ダーク・ファンタジー小説

Re: 宵と白黒【第四章突入!】 ( No.25 )
日時: 2020/08/30 20:39
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 ついて行こう、と言ったレンは改めてシュゼの目を見直した。路地の抜けた先、大通りから滑り込んでくる薄暮の光が彼女の髪をオレンジに染めている。僅かに吹き抜けていった風が、半袖になったレンの体を優しく撫でた。あ、とレンは呟きそうになる。それが、まるで彼女のように思えて。それが、レンの背中を押した。

「貴女の、名前ハ?」
「私はシュゼ・キュラス! こっちが妹の」
「え、と……リュゼ・キュラス、です」

 リュゼはそう言って、ふわりと黒髪を揺らして振り返った。後ろにいたトワイは、先程のウィンドブレーカーを抱えたまますこし俯いている。数瞬迷った末に、顔を上げて彼は名乗った。

「トワイ、だ」
「……紺色ノ」
 
 紺色の、と呼ばれたトワイは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。リュゼとシュゼの方を見て、もう一度視線をレンへ戻す。それを2回程繰り返してから、彼は訂正の言葉を発した。

「トワイだ」
「紺色ノ!」
「トワイだっ!」

 唐突に、二人の間へ落ちた奇妙な沈黙が可笑しくて、シュゼは声を上げて笑いだした。レンに襲われてから薄らと漂っていた張り詰めた空気が、一瞬で崩壊していく。リュゼも口元に手を当ててわずかに微笑むと、タイミングを見計らっていたかのようにトワイへと近付いて行く。

「あの、少し良いですか?」
「リュゼ……何?」

 リュゼの目を見て、話が長くなりそうだと察したトワイはビルの壁に背を預けた。ウィンドブレーカーが僅かに動き、布同士が擦れ合う音が響く。リュゼはそれを彼の手から取ると、ふわりと広げてトワイへ被せた。若干大きめのそれは彼の体にも合っている。

「ありがと。どうした? なんかあった?」
「約束、して欲しいんです」

 不意にリュゼはトワイを睨み、そう言った。何を言っているのか分からないと言った風に、首を傾げた彼へリュゼは笑う。一歩距離を詰めて、きゅっと上目遣いでトワイを見上げた。ショートブーツの底がアスファルトを擦る。
 夕日に艷めく今の彼女が、何故か酷く魅力的に見えて、トワイは反射的に目を逸らす。

「もう……死んじゃだめです。それを、約束して欲しいんです、私と」

 有無を言わさぬ強靭な意志を秘めた瞳でこちらを見つめて、リュゼはそう言う。その言葉の圧に負け、トワイは視線を戻した。返す言葉が見つからぬとばかりに彼の口が開閉する。

「何で?」

 ようやく彼の見つけた言葉は、まるで幼子のような返しだった。だが、口に出した途端それはすとんと彼の胸へと落ちていく。それを聞いてリュゼはぎゅっと拳を握りしめた。俯いて、僅かに震えながら少女は言う。

「嫌なんです。さっきも言ったでしょう? 私は怖いんです! 人が死ぬのも自分が死ぬのも、血が流れるのも! だから、だからどうか………!」

 本当に怖い。彼女はそんなことを思う。あの時自分が、力を行使できなければ。あのままトワイの体は冷えてそのまま────ギリギリと歯をかみ締めて、泣くのを堪えながらリュゼは言う。青い目がトワイの目を見て、今度は彼の目が影に隠れた。微かに溜息のような息を吐いて、トワイはそっとリュゼの頭に手を置いた。

「ごめん。オレはさ、曲がりなりにも《宵》って呼ばれるくらい人を殺してきた殺し屋だから。だから、リュゼとその約束はできな───」


 自分だけがそんなことは出来ないと。等しく責を負うべきであると、青年はそう言う。

「だからなんだって言うんですか?」

 それを否定する酷く冷たい声が、リュゼの口から放たれた。細めた目で真っ直ぐに青年を見つめて、少女は迷いなく肯定する。

「私が助けたのは、《宵》じゃないです。貴方を、助けたんです! それの何がいけないんですか!? もし貴方が! 『トワイ』じゃ無かったとしても、人殺しだとしても、私は─────私が約束して欲しいのは貴方なんです! 私たちに、トワイって名乗った貴方なんです!」

