ダーク・ファンタジー小説

Re: アビスの流れ星 ( No.40 )
日時: 2018/03/10 19:13
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: n0SXsNmn)




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 ブラック・クリスマスは正午を前に終息した。
 単身アビス本体へ乗り込んだ日本支部のシドウ大佐による功績らしいが、本人の意向によりそれら事実は一般に公開されず、クラヴィス内の機密事項となっている。
 同第1部隊のスギサキ少佐は、クラヴィス上層部による裁断を待たず自ら行方を眩ませた。彼がどこへ行ったのか、何をしているのか誰も知らないままである。
 そして同第1部隊に所属していたフミヤ少尉は……否、レイダー「ナイアラトテップ」はアビス内でシドウ大佐の手により葬られたと報告されている。その証言には曖昧な点が多く、確かめようにも一切の証拠は白い欠片と共に、空の彼方へと飛び去っていた。
 そもそもバハムートの翼で構成された装備を失った彼がどうやって無事に地上へ帰還したのかも、本人でさえ判らないというのだ。

 ブラック・クリスマスの終わりと同時に、日本地域上空で広がるアビスは跡形も無く消失した。
 レイダーも未だある程度は地上に残り活動しているが、報告される限りでは増えることもなくなった。
 各地のクラヴィス隊員により、着々とその数を減らしつつある。
 レイダーの掃討で一般市民の居住区も広がり始め、実に半世紀ぶりの平和がその姿を垣間見せていた。

 しかし同時にひとつ奇妙な現象も、各地の隊員から報告されている。
 桜だ。
 レイダーの襲来によって荒廃した世界で、桜の樹など殆ど残っていなかった。 
 しかし世界各地の、一定の緯度でたびたび桜の木が目撃されるというのだ。
 研究者達の興味は目下、謎の桜に集まっているという。アビスが消失した事に由来するものだとか、新たな侵略者であるだとか、様々な憶測が飛交わされているが、いずれも流言飛語の域を出ない。
 確かにいえる事は2つ。
 1つ目はこの桜の木自体に何ら害はないということ。
 2つ目は3月上旬にでも、各地で満開の桜の花が見れるのではないかということであった。







 剣を鞘に収めた。
 目の前では、私より二倍ほど高い体躯のレイダーが音を立てて崩れ落ちてゆく。
 准将と言う地位に就き、レイダーの活動も比較的収まりはしたものの、私は未だに最前線でレイダーの掃討に加わり続けていた。
 誰かに命令された訳ではなく、自ら志願してそうしていた。

 ——あの後気が付いたとき、私は空を見上げて瓦礫の上に呆然と立っていた。
 驚くべき事は、私の身体が全く無傷であったことだ。アビスの攻撃によって受けた傷さえもが綺麗さっぱり消えていた。何より私は確かに地上へ落下していったはずなのに。その後も考察に考察を重ねたが、結局答えは出ないままである——。

 現在第1部隊のメンバーは私だけである。
 これも私が自らそう頼んだ。前例のない申請は、レイダーの活動が落ち着いている事もあって存外あっさりとまかり通った。
 どうしてわざわざそんなことをしたのかは私自身にも判らない。
 或いは、まだ私はあの二人が帰ってくる事を期待しているのだろうか。
 我ながら未練がましいと思う。自嘲気味にひとつ笑った。
 空を見上げる。あの日と同じ真っ青な空だった。その空には、もう、アビスの黒い星は無い。

 どこから流れてきたのか、桜の花が風に舞っている。
 その中で私は呆然と立ち尽くし、彼女が消えていったあの大空を見上げていた。どこまでも突き抜ける空の蒼さは、私に彼女と彼の姿を想起させる。

 風と共に遠い空の向こうへ過ぎ去った貴女。
 音もなく何も告げずに何処かへ旅立ってしまった貴方。
 2人の事を思い出しても、もう涙は出そうになかった。私が冷たい人間であるという証左なのだろうか。
 時間にしてみればたった数か月の間だった思い出が、堰を切って溢れだす。

 今にも壊れそうな笑顔で笑う貴女と出会ったあの日。
 耐えきれなくなって涙をぼろぼろとこぼしたあの日。
 クラヴィスの支部の中を2人で歩きまわって、陽が沈みかけた空を、屋上からで見上げたあの日。
 中身は等身大の少年であるのに、計り知れない重圧を一身に背負う貴方が私たちの許へ来たあの日。
 3人で、馬鹿な事で騒いだあの日。
 3人で、満天の星空を見上げたあの日。
 ただ一緒にいるだけで安らいだあの日々。
 私が抱いていた思い出の数は我ながら驚く程だったようで、前後のつながりさえわからない位に、無数の映像が浮かんでは更に巡ってゆく。
 自分で自分に呆れて、鼻で笑った。
 自嘲の笑みを溢し、それでも名残惜しく、晴天を仰いで2人の名前を呼んだ。その残響に縋りたかった。

「スギサキ……フミヤ……」























「呼びましたか、シードウさんっ」

 聞き覚えのある声が鼓膜を震わせた。

「随分とらしくねえ表情だな、シドウ」

 何かの合図のように、桜の花吹雪が、ひとつ春一番の強い風と共に流れてゆく。
 振り返った先に居たのは、左目を包帯で隠した少年と、灰色の髪の——……。

「……全く2人共、上官を待たせ過ぎだ」
「えへへ、ごめんなさい」

 ようやく絞り出した私の声は震えていた。涙腺と胸の奥が熱を帯び始め、きっと抑え込んでいた想いが、願いが溢れる。
 彼は皮肉げに、彼女はいたずらっぽく苦笑して。それから目尻にほんの僅かな涙と、とびきりの笑顔を浮かべる。
 きっと互いが互いに、ずっと待ち望んでいた言葉だった。

「おかえりなさい」
「——ただいま!」