ダーク・ファンタジー小説

Re: あなたが天使になる日 ( No.1 )
日時: 2019/06/26 23:29
名前: 厳島やよい (ID: ZpTcs73J)

 わたしの親友が自殺したという突然のしらせを聞いたのは、絶望的なほどによく晴れた十月、あたたかい月曜の朝のことだった。
 先週から数日間欠席がつづいている彼女について話があるのだと、ホームルーム開始を告げる鐘の音とともに、担任の澤田先生は言った。
 まさか転校したのかなとか、入院でもしたのかしらとか、わたしはもちろん、クラスの人たちもきっと色々と考えたのだけど。先生は白髪混じりの薄い頭をぽりぽりと掻いてから、暗い顔で、声で、事実だけを伝えた。

「市瀬が……市瀬朱里さんが、先日自宅で亡くなったと、保護者の方から連絡がありました。本人の筆跡による遺書が見つかったことなどから、自殺とみて間違いはないようです」

 辺りは水を打ったように静まりかえり、不自然な時間差をつくってクラスメートたちがどよめきはじめた。「え、ジサツって、あの自殺?」「いじめとかないよなー」「彼氏にちょーひどい振られ方されたとか」「そんなんで死ぬかよバカ」わざわざ聞き耳を立てなくとも、好き放題に語られる憶測が飛び交い、床に散らばっていく。その中に痛いほど心当たりのある言葉も混じっていたので、わたしは聞こえていないふりをした。

「はい、そろそろ静かに。それと、きょうは学年集会があるから、四時限目の始業五分前には体育館に集まっておいてください。……ニュースや新聞をちゃあんと見てる人なら知っているだろうけど、年々、薬物乱用による事故や事件で亡くなる方が増えているだろう。そういう大事な話だから、しっかり、聞いておいてくように」

 まだ落ち着かない生徒たちの様子に眉を寄せ「……返事は」低い声で促すと、点々と、渋々と、彼らが反応を返していった。
 冗談を言っているようには、見えないけれど。先生は、もっと別の、ソフトで遠回しな言い方はできなかったのだろうか。窓ぎわのひなたの席からクラスメートたちを眺めつつ、ときどきわたしにも刺さってくるキレの悪い視線を受け流して考える。
 今となっては自分でもおどろいてしまうほど、そのときのわたしは冷静だった。冷静だったというより、あまりにも実感が湧かずにいたと表したほうが、適切かもしれない。
 だって、ねえ。
 自分のいちばんの友達が。まだ十五にもならない女の子が死んだなんて聞かされたって、普通、信じられないでしょうが。



   1『影に咲いている』


 その日はいつもどおりに授業を終えて、校庭の落ち葉の掃き掃除当番をこなし、下校した。次の日も、その次の日も。
 朱里が教室にいなくても、時間は当たり前のように過ぎていくし、小テストも大嫌いな体育の持久走も中止されることはない。落ち葉だって際限なく校庭に散り、溜まっていく。
 この世界はなんら変わらずに、きょうも回る。暑くも寒くもない。楽しくも寂しくもない。そんな秋の日が過ぎゆくだけ。ただ、それだけ。
 それだけなのに。

「……あいつ、さすがに頭イカれたんじゃない?」
「元からだよ。気がつかなかったの?」

 わたしを見て、指差して、周りの人達がいつのまにか、そんなふうに言うようになっていた。記憶違いでなければ「気持ち悪い」とも、目を合わせてはっきり言われた覚えがある。
 彼らがそう考えることについて、納得はできずとも、仕方がないと理解できる。わたしにとって友人と呼べる存在は朱里だけだし、それは彼女のほうもきっと同じで、クラスメートもわたしたちのことをわかっているはずだから。これっぽちも悲しむそぶりなど見せず、ひとりで淡々と授業をこなし、委員会の仕事もこなし、変わらず部活動にも出席しているわたしを見て、そう思ってしまうのは仕方がない。
 でも、朱里とほとんど接点のないはずの女子生徒が涙を流していても、周囲はそれを当然の反応だと受け止め、慰めていた。いつも朱里を煙たがって、掃除の時間には絶対に彼女の椅子だけを机からおろさなかった男子生徒が「いつか線香あげに行こうぜ」なんて言い出しても、だれも止めはしなかった。
 頭がおかしいのはどちらかなんて、考えるまでもないだろう。それでも、数の暴力はいつだって、ほんとうの正しさに勝る。

Re: あなたが天使になる日 ( No.2 )
日時: 2019/06/27 22:24
名前: 厳島やよい (ID: VnmAEQod)




