ダーク・ファンタジー小説

カラミティ・ハーツ 心の魔物 Ep2 大召喚師の遺した少女 ( No.2 )
日時: 2018/07/17 16:54
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

〈Ep2 大召喚師の遺した少女〉

 
——人は、心を闇に食われたら、魔物になる——。

「……いったいどうして、こんなこと」
 リクシアはぽつりとつぶやいた。白の髪が不安げに揺れる。赤の瞳は混乱を湛え、小さなその全身は震えていた。その顔にはどこか、あの大召喚師リュクシオンの面影がある。彼女はリュクシオンの妹だった。彼女は戦争が始まった際に「危険だから」と国外に逃がされた。故に破滅を免れた。
 リュクシオン・エルフェゴールは召喚した天使を制御しきれずに暴走させ、あれほど大切に思っていたウィンチェバル王国を破滅させたという。直接その目で見たわけではないけれど。人々から話を聞いて、リクシアはその情報を知った。
 リクシアはそれを聞いて、運命のあまりの理不尽さに嘆く。
「おかしいよ……。何で、何で、こうなるの……? 兄さんは、ただ国のためを思って……! こんなの理不尽だよ……!」
 リクシア・エルフェゴール。彼女は、あのリュクシオンの妹。 あの日、あの時。ウィンチェバル王国内にいた人々は皆、死に絶えた。リュクシオンの呼びだした天使によって、敵味方の区別なく皆殺しにされた。
 国を守るために、神に願って得た力。しかし彼はその力で、国を滅ぼしてしまった。そして、絶望のあまり、心を闇に食われて、魔物と化してしまったのだ。
「こんなの、おかしいよ……」
 リクシアの口から言葉が漏れる。
「兄さんは、兄さんはただ、国を守れればそれでよかったのよ! こんなこと誰が望んだの? 誰も望んではいない結末に、最悪の結末にどうしてなるのッ!」
 リクシアの両の瞳から流れだしたのは熱い雫。
 彼女は思う。理不尽だ、兄に起こったことは、あまりにも理不尽だと。だから、探そうと思った。魔物と化した大切な兄を、元に戻す方法を。
 魔物と化した人間は元に戻らない、それがこの世界の法則だ。過去の文献を漁れば元に戻った人間の話もあることにはあるが、それは童話や物語のようになって語られていて、真偽は確かではない。そして歴史書や正確性の高い文献に、そんな話は一切出てこない。魔物と化した人間の話は出てくるにもかかわらず。
 リクシアは呟いた。
「魔物は二度と戻らない? そんな法則……なら、私が変えてみせるわ」
 心が闇に食われたら魔物になるのならば。心を光で満たしたら、人間に戻れるのだろうか。
「……生き残ったのは私だけじゃないはず。だから、探すわ。探して兄さんの前に連れてきて、言うんだから」
 あなたはすべてを滅ぼしたわけじゃない。見てみて、ほら。私たちは、生きているよ——と。
 そのためにはまず、情報をもっと集めなければならないなとリクシアは思った。
 と。
 リクシアの耳は悲鳴を捉える。
「わぁぁああああ! 魔物だ、魔物が来た!」
 突如上がった悲鳴に、リクシアははっとなった。光と風の魔導士である彼女は、懐に忍ばせた杖を握りしめる。彼女に召喚師の才こそないが、代わりに彼女はそこそこ優秀な魔導士だった。
 やがて彼女は見つけた。街の真ん中で、狂ったように暴れだしている人ならぬ異形を。
「本当は、魔物すべてを元に戻せればいいんだけどっ!」
 しかしそもそも方法がないし、もしもそんな方法があったとしても、そこまでの慈愛は持ち合わせがない。彼女は兄を救うだけで精一杯なのだ。魔物化した人間なんて、この世界には限りなくいる。それだけ、人を狂わせる原因は各地に広がっているのだ。この世界はそんな世界だ。
 逃げ惑う人々の波をかき分け、リクシアは見た。腕に意識を失った白い少年を抱き、座り込んだまま迫りくる魔物を迎え撃たんとする、鋭い目をした黒い少年を。
 全てを救おうなんてリクシアは思わない。それでも、目の前にいる人くらいは救いたいと思った。そのための力だ、そのための魔法だ。
「光よ来たれ、敵を撃て!」
 とっさに叫び、放たれる呪文。それは魔物の目を灼いた。
 目のくらんだ魔物は怒りの咆哮を上げ、魔法の来た方向にその体の向きを変えて闇雲に突進しようとする。そんな魔物に対して、挑発するようにリクシアは叫んだ。
「あなたの相手はこの私よ! 馳せ来たれ、心の底なる、風の狼!」
 続いて唱えられた呪文。どこからともなく、風でできた半透明の狼が現れ、魔物に勢いよくぶつかって押し倒した。
 悲鳴。視力を奪われた魔物は必死に抵抗するが。その身体を魔物の爪で牙で裂かれても、風の狼は魔物を攻撃し続けた。そもそも風に実体なんてない。風の狼を倒すには、相手も魔法を使わなければならない。
「彼方を駆けよ!」
 叫べば、狼の力が強くなる。
「さぁ、とどめよ! あなたは元は人間だった、それはわかっているけれど……仕方がないでしょ、魔物になっちゃったんだから!」
 風が魔物の喉を切り裂き、そして魔物は息絶えた。すると、魔物の遺体は男の遺体に変化する。。
 魔物になっても、心が消えても。死んだら元の、人間になる。魔物は最初から魔物だったわけではない。彼らは心を闇に喰われただけで、そうなる前は人間だったのだ。
 だから、リクシアは魔物になった人間を殺すことを辛く思う。殺したら、人間だった元の姿が現れる。それを見るとリクシアは、自分が人殺しをしたような、何とも言えない重い罪の意識を感じるのだ。
 リクシアは遺体から目を上げた。結果として助けることになった先ほどの少年たちに近づいていく。彼女は優しく声を掛けた。
「大丈夫? どこか、怪我とかない?」
 近寄ってみると、黒い少年が足に怪我をしていることがわかった。心配げな彼女に彼は冷静に返す。その声は低めだ。彼は漆黒の髪と赤い目をしていた。歳はリクシアよりも上だろうか。
「……大事ない、この程度。フィオを守るために、動けなかっただけだ」
言って、彼は腕に抱いた白い少年のことを意味ありげに見つめた。フィオというのは、彼が腕に抱いた白い少年のことらしい。
