ダーク・ファンタジー小説
- Re: 死にたがり少年と壊したがり少女 ( No.3 )
- 日時: 2018/04/17 08:46
- 名前: hiGa ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
今日も篠宮は帰りたくもない家に向かって歩く。そこに戻ることが義務づけられているため、篠宮は逆らうことができないのだ。家に帰らないという選択肢は彼には無い。帰宅せず、その行動は彼の父や姉に対する抵抗なのだと無意識のうちに彼に刷り込まれているからだ。そして自分が理解しているかとは無関係に、その抵抗行為を彼は意図せずして避けている。
彼は成長の過程で、生き延びるために抵抗を犠牲とした。自らに課せられた不条理を手で払おうとする行為は、それ即ち火に油を注ぐだけの結果しか引き起こさなかったからだ。だからこそ彼は、たとえどれほどの理不尽でも、不幸であろうと全てを受け入れる。なぜならそれが彼なりの生存戦略だからだ。
退屈でためにならない授業と神田林からの暴力を受けるためだけの学校生活。それもきっと反旗を翻すべき不条理であるはずなのに彼は決して反抗しない。学校へ行かずとも、理由の無い暴力は彼を襲う。だから彼は毎日登校し、そしてまた下校する。
ただし、今日だけは彼の下校風景はいつもと違っていた。いつもならばまだ陽の沈まぬ明るいうちから、俯きながら顔を隠し、ひっそりと孤独に帰っている。しかし今日はそれとは異なっており、隣に同級生の女生徒を携えていた。整った目鼻立ちの、非の打ち所のない美しい少女。ただしその目は虚空を睨んでいるかのように焦点がぼやけていた。
言わずもがな、天上ヶ原 魅修羅である。
「篠宮くんの家はどのあたりにあるの?」
「見たいの? 変な人だね」
「そんな事言わないでよ。一戸建て? 借家?」
「借家だよ」
それは貧相な生活を送っているのね。悪びれなく彼女は淡々と告げた。ただし淡々としているのは表面上だけだと篠宮はすぐに見破る。この女は瞳の奥では、自分がどのような反応を取るのか楽しみに観察しているのだとはすぐに分かった。
ただ、彼女の遊び心とは無関係に自分の家が貧乏扱いされることは彼にとってはどうでもいい事だった。三度の食事や家賃にすら手が回らないほど我が家の経済事情は困窮を極めると彼は理解している。何せ彼は時折一日一食にまで切り詰めさせられることがあるのだから。
「止めないけど、僕の家には来ない方がいいかもしれない」
彼女が篠宮家までやって来るとしたら確実に起こるであろう暴力が懸念される。自分がどうこうされることは構わないし慣れているが、場合によっては天上ヶ原にまでも危害は及ぶ。それを防ぐためにも彼は彼女に引き返した方が良いと忠告した。
「何々? もしかして彼女さんに怒られるとか?」
「半分くらいは正解だね」
「もしかしたら殺されちゃうかも?」
「どうかな。あの人は僕に群がる蝿よりも僕にあたってくるタイプだからね」
ただ、天上ヶ原の目的が達成できなくなる。そう彼は言った。下手に天上ヶ原という綺麗な少女と彼が交遊関係を築いたことを知ったとすると、天上ヶ原が手を出すよりも早くに篠宮はきっと壊されてしまう。それはきっと天上ヶ原の本意ではない。
「へえ、じゃああなたを壊すのは学校での方が良いかしら?」
「うん、そうだね」
あの人が誰であるのか、彼は語ろうとしない。しかしかといって天上ヶ原にとってはそんな些末な事はどうでもいい。大事な事は、下手な刺激を加えると大切な玩具を壊されてしまうという事。その詳細の如何に関わらず避けたい事態だ。
だからこそ彼女は明日へと思いをよせて踵を返した。くるりと回った彼女の動きに、脛の辺りまでのスカートが翻る。他の女生徒が膝の上まで短くしているのと比べると長めにしてある。短くすると人目を憚る、彼女としてはひっそりと趣味をこなしたいため、服装だけは正していた。
「じゃあまた明日ね、時雨くん」
「ちょっと馴れ馴れしいよ。別にそれでも良いけどね」
お互い目線を会わせるどころか、背を向けて別れを告げる。仲睦まじくなど決してない関係は、歪としか言い様がない。そのはずなのに、彼らはこれを歪んでいるだなんて考えない。それは、彼や彼女がもっと歪んだ環境に住み着き、また、歪んだ環境を産み出しているからかもしれない。
天上ヶ原と別れた篠宮はコンビニのある角を曲がった。木造建築、築数十年の古いアパートが目に入った。今にも潰れそうな、傾きかけの粗末な建物。幽霊が出そう、というのは少しあり得ない表現だろうか。
歩いていくと、何だか妙な予感がした。何かが普段と違う。あの人が帰っていそうだと、咄嗟に彼は判断した。
よく見てみると、バイクが止まっている。あれはきっと、例の人物が職場に行くのに使っているものだ。それならばやはり、彼女は今家にいるのだろう。
鍵はかかっていないようで、直接篠宮はドアノブを捻る。扉を開けると、居間の方から聞こえてきたのは圧し殺すような淫声。そしてさらには、肉の打ち付けあう音。
近寄らないように、彼は寝室へと向かう。邪魔をすると父親が怒鳴り散らすからだ。彼を傷つけないためにも、息子である篠宮はまるでその場にいないかのように振る舞う。
陽の差し込まない薄暗い部屋の中でぽつりと彼は呟いた。
「やっぱり帰ってたんだね、凛姉さん」