ダーク・ファンタジー小説

Re: 宵と白黒【改題しました】 ( No.3 )
日時: 2020/08/20 00:15
名前: ライター (ID: cl9811yw)

【リア お金の単位】


 殺しは久しぶりだ、と思う。好き好んで人を殺している訳では無いが、より実入りのいいのは殺しなのだ。そう考えて、青年は口を開いた。

「受ける。誰を殺して欲しい?」

 青年が問うた途端、依頼人の顔に貼り付いていた微笑みの仮面に罅が入る。醜く歪んだ顔に浮かぶのは、憎しみだろうか。喉がひりつくような空気を彼はその身にまとっていた。この冷たい気配を、人は殺気と呼ぶだろう。
 
「ある女を。俺の母を殺し妹を殺した人を。あなたがもし女子供を殺せなければ別に構わない、他の者に依頼するだけだ」

 そう低い声で言った依頼人を微かに鼻で笑い、殺し屋はその懸念を否定した。

「オレはこれでも殺し屋でね。貴方が金を払ってくれるのであれば殺す。その女は何処の誰だ?」
「黎明街五番通りの家に住んでる、フェーリ・ルクスィエだ! 長い茶髪で、金の目をしている、太った女……!」

 テーブルに叩きつけたいとばかりに拳を握りしめ、依頼人は言った。食い縛られた白い歯が覗く。

「黎明街ね……まぁ、良い。最後に聞こう。貴方の名は?」

 殺し屋は真っ直ぐに依頼人の瞳を見つめ、問い掛ける。その何の感情も浮かんでいない怜悧な顔を見て、我に返ったように依頼人は笑みを取り戻した。

「今日の夜、彼女は一人で自分の家へ帰ってくることが分かってる。私がメイドから聞き出したことだから、確実と言えるはず……私の名はリオン・シール。よろしく頼む、《宵》」

 ほんの少し、言葉と名乗りの間に空白があったのは。今ならばまだ引き返せると思ったからなのだろうか。それでも、殺し屋と依頼人は手を握り合い、契約を成立させた。もう後戻りは殺し屋が死なない限り出来ないし、人の死を金に替えようとした時点で同罪だ。
 オレンジの光に照らされた白い手と握手しながら、トワイは思う。きっと、この手は血で染まったことがないのだろう、と。浮かび上がったそんな雑念を振り払うように殺し屋は言った。

「明日、また此処へ」

 張り詰めた糸が切れたように、ゆっくりと深呼吸して依頼人は一礼した。腰を綺麗に折った、まるで騎士のような礼。すっと長身の彼が後ろを向いて、入口に向かっていく。
 律儀に彼が帰って行くのを見届けた青年は、スツールを軋ませて立ち上がった。自然と目に入ったカウンター席に足を組んで座る酒場の店主は、いつも通り半ば目を閉じている。彼の安らぎを邪魔せぬように静かな声で、そっと青年は礼を言う。

「ごちそうさん」
「毎度あり」

 短く会話を交わした青年は酒場の扉を開ける。把手につけられたウィンドチャイムが立てる音に見送られ、夜の帳が降りる中歩き出した。



「おい」

 夜に沈んだ街をカツカツとブーツの底で音を立てながら歩き出した青年に、低い声が降りかかった。一緒に降り掛かってくるものが幸だったことがあるだろうか。いや、無い。大抵降り掛かってくるのは不幸の類のもので、ならば関わらないが吉、と青年は判断する。その言葉を無視して、脇を通り抜けて歩き続けようとすれば、もう一度いらだったような声が投げかかる。

「おい、お前。死にたくなかったら金目の物全部置いて行け。早くしろ」

 は、と青年は微かに嘆息した。殺し屋の街でチンピラなどが付け上がっているのはきっと、完全に無視して通り過ぎない殺し屋がいるからだろう。適当に負けたふりなどするからだ、と思う。確かにそれがいいあしらい方ではあるのだろうが、あとの者の迷惑というものを考えてくれたって良いでは無いだろうか。

「生憎オレはこれから仕事だ。こんなチンピラがこの街にいるとは思わなかった。此処は殺し屋の街だ。そう言うことをしたいんだったら宵闇に行け、同類がいるぞ」

 呆れ果てた青年は、力を抜いて言い放った。その言葉に、大男の額に青筋が浮かんだ。

「………俺の力をあまり舐めるなよ、ガキ!」

 その言葉と共に風を切る音を立てて容赦無く振り下ろされるなにか。それが異常に太い腕と拳だということに、こういうことに慣れている青年すらも認識が遅れた。それでも尚、焦りは生まれない。何故ならば──青年の方が速いからだ、絶対的なまでに。もはやハンマーのごとき様相を呈している腕と拳を目の端に捉えながらも、するりと青年は左に避けて右足を跳ね上げる。
 
「シッ……!」
「がぁっ!?」

 青年の爪先が腹にめり込み、そのまま男を誰かの家の外壁に押し付けた。紺色の髪がばさりと揺れて、壁に着いた土が剥がれ落ちる。チンピラが動かなくなったのを確認し、一応生きているかも確認する。青年は殺し屋であっても殺人快楽者では無いので、無駄に人を殺す趣味などないからである。
 青年が再び通りを歩き出そうと足を踏み出した、その時。

 ────男を倒して、気を緩めていたことは否定できない。
 背後の路地から炎の糸が数本伸び迫るのに、彼は気づくのが数瞬遅れた。

「つっ……!?」

 蒼く煌めく炎の糸は、青年を縫いとめ刺し貫こうと夜闇を切り裂いて迫ってくる。それを見た青年は、炎が追ってくるのも構わずに徐々にスピードを上げて走りだし───そして、人外じみた速度で掻き消えた。