「とりあえず、助かった。オレだけじゃ、フィオを守りながらだと正直きつかったかもな。あんたは魔導士か?」
 黒い少年の問いに、ええ、とリクシアは返す。
「はじめまして、私はリクシア・エルフェゴール。光と風の魔法を使うわ。あなたは?」
「アーヴェイ。こっちはフィオルだ。ん? エルフェゴール? 聞いた名前だな……」
 リクシアはうなずいた。
「大召喚師、リュクシオン・エルフェゴールのこと、聞いたことある? 私は彼の妹よ。国外にいたから、災厄から逃れられた。国外に逃がされたから、私は今生きていられるの」
 アーヴェイと名乗った少年は皮肉げにその口元を歪めた。
「……あの元英雄の妹か」
 その口調は、リュクシオンを知っているようだった。
 リクシアは訊ねる。
「兄さんをご存知なの?」
「ああ」
 アーヴェイと名乗った黒い少年は頷いた。
「オレはウィンチェバルの者ではないが……。ウィンチェバルをふらりと旅した折、一度だけ、力を得る前の奴に会ったことがある。とにかく必死でちっぽけな魔法の才を磨こうとしていて、少しでも国のために、国のためにって……そこには狂気じみた盲信のようなものを感じたが、人となりや印象は悪くなかった」
「そっか……」
 それを聞いて、リクシアは複雑な気持ちを抱いた。
 リュクシオンはリクシアにとって、優しく格好良いお兄ちゃんだった。リクシアが泣きだせば優しくその頭を撫でてくれ、リクシアが不機嫌な時は根気強くその理由を聞いて原因を解決しようとしてくれた。しかし彼は「国のために」を掲げてそれにひたすら突き進み、滅多に家に帰ってくることはなかった。だからリクシアは兄が好きだけれど、同時に滅多に帰ってこない兄に対して、寂しさのようなものを感じていたのだ。リクシアにとっては国のことなんて正直言ってどうでもよかった。 彼女はただ、家族で平和な日々を送りたかっただけなのだ。
 そんな彼も、全て報われずに魔物になった。
「アーヴェイ、さん」
「アーヴェイでいい。何だ」
 リクシアは、一つ訊いてみた。
「……魔物になった人って、元に戻るって思ってる?」
 途端、アーヴェイの表情が一気に暗くなる。リクシアは、彼の触れてはならないものに触れてしまったと知った。
 アーヴェイの赤い瞳が地獄を宿して、静かに言う。
「……戻したい人がいる。戻るわけがなくとも、諦められない人がいる」
「…………!」
 それは半ば、彼にも魔物となった大切な人がいる、と言ったも同然だった。
 魔物になった大切な人がいる。そのつらさ、その悲しさは、魔物となった兄を持つリクシアにはよくわかる。
 これはデリケートな話題だった。それと気づかずに、リクシアは土足で踏み込んだ。
 この世の中だ、いつ、何があるかはわからない。ほんの些細な理由から、人は魔物になってしまう可能性を秘めている。偶然助けた見知らぬ人間が、魔物になった知り合いや大切な人がいないとは言い切れない。これはリクシアの失言だった。
「ご、ごめんなさい……。あのね、私ね、兄さんをどうしても元に戻したくって」
「戻せるわけがないだろう。今更下らん夢物語をオレに語るな」
 その言葉に、リクシアはカチンときた。アーヴェイの全てを切って捨てるような言葉は、彼女にとって、兄が魔物になってからの自分を全否定されたような気がしたからだ。自分の決意を、自分の思いを、自分の挑戦を、何もかも無かったことにされたような気がしたからだ。
「あのさ! 夢物語、夢物語ってさぁ、自分から何もしようとしないで最初から全否定しないでよッ!」
 返されたのは、冷静な、あまりに冷静な、言葉。
「ならば聞くが、人間は道具や魔法の助けなしで、空を飛ぶことができるのか? できないだろう。魔物を元に戻せないというのは、人間が空を飛べないのと同じくらい当たり前のこと。そんな下らんことにムキになるなんて人生無駄だぜ。そりゃあ全否定もするだろう」
 その声は、どこか彼女を嘲笑うような調子を帯びていた。
「馬鹿にしないでよッ!」
 怒ったリクシアの周囲で風が吹く。
「私のこの思いは、決意は、怒りは、全てすべて本物なんだから。だから私はこの世界の法則を変えてみせるわ、それがどんなに傲岸不遜な思い上がりだとしても。だから黙って見ていなさいよね!」
 リクシアは、燃える赤の瞳でアーヴェイを睨みつけた。
 アーヴェイは呆れた顔をした。その顔の奥には、面白いものでも見るような光がひらめいている。
「何だ、その傲岸不遜な言い方は? 大召喚師の妹だからって、自分が何様だと思っているんだ? その名称も、大召喚師なしでは得られなかったものだろうに。……だがな、面白いじゃないか、大召喚師の妹。オレはあんたの向かう先を見てみたくなった」
 アーヴェイは、笑った。おかしそうに、笑った。
「ハ、ハハ、ハハハ! いいじゃないか、やってみろよ、やってみせろよ。変えられるというのならば、法則を変えて見せろ。それができた暁には、ハーティも元に戻るかもしれないしな……」
 呟きの中に込められたのは、面白がる調子と一つの願い。
 小さく彼はうなずいた。
「オレはやることがなくて暇だった。だからなんだ、折角だから、あんたの夢物語にも付き合ってやろうか、と提案するが、どうだ。その先であんたがもしも魔物を人間に戻すなんて物語を夢ではなく現実にすることができたのならば、それが万人に通用する方法ならば、オレたちの大切な人もきっと元に戻れる。そんな身勝手な理由からだが、オレはあんたの旅について行きたくなった」
 リクシアの表情は複雑だ。
「私のすべてを否定した、いけすかない奴って思っているんだけれど……正直、一人きりの旅では不安なことも多いの。私、まるっきりの素人だから」
「それで旅に出ようとしていたのか?」
 アーヴェイは本当に呆れてしまったようだった。
「全く、見てられないな。そんなので世界に挑むなんて無謀にもほどがある。そんなわけで同行することになったアーヴェイだ。こっちはフィオル」
 アーヴェイは、目を覚まさないフィオルを心配げに見詰めながらもその手を差し出した。
「これからよろしくな」
 運命は、回り始める。

