ダーク・ファンタジー小説
- Re: 宵と白黒 ( No.31 )
- 日時: 2020/08/30 20:56
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
- 参照: https://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=article&id=2073&page=1
『それは……?』
ブランが僅かに目を細め、静かにレンへ問いかける。
『つまり、ええと。【華鈴さんの記憶がない僕】を、【華鈴さんに力を行使される前の僕】に戻したとするならば、その間に在る二年間の記憶とかは吹き飛んで然るべきなのでは、ということです。でも、僕の記憶はちゃんとあるんですよ』
自身でも混乱しながら、レンはそう言った。目の前に座る彼女の青い目が伏せられ、テーブルの表面を凝視するのを瞬きながら眺める。ややあって、何かを閃いたかのようにブランははっと顔を上げた。俄には信じ難い、とでも言いそうな表情をしつつ彼女は口を開く。
『力の行使は、本来とても難しい。特にリュゼや私、ノーシュのような系統の力であれば尚更だ。ピンポイントで使うのは相当の集中が要る。だが、リュゼがそれをやってのけたとするならば。全てに説明がつくだろう』
そう言って彼女は再び視線を下げた。本当に信じ難いが、と呟きを付け足す。
ノーシュもブランも、力を使う際は広範囲を対象として使う。そして、そこから対象を探すのだ。誰か一人の情報に絞って、つまり先程彼女が言ったようにピンポイントで使うというのは相当難しい。無論、力の能力によっては逆に大規模な行使が難しいもの───トワイやシュゼ、レンのものなど───もある。
ブラン自身もそれが出来ないことはないし、やったことはある。だが、負担がかかり過ぎて使い物にならなかった。あくまでも行使するのは人の身だ。
『つまり?』
いよいよ混乱してきた、といった顔でレンはブランに問い直す。
『イメージとしては、水だな。細く水流を出して一人に当てるのは時間がかかるし難しいだろ? ホースから一気に放水する方が遥かに簡単だ。もちろん使う水の量は多いから、負担はそれなりにかかる。どっちもどっちと言った所だ……そして、君はひとつ勘違いしている』
『貴女に質問ばかり返すのは少し癪ですけど。聞きますよ、何を僕は勘違いしてるのですか?』
『君が戻された部分は記憶じゃない。いや、そうなったから結果論的にとも言えるが……おそらくは』
目を鋭く細め、彼女は一旦言葉を切る。
『過去そのものだ。君が力を行使された地点から、ほんの少しだけ戻す──力を使われ、それが効果を発揮したということのみを時間を戻して無かったことにしたのではないか、とボクは思う』
ああ、と小さく呟いて納得した顔でレンは頷く。長い前置きもそれが理由だったのか、と。そして彼がなにか言おうと口を開きかけた時、横合いからテーブルの上へ影が差した。
「すみませんお客様? 長時間の雑談はお控えいただきたいのですが……」
まだ若い、このスーパーの従業員だ。クリーム色と緑の差し色が入った制服を着て、困ったように笑っている。
「ああ、それはすまない。レンくん、あとは戻りながら話そうか」
「あ、ハイ」
瞬時にタリスク語に切り替えて返答したブランが、床に椅子を擦らせながら立ち上がる。レンも直ぐに言語を切りかえて返事をし、買ったものへと手を伸ばした。立ち上がったことで改めて体に寒気が走り、レンはトワイにウィンドブレーカーを返してもらうことを決意する。
静かに一礼した店員に背を向けて、彼らは歩き出した。自動ドアから外へ踏み出れば夜の空気が体を包む。走る車の音に紛れてしまいそうなほどの小声で、ブランは呟いた。
「レンくん。ボクはね、リフィスを助けたいんだ。だけど、ボクでは何も出来ない。だからキミへお願いしてる」
