ダーク・ファンタジー小説
- Re: アビスの流れ星 ( No.41 )
- 日時: 2018/03/11 19:05
- 名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: vGcQ1grn)
Epilogue
「結局、最後までわからないことだらけだったなあ」
「……そうだね」
「どうして僕じゃなくて彼らの味方をしようと思ったんだい?」
「わかんない」
「自分のことなのに、わかんないの?」
「わかんない」
「そっか。不思議だね」
「じゃあどうしてアビスは、シドウさんを助けたの?」
「……わかんないや」
「そういうことだよ」
「そういうことなんだね」
「うん」
「結局おいしいも、まずいも、好きも、嫌いも、楽しいも、つまんないも、他にもいろいろ……僕もわかんないままだったなあ」
「……そう」
「おいしいってどんな感覚だった?」
「……辛かったりとか、甘かったりとか、しょっぱかったりとか……いろいろ」
「うん、やっぱりわかんない」
「……じゃあ聞かないでよ」
「彼らと居て、幸せだった?」
「きっとあなたには、幸せもわからないのに?」
「でも、見てたらなぜか、幸せそうだなって思った」
「……うん、幸せだった」
「楽しかった?」
「楽しかった」
「戻りたい?」
「でも、私はもう……」
「でも、じゃなくて」
「……うん」
「君は、君をレイダーだと思う? それとも人間だと思う?」
「わたし、は」
「うん」
「私はレイダーで……人間、だ」
「そっか」
「うん。人間で居たい」
「僕も人間が好きだったよ。僕の知らないことをたくさん知っていて、幸せそうに笑う君たち人間が大好きだった。僕も君たちの中に混じりたかった。もっと話したかった。一緒に笑いたかった。」
「アビス?」
「僕が食べてきた『人間』の部分は君にあげる。だから、ちゃんとずっと幸せでいること」
「……うん」
「僕は、いつでも君を見守っているから」
「うん」
「……それじゃ、いってらっしゃい」
「うん。いってきます」
♪
アビスの黒い星が消えてから、クラヴィスという組織は変わり始めているようだ。
レイダーの減少を受けて、本格的に復興支援へ乗り出しているという話だった。荒廃した各地域の開発や、住む当てや身寄りを失った人々の受け入れ、農林水産業の復活に向けた動き等も行っているらしい。
詳しい事は私にもよく分からない。しかしアビスとの戦いが終わり、新たな戦いが始まっているという事だけは分かった。
それは「生きる事」だ。
「死にたい……!」
そして私は机に突っ伏して口から魂をはみ出していた。
ほぼほぼ生きる屍と化している私の隣ではスギサキが哀れな虫を見るような嘲笑を浮かべており、傍らで立つシドウさんはため息をつきながら指先で眼鏡の位置を直す。
彼がマグカップを置く、硬質で小さな音を聞いて、私はあれが始まると予感した。
「そこは先週も滾々と教えた箇所だ。さてはフミヤ、あれだけ言ったのにまた復習を怠ったな?」
そら来た。
この人こそいちいち言い方がしつこいのは、会った時からちっとも変わっちゃいない。
「私の貧相な脳ミソじゃこれが精いっぱいなんです!」
シドウさんに言われていた宿題をサボったのは事実なので、そこにはあえて触れない。いや厳密にはサボっていたワケではない。単純に失念していたというか、私の脳が自動的にタスクを整理した結果、優先度が低めに設定されたというか。
「良いかフミヤ、私もお前がどうしてもと言うから、研究の合間を縫ってこうして勉強を見に来ているんだ。良いか決して暇じゃないんだ、分かるな?」
「ああもうネチネチと言われなくても分かってますよごめんなさいね!」
「一応脳ミソが貧相な自覚はあるんだな」
「スギサキもうーるーさーいー! そのクックックって感じで笑うのやめて! なんかすっごい馬鹿にされてる気がする!」
スギサキは自覚があるんだか無いんだか、誰かをいじったり意地悪したりする時はそれこそ心の底から楽しそうに笑う。しかも表面的には押し殺す感じで。その上何が小憎たらしいって、彼が肘をついている下で開かれている参考書のページは、9割型がクセのある赤い丸で埋め尽くされているという点だ。
シドウさんは分かる。元々が若くしてクラヴィスの上層部に居たエリートだし、座学をきちんと勉強しなくちゃならない機会も多かったらしいから。
でもしかし何だってスギサキは聞いた限りそういうのとは無縁らしいのに、普段は私より勉強をしているようにも見えないし、涼しい顔してここまで頭が良いのか。神は死んだ、不平等だ。天は人の上に人を作ったと思う、絶対。
「スギサキもつまらない所でミスをするな。ケアレスミスと答えの見直しをしないのがお前の悪い癖だ」
「良いじゃんかよ別に、グラムとかキログラムとかそんぐらい。細かい事気にしてっと将来ハゲるぞ?」
悶々と意味不明な証明問題に向き合いながら頭から黒い煙を出す私の、隣でシドウさんとスギサキが小言と軽口の応酬を交わす。
これが今の私たちの日常だった。
クラヴィスが復興支援として乗り出した事業には、学校を始めとした教育機関の再興も含まれている。
私とスギサキはクラヴィスが出資する学校に通っていた。