カラミティ・ハーツ 心の魔物 EP3 天使と悪魔 ( No.3 )
日時: 2018/07/18 15:01
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

〈Ep3 天使と悪魔〉

「とりあえず、このままもなんだし、どこかに行って話そう?」
 リクシアはそうアーヴェイに提案した。アーヴェイはうなずき、まだ目を覚まさないフィオルを背負い、立ち上がる。が。
「……ッ!」
 彼の怪我をした足に痛みが走り、激しくよろめいた。
「だ、大丈夫?」
 駆け寄るリクシアを、何でもないと手で追い払う。
「宿くらいはある。そこで手当てするさ」
 アーヴェイは放浪者だが、この町には何度か訪れたことがあり、それなりに土地勘がある。
 アーヴェイの案内に従って、リクシアは宿を目指した。

「やぁ、アーヴィーさん。……って、フィオルさん!? というかアーヴィーさん、その怪我どうしたんすか」
「アーヴィーじゃない、アーヴェイだ。何回言えばわかるんだ全く……。ところで部屋は空いているか?」
「空いてまっせー。そこのお譲ちゃんはお仲間で?」
「そうだ」
「なら、二部屋空いてるんで、鍵渡すからそちらにどうぞー」
「助かる」
 顔見知りらしい宿の主と簡単な会話をすると、アーヴェイは階段を慎重に上って行った。リクシアがそのあとをついていく。
「さて」
 あてがわれた部屋には机と椅子があった。アーヴェイはそこにリクシアを招く。
「とりあえず、当分はここにいる。フィオが良くならなきゃ話にならん」
 言いながら、彼は足の傷の手当てをする。リクシアは訊いてみた。
「あのー。フィオルさんはどこか悪いの?」
「生まれつき病弱なんだよ。でも今回は違うぜ。あの魔物にぶんなぐられた」
 その答えを聞いて、リクシアの顔が心配に曇った。
「大丈夫なのかな」
 さあな、とアーヴェイは首をかしげる。
「オレが間に割って入ったから、そこまでひどくはないだろうが……。前にも、こういうことがあった」
「そうなの……」
 と、ベッドに寝かせていたフィオルが、身じろぎをした。それに反応し、アーヴェイがフィオルのベッドに駆け寄る。
「フィオル、無事かッ!」
「大丈夫だよ、兄さん……。いつも冷静なのに、僕のことになると心配しすぎ……」
 彼はだるそうにしながらも、そんな言葉をアーヴェイに返した。
 その言葉に、リクシアは固まった。フィオルとアーヴェイを見比べる。
 真白な髪に青い瞳のフィオルに、漆黒の髪に赤い瞳のアーヴェイ。天使みたいなフィオルに、悪魔みたいなアーヴェイ。
 全然似ていない。
「……あの、あなたたちは、本当に兄弟……?」
 リクシアが訊ねてしまうのも、むべなるかなである。兄弟、つまり同じ遺伝子を持つ者同士ならば、外見のどこかに似ている部分があって当然だろう。しかしこの二人の顔には、全くと言っていいほど共通点が見つからなかった。
 フィオルはベッドから身を起こし、リクシアを見ていぶかしそうにする。彼は首をかしげてアーヴェイを見た。
「アーヴェイ。この人、誰?」
 ああ、とアーヴェイは答える。
「彼女はリクシア。命の恩人だ」
「命の恩人? 珍しいね、アーヴェイが後れを取るなんて」
「お前を守りながらだったんだ、仕方ないだろう。その時、お前は気絶していた。……リクシア、オレたちは義兄弟だ。普通にアーヴェイと呼べばいいものを、こいつは時々兄さんと呼ぶ。義兄弟の契りを交わしたって、呼び名まで変える必要はなかろうに」
 なるほど、そういうことかとリクシアは理解した。
 義兄弟ならば外見が似る必要はない。この二人の過去に何があったのかはわからないが、そういうわけで時々フィオルはアーヴェイを「兄さん」と呼ぶらしい。
 アーヴェイは身を起こしたフィオルを支えてやりながらも、紹介した。フィオルは心配しすぎるアーヴェイの手を鬱陶しそうに振り払った。
「こいつは大召喚師リュクシオンの妹。オレたちと同じ、大切な人が魔物化した人間だ。大切な人、つまり兄のリュクシオンを元に戻すために旅をしているそうだ。オレたちと同じだよ。——運命の被害者」
「……運命の被害者、ね」
 何か思うところがあるのだろう。フィオルはふっと黙り込んでしまった。