 リュゼは、己でも自分の言った言葉が支離滅裂で、論点のすり替えも良いところだと言うことを自覚していた。けれど、それに後悔などなかった。ざぁっと音を立ててビル風が吹き抜けて、街の匂いを運んでくる。
 トワイは、目を見開いた。リュゼの言葉が、いつか自分が抱いていたはずの疑問を吹き飛ばしていく。自分は、何者でもないのではないか、と言う疑問を。
 そして、ふわりとトワイは笑った。にっこりと、満面の笑みを顔に閃かせて彼は口を開く。

「ありがとう、リュゼ。良いよ、約束してあげる。ほら……早く?」
「え……ほんとに、良いんですか?」
「何言ってんだ? リュゼが持ちかけてきたけいや、もとい約束だよ? ほら!」
「え、あ、はいっ! じゃあ…絶対、死んじゃだめですからね?」
「分かった。約束、な」

 笑いあった2人を見て、今まで黙り込んでいたレンがふっと自分の右手に目を落とす。

「タリスクじゃ、指切りッテシナイんだな」
「え?」

 隣に立つシュゼが、こてんと首を傾げた。トワイとリュゼもそちらに目を向ける。僅かに笑って、レンは右手の小指を真っ直ぐに伸ばした。

「小指と小指ヲサ、こんな感じで…」

 何気無い動作で、そっとシュゼの手をレンは取った。かなり吃驚した顔でシュゼが少年を見るが、それを気にせずにレンは己の小指をシュゼの小指に絡める。ゆっくりそれを持ち上げてトワイとリュゼに見せながら、レンは説明を続けた。

「結ンデ、約束を破らないってコトを誓ウんダ」
「あ、あのね! もう、分かったから……ちょ、ちょっと……指、離してくんない…?」

 僅かに頬を染めて、シュゼが明後日の方向を見ながらそう言う。それと同時に、自分が何をしていたかに気付いたらしきレンが慌てて小指を離して飛びずさった。その様子に、くすりとリュゼが笑みを零す。

「わ、悪イ!」
「べ、別に良いよ」

 ほんの少しだけ、彼らの間に気まずい空気が流れる。だが、それをかき消すようにシュゼは笑いだした。レンの反応が、それはそれは普通の少年だったからだ。いや、下手するとそこらの男子より初心かもしれないその態度に、シュゼは笑いが止まらない。
 一人で相当気まずくなっていたのだろう、レンがトワイとリュゼへ向き直って叫んだ。

「ほ、ホラお前らトットと指切りシタラどーなんだよ!」
「お、おう!」
「え、え!?」

 トワイは躊躇いなくリュゼの右手を手に取った。己の手でそっと包み込み、反射的に伸ばされる彼女の細くて白い小指に、指貫グローブを着けた右手の小指を絡める。それを見つめて、トワイは言った。

「約束………か。」
「ええ。約束、です」

 もう一度笑いあった二人は、その単語を噛み締めるように息を吐く。
 傾きがきつくなり、何も遮るものが無くなったトワイライトは、路地へ真っ直ぐに注ぎ込む。不意に、地面に転がっていた空き缶が転がって金属音を奏でた。残光に照らされる彼らにぼんやりと魅入られていたシュゼは、その音に夢から覚めるように顔を上げる。だっだっとスニーカーの底で地面を踏んで、ぽんと両手をトワイとリュゼの肩に置く。

「お二人さん? あのね、色々あったけどもう行くよ? いい加減日も沈みそうだし!」
「え、あ、うんっ!」
「分かった」

 壁から背を離したトワイが、かっと音を立ててアスファルトを踏んだ。するりと小指同士が離れ、そのまま何気無い動作で手が握られる。トワイのその行動に、ブワッと頬を赤くしたリュゼがトワイを見上げるが、当の彼はそれに気付いた様子すら無い。

「え、と…トワイさん?」
「何?」

 どうやら本当に自覚がないらしいトワイに、リュゼは溜息を吐いた。

「……僕モ行くノ?」
「え、当たり前じゃん。レンも着いてきなよ!」
「了解」

 黒のスニーカーでアスファルトを踏んで、レンが一歩踏み出した。その場にするりとしゃがみこんで、彼が落とした刃を拾い上げる。手首につけられた鞘にしまい込んで、ふっと笑みを零す。
 四人で、路地から出たその先で。もう陽は、沈んでいた。