ダーク・ファンタジー小説

Re: 宵と白黒 ( No.24 )
日時: 2020/08/30 11:23
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

第四章 だからこそ
《プロミスド・ユー》
1:花開く時は唐突に

 シュゼは、リュゼとレンをみてかすかに笑った。あの様子ならきっと大丈夫だろう、と思う。ちらりと隣にいるトワイに目を向ければ、自然に笑っていて。それがシュゼにとってはとても嬉しいのだ。

 軽やかに笑った彼女の手が、もう一度レンに向けて真っ直ぐ差し出された。少しそれを見つめてから、今度こそレンはそっとそれを握る。そのまま彼の身体を引き上げて、レンがほぼ自分とほぼ変わらないくらいの背丈だということに気付いた。彼の顔を正面から見るのは初めてだ。切り揃えられた黒い前髪と、光の少ない髪と同じ色の目。光を吸い込むような色をしている。

「コレ、やるよ」
「え?」

 不意にレンは、着ていた黒のウィンドブレーカーを脱いだ。シュゼが唐突の行動の訳を聞く間もなく、彼はそれを彼女の斜め後ろにいたトワイへ放る。
 
「オレに?」

 反射的にそれを受け取って、トワイはぱちぱちと瞬きした。本気で理由が分からないとばかりに首を傾げた彼に、レンは溜息を吐いて、視線を斜め下に投げながら答える。

「オマエ、まぁ僕のせいなんダケど……その、ホラ! シャツ! 破れてるだろ、背中!」
「あ、えと。ありがとう、かな?」
「ソレ、サイズ割と大きめダカラ。お前でも、着レルと思う」
「あ、うん……」

 そのなんでもないやり取りに、レンがくしゃりと笑った。その笑みに、思わずシュゼも笑ってしまう。そして、それを頃合と見た少女は、息を吸い込むともう一度尋ねた。

「私たちと……一緒に来ない?」
「僕が、君たちと?」

 ふっ、と肩の力が抜かれる。色に溢れる世界へ出ていくことに対する、この僅かな躊躇いはどうしたものか。そんなことを思いながら、レンは空を見上げた。

「あ──────!」

 がたがたと体が震え出す。目から何が何だか分からないような涙がこぼれおちる。唐突に泣き出したレンに、シュゼが慌てて声をかけた。

「え、大丈夫…?」

 ぼんやりと意識の横で、誰かに呼ばれたような気はした。けれど、それを気にもとめずにレンは空を見つめる。吸い込まれてしまいそうなほどに妖しくて美しい、夕焼け。ざわざわとノイズの如く映像を脳内が走り抜け、無数の断片が揺らぐ。蒼天、夕焼け、緑。
 
『こんなに…空は、綺麗だったんですね─────華鈴さん。ごめんなさい、格好……悪い、ですね』

 己でもわけも分からずに泣きながら、レンは手の甲でぐしゃぐしゃと涙を拭った。
 その言葉を聞いた3人が、揃って首を傾げる。それも当然だ、レンは今秋津の言葉で喋ったのだから。
 空を見つめたまま、ああそうだ、とレンは思う。どうして忘れていたんだろう、と。忘れていたのか? いや、それにしても微妙におかしいのだ。まるで、記憶と過去に食い違いがあるような。

「レン…………? 大丈夫、なの……?」

 不安げにリュゼが歩みよって、今度こそレンはそれに気付いた。ハッとした顔でシュゼの横へ目を移し、幾度も瞬く。ズボンの横でぎゅ、と握られた手が、不意に持ち上がった。いきなりの動きにびっくりして、リュゼが僅かに体を引く。レンの手が肩に置かれて、ぎゅっとその手に力が籠る。

「きみは…………僕二、何ヲしたんダ?」

 真っ直ぐに彼女の青い目を見つめて、レンはそう問いかけた。明確に狼狽えつつも、レンからリュゼは目を離さない。とても、とても大事な瞬間であることぐらい分かっているからだ。
 シュゼとトワイは、その場から半歩身を引いた。2人も、この場は彼らで解決するべきだという空気をひしひしと感じ取ったからである。
 キッと、自分のしたことに責任を負って。リュゼはレンの目を見返した。

「私は、貴方に力を使った。それだけだよ」
「ドウイウ、こと……? 僕に、どうしてもツイテキテほしいんだナ?」

 ふっと溜息を吐いてにレンは肩を落とした。リュゼの肩から手を外し、ズボンのポケットに手を突っ込む。何が何だか分からないけど、でも色は見えている。そうだ、ならもう恐れることも躊躇うことも何も無い。理屈なんかの優先順位は低くたって構わない。きっと、華鈴さんならそう言う。
 ふわりと笑って、彼は言った。