 リクシアは考えていた。
——人は、心を闇に食われたら、魔物になる——。
 理不尽な、あまりにも理不尽な、理不尽すぎる絶対法則。その法則のおかげで、全てを失った兄は魔物化し、世界を揺るがす災厄の一つになり果てた。なぜ、なぜ、何のために。こんな法則が存在するのか。こんな、害悪にしかならない、悲しみを振りまくだけの法則が。
(旅をすれば、いつかわかるかな)
 魔物化した大切な人を、泣く泣く手に掛けたたくさんの人々。魔物化が解けて人間に戻った物言わぬ遺体を見て、空も裂かんとばかりに上がる悲痛な慟哭どうこくの声。兄に守られる平和な日々の中でも、リクシアはそれを何度も目にしたことがある。人は簡単に魔物になるのだ。そして魔物に殺された人の遺族が、深い悲しみにとらわれて魔物化する。こうして悲しみは連鎖する。
 戦があれば、魔物は増える。増えた魔物によって絶望を味わった人が、さらに魔物になり、その大切な人もまた絶望し、魔物になる。魔物になった大切な人を見た人もまた、魔物になる。一家全体が魔物になった例も数多くある。それは、終わりなき負の連鎖。
 リクシアが兄を戻したいのはもちろんだし、それが非常に難しいことも分かっているけれど。
「それじゃあ、根本的な解決にならない……」
 神様なんていない。けれど、神様ならなんとかできるだろうか? そんな夢物語にだって、縋りたくなる時がリクシアにはある。それを言うならばこの旅は、魔物となった兄を元に戻すための旅は、夢物語を追いかけるようなものだけれど。それでもリクシアは信じたかった。今から自分がやろうとしていることは、ただの夢物語ではないと。
(私は英雄じゃないけれど。変えたいの、この世の摂理を)
 それぞれ物思いにふける三人の間を、心地よい沈黙が流れていった。

カラミティ・ハーツ 心の魔物 Ep4 古城に立つ影 ( No.4 )
日時: 2018/07/20 14:32
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)


〈Ep4 古城に立つ影〉

「リュクシオン=モンスター……」
 すべて滅びた国の廃墟に、立つ影が一つ。銀色の、月の光を宿したかのような美しい髪とどこまでも凍りついた、冴えわたる青の瞳。彼は青いマントを羽織り、腰には銀色の剣を差していた。漆黒のブーツが大地を踏み、土の大地はわずかに音を立てた。
その冷たい瞳が見据えるは、異形となったかつての大召喚師。魔物となった、かつての英雄。
 見る影もなくなった国に、見る影もなくなった英雄の姿。ウィンチェバル王国の千年の栄光も、たった一回の召喚ミスで完全に滅び、なくなってしまった。
「諸行無常、か……」
 呟く声は、闇に吸いこまれていった。
永遠なんて存在しない。いくら栄えている国でも、どんなに素晴らしい王様の統治する国でも、いつかは必ず滅びるものだ。滅びないものなんてない、終わらぬ存在なんて、終わらぬ事象なんて、ない。それは彼にもわかりきっていたことだけれど、いざその廃墟の前に立つと、彼にも色々と思うところがある。彼はその国の中でも、国の中枢にかかわる特殊な立場の人間だったから。
 その国も、今やない。
 彼はしばらくそこに佇んでいたが、やがて静かにその歩を進める。
「今の僕では奴を狩れないな。駄目だ、力量の差が……」
 月夜に光るつるぎを抱き、決意を秘めて、きびすを返す。
 彼はそれを何としてでも狩らなければならなかった。彼は、何に代えてもその使命だけは守らなければならなかった。
「それを、復讐としたいんだ。だから」
 強く強く、剣を抱く。
「力が、欲しい。あの魔物を狩れるだけの力が。そうしてこそ初めて、僕は奴らを見返せる」
 かつて、闇の魔力を持っていたというだけで、自分を捨てた国に。弱かったという理由だけで、自分を嘲り、蔑んだ故郷に。
 彼は復讐をしたかった。見返してやりたかった。
 今はもう、何もないけれど。何もかもが滅びてしまったけれど。彼にはそうするだけの理由があった。
「けじめを、つけよう。弱かっただけの自分なんて、もうお別れだ」
 歩き去っていくその胸元には、王族の証たる紋章があった。

