ダーク・ファンタジー小説

Re: あなたが天使になる日 ( No.16 )
日時: 2019/08/03 07:59
名前: 厳島やよい (ID: yE.2POpv)




   7『青霞み』


       ※

 あの子たちの悲劇が生まれたきっかけがあるとするならば、それはいつ、どこなのだろうかと、私はよく考えていた。答えなど出ない。いつだって、同じところをぐるりぐるり、ただ廻りつづけるだけだ。
 答えの出ない問いを追いまわすことほど、愚かなものはないと思う。人生には限りがあるから。仮にないとして、それでも実に愚かである。
 だから私は、この物語に無理矢理、出発点を作ることにした。きっかけを作り、ことの元凶を定めた。そうすれば、雨模様ばかりを描くこの心も、せめて曇り空か、天気雨くらいにはなってくれるだろうと。勝手に走り続ける思考が、せめて早足くらいにはなってくれるだろうと。そう信じこまなければ、やっていられないから。
 問いに向き合うこと自体に意味がある、と語る人がときどきいるけれど、私にはそういう価値観がよくわからない。もちろんすこしは理解できても、納得するのは難しい。



 彼女はまっすぐな人間だった。恵まれた家庭ですこやかに育ち、人に愛され人を愛した彼女は、遠くから見ても、輝いていた。まっすぐだからこそ、それが彼女自身の脆さになったのかもしれないと私は考える。だけれど、当時の私はその輝きに魅力しか感じられなかった。
 彼女は、私のひとつ歳下の友人だった。同じ高校の同じ図書室に通い、よく同じ本を読んで、感想を語り合っていた覚えがある。遠い昔の記憶だ。それ以外に接点はなかったので、友人だった、という表現も適切ではないのかもしれないが、ほかに似合いそうな言葉が見つからない。
 市瀬瑠璃子。それが、彼女の名前である。
 テニス部所属の生徒会役員。成績優秀で、資産家のご令嬢で、同級生の恋人とは婚約関係にあるらしいというものだから、はじめはたいへん驚いた。いろいろな意味で。
 やがて、互いに住む世界が違うことを悟ったのか、単純に飽きたのか。私が受験勉強に励むようになると、彼女と会うことも少なくなっていき、そのまま一足先に高校を卒業した。県内の私立大へ進学し、安いアパートでの一人暮らしに慣れた頃には、瑠璃子のことなど、もうすっかり忘れてしまっていた。
 それから時は流れ、二年後のことだ。
 ある晩、酒に酔った母親が泣きながら電話を掛けてきたので、何事かと思いつつ話を聞いていると、たまには家にも顔を出せとの声を頂戴した。いつまでもべたべたと甘えているより、黙って結果を出してから敷居を跨ぐべきだと考えていた私にとって、あの出来事は衝撃的だった。それについては、わりと今はどうでもいいのだけど。
 二・三週間後、ちょうど地元で祭りのある週に実家へ帰り「ほんっとーにあんたって淡白な子ね、可愛くない! 誰に似たのかしら!」などと罵られながら、玄関先で熱い抱擁を受けていた。もちろんあんたに似たのだ、ツンデレ野郎。
 その後、もて余した暇をつぶそうと、久々に向かった町内の図書館で、瑠璃子と再会した。ようやくメインキャストの登場である。
 好きな作家の短編集を探していた最中に向こうから声をかけられたのだが、すっかり垢抜けていたのと、彼女自身をなかなか思い出せなかったのとで、しばらく認識できなかった。制服を脱ぎ捨てると、人間はこうも変わるものなのだろうか。私は何をしても変わらないのに。

「そういえば、るりちゃん、髪の毛ばっさり切ったよね。いめちぇん? あ、成人式のためか」
「いいえ。心境の変化で」
「ほう」

 閑古鳥も嘆くほどに静かなファミリーレストランで、紅茶片手に向かい合う。
 きんきんに効いたクーラーが容赦なく足元を冷やしてくるので、ふたりで年寄りのように、ドリンクバーの熱いお茶を流し込んでいた。お陰様で手洗いが近い。

「高校のとき、わたしがお付き合いしていた男の子のこと、覚えてる?」
「あー、存在というか、影だけなら」
「じつはね、ついこの間、彼と別れたのよ」
「へえ、別れたの」
「そう」
「…………え、え?」

 婚約までしていたという、例の人と?
 そんな重大な報告を、何てことのないようにさらりと口にしてしまうなんて。悪い話など瞬く間に広まってしまうような、こんな田舎町では、どこで誰が聞いているかわからないのに。

「だから、切っちゃいました。験担ぎに」

 私の心中を見透かしたのだろう。どうでもいいわよ、とでも言うように微笑む。余裕をもって笑っていられる瑠璃子が、私にはわからない。
 タイミングが良いのか悪いのか、ちょうどそこへ、女性店員が二人分のクリームパスタを運んできた。高校生程度に見えたけれど、去り際に薄い視線が瑠璃子の頬を掠めたのは、思い過ごしではないと思う。
 嫉妬と羨望、少しの安堵と、根拠のない優越感。高校にいたとき、私や周囲の生徒たちが向けていたものと、何ら変わらない。幼い頃から長いこと、そういう視線にさらされていたのだろう。彼女は涼しい顔でパスタを絡めとる。「おいひ〜」自然とあふれる笑みとの落差に、めまいを催しそうになった。

「お父さんは、ツカサを勝手に婿に入れるつもりでいたの。でも、そういうわけにはいかないと、親同士ひどく揉めてしまって。それが発端で、パァ。いろいろ、ありえないでしょう」

 いろいろ。
 その言葉に、彼女の思いが詰まっているように感じた。
 私には、すべてを受け止めることなどできない。その中のふたつみっつを抱き締めるだけで精一杯で、それ以上の無理は自分自身を壊してしまいかねない。悲しいけど、それは別として、パスタおいしい。

「少しはゆっくりさせてもらうつもりだったけど、もう、手当たり次第って感じでお見合いさせられてる。今日はたまたま暇だったの」
「あの、なんて言葉をかければいいのかわかんないんだけど、とりあえずお疲れ様」
「ありがとう。愚痴みたいになっちゃってごめんね」
「いいよ、私の愚痴も聞いてくれたら、おあいこになるでしょ」
「……もっちゃんって優しいし、ほかの人みたいに、作らない、から好きだな」

 優しくなんてないよ、と言い返しそうになり、すんでのところで飲み込む。お世辞だろうがなんだろうが、相手が自分をそう思うのなら、それが相手にとっての事実なのだ。否定など、無礼に等しい。
 私の無言に満足したのか、瑠璃子はまた屈託なく笑って、パスタを口に運んだ。

「ずっとお話しできなくて、寂しかったのよ、もっちゃん」