「良いよ。君たち二ツイテ行こう」

Re: 宵と白黒【第四章突入!】 ( No.25 )
日時: 2020/08/30 20:39
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 ついて行こう、と言ったレンは改めてシュゼの目を見直した。路地の抜けた先、大通りから滑り込んでくる薄暮の光が彼女の髪をオレンジに染めている。僅かに吹き抜けていった風が、半袖になったレンの体を優しく撫でた。あ、とレンは呟きそうになる。それが、まるで彼女のように思えて。それが、レンの背中を押した。

「貴女の、名前ハ?」
「私はシュゼ・キュラス! こっちが妹の」
「え、と……リュゼ・キュラス、です」

 リュゼはそう言って、ふわりと黒髪を揺らして振り返った。後ろにいたトワイは、先程のウィンドブレーカーを抱えたまますこし俯いている。数瞬迷った末に、顔を上げて彼は名乗った。

「トワイ、だ」
「……紺色ノ」
 
 紺色の、と呼ばれたトワイは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。リュゼとシュゼの方を見て、もう一度視線をレンへ戻す。それを2回程繰り返してから、彼は訂正の言葉を発した。

「トワイだ」
「紺色ノ!」
「トワイだっ!」

 唐突に、二人の間へ落ちた奇妙な沈黙が可笑しくて、シュゼは声を上げて笑いだした。レンに襲われてから薄らと漂っていた張り詰めた空気が、一瞬で崩壊していく。リュゼも口元に手を当ててわずかに微笑むと、タイミングを見計らっていたかのようにトワイへと近付いて行く。

「あの、少し良いですか?」
「リュゼ……何?」

 リュゼの目を見て、話が長くなりそうだと察したトワイはビルの壁に背を預けた。ウィンドブレーカーが僅かに動き、布同士が擦れ合う音が響く。リュゼはそれを彼の手から取ると、ふわりと広げてトワイへ被せた。若干大きめのそれは彼の体にも合っている。

「ありがと。どうした? なんかあった?」
「約束、して欲しいんです」

 不意にリュゼはトワイを睨み、そう言った。何を言っているのか分からないと言った風に、首を傾げた彼へリュゼは笑う。一歩距離を詰めて、きゅっと上目遣いでトワイを見上げた。ショートブーツの底がアスファルトを擦る。
 夕日に艷めく今の彼女が、何故か酷く魅力的に見えて、トワイは反射的に目を逸らす。

「もう……死んじゃだめです。それを、約束して欲しいんです、私と」

 有無を言わさぬ強靭な意志を秘めた瞳でこちらを見つめて、リュゼはそう言う。その言葉の圧に負け、トワイは視線を戻した。返す言葉が見つからぬとばかりに彼の口が開閉する。

「何で?」

 ようやく彼の見つけた言葉は、まるで幼子のような返しだった。だが、口に出した途端それはすとんと彼の胸へと落ちていく。それを聞いてリュゼはぎゅっと拳を握りしめた。俯いて、僅かに震えながら少女は言う。

「嫌なんです。さっきも言ったでしょう? 私は怖いんです! 人が死ぬのも自分が死ぬのも、血が流れるのも! だから、だからどうか………!」

 本当に怖い。彼女はそんなことを思う。あの時自分が、力を行使できなければ。あのままトワイの体は冷えてそのまま────ギリギリと歯をかみ締めて、泣くのを堪えながらリュゼは言う。青い目がトワイの目を見て、今度は彼の目が影に隠れた。微かに溜息のような息を吐いて、トワイはそっとリュゼの頭に手を置いた。

「ごめん。オレはさ、曲がりなりにも《宵》って呼ばれるくらい人を殺してきた殺し屋だから。だから、リュゼとその約束はできな───」


 自分だけがそんなことは出来ないと。等しく責を負うべきであると、青年はそう言う。

「だからなんだって言うんですか?」

 それを否定する酷く冷たい声が、リュゼの口から放たれた。細めた目で真っ直ぐに青年を見つめて、少女は迷いなく肯定する。

「私が助けたのは、《宵》じゃないです。貴方を、助けたんです! それの何がいけないんですか!? もし貴方が! 『トワイ』じゃ無かったとしても、人殺しだとしても、私は─────私が約束して欲しいのは貴方なんです! 私たちに、トワイって名乗った貴方なんです!」

 リュゼは、己でも自分の言った言葉が支離滅裂で、論点のすり替えも良いところだと言うことを自覚していた。けれど、それに後悔などなかった。ざぁっと音を立ててビル風が吹き抜けて、街の匂いを運んでくる。
 トワイは、目を見開いた。リュゼの言葉が、いつか自分が抱いていたはずの疑問を吹き飛ばしていく。自分は、何者でもないのではないか、と言う疑問を。
 そして、ふわりとトワイは笑った。にっこりと、満面の笑みを顔に閃かせて彼は口を開く。