   ◆

「次は、どうするの?」
 フィオルとアーヴェイとの出会いから一日。思ったよりもフィオルの回復が早かったので、リクシアたちは町を出ることにした。
 それにはフィオルが答える。
「……一回だけ、実例があるんだ。魔物を元に戻したという、正真正銘真実の、実例が。そこに行けば、何かわかるかもしれない。ほとんど知られてない話だから、詳細は現地に行かないとわからない」
 フィオルの言葉をアーヴェイが引き継ぐ。
「でも、遠い。果てしなく遠い。オレたちはハーティに元に戻ってもらいたいとは思っているが、そこに行って何か得られる可能性は限りなく低いだろう。なにぶん相当に昔の話だから、失われた部分も多い」
「実例……ある……」
 リクシアはその話を聞き、呆けたように呟いた。彼女は思う。その方法について詳しく知れば、いつか兄は戻るのだろうかと。それを世界に広めれば、悲しみは減るのだろうかと。
 何もわからない、何一つわからない。けれど、あやふやな物語でも「実例がある」のならば、リクシアは希望を抱かずにはいられない。
リクシアは、赤の瞳に炎を宿してアーヴェイを見た。
「私、どんなに厳しい道行きでも頑張るから。私はこの理不尽が許せない。だから」
 アーヴェイは笑う。
「その意気だ。それくらいの闘志がないと面白くない」
 リクシアは、思いを固める。
 夢物語かもしれないけれど、立ち上がるから、立ち向かうから。
——待っていてね、お兄ちゃん。

カラミティ・ハーツ心の魔物 EP5 醜いままで、悪魔のままで ( No.5 )
日時: 2018/07/22 09:29
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

 
〈Ep5 醜いままで、悪魔のままで〉

  ◆

「リュクシオン=モンスターッ! 貴様の命をこの僕が頂くッ!」
 はしる、銀色の剣光。月を宿した銀の髪、凍てつき澄みわたる青の瞳。
 「彼」はまだ力を手に入れてはいなかったけれど。大召喚師のなれの果て、リュクシオン=モンスターに見つかって攻撃を仕掛けられた。ならば受けるしかないだろうと銀色の彼は思い、これまでの想いを全て力に変えて剣を振る。月の光に照らされる大地の中、彼の銀の髪は美しく照り映えた。その中で冴えわたる剣の腕。
「僕は、僕は、僕はッ!」
 一撃ごとに溢れ返る感情。それは彼の全身から闇として滲みだして、彼にさらなる力を与える。彼はかつて、王国で一番の剣の腕を持つと言われていた。夜を切り裂く剣光は苛烈で、その素早さたるや、まるで何本もの銀の光が躍っているかのようでもあった。
 しかしリュクシオン=モンスターも、当然ながらただやられるに任せているわけではない。
 咆哮。至近距離で放たれた音の衝撃波は銀色の彼の聴力を奪い、彼の頭に殴られたような衝撃を与えた。
「く……ッ!?」
 呻く銀色。生まれる致命的な隙。その隙に魔物は迫り、その腕が銀色の彼の脇腹を貫いた。飛び散る赤い液体。それは大地に広がっていき、触れるものを赤に染め上げた。銀色の彼はくずおれる。
「……リュクシオン=モンスター……ッ!」
 脇腹を貫かれた痛みに顔をゆがめながらも、彼は憎悪に満ちた目で魔物を睨む。魔物はしばらくそんな彼を見つめていたが、やがて何も手出しをせずにその場を去った。銀色の彼は呻きながらもその背に声を投げる。
「殺せよ、化け物。僕を、殺せよ……!」
 こんな惨めな生を送るくらいならば、殺された方がましだと彼は叫んだ。しかしその声は魔物には届かない。彼は自らの流した血の海に倒れながらも、怨嗟の言葉を吐き続けた。
 そんな彼を嘲笑うように、月に影がかかっていった。

「あなたをたすけてあげる」
 甘いささやきが、彼の心を満たす。
「ほら、わたしがほしいでしょう? 大丈夫、すぐにあげるからね」
 どうしてだろう、と彼は思った。どうして自分はこんなところにいるのだろう。
 強くなりたいと思った彼は、大召喚師のなれの果てに弱いままで戦って敗北して、それで。
 大怪我を負い、助けられて。今は女性の胸に抱かれている。
 女性の濡れて上気した肌が、蟲惑的な香りを放つ。その甘ったるい香りが彼の思考力を奪う。これまでの目的も、何もかも。
「あなたのなまえはなんて言うの? だいじょうぶ、こわくないから」
「……******・*******」
 彼は問われるがままに、名を答えた。言ってはならなかったはずなのに。言ったらお終いって、わかっていたはずなのに。
 彼は逆らえなかった。催眠に掛けられたような心地が、彼の心を支配した。
 彼女は彼を抱き、言うのだ。
「なら、すべてわすれてしまいなさい。つらいことがあったのでしょう。わたしがなまえをあげるから」
 彼女は彼の唇を優しくついばみ、甘い声で言う。
「あなたの名はゼロよ。そして、わたし以外の人を知らない」
 催眠術にかかったように、彼はうなずいて。
 そして、全てを失った。
——僕は、だれ? 名前は、ゼロ。あの人は、だれ? お母さん。
 忘れちゃいけないことがあった。なのに。
 わずかに残った記憶が彼に訊ねる。
 お母さん、お母さん。
——リュクシオン=モンスターって、一体なに……?
  
