ダーク・ファンタジー小説
- Re: アビスの流れ星 ( No.37 )
- 日時: 2018/03/07 12:55
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: .0wZXXt6)
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目を疑った。
攻撃を受けた訳でもない。手入れを怠っていたなど私に限ってありえない。どこかに不備があった覚えも無い。
それでも私の装備は、アビスの簡単な挙動ひとつだけで粉砕された。
アビスは口の両端を吊り上げて嗤った。瞳は相変わらず深い闇を湛えている。
しかし明確な、突き刺さるほどの悪寒を全身に浴びた。
「フミヤ、避けろ!」
フミヤは咄嗟に反応する。私自身も全力でその場から飛び退く。
一瞬前まで自らが立ち尽くしていた場所に、白い槍の雨が殺到する。
右脚に激痛が走った。
避け切れなかった。右脚の裾が避け、肉が深く抉られる。激痛に思わず少し表情が歪む。
「シドウさんッ!」
「私は良い! 敵から目を逸らすな!」
フミヤの声に応える。
「大丈夫、フミヤを殺すつもりは無いよ」
アビスの声が聞こえた。
「尤も、シドウ。君はあまりに危険だから死んで貰うけど」
そう言い放って白い少年は両手を広げた。
凄まじい音が連続して響いて世界を埋め尽くす。しかし音が止んで、辺りが冷え切ったような静けさに包まれるまでは数十秒もかからなかった。
その静寂は、仲間が死に、レイダーも殺し終えた後にやってくるそれに似ていた。
私は無数の槍に四方八方を囲まれている。数え切れないほどの穂先が全て私に向いている。
避けるビジョンが浮かばない。私はこのとき、きっと死という概念を漠然と理解した。
フミヤが私の名を呼んだ。絶叫じみた声が耳に焼きつく。
アビスが手を振り下ろすと、全ての槍は私に向かって延びる。
目で追うのがやっとなほどの高速であるはずなのに、目に映る光景の隅から隅までがスローモーションに見える。
数多の鉄骨が重なって落ちるような音と共に、私の感覚は消えていた。
♪
ゆっくりと目を開くと、私はまだ幾本もの白い槍が辺りを覆う空間に居た。その中でも槍の影となっている一角に居るらしい。
どういうコトだ。確かに逃げ場は無かったはず。
「無事みたいですね。よかった……」
掠れた、弱々しい声が聞こえた。声が聞こえたほうに振り向いて、私は心臓を掴まれたような思いを味わう。言葉が咄嗟に出なかった。
横たわるフミヤに、幾本もの槍が突き刺さり貫通していた。
彼女の口からも、傷口からも、赤い血液が溢れ、流れ出している。
「……やっぱり、私は、レイダーだけど……人間だ。だって同じですもん、私の血の色も、大佐の血の色も……」
ちょっとだけ安心した、と言って彼女ははにかんだ。
それから大きく咳き込んで、血の塊を吐き出す。量は致命的だった。
「フミヤ……ッ!」
彼女に駆け寄って抱きかかえる。
幾ら彼女の身体が頑丈といえど、あまりにも凄惨な様相だ。
「クソッ……待ってろ、何とかすぐ帰還する手段を講ずる」
「ダメです」
浅い呼吸で、彼女は声を振り絞る。
「大佐なら……解るでしょ? それまで私の身体は保たない……」
それにアビスがみすみす逃がすとも思えない、と付け加えた。
「だが、このままでは!」
逸るあまり声を荒げる私を、フミヤは弱々しく指をひとつ立てて制する。
「ひとつだけ、地球も……貴方も、助かる方法が……アビスを倒せるかもしれない方法があります」
彼女は苦痛に顔をゆがめながらも、何とか微笑もうとした。
逆に見ていて痛ましい。何度も繰り返してきた仲間の喪失に慣れてなど居ないのだと思い知る。巨大な恐怖が眼前に迫っている。
フミヤを抱く指先は、縋るように力がこもっている。
「私は、化けることに特化したレイダーです。だからずっと、クラヴィスの面々を欺いて、人間でいることが出来ました……」
だから、と一息置いて言う。
——それは私ですら思い付きもしない、最悪の決断だった。
「バカか! そんなこと、出来るわけないだろう!」
「私はっ……」
フミヤは咳き込みながらも、なんとか言葉を絞り出そうとする。
その瞳はあまりに真剣で、思わず口を挟む事が躊躇われた。
彼女は息も絶え絶えに語る。
この世界で生きることの苦痛を。仲間達と何度も死に別れた悪夢の日々を。呵責に囚われ続けた牢獄のような毎日を。
その中で私たちと出会い、そして過ごした日々を。
彼女は途切れ途切れになりながらも語る。
それがどれだけ満たされた日々だったか。どれだけ救われたか。どれだけ愛しい時間だったか。
「……私の世界は、充分救われましたから」
彼女の目は、どこかずっと遠くを見据えていた。
やがてその瞳を私に向けた。どこまでも透き通った青空のように、綺麗な蒼い瞳。
なんと言う皮肉か、瞳孔の深い闇は、まるで青空に浮かぶアビスの黒い星を思わせた。
「大佐もスギサキも、大好きです。愛しています。だから……貴方が生きるこの世界を、今度は私に救わせてください」
気付けば私の頬を、一筋の熱い雫が伝っていた。
「やっと、泣かせることが出来た……」
「五月蝿い」
フミヤは目を細めて、また微笑む。
胸が擦り切れて千切れそうな程に愛しい笑みだった。