「ありがとう、リュゼ。良いよ、約束してあげる。ほら……早く?」
「え……ほんとに、良いんですか?」
「何言ってんだ? リュゼが持ちかけてきたけいや、もとい約束だよ? ほら!」
「え、あ、はいっ! じゃあ…絶対、死んじゃだめですからね?」
「分かった。約束、な」

 笑いあった2人を見て、今まで黙り込んでいたレンがふっと自分の右手に目を落とす。

「タリスクじゃ、指切りッテシナイんだな」
「え?」

 隣に立つシュゼが、こてんと首を傾げた。トワイとリュゼもそちらに目を向ける。僅かに笑って、レンは右手の小指を真っ直ぐに伸ばした。

「小指と小指ヲサ、こんな感じで…」

 何気無い動作で、そっとシュゼの手をレンは取った。かなり吃驚した顔でシュゼが少年を見るが、それを気にせずにレンは己の小指をシュゼの小指に絡める。ゆっくりそれを持ち上げてトワイとリュゼに見せながら、レンは説明を続けた。

「結ンデ、約束を破らないってコトを誓ウんダ」
「あ、あのね! もう、分かったから……ちょ、ちょっと……指、離してくんない…?」

 僅かに頬を染めて、シュゼが明後日の方向を見ながらそう言う。それと同時に、自分が何をしていたかに気付いたらしきレンが慌てて小指を離して飛びずさった。その様子に、くすりとリュゼが笑みを零す。

「わ、悪イ!」
「べ、別に良いよ」

 ほんの少しだけ、彼らの間に気まずい空気が流れる。だが、それをかき消すようにシュゼは笑いだした。レンの反応が、それはそれは普通の少年だったからだ。いや、下手するとそこらの男子より初心かもしれないその態度に、シュゼは笑いが止まらない。
 一人で相当気まずくなっていたのだろう、レンがトワイとリュゼへ向き直って叫んだ。

「ほ、ホラお前らトットと指切りシタラどーなんだよ!」
「お、おう!」
「え、え!?」

 トワイは躊躇いなくリュゼの右手を手に取った。己の手でそっと包み込み、反射的に伸ばされる彼女の細くて白い小指に、指貫グローブを着けた右手の小指を絡める。それを見つめて、トワイは言った。

「約束………か。」
「ええ。約束、です」

 もう一度笑いあった二人は、その単語を噛み締めるように息を吐く。
 傾きがきつくなり、何も遮るものが無くなったトワイライトは、路地へ真っ直ぐに注ぎ込む。不意に、地面に転がっていた空き缶が転がって金属音を奏でた。残光に照らされる彼らにぼんやりと魅入られていたシュゼは、その音に夢から覚めるように顔を上げる。だっだっとスニーカーの底で地面を踏んで、ぽんと両手をトワイとリュゼの肩に置く。

「お二人さん? あのね、色々あったけどもう行くよ? いい加減日も沈みそうだし!」
「え、あ、うんっ!」
「分かった」

 壁から背を離したトワイが、かっと音を立ててアスファルトを踏んだ。するりと小指同士が離れ、そのまま何気無い動作で手が握られる。トワイのその行動に、ブワッと頬を赤くしたリュゼがトワイを見上げるが、当の彼はそれに気付いた様子すら無い。

「え、と…トワイさん?」
「何?」

 どうやら本当に自覚がないらしいトワイに、リュゼは溜息を吐いた。

「……僕モ行くノ?」
「え、当たり前じゃん。レンも着いてきなよ!」
「了解」

 黒のスニーカーでアスファルトを踏んで、レンが一歩踏み出した。その場にするりとしゃがみこんで、彼が落とした刃を拾い上げる。手首につけられた鞘にしまい込んで、ふっと笑みを零す。
 四人で、路地から出たその先で。もう陽は、沈んでいた。

Re: 宵と白黒 ( No.26 )
日時: 2020/08/30 20:42
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 どうやらちょうど、仕事終わりの人が多い時間帯だったようだった。スーツの人々の間を抜けて、四人は歩いていた。相も変わらずトワイはリュゼの手を離さない。直線が多く、きっちりとした通りが印象的な黎明街とは違って、薄暮街では林立するビルの間に道が作られている。舗装もアスファルトが多く、足音はあまり響かない。
 何も喋らずに歩きながら、レンは何やら考え込んでいた。七分丈のズボンのポケットに手を突っ込んで、やや俯き気味に。