  ◆

「花の都フロイラインという町が、ずっとずっと北にある。そこに例の話が眠っているんだ」
 翌日。回復したフィオルが、リクシアにそう説明した。
「僕は文献でしか読んだことがないし、花の都の正確な位置もわからない。ただ、北へ。そんな曖昧な情報しかないけれど、それでも行くの? 花の都そのものだって、そもそも夢物語みたいな存在なんだ」
「ちなみにそれでも正真正銘の実例と言えるのは、そこに行って帰ってきた旅人の証言があるからだ。その旅人はたくさんの手記を残していて、そこには旅してまわった各地の話が書かれている。その話のどれもが非常に正確だったから、花の都についての情報も信憑性があると言える」
 フィオルの言葉をアーヴェイが補足した。
 当然よとリクシアは頷く。
「言ったでしょ、夢物語でも構わないって。夢物語上等よ。ならば私が直接その町を訪れて、夢じゃないって証明してやるんだから。私は決めたの。もう下がらない、退かないわ」
 そんなわけで、一同は北へ向かうことになった。

 花の都フロイラインに向かって、旅を始めて一週間。リクシアが新しい仲間に慣れ、旅のノウハウを少しずつ吸収してきた頃、それは起きた。
 一行がちょうど、両側が崖になった道を通っている時のことだった。
「いたぞ! あの娘だ!」
 声がして、崖から人が降ってきた。
「殺さず捕らえよ! 他の者の生死は知らず。あの娘のみを捕らえよ!」
 アーヴェイは軽く舌打ちした。すかさず魔法の用意を始めたリクシアに、叫ぶ。
「貴様は逃げろ! フィオルもだ!」
 その言葉に、両者が反論する。
「私だって戦える!」
「……アーヴェイ。もしもアレをやるつもりなら……もう、やめてほしい。一緒にいる」
「……アレって?」
 リクシアの疑問は、剣を抜く音によって相殺される。
 アーヴェイが、剣を抜いていた。
 二本。禍々しい装飾の、赤と黒の剣。
 それが、敵にではなく、リクシアとフィオルに突き付けられていた。
「アーヴェイ!」
 リクシアが驚いて叫ぶと、アーヴェイは鋭い口調で返してきた。
「魔物よりも、生きている人間のほうが厄介なことがある。リクシア、貴様はこの狭い道で、味方に当てず敵のみに魔法を当てられるのかッ! あとフィオル! 気遣いは無用、オレはこれでやってきた!」
 その、有無を言わさぬ空気に。
「……わかったわ。でも、必ず後で合流するから!」
「無理しないでね」
 何を言っても無駄だと悟り、二人は来た道を引き返す。
 二人は願わずにはいられない。
——どうか、無事でいて——!

「……ほう、仲間を逃がすか。美しいものだな」
 それを見つつも、額に禍々しい烙印のある少年が、前の道からやってきた。
 アーヴェイは無言で双剣を薙ぐ。少年はひらりとよけると、言った。
「戦闘開始だ」
 途端、アーヴェイの中で力が膨れ上がり、心の中で声がする。
 『ぎゃははははは! やっとのお呼び!』
 『今夜は挽肉パーティーだ!』
 アーヴェイの双剣、『アバ=ドン』には、人格があった。快楽的で、享楽的な、狂ったような双子の人格が。普段、アーヴェイはその剣を抜かない。なぜなら。
——抜いたその時点で双子が目覚め、身体を乗っ取られることだって少なくはないからだ——。
 今、アーヴェイは戦っている。襲い来る人と双子の意思に。
 彼の身に宿した悪魔の血が、血の匂いに狂喜する。
 狂いそうな思考の中、意思を保つのは至難の業で。彼の身体は今、悪魔のような異形と化していた。
 アーヴェイは、人と悪魔のハーフなのだ。

 アバ=ドンが血を求める。悪魔の血脈が彼の思考力を奪う。
 彼はこうなるとわかってはいた。けれど、こうでもしないと守れないのだ。
——フィオルとリクシアが戦うには、この敵は強すぎる。
 だから。異形と呼ばれたって、化け物と呼ばれたって。
 彼には守るべきものがあったから。弟みたいなフィオルと、偶然出会ったリクシア。
 アーヴェイは、呟く。

「——オレは、これで、いい」

 それを聞いて、烙印の少年は嘲笑を浮かべる。
「悪魔だ! 悪魔が本性を見せた!」
 その言葉になんて一切構わず、アーヴェイは烙印の少年に斬りかかる!
 悪魔のままで、怪物のままで、醜いままで、異形のままで。
 魔物と化した大切な人。悪魔になれば、助けられたのに。
 嫌われるのを恐れ、何もできなかった。結局彼の大切な人は、魔物となって人々を襲う。

 でも、今は違うから。

「——オレはッ! これでッ! いいッッッ!!」
 
 思いを込めて、振り上げた刃。双の剣がブゥンとうなる。
 しかしその刃は、少年の命には届かなかった。
「私のゼロに、なんてことしてくれるの」
 彼は熱い感触を腹に感じた。死角から突きだされた剣が、彼の腹を貫いていた。
「貴……様……」
 くずおれるアーヴェイ。
 美しい女性が烙印の少年を抱き、アーヴェイを貫いた剣を引き戻す。剣に内蔵が掻き回されて、アーヴィは苦悶の声を上げる。
「ぐ……ああ……あ……!」
 そんな彼を、汚いものでも見るかのような顔で、女が顔をゆがめていた。
「醜いこと。悪魔のくせして私のゼロを傷つけようとするなんて」
 アーヴェイの視界がゆがむ。その身体が崩れ落ちる。
「これはもらっていくわね」
 女の、声。奪われた『アバ=ドン』。アーヴェイは悔しさにその身を震わせた。
 またしても勝てなかった。守ろうとして傷ついて、奪われて。
「さようなら」
 烙印の少年を伴い、去っていく女性。
 暗転する視界。
 旅はまだ始まったばかりなのに。
——フィオル、済まない——。
 零れていく血液が、大地を赤く赤く染め上げる。
 彼は意識を手放した。

