ダーク・ファンタジー小説
- Re: アビスの流れ星 ( No.26 )
- 日時: 2020/06/06 01:55
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: XLtAKk9M)
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どうにも、今日は調子がおかしい。
相手がスギサキとはいえ、アレだけの手数を放って仕留めるまでにこれだけの時間がかかるのは。お互いに手の内を知った相手だから、そういうこともあるのだろうか。
などということを考えながら屋上までの階段をひとつひとつ踏んでゆく。このあたりは暖房設備が無い。よって、自分の口の端から洩れ出る息が白色を帯びて淡く溶けて消えていく。
昨日の晩は雪が降っていた。フミヤも、雪を見るのは初めてだとはしゃいで——いや、考えないようにしよう。
ともかく、今もまだ屋上に雪が降っている可能性はあるし、だとすれば足場は悪いかもしれない。この靴にはそういう為の対策も施されてはいるが、肝に銘じておくべきと判断した。逆に、そういう足場……金属製で平ら、雪で滑りやすくなった足場で戦い慣れていない相手、つまりフミヤならば、それを利用することも出来るやも、とも。
戦場に限らない。イメージトレーニングは、何かを効率的に進めるうえで大きな効果がある。それは自分の精神状態を安定させる意味合いも兼ねて。近頃は、私たちの装備に私たちの精神が関わっている可能性も示唆されているのだから、なおさらおざなりには出来ない。
さて。
ちょうど、屋上の直前に辿り着いたので、その重い扉を開いて、仕事へ。
「シドウさん」
灰色の髪の少女の姿がそこにあった。タイツを穿いているとはいえ、ショートパンツで寒くないのかといつも疑問に思う。
雪が視界に白く舞い散る中、彼女の色がやけに鮮明だった。
少女の姿の……レイダーは、酷く不安げな顔をして、柵を強く握り締めていた。
「あ、のっ、私、レイダーじゃありません!」
「自覚が無かっただけだ」
事実をそのまま告げる。その際の相手の表情の変化を敢えて思考に入れない。予想はついていた。本当にアビスという星がこいつを送り込んだとして、俺ならばその自覚を本人に与えない。相手を油断させるには効率的だからだ。
スギサキや私のように。
それからきっと、フミヤ自身にも予想はついたはずだ。
本人にしばしば訪れる「ぼうっとしていた時間」——その時間に自分がアビスと交信していた。
そう考えれば、アイカワ大尉が死んだあの日のことさえも、簡単に説明できてしまうことが。
「自覚無しに災厄を振り撒くのではどうしようもあるまい」
息を吐いて、両手のサーベルをひとつ回して、両手を広げて構える。
「フミヤ。悪いが、これは任務だ」
相手の表情を敢えて見ない。あれはレイダーだ。倒すべき相手だ。殺さねば、こちらの誰かが殺されるやも知れぬ。現時点であれを確実に屠れるのは私だけだ。私がやらねばならないのだ。
これは仕事だ。
これは仕事だ。
俺が責任を取らねばならない。
踏み出した。
踏みにじった雪が舞っていた。
斬り付けようとしても、フミヤは必死になって逃げる。トレーニングの成果が出ていることを、喜んでいいのか、嘆いていいのか。
そういえばレイダーだからなのか、コイツのタフネスには半ば呆れるばかりだった。スギサキは燃費が悪いので、俺よりも体力のあるクラヴィス隊員など初めて見たかもしれん。よくもまあ、あれだけのトレーニングについてきていたものだ。半泣きになりながらも。面白い顔をしていたっけ。
サーベルを投げつける。ああ、狙いがブレていたな、今のは。外す感覚は極めて久しぶりだが、それでもなんとなく解った。
それにしてもおかしい。
フミヤを相手に、これだけ手間取るものだろうか。
というか、いまいち集中していないように感じるな。
握ったサーベルに現実味を感じない。
夢だとでも思いたいのだろうか。
しかし私の甘えに止めを刺すように、フミヤの右腕は化け物へと変化する。
……ああ、そうか。
装備の性能は、装備者の意思によっても影響を受けることがある、そんな仮説が頭の隅を掠めた。
それによって、いつもより調子の悪い理由に、ようやく納得が行った。
——殺したいワケ無いだろう——。
レイダーだったとしても、私にとって彼女は彼女だというのに。
居場所だというのに。
緩みかけた、サーベルを持つ手を、もう一度握り締める。
ダメだ。私がやらなければならん。
他の誰かにこいつが殺されたとなれば、私はそいつを殺しかねない!
——スギサキに一撃一撃を繰り出すたびに——。
感情を振り切れ、置き去りにしろ。私は鬼だ。人の皮を被った冷徹な鬼だ。目の前の化け物は殺さねばならない。目の前の者は化け物だ。化け物だ。言い聞かせろ。自分に言い聞かせろ。気を緩めるな。その瞬間きっと、この脆弱なココロに全てを持っていかれる!
——胸の奥が隙間無く締め付けられるような気がした——。
狙いが微妙にブレる。今打ち込めば倒せ得るだろう相手の隙に本能が反応しない。なぜ俺の腕は言うことを聞かん。なぜ上手く動けない。なぜこうも全身が何かで縛り付けられたように重い。ああ、意思か。
——それと同じ痛みを今も感じた——。
きっと今の私は、泣きそうな顔をしている。
感情に呑まれる前に、この一息で終わらせようと、踏み込んで。
サーベルの切っ先は、ぴたりと、彼女の咽の直前で止まってしまった。
それからフミヤの右腕が、私を貫いて、