いつものそこはかとなく芝居がかった、打算ありきの語調ではないとレンは感じた。タリスクの言葉でそれが放たれたことも、またそのことを裏打ちしているように思える。
レンの中でのブランへの印象は、主に油断ならないということが大半だ。まさか彼女が本音をさらけ出すなんてことがあるのだろうかと思ってしまうのも仕方なしと言える。
それが本当に本心なのか、それを問おうとレンは反射的に口を開いた。
『それって……』
『冗談。キミが一番利用しやすそうだったからさ! トワイくんは油断ならないという感じがするし、シュゼとリュゼは以ての外。キミを一目見た時に分かったよ、とても純粋な子なんだろうなって。それに男の子だから、最悪色じか』
『何しようとしてたんですあなた!?』
いつもの口調で軽快にそう言ってのけた彼女に、レンは動揺した視線を向ける。思わず大きな声が出てしまい、周りの人の迷惑になっていやしないかという不安が走った。一方ブランの方といえば否定するように手を振って、気楽げな笑みを滲ませている。
『本当、やめてくださいよそういうの……』
『もー、人聞き悪いこと言うなって。ほら、とっとと帰る!』
□ △ □
ざわめく服屋の店内には、比較的親子連れが多い。子供の甲高い声がいまいち得意ではないトワイは、僅かに身を引きつつ買い物を済ませた。やはりリュゼと二人きりというのは落ち着かず、さりとて自分一人というのも困ってしまう。逃げるように足早に店内を出て、ちらりと店内の方を振り返る。
その時、不意に隣を歩くリュゼが声を上げた。
「わ、可愛い……」
トワイがその声につられて視線を向ければ、通路を挟んで向かい側にある子供服の店が目に入る。どうやらリュゼの視線の先にいるのは、まだ四、五歳と思われる子供を二人連れた家族のようだ。水色の揃いのパーカーを着て、子供たちは楽しげにはしゃいでいる。その母親らしき人物は、ちらちらと自分の子供を見つつ服を物色していた。
「双子、か?」
その顔を見て、小声でトワイはそう呟いた。そっくりで、服装も同じ。違うのは髪色くらいだろうか。そう考えれば双子と思うのも妥当な所だろう。
「そうでしょうね」
「あんな……あんなにそっくりだとさ、自分が本当に自分なのか分からなくなったりしそうだな」
緩やかに歩きだしながら、ふと浮かんだ疑問をトワイは口にした。僅かに首を傾げてリュゼを見る。己自身も双子である彼女は一瞬きょとんとしてから彼の言わんとするところを理解した。《自分》というものにあれほど悩んでいた彼であれば当然であろう、と。リュゼは、ニコリと満面の笑みを浮かべて答えた。
「そんなことは無いですよ。私は、絶対に私ですからね」
静かに笑ってそういった彼女は、ふわりと黒髪を揺らして歩き出す。ゆっくりとトワイへ振り返り、自分の胸にそっと手を当ててリュゼは言った。
「私という体の器にいる魂と、そこにある真名は絶対です。たとえば私と姉さんが本名とか服とか、髪型とか、ぜーんぶ交換したとしましょう。それでしばらく暮らしたら頭がおかしくなりそうですけど、それでも私は私です。絶対唯一の真名を持つのは私だけなのですからね」
「そっか……」
確認するように何度も頷いて、トワイは言う。そして、彼はゆっくりと笑った。
「そうやって。リュゼはオレのことをちゃんと肯定してくれる……この前さ。お前オレに聞いただろ?」
「えと……何をです?」
「したいことは無いか、って。オレ、決めたよ。リュゼのことを守る。何があっても、守ってやるから。リュゼがいなくなると、オレがオレで無くなりそうで怖い」
そう言われて、リュゼの頬が赤くなった。それは一般的に言えばプロポーズとかそういう類の言葉ではないのかという反論は飲み込んでおく。それが果てしなく彼が己を守る為の術であったとしても、涼やかにリュゼは笑う。
「分かりました。でも、私との約束もちゃんと守ってくださいね?」
「あ、ああ……分かりましたよ」
顔を見合わせて、微かに彼らは笑いあった。