「斎藤先生、こんにちは」
「おー【すぎさん】、ちわっす。きょうも早いじゃん、一番乗り」
「ほかにすることがないもので」

 教室を出て、廊下を西側に歩き続けた突き当たりの被服室へたどりつくと、いつものように顧問の先生が笑顔で出迎えてくれた。三年生の授業での提出課題らしいトートバッグを、ひとつずつ確認して評価している最中らしい。
 材料さえ用意してもらえれば、今のわたしには半日もかからずに完成させられる程度の作品なんじゃないだろうか。定位置である窓ぎわの最前席に座り、英語の問題集を広げてから、少し遠い彼女の作業を、じっと眺めた。
 静かな部屋に、赤ペンの走る音だけがリズムよく響いている。斎藤先生の動きにはいつも無駄がないから、見ていて気分がいい。
 生徒たちには平等に接してくれるし、細かいことまでよく気がついて、授業中でも休み時間でも、彼女は隙があればだれかしらを褒めている。「髪切ったでしょ、似合ってるー!」とか「そのタオルかっわいー! どこで買ったの?」とか。とにかくいちいち褒めてくる。恥ずかしいとすら思えない。しっかり"先生"しているのに、彼女のまとう雰囲気は、ただの同級生の女の子みたいだ。そのためやはり、生徒からは絶大な支持を得ている。そもそも美人でかわいいし。
 わたしの熱烈な視線に気がついたのか、斎藤先生が顔をあげて微笑みかけてきた。

「あれ、【すぎさん】、もしかしてもう試験勉強始めてる? 中間終わったばっかなのに」
「期末まで、それほど時間ないですから」
「熱意があって大変素晴らしい! 家庭科の筆記も頑張ってくれると嬉しいなー」

 ……この人、モテるんだろうな。なんて、思考がおかしな方向へぶっ飛びそうになるのをなんとか抑えて「あー、ハイ」数学の問題集に再び取りかかる。わたしには愛想も愛嬌もない。
 そうして待っているうちに、決して多くない手芸部員がちらほらと集まってきた。三年生が引退したので、下級生しかやって来ない。こんにちわーこんちわー、と、互いの顔面めがけて挨拶を投げつけ合う。

「文化祭終わっちゃってから暇だよう、きょうは帰ってもいい? さっきの体育、疲れたー」
「まだミサンガの袋詰めだって済んでないでしょうが! あたしたちが汗水垂らして編んだ分、つっちゃんにはしっかり働いてもらうんだからね」

 一年生の新藤さんと土浦さんが、廊下側の席に荷物を下ろしながらいつものようにじゃれている。

「えええっ、アイス大福奢るから免除免除ぉぉ」
「ほしいけど、だめ!」
「わたしだって好きでサボってたわけじゃないよう、きょうは愛しいマミーに無理言って、塾休ませてもらったんだから」
「それは前のテストでひどい点取ったからでしょう、お母さんのせいにしなーいのー」
「うんぐうう、せーろんです……」

 言葉の響きが気に入ったのか、土浦さんはその後しばらく「めんじょめんじょー」と、歌でも口ずさむように唱え続けていた。きょうも部内の雰囲気は和やかだ。
 みごとに女子部員率百パーセントの我らが手芸部は、先週、校内で行われた文化祭での作品展示・販売において、数年ぶりの人気を博したらしい。学校にまつわる簡単な五問程度のクイズに全問正解した生徒の中から抽選で、漫画やアニメのキャラクターなんかをイメージして編んだミサンガをプレゼントする、という企画が大成功をおさめたのだ。去年のアクリルたわしよりは多少人気も出るだろうと踏んでいたけれど、まさかここまで応募が集まるとは、先生含め、だれも予想はしていなかった。
 やはり抽選はやめて正解者全員に一本ずつ作品をプレゼントしよう、という流れになぜかなり、文化祭が終わってから急遽、量産する運びとなった。わたしも最低三十本以上は編んでいるけど、正確な数も、何のキャラクターで作ったかもまったく覚えていない。朱里のことで落ち込む暇も悩む暇もなかったのは、当然のことだったのかもしれない。

「じゃあ、ぼちぼち始めましょう」
「はーい」
「うーっす」

 出欠確認を秒速で終え、準備室から、採点済みのものも含め大量の回答用紙が引っ張り出されてきたのを合図に、作業が始まった。わたしはきのうに引き続き採点係にまわって、ひたすらペンを走らせる。下級生たちはそれぞれ、用紙を当たりとはずれとに仕分けたり、当たりのほうを学年別、クラス別に並べたり、用紙に景品を添えて、小さい封筒に詰めたりしてくれていた。
 どうせみんなあとで交換し合うのだろうし、ここまで丁寧にやる必要もないのだけれど。今年は部費が余りそうだというので、こうしてお金も手間もかけている。
 女が三人集まるとなんとやら、とはよく言うが、我々は、やるときはやる女だ。引き締まるような沈黙が満ちる被服室で、それぞれ机に向かい続けた。この空気が、とても好きだ。
 元来、わたしは学校という場所が好きではなかった。教室はうるさいし息苦しいし、何を考えているのかよくわからない他人がロボットのように見えて、そんな自分の頭が怖い。協調性がない、同級生たちよりも心の成長が遅い、と、カウンセラーのような人の前へ突き出されたこともしばしばある。あれも好きではない。
 そんなわたしでも恐怖を感じずにいられる場所が、被服室にはあった。針先に、指先に神経を集中させていられる瞬間は、余計なことをなにも考えなくていい。費やした時間が可視化されて残るのも、それを褒めてくれたり、好きだと言ってくれるだれかがいるのも嬉しかった。似たような理由で、勉強も好きだ。
 作品をつくっているわけではない今でも、ここにいられることで安心できている。わたしにとって、ここは大切な居場所のひとつで、それは朱里もきっと同じだから。だから、

