ダーク・ファンタジー小説

Re: 宵と白黒 ( No.37 )
日時: 2020/10/11 10:30
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
参照: http://www.kakiko.cc



「シファ・レグランス……貴方は、いったい幾つの顔を持っているのやら。シールとルクスィエの方でなにか繋がりがあったみたいだけど、まあしょうがないよね」
 
 ルクスは、長い足を悠然と組んで呟いた。口元に微かな笑みが刻まれる。
 完璧じゃないか、とふと思う。アレンとリフィスには、ノーシュを旗頭にしようとする敵対派閥を叩き潰せるようにしようと告げてあった。つまり、真名を破壊することである。
 
「大人しくお姉ちゃんの後にくっついとけば良かったのにね。……残念だな。僕ノーシュには期待していたんだぜ?」
 
 そう嘯いて、すっと立ち上がる。
 右手側に備え付けられた本棚に目を滑らせれば、微かに煌めくエメラルドが目に入る。その隣には、スマラグドゥスと遜色ないほどの価値を持つ装飾品が並べられていた。
 真名を封じる依り代の価値は、その対象の真名と釣り合うものでなくてはならない。無論価値とは希少性などによるものではないのだが、それが重要なファクターであるのも事実だ。ならばノーシュの強大な真名に対して、スマラグドゥスという価値の高いものが適合したのも道理である。
 真名の強大さとは、力の大きさのみで計れるものではない。その人物の意志の強さ──自分が自分であることを肯定する強さ──が、大きく関わってくる。
 つまり名前とは真名を守るための、人間による防衛手段のひとつなのである。
 ぼんやりとノーシュの真名を奪った時のことを思い返しながら、ルビーの嵌め込まれた指輪を手で弄ぶ。白い前髪を軽く払って、ルクスはふっと独りごちた。
 
「まあ、こんな希少なものに相応しいほどのキュラスの人間なんて、もうほとんど居ないのだろうけれどね」
 
 唇から小さく、落胆したようなことばが零れた。

  
 シファと呼ばれた老人──師匠──は、ちらりと立ち上がったルクスに目をやった。トワイもそれに釣られて、一瞬ルクスへ視線を投げる。
 白い前髪の奥から覗いた底知れない黒色の瞳が、青年の肌に悪寒を走らせる。あれはいけない、とトワイの本能が叫んでいた。今の自分では対抗しようのない存在である、と。
 それに気を取られた一瞬後。老人の右腕が視界の端に揺れた。
 気付いたときには老人の杖が目の前へ迫っていて、青年は反射的に右腕を上げる。左足を軸にして一回転、その勢いをもって杖を押しとどめようと試みた。
 ナイフと杖の腹が激しくぶつかり合い、力が身体をす。圧力をどうにか横へ流し、床を後ろへ蹴り飛ばした。棚を背にして床を擦り、トワイは立ち止まる。風圧が髪を激しく揺らした。

「お前なら、どんな力であるのかも対抗策も分かるだろう?」 
「ッ!」

 ふっと光が瞬いた。シファの視線の先にあるのは、書類や骨董品が並んだ棚。彼の手が真っ直ぐに伸ばされる。
 トワイは咄嗟にしゃがみこんだ。風切り音を立てて頭上を抜けていったのは、投擲された小さな置き時計。
 
「相変わらず厄介な使い方をする……!」
 
 思わず口の端からそんな言葉がこぼれた。後ろで棚に激突した時計が、まわりの装飾品とともに床に落下する。一瞬目が合って、息を詰めた。
 ───視界に入っている、ある一定以下の大きさのものを己の手元へ移動させる異能力。つまり、たくさんのものが置かれているこの部屋は、圧倒的にシファが有利なのだ。そして、その力は、手に握られていたり押さえられていたりしても発動する。
 つまりそれは、視界の中に居れば、ナイフすら奪われる危険性があるということ───
 一瞬で思い出せる限りのことを思い返し、青年は音を立てて床を蹴り飛ばした。真っ直ぐ前ではなく、右手側へ。老人の視線が振られ、一瞬自分が捉えられていないのが分かる。
 その一瞬を、青年は逃さなかった。
 足が壊れてしまうほどの強さで力を発動し、爆発的に加速。
 強く床が踏み締められ、『脚力』という概念イメージが強化される。
 老人の横顔を捉えて、低い体勢からそのまま刺突を繰り出した。不意に一歩、力の発動を止める。スピードが落ち、トワイの動きにラグが生じる。
 後ろの方で、ドアが開く音が響き渡った。
 対応しようと動いていたシファの目が開かれ、杖が空振る。意図的に速度を落として空振らせようとしたのだ、と気づいた時には、トワイの身体が迫り切っていた。

 びきり、と。
 音を立てたのは、トワイの右足。 
 体が止まった。同時に刃も止まった、老人の首の皮を表面を撫でて。彼を殺すには、トワイにとっていささか積み重ねた時間が長すぎた。
 力のかかった右足が軋み、激痛が貫く。骨にヒビが入った気がした。がくりと視界が揺れて、吐き気が込み上げてくる。
 
「やはりなぁ、お前は……」
 
 彼は元来優しい人間だ。冷たい殺し屋という鍍金メッキがシュゼとリュゼによって剥がされて、本来の彼が現れたというのが正しいのだろうか。
 ふと笑みを落として、老人は足の向きを変えた。
 
「ならどうすればいいってんだよ!?」 
 
 それは紛れもない本心の吐露、低い声が木霊する。ぎっと食い縛られた歯に、拳がきつく握られた。俯いて、長い前髪が目を隠す。
 
「さて、お前に選択肢は四つ。ルクスを直接殺すか、スマラグドゥスを直接奪い取るか、殺されるか……お前が俺を殺すかだ。何が怖い? 敵を葬り去るだけだ、お前が幾度もしてきたことであろう?」
 
 静かに老人はそう告げた。明確な選択肢の提示、そして問い掛け。
 
「それが」
 
 それへの答えを、トワイが言いかけた時。
 不意に、リュゼたちがいるはずの方から乾いた音が響いた。びくりと意識が再び張り詰め、反射的に振り向く。ルクスのやや前方で、アレンと呼ばれていた黒髪の男が拳銃を構えていた。表情の見えない、能面のようなかおだった。