カラミティ・ハーツ 心の魔物 Ep6 悔恨の白い羽根 ( No.6 )
日時: 2018/07/23 22:39
名前: 流沢藍蓮 ◆50xkBNHT6. (ID: Yv1mgiz3)

〈Ep6 悔恨の白い羽根〉

「……帰ってこない」
 フィオルがそっと、つぶやいた。
 あれからもう、三時間が過ぎている。あまりに、遅い。
「気遣いは無用、とか言っておいて……」
フィオルの顔に、心配げな影が宿る。青の瞳に、不安の影がちらついた。
「見に行こうか」
 リクシアが問えば、「一緒に行く」とフィオルが返す。
 戦闘は終わったはずなのに、帰ってこないアーヴェイ。
 あんな、あんな強そうな人が帰ってこないなんておかしいとリクシアは思う。出会ってからまだあまり時は経っていないけれど、リクシアは彼の姿に、態度に、歴戦の戦士のような何かを感じていたのだった。
 そんな彼が、三時間も帰ってこない。三時間もあれば戦闘なんて決着がつくだろう。戦闘というのはそこまで時間がかからない。つまり、何かあったに違いない。
「……無事で、いて。お願い」
 リクシアもフィオルも祈るように呟き、元来た道を走りだす。

   ◆

 彼は切り立った道に仰向けに倒れていた。
 彼の腹からはどす黒い血が流れ、
 その身体は、異形と化していた。
「兄さん!」
 駆け寄ったフィオル。アーヴェイの胸は弱々しいながらも上下している。大丈夫だ、まだ生きているとリクシアは安堵の息をついた、
が。
 彼女は横たわるアーヴェイを見て、凍りついたように固まった。そんな彼女を、フィオルの緊迫した声が叩く。
「リクシア、至急町に行って薬を持ってきて。血止めの強力なやつ! 早く!」
しかしリクシアは、動けなかった。
 横たわるのは、異形の悪魔。アーヴェイじゃない。そうは見えない。なのにフィオルはそれを「兄さん」と呼ぶ。
 リクシアはわからなかった。

——この人は、だれ?

 そんなリクシアにフィオルが叫ぶ。
「リクシア! 何呆けてんのさ! アーヴェイが死んじゃう! 早く助けて!」
 アーヴェイ。悪魔。目の前に倒れて。血を流して。
「……そっか」
 リクシアの中でつながる物語。
「……そっか、アーヴェイは悪魔だったんだ」
 どこか悪魔っぽい見た目だったけど、本当に悪魔だったんだ——。
 それを知られたくないから、私たちを逃がしたんだ。フィオルの言った「アレ」とは、これのことだったのか。
 真実を知って、リクシアは呆然と固まったまま動けなくなった。
 悪魔。この世界にいる異形の一族。悪魔は黒い身体に赤い目を持ち、その心は悪意と嗜虐心と衝動に満ちているという。その背には蝙蝠こうもりのような漆黒の翼が生え、禍々しい尻尾を持つという。
 悪魔とは、魔物と同じように人を害する邪悪な存在。ゆえに忌み嫌われ、遠ざけられるべき定めの一族。誰が最初に彼らを迫害したのかはわからないけれど。悪魔とは、悪魔というのは、そんな一族なのだ。悪魔に対する差別意識は、この世界のどこに行っても同じだ。
 アーヴェイが、悪魔。リクシアが助け、興味から旅への同行を申し出たアーヴェイが、悪魔。忌み嫌われる禍々しい邪悪、悪意の塊で優しさなんて欠片も存在しない。
——アーヴェイが、悪魔。
 リクシアは動けなかった。そうこうしている内に、アーヴェイの身体からはどんどん血が失われていく。それでもリクシアは動けなかった。仲間だと思っていたのに、裏切られたような気がして。リクシアは凍りつくことしかできなかった。
 フィオルが悲鳴を上げる。
「リクシア——!」

