ダーク・ファンタジー小説

Re: アビスの流れ星 ( No.6 )
日時: 2017/08/30 08:30
名前: Viridis ◆vcRbhehpKE (ID: fuzJqlrW)








 時間が凍りついた。
 私たちの誰もが動きを止める中で、首から上を失ったミズハラさんが倒れる。コップが横倒しになる様を連想した。彼の体は地面に伏すと、断面から赤いものを噴き出す。
 倒れたミズハラさんの体は微動だにしない。悲鳴ひとつあげることなく、彼は物言わぬ肉塊と化した。

「総員、戦闘態勢をとれッ!!」

 隊長の号令を受けて我に返る。
 途端に意識へ飛び込んできたのは、目の前の大きな化け物。レイダー。
 先ほど確かに私が殺したはずの、しかし現に、引き裂かれた頭部から灰色の体液を流しながらも4足で立っている怪物。

「なん……で、立ってるの……?」

 私の問いかけは、異形の生物には届かないらしい。
 私は腰に差していた二本のサーベルを再び掴んで構える。他のみんなはすでに臨戦態勢へと入っている。
 固唾を飲んで、怪物の次の動作を待つ。まだだいぶ混乱している。まずは落ち着け、私。
 レイダーは前足でミズハラさんの頭を飛ばしたきり、隙間風がもれるような呼吸音と、灰色の体液が落ちる音を鳴らすばかりで、立ったまま動かない。
 しかし少なくとも瀕死ではないように思えた。
 レイダーの首がゆっくりと動き始める。思わず全身の筋肉を張り詰めて身構えする。
 だが、そいつは私ではなく足元のミズハラさんの死体に首をもたげた。それから触手の奥にあった、恐ろしい牙が並んだ口をがぱと開いて、ミズハラさんの死体を食べ始めた。
 水っぽい濡れた音が静かに響く。
 さっきまでミズハラさんだったものが、目の前でどんどん形を崩していった。腕の部分を引き裂かれてから、お腹を食い破られて、吐寫物のように色黒い内臓が零れ出た。
 見ていて、形容しがたい妙な気分を味わった。

「アルベルト、撃て!!」

 同時に撃鉄を引く音と爆音。それから多少の、肉らしきものが爆ぜて飛び散る音。
 化け物の大きな頭部が狙い撃たれ、開いた傷口が更にぐずぐずになった。
 レイダーは衝撃を受けて少しよろめいたものの、倒れずにすぐアルベルトさんの方へと向き直った。

「……どうしてこうなった」

 アルベルトさんは次の弾を装填しながらレイダーを見据える。

「頭部を攻撃しても意味ないのか? アルベルト、次は奴の脚を狙え。動きを封じてから全身をずたずたに切り裂く」
「素材はいいのか?」
「この際そうも言ってられない。こいつはちょっと、異常だ」
「りょ」

 アルベルトさんが返事しながら、もう一発銃声。
 ライフルから放たれた弾丸は狂い無く、レイダーの前脚を的確に貫いた。
 これは効いたらしい、レイダーは聞くに堪えない絶叫をあげて巨体を仰け反らせた。
 それからもう一度、大きな前脚で地面をつく。その拍子にミズハラさんだった肉の塊は、完全に潰された。

「まだ俺のターンは終了してない——ぜ」

 アルベルトさんが言うと同時、彼の上半身と下半身が分断される。
 下半身が倒れるよりも、上半身が無造作に転がるほうが早かった。大きなライフルが彼の手から離れ、重い金属音を立てて落ちる。

「アルベルトッ!!」

 彼の死体をゆっくり眺めるより先に、レイダーがもう一体居たという事実に気づく。
 彼が立っていた場所のすぐ後ろに、二本足で立つ化け物の姿があった。化け物は灰色で、両腕が鋭い鉤爪になっている。顔は無く、代わりに頭部を歪な水晶体が覆っていた。

「糞が……嘘だろ、もう一体!? 反応は無かったはずだ!」

 隊長がうろたえるところなど初めて見た。
 鉤爪を血で濡らしたレイダーは、腕を振って血を払い落とす。
 そして——その姿は文字通り空気に溶けるように消えた。
 おおよそ見たことのない現象だ。理屈はわからないけど、奴は姿も反応も消せるということらしい。

「……撤退だ! 退いて態勢を立て直す——」
「——隊長、危ないッ!!」

 隊長が撤退の指示を下すより早く、マツヤマさんの絶叫が飛ぶ。
 先ほどの姿を消せるレイダーに気を取られた隙に、四足歩行のレイダーが彼との距離を詰め、大きな口を開いていたところだった。
 飛び込んだマツヤマさんが隊長の体を弾き飛ばして、隊長は間一髪のところでレイダーの牙から逃れ、地面に転がる。
 だけど。

「マツヤマぁっ!!」

 マツヤマさんの体は、下半身と左腕をレイダーの牙に囚われた。牙の一本が腹部を貫通しており、だらんと下がった左腕は肘から先が失せていた。下半身が口の中でどうなっているかは想像もつかない。
 彼女は口から血を吐いて、しばらくは愕然と目を見開いて隊長の顔を見ていたが、それからゆっくりと微笑んで口を開く。

「隊長、私、貴方のことが……」

 言葉が最後まで紡がれる前に、レイダーが彼女の身体を噛み砕いた。牙から外に出ていた彼女の胸から上が、滴る血液と一緒に地面に転がる。
 隊長は何も言わなかった。言えなかった。ついに尻餅をついて、呆然とマツヤマさんを噛み砕いたレイダーを見ていた。
 そんな隊長を両断するのは、先ほど姿を消した、鉤爪を持つレイダーにとって容易いことだった——。







 ——次に気付いたころ、私は空を見上げていた。
 綿を裂いたような雲が浮かんでいる、柑橘色をした空の真ん中に、大きな黒い星が口を開けている。
 私の周りには、今日まで仲間だったものたちの骸。
 私たちはクラヴィスの隊員。アビスの出現と共に現れた、レイダーという化け物を倒すことが仕事。
 そして、これが私の日常である。