スギサキは、私をクラヴィスへ引き入れた責任について追及されかけた。しかし最終的には数え切れない程のレイダーを迎撃して見事に日本支部を守り切った功績と、シドウさんがアビスに乗り込む為に必要不可欠だったバハムートを討伐した本人である事、なんとか処分はクラヴィスからの除名に留まった。
彼の手足は今も義肢だけれど、レイダーの素材を使ってはいない。
私は私でいつの間にか死んだ事になってしまっていた為、登録上はシドウさんが拾って来た養子として過ごしている。
シドウさんは私とスギサキをクラヴィスの追及から庇い、最終的に准将としての地位を捨てたらしい。それでも一部から糾弾は上がり続けていたけれど、事実上レイダーとの長い戦いに終止符を打った英雄に、真っ向から波風を立てられるような組織や個人はほとんど居なかった。
今はクラヴィスの系列にある研究所で、天文学の研究に従事しているようだ。
それぞれがそれなりに忙しい日々を送っている。けれど私たちは、週に1度くらい3人でシドウさんの研究室に集まっては、こうして勉強会を開いたりしていた。
大抵は私が分からないところに音を上げて、スギサキはそれを皮肉気に鼻で笑い、シドウさんが呆れた様子で溜め息をつくという光景の繰り返しだけれど。
「溜め息ばっかりついてると、幸せが逃げちゃいますよ?」
「誰のせいだと……」
「ところで今日は屋上行かねえのかよ?」
スギサキの提案に、私とシドウさんは壁の時計を見上げる。そろそろ21時に差しかかろうかというところだったので、私たちは揃って上着を羽織り、研究施設の屋上へ向かう事にする。
こうして勉強会をするようになってから、恒例のものがもう1つあった。
やっぱりまだ風は冷たい。けれど少しだけ春の匂いを運んでいた。どこから運ばれてきたのか、桜の花がひとひらだけ鼻の先に柔らかくぶつかる。
研究施設の屋上には、並んで腰を掛けられるような一画がある。座って空を見上げると、春先の空にはひとつひとつ違う星が瞬いていた。おとめ座のスピカ、しし座のレグルス、うしかい座のアルクトゥルス……近頃は覚えている星座も増えてきたように思う。
毎週毎週シドウさんの話を聞いていれば当然かもしれないけれど。
ただ、この時間は何よりも好きだった。
「北斗七星が見える位置は、一年を通してほとんど変わらない。その為昔は夜の漁へ出たりする時、方角を確かめる為の目印ともされていたようだ」
今はもう専門家なのだし当たり前かもしれないけれど、シドウさんが話すネタは尽きない。
毎週違う内容をゆっくりと、落ち着いた様子で丁寧に語ってくれる。この時ばかりはスギサキも茶々を挟んだりはしない。ただし、全くではないけれど。
空を見上げて、スギサキと並んで座り、シドウさんの話を聞きながら、私は思い返す。
アイカワ隊長、マツヤマさん、アルベルトさん、ミズハラさん達は勿論、他にもたくさん死んでいった人たち。果てしない時間を彷徨い続けて、ここに辿り着いたアビス。
私はきっと、あまりにも多くの屍の上で生きている。言ってしまえば私が奪った命だって含まれているのだろう。
申し訳なさで涙を流して、迷惑をかけながら過ごしている日々を後悔して、いっそ死んでしまえと自分を呪う夜を何度も繰り返してきた。もう居ない人たちの笑顔を思い浮かべながら、自分はどうして生まれてきてしまったのだろうかと、今だって疑問に思わずには居られない。
ただアビスと対峙したあの瞬間から、少しだけ「生きていたい」と思えるようになってきた。
私を責め続ける私もここに居るけれど、私に生きろと願う人達も確かに居る。
シドウさんも、スギサキも、そしてアビス自身ですら、それを言ってくれた。
私なんか死んでしまえと祈り疲れた先で、ようやく会えたあなた達がそう言ってくれるのなら。
消えない悲しみにさえも、優しくそっと触れながら、ゆっくりと手を繋いで歩いていきたいと思える。
何もかも吸い込んでしまいそうなミッドナイトブルーの夜空に、まるで道標のような星が幾つも頼りなく、しっかりと瞬いている。
一面に広がる数え切れない程の道標は、何も言わずに私達3人を見守っていた。
「あっ……流れ星」
一番最初は私だった。けれどシドウさんとスギサキもすぐに気付いたらしい。
音もなく一筋の流れ星が煌めく。
私は思わず少しだけ笑いをこぼしてしまい、シドウさんとスギサキは不思議な顔をする。
慌てて願い事をしようとして、私は気付いたのだ。私の願いは、きっともう叶っているという事に。
私につられて、シドウさんも困ったように、スギサキも皮肉気に笑う。それはもう見慣れた、愛しい表情だった。
「シドウさん、スギサキ」
これは秘密だけれど、私は2人の名前を呼ぶ時、口先と胸の奥に確かな充足感を覚えるのだ。
2人共ぶっきらぼうで短い返事をしながら、私に視線を合わせる。
改めて言うのも気恥ずかしくて、少し言い淀んだけれど、声にする瞬間は自然と笑顔になっていた。
「ありがとう。これからも一緒に居たいな」
「ああ」
「当たり前だろ」
照れ臭さで顔が火照って、夜風の冷たさは気にならなかった。
心地良い静寂の中、私たちはしばらくの間、並んで星空を見上げていた。
そうしてこの場所、この時間に共に生きている実感を、これから過ごしていく未来を噛み締めていた。
アビスの流れ星・了