「無駄だ。こいつは仲間じゃない」

 と、不意に、そんな冷たい声がした。
 倒れた悪魔——アーヴェイが、冷たい目で彼女を見ていた。先程までリクシアに見せていた、興味に満ちた、どこか面白がるような目ではなくて、まるで物でも見るかのような、どこまでも冷たく凍てついた瞳。
 地獄の底のように冷え切った声が、その喉から発せられる。
「人間はみんなそうだ……。悪魔だと分かった時点で、助けることを放棄する……」
 リクシアは、呆然と呟く。
「……違う」
 するとアーヴェイの目に、冷え切り凍えきった赤の瞳に、嘲るような色が浮かんだ。
「どこが違う? 貴様は……倒れたオレを、見ても……薬一つ、取りに行こう、とは、しなかった……。それを、貴様、が……悪魔に対し、て、含みが……あると、言って……おかしい、か……?」
「違う!」
 リクシアは、全力でそれを否定しようとした。しかし心の奥底には、悪魔を恐れ、蔑む気持ちもあるにはあった。アーヴェイのその言葉を否定しきれない自分がいるということに、染みついた、悪魔への差別意識があるということにリクシアは気づいた。——気づいてしまった。
 リクシアは死に瀕した仲間を前にして動けなかったのだ。仲間が悪魔だと分かった瞬間に、子追い付いたように動けなくなった。助けなければならないのに、動くことすらできなかった。相手が悪魔だとわかったから!
 助けなければならないのに、助けられなかった。助けたかったのに、心のどこかがそれを拒否した。その結果「仲間じゃない」と言われるのは当然のことだろう。当然のこと、これは当然のことだ。わかっているのにどうしてだろう、リクシアの目から涙があふれた。
——アーヴェイは、仲間なのに。
 悪魔だというだけで、動きが止まった。
「それが貴様の答えだ……」
 悪魔のような、否、悪魔のあかい、地獄の瞳で睨みつけてきた漆黒の邪悪。
 喉が、乾く。眩暈が、する。たまらずリクシアは思わず大地に膝をつく。
 そんな彼女に一切構わず、凍えきった声が真実を暴く。
「だからお前は……」
 リクシアは耳を塞いで、違う違うとひたすらに首を振った。駄目、言わないで。聞きたくないの。そんなこと、そんな台詞。聞きたくないの! リクシアの心は叫んだけれど。
 耳を塞いで目を閉じても、心に届いた低い声。

「——最初から、仲間じゃなかった」

「嫌ぁぁぁぁあああああああッッッ!」
 リクシアの中で、感情が爆発した。
 信じてた、信じてたのに。仲間だと、大切な仲間だと! 初めて出逢った昨日から。やっと仲間ができた、そう思った彼女は嬉しかった。そう、思っていたのに。蓋を開けてみれば、正体が悪魔だったというだけで動けなかった自分がいた。仲間を見捨てた自分がいた。
 だから捨てられるんだ、とリクシアは理解した。ほんとうの、仲間じゃないから……。
 リクシアの心を絶望が支配する。彼女は、叫んだ。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ——!」
 絶望に打ちひしがれ、リクシアの心に魔物が生まれる。人は心を闇に食われたら、魔物になる。その原因は、いたるところに転がっている。 リクシアの心を急激に冒していく絶望。それは次第に大きく——。
——ならなかった。

 なる寸前で、声がした。
 今は魔物になり果てた兄の、リュクシオン・エルフェゴールの、
「自分を見失わないで」そんな、声が。
 それは彼の口癖だった。

 光が、はじけた。
 数瞬後には、リクシアは元のリクシアになっていた。
 そして、己の犯した過ちを知った。残酷なほどに明確に、意識した。
 彼女が「助けない」選択をしてしまったことで、仲間になってくれると申し出てくれた人を傷つけたという事実は消えない。立場に惑い、仲間を救おうともしなかった事実は、消えない。
 だから。
「……わかったわ」
 リクシアは小さく呟いた。
「私はまだ甘い。だから、あなたたちとは一緒にいないほうがいいかもしれない」
 そして精一杯、頭を下げた。
「——ごめんなさい」
 その謝罪を聞いて、フィオルが柔らかく微笑んだ。
「謝罪は受け取っておく。でもこの事実は、消えないから。リクシア、あなたは会ったばかりの人の誠意を、粉々にしたんだよ」
リクシアは涙を流しながらも頷いた。
「わかっているわ。だからもう、別れることにする」
 最善の選択なんて、わからない。それでもこうなってしまった以上、もう一緒にはいられないのだろうとリクシアは思った。
それは決定的な、断絶。
 自分の過ちを素直に認めたリクシアに、フィオルは一つ、問い掛ける。
「本当に短い間だけれど、僕たちと出会えてよかったって、思ってる?」
そんなフィオルに、泣き笑いのような表情を浮かべながらもリクシアは返した。
「あなたたちとの出会いは、一生の宝物よ」
 そっか、とフィオルは頷いた。
「なら、別れもいい別れにしよう。僕らはフロイラインを目指す。でも、君は進路を変えてね」
「ええ」
 その答えを聞いたフィオルの背から、純白の翼が生えた。リクシアは驚きの声を上げる。
「え? ……ええっ!?」
 真白な髪に青い瞳、背中から生えた純白の翼。
 フィオルは天使だった。
 悪魔とは違って人々から崇められ、神の使いともてはやされる、悪魔とは対極に位置する聖なる一族。天から来た、神の使い、救いの使徒、天使。
 フィオルは、天使だったのだ。
「こんな姿にならないと、もうアーヴェイは治せないからね……。餞別に、あげるよ、リクシア」
 言ってフィオルはその背から、純白の羽根を一枚抜き取りリクシアに渡す。
「ここで僕らの道は分かれるけれど、お幸せに、リクシア。大召喚師の妹さん。僕らはもうその先を見ない。あなたが夢物語を現実にできるのかはわからないけれど、まぁそんな人がいたということだけは、記憶の片隅に留めておくよ」
 それは別れの言葉だった。
 リクシアは羽根を受けとり、しかと前を見据えて言った。
「……さようなら。楽しかったわ」
 リクシアは、来た道をまた、戻っていく。彼女は振り返らなかった。
 その手には、悔恨の白い羽。
「フィオル……アーヴェイ……」
 いくら後悔したところで、失われた絆は戻らない。
「ありがとう……」
 重い気持ちを抱えながらも、リクシアは宿へと戻る。