく終わる。
ここで、フミヤを見殺しに、すれば。
「……何のつもりだ」
「悪い、真紅の流星さんよ」
銃とサーベルを抜いて、シドウの前に立ちはだかる。
銃口を真っ直ぐその男の眉間に向けて、サーベルの切っ先をその男の胸元に向けて。
「自分でも意外だけど、俺、案外感情に流されるタイプだわ」
シドウはしばらく何も言わない。それから溜め息をついた。心なしか、いつもより若干深い溜め息であるように思った。
それからサーベルの柄に手のひらを持っていき、掴み、白刃が露わになってゆく。
「良いだろう。どうせ貴官には、レイダーを庇うに至った経緯をゆっくり牢獄で訊かせて貰わねばならん」
自分でも、何やってんのかねとは思う。
それから、やっぱり俺はガキだわ。
サーベルを持った左手の親指で包帯を取りながら、改めてそう自覚した。