「あノサ。聞きたいコトが、あるンダケド」

 唐突にレンは、横を歩くシュゼに向かって話しかけた。彼女にしてはめずらしく、どこか沈んだような顔をしていたが、レンが自分に声を掛けたことに気付いたのだろう。顔を上げたシュゼが慌てて微笑む。ちらりと後ろへ振り返りつつ、足はとめない。

「何?」
「……好き、ッテ何、カナ?」
「え!?」
「な、何だヨ……」

 かなりビックリした顔で、シュゼは勢いよく左斜め後ろへ振り向き、レンの顔を二度見した。彼もかなりどぎまぎしながら、少女の目を見返す。さり気なく歩く速度を落としてレンの真隣に並びつつ、ゆっくりと考え考え言葉を発した。

「んー、そうだなぁ……レンの言うそれはさ、恋のこと? それとも、純粋に好みだとか好みじゃないとか、そういう次元の話?」
「えー、と。多分……恋の方カナ」
「そう、だね。うーん、私は……他の何よりも、その相手を選びたくなることとか、かな……?」

 動揺しすぎて、まともな言葉が組み立てられない。ぱちぱちと激しく瞬きして、必死に照れを抑えながらシュゼはばんっとレンの肩を叩いた。イテ、とレンが声を上げるのも構わずに彼女は励ましの言葉を投げる。

「まあ、頑張りなよ!」 
「何で僕ハお前に心配サレてんだ……?」
「あはは、まあ別にいいでしょ!」
「お、おう……」

 それきりレンもシュゼも何も喋らなかった。ざわざわと人の波の間を抜けていく。立ち並ぶビルのエントランス部分が次々と目に入る。薄いガラスのもの、木と組み合わせられたもの。沢山のデザインを横目に通り過ぎつつ、レンは再び考えていた。
 他の何よりも、か。レンはそんなことを思った。黙り込んで視線を落とせば、己の靴の右足と左足が交互に目に映る。ならば華鈴さんは、僕を選ばなかった。だから、華鈴さんは僕のこと好きじゃなかったのか。

『自由はなによりも優先されるべき事なのか…?』

 レンはそう、秋津の言葉で呟いた。隣を歩くシュゼに訝しげな目で見られやしないかとレンは不安になったが、シュゼはシュゼで何か考えているようだった。沈鬱げな表情で、ずっと物思いに耽っているらしい。
 だからだろう。それに1番早く気づいたのは、顔を上げて四人の一番前を、シュゼと並んで歩いていたレンだった。

「シュゼ! 危ナイ!」
「え!?」

 千鳥足の中年の男が、タバコに火をつけようとライターを持ちながら歩いている。周りから非難の視線がいくつも突き刺さる。こんな時間帯なのに相当飲んでいるらしく、足取りはかなり覚束無い。その男はよろめき、転びそうになる。シュゼの目の前で。今ちょうど火がついたタバコとライターが、反射的に伸ばされた彼女の右手にぶつかった。

「姉さん!?」
「おい、シュゼ!? 大丈夫なのか!」
「あつっ……くない? え?」
「シュゼ? 大丈夫ナノカ!?」

 その結果に一番驚いたのはシュゼだった。彼女は至近距離で何があったのか見えていたのだが、それはとても不思議なことが起こった。赤かったはずの炎は、シュゼの肌に触れた瞬間に、赤から白へ変色した。そして、白い炎は一瞬で消失したのだ。そんなことが自然現象として起きるはずもなく、シュゼはマジマジと己の手のひらを見つめる。

 少女にぶつかってきた男の方は、ふらふらとふたたび立ち上がると「前見ろ!」と叫びをこちらに投げかけてそのまま歩みさってしまった。トワイがいまにも飛びかからんばかりの勢いでそちらを睨みつけるが、それを慌ててリュゼが抑えた。周りを歩く者たちは、気の毒げな目をこちらに向けつつも何も言ってこない。薄暮街とはそういう街である。
 それを幾度か来ているシュゼとリュゼは悟っているため何も言わないが、トワイとレンは意外そうな顔をした。

「あの、姉さん、大丈夫なの?」
「う、うん。なんか、怪我も何も無い」

 シュゼがそう答えると、リュゼがふわりと顔を綻ばせた。後ろから追いついてきたトワイも、微笑んでそう言う。
 そのまま何事も無かったかのように四人は歩き出したが、シュゼはまたじっと何か考えているようだった。

□  △  □

「ここだよ!」

 四人が着いた先のホテルらしい所は、一見するとただのビルだった。少し上の方を見上げれば、何やら1面ガラス張りの窓が見える気もする。

「ほらほら、早く行こ!」

 会話を挟ませぬ勢いでそう言ったシュゼは、自動ドアを開けてエントランスへ入っていった。