「朱里、赤ペンもう一本持ってたりしない?」

 不快な音を立て、ひどくかすれてしまった文字に顔をしかめた。

Re: あなたが天使になる日 ( No.3 )
日時: 2019/07/01 00:27
名前: 厳島やよい (ID: Kw9QCOws)

「【みっちゃん】先輩……?」

 空気が、軋んだ。
 しまったと思ったときには、もう遅かった。彼女たちは揃って手をとめて、それぞれの酷い顔でわたしを凝視していたから。教卓で仕事をつづけていた斎藤先生だけが、その表情をそっと両手で隠してくれた。
 そりゃ、そうだ。もう二度とここにはやって来ないはずの人間の名前を、わたしは今までと変わらない流れと勢いで呼んでしまったのだから。
 朱里が亡くなったしらせを聞いてから、もう何日が経過しているのだろう。周囲ではその死について、具体的かつ現実味を帯びた噂が流れるようになっている。死んだ方法は首つりだとか、第一発見者は彼女の弟だとか。それを知っているのは手芸部のみんなも同じだし、何より、朱里の自殺の動機について、わたしたちにはあまりにも思い当たる節があった。それでも彼女たちは決して、興味本意でわたしに探りを入れようとはしなかったのに。
 みんなの気遣いを粉々に打ち砕いてしまった後悔がのしかかってきて、目を伏せる。
 数秒後、とんとん、とやさしく肩を叩かれたので、恐るおそる顔をあげると、隣に座っている一年生が、複合ペンをわたしに差し出していた。

「あの、先輩。使いにくいかもしれないけど、よかったら、どうぞ」

 やわらかく垂れたきれいな目が、わたしを見つめている。そこへ段々、ちらりと光るものが覗きはじめたような気がして、顔を背けながらペンを受け取った。

「ありがとう、尾野さん」
「いえ」

 何事もなかったかのように、彼女は作業を再開する。もちろんわたしも机に向かう。
 そんなわたしたちを見て、ほかの部員たちも我にかえったらしい。少しずつ、回答用紙を仕分ける音や封筒の擦れる音がもとどおりに響くようになったものの、重い空気が辺りに充満しているのがわかった。
 こんなとき、どうすることが正解なのだろうか。どうすれば彼女たちに余計な気を遣わせずに済むのか、クラスメートにキ××イ呼ばわりをされずに済むのか、考えてみる。白々しく泣いてみせれば、それでいいのだろうか。ショックで学校を休んでしまえば、安心してもらえるのだろうか。そんなこと、しようと思ったところでできやしない。そもそも、ちっとも実感がわかないのだし。
 死んだ?
 朱里が、しんだ?
 息が止まって、心臓が止まって、身体は冷たく硬くなって、勝手に焼かれて骨だけになって花なんか添えられて狭い狭いお墓の下に閉じ込められるなんて、ふざけるのも大概にしてほしい。冗談じゃない。
 ほんとだよー、みんな、何そんな暗い顔しちゃってるの。いつもなら、尾野さんのいる席でそう言って、笑ってくれるのに。朱里がいない。ほかの部員はみんないるのに。朱里だけがいない。教室にも、廊下にも、被服室にも保健室にも図書室にも、グラウンドにも通学路にも、わたしの隣にも、朱里がいない。なんで。どうして。
 いままで一ミリも認められなかった事実が、次から次へと溢れて、机に、紙の上に、袖口にぽろぽろと落ちていく。周囲に指摘されても、泣いているのだと自覚するのに相当な時間を要した。

「先輩、今日はもう帰って大丈夫ですよ。ミサンガ作り、だれよりも頑張ってくれましたし、これくらい私たちでやっときますから」
「そうですよ、家でゆっくり休んでください」
「送ってこうか、【すぎさん】」
「わかった、わかったから、大丈夫。一人で帰ります」

 周囲の反応に、もう、この場にわたしがいてはいけないのだと悟った。自分が邪魔者でしかないという現実に、胸が痛むことはない。
 慌てる部員たちに申し訳なく感じつつ、素直に荷物をまとめて被服室から去る。また来週、と明るく手を振られたけれど、ほとぼりが冷めるまではしばらく部活を休もうと決めた。