ダーク・ファンタジー小説
- Re: 宵と白黒 ( No.34 )
- 日時: 2020/09/06 12:41
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
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地が崩れていくような感覚がして、それでもトワイはリュゼの手を離さなかった。リュゼもまたシュゼと繋ぎあった手を離さない。あの長い黒髪の男に力を行使されたのだと分かっていても、逃げようがなかった。唐突に浮遊するような感覚が終わって、いきなり床に叩きつけられた。呼吸が上手く出来なくて、数瞬意識が飛んでいたのだろう。ここがどこだか分からない。瞼を閉じていてもなお、淡く明るさが感じとれる。屋外ではなく屋内へ入ったのだろうか。
意識が明瞭になってきて、自分がどうなったのかを思い出した。深呼吸してばっと目を見開いて、直ぐに眩しさに目を細める。手のひらに、かすかに感じる暖かさがそこにあることに安堵した。
「リュゼ、シュゼ!? 大丈夫か!?」
少女たち華奢な体が身じろいで、ゆっくりと上体が起きていく。外傷などもなさそうで、ほっとトワイは息を吐く。その隣で、レンも壁に背中をつけて起き上がった。半袖の寒さは感じない。適度な温度に空調が効いている。そのまま少年は天井に目をやった。シャンデリアめいた飾りの施された照明は、その財の大きさを強調しているようにも見てる。
社長室めいた部屋はとても広くて、トワイたちの真っ直ぐ向こう側には一面ガラスの窓が広がっている。奥に透けて見える夜景は、無数の航空障害灯が赤く煌めいていて美しい。ゆっくりとそこから視線を動かして、大きな机の辺りへそれを投げる。
そこにいた人影のひとつに、見覚えがあって。驚いて叫ぼうとしたとき、後ろから声が掛かった。
「トワイさん……!?」
「え、ここどこ!?」
シュゼとリュゼの高い声が聞こえた。束の間振り向き、ふっと息を吐く。無事で良かった、と。その隣でレンもまた、前をきつく睨んでいた。
「あのひと、か……」
小さく呟きが落ちる。ダークグレーの髪に、ライトグレーの毛先。ワンピースと、手首に巻かれた青い布───いや、ブランのリボンタイ。約束したからには必ず、とレンは思う。前髪の隙間から覗く彼女の群青色の瞳は、この明るい部屋の中でもどこか昏いように見えた。一瞬、二人の視線が交錯する。
ふいに少女の瞳が逸らされて、彼女の後ろに立っていた男へ向けられた。
「やあやあ皆さんこんばんは! そしてようこそキュラスの城、いやこの社長室へ! 僕はパスト・ウィル社社長、ルクス・キュラス。どうぞ以後お見知り置きを」
上座から、軽快に声が響く。
びくりとリュゼの肩が跳ねた。シュゼが立ち上がり身構える。彼女たちを守るように、トワイは前に出て立ち上がった。レンがかすかに息を吐き、目を細める。
常に笑っているかのように細い黒の目をさらに細め、愉しげにルクスは笑う。なにも気にせず、まるで散歩するかのように軽やかに。ざっと30メートルはありそうなフロアを、彼はゆっくりと歩いていく。ルクスたちから見て右手側、即ちトワイたちの左側。壁一面に据え付けられた本棚を、半分ほど過ぎ去った辺りで彼は立ち止まった。
とても大切なものをしまうような、そんな手つきで彼は手に収まっていた懐中時計を本棚に飾る。磨き抜かれた銀色の蓋と、菱形に飾り切られたエメラルド。無数の装飾品やら本やら書類やらで整然と飾られた棚は、社長室に相応しく見えた。
その懐中時計の装飾を一瞬見て取って、シュゼがひゅっ、と浅く息を吸った。何か声を上げる間もなく、ルクスは先手を打つように声を響かせた。
「裏切りそう、って言うかね。敵になりそうなキュラスのひとは、アレンとか、ノーシュとか、まあその辺の子に頼んで色々やってもらってるんだよ。それでね───きみたちは確か、アルフィーさんとこのシュゼとリュゼでしょう? 一体何をしようとしているのやら……そこの紺色の子は知らないけど、一緒に行動してたから連れてきた」
そこで一旦、ルクスは言葉を切った。続けてレンの方へ目を移し、僅かに首を傾げる。
「ねえアレン、君が排除するために雇った殺し屋さんってそこの黒い子だよね? 二人目。なんでそっち側にいるんだ?」
「それは───」
ルクスの誰何に、アレンが驚いてレンを見る。僅かに焦った口調になって、なにか彼が言おうとした時、そこに鋭く少年の声が割り込んだ。
「これは僕の意思ダ。僕が恩がアルから、僕自身ガ選ンだ! あなたたちとは、違ってな!」
黒い瞳に強い意志の光が灯る。その気配から、最初に感じた嫌悪感が無くなっていることに気付いて、トワイは驚いた。人は変われるのだ、と。少しだけ、少しだけ想う。願わくば、自分も変われていることを。
レンの言葉に、アレンもリフィスも動揺を示すことは無かった。言葉を返すことすらしない。ただちらりと目を向ける程度。それはきっと、彼らにとって当然のことだからだろう、とレンは思う。タイルの敷かれた床に靴底が擦れて、硬質な音を響かせる。
「貴方が、今棚に戻したそれ。それを、貴方たちから取り戻すために私たちはここに来たの。貴方のしてることは間違ってるって。誰かを犠牲にするやり方など、誰一人幸せにならないって。言いに来たんだよ!」
シュゼが、そう言った。純粋な青の目が鋭く煌めき、ルクスを睨む。となりでリュゼがそっと、自分の胸に手を当てた。そちらへ振り返ったトワイと一瞬視線が絡み、僅かに彼女は微笑んだ。ふ、と視線が動いて、リュゼが姉の後ろ姿を見つめる。かつりとタイルにブーツの底がぶつかって、彼女はシュゼの隣に立った。
「そうか。うーん、残念だね。僕もさ、好き好んで同族を殺したくなんてないよ? でも僕は、キュラスを発展させていかなくてはならない。だから殺すのさ。と言ってもそんな戦闘など出来ないからね……僕がするのは、もしもの時の後始末と責務を追うことだけ。つまりね……」
ルクスはそう言い放って、口元の笑みを深めた。ぞわりと怖気立つほどの執着と、曲がり折れた正義だと。シュゼはそう感じる。かつてはここまで歪んでなかったはずなのに、なんて。
「人を使うのさ───全員。殺してしまって」
明確な命令が彼の口から紡がれた。
それを聞いて、アレンとリフィス、そして老人が閃くような速さで動き出した。