ダーク・ファンタジー小説
- Re: 宵と白黒 ( No.38 )
- 日時: 2020/11/23 01:01
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
- 参照: http://www.kakiko.cc
立て続けに悲鳴と同時。床へ倒れ込む音がした。
「リュゼ!?」
反射的に声を上げ、視線を横へ振る。血は見えない。それでもシファのことを完全に意識外に置いて飛び出しそうになって、ギリギリで踏みとどまる。思わず背中を向けていた、彼に……殺されるのか、と。
視線の先で立ち上がった二人が、何事か話しているのがかすかに聞こえた。どうやら二人とも怪我はないようで僅かに安堵する。だが、依然として数十メートル先の脅威が去っていないのも事実。
「なるほどな」
「どっちをだ……!」
小さくなにか呟いたシファのことを、今度こそ無視する。今までだって散々隙はあったのだから、殺そうと思えば殺せたのだ。アレンへとトワイが駆け出そうとした時───唐突に、後ろから老人の気配が消えた。凄まじいスピード。はやい、とつぶやきが漏れる。
はっとして、再び意識の焦点を老人へ向けた。
足音が響く。目を見開いて、後ろへと振り向いて。リュゼを狙って、杖が振り上げられていた。その状況を写して、次の瞬間トワイの足が踏み出される。壊れる、と思った。でも、それよりも何よりも。
「今か……」
呟いたアレンの声が遠く聞こえる。スライドが動く音も聞こえた。全てがスローモーションになったかのようだった。黒髪の少女を狙って振り下ろされる老人の杖、半歩足を引いたリュゼ。シュゼの手が伸びて、炎が宿される。彼女と共に戦わんと、彼女の意志を写すかのように燃え上がったそれ。青い光が目を刺した。
それから闘志を分け与えられたかのように。その一瞬で、トワイは今までにないスピードで加速する。
「ッはぁ!」
強烈な意志が力のリミッターを外したのだ。足の筋肉から、筋が断裂する音がした。貫かれたような痛みが駆け抜けて、膝から崩れ落ちそうになる。
あと一歩が届かない。
「リュゼ……!」
「恨むなら、俺を殺せないトワイを恨むことだ」
「私は!」
入り交じって三人の声が聞こえ、がくりと思考が揺れた。
青い火が舞っている。真っ直ぐに伸ばした左の手のひらの先、揺らぐ魂のように纏われた火。踏み締められた床と、隣に感じるリュゼの気配。大丈夫、と呟く。右手が一瞬、隣のリュゼと触れ合った。
「お姉ちゃんだ何だって言わないことが、出来ることをやらない理由にはならないでしょ……ッ!」
「私も、わたしに出来ることを……!」
二人の決意が、明確に紡ぎ出される。青く燐光を纏う確かな熱量を保った左手が、杖に向かって伸びた。
視界を満たした老人と杖、自分では何ら対抗手段を持ち合わせない。自分に何ができるのかと、リュゼがそう思ったほんの刹那。後ろに、紺色の髪が見えた。
鋭く息を飲む。それに向かって、真っ直ぐに手を伸ばして。はっきりと、時計の音が響いた。
かはっ、と。リュゼの口から血がこぼれた。途端に時計の音が弱々しくなる。うそ、と口の端から声が零れた。キャパシティを超えた力の行使。一日中、今までろくに使った事のなかった強力なものを乱用したのだから当然だ。
それでも、リュゼは意思を振り絞った。トワイが身を削っているのなら、己も身を削らなくてどうする、と。再び、音が復活する。真っ直ぐに、どこまでも清らかに。
足が再び戻ったのを、トワイは感じた。万全な状態へ。走れる、と思った。リュゼを守る、師匠を殺すことはもう厭わない。受け止められる、私なら大丈夫───シュゼとトワイが、そう決意した矢先。
たあん、と。乾いた音が響いた。
「が、はっ……」
紺色の髪が、後ろから数束空中へ跳ねる。弾が貫いた先は己ではなく───
視線を上座に振れば、アレンの拳銃の銃口が真っ直ぐにシファを照準していた。トワイの目の前で、赤く血が跳ねた。頬に降りかかるそれに、意識が奪われる。呆然とリュゼは上を見上げた。ゆっくりと力を失って倒れ込む彼。
「師匠ッ!」
自分でも驚くくらい張り詰めた声が、半ば悲鳴のようになってトワイの口から飛び出した。
「トワイさん、あ」
全て忘れて駆け寄ろうとした時、立て続けにスライドが引かれる音がした。今度の照準は、紛れもなく自分たちだ。
「無駄弾を撃たせないでもらえると助かるのだが……?」
アレンの呟きが落ちた。ルクスの口元に浮かぶ笑みが深まる。
「シュゼ、リュゼ……!」
トワイは刹那、どちらを取るべきかを迷ったように瞳を動かした。だが横合いから小さく、リュゼの声が響く。シュゼを信じて、と。空色の瞳は迷いなく。自分でも何故そんなことをしたのか分からない。
だが、この状況で唯一動けるシュゼを信じるべきだと、そう告げた。
「……私が……!」
───びりっ、と。隣で舞った血に呆然としていたシュゼの頭の中で、火花が散った。意識が急激に研ぎ澄まされる。それは極度の集中状態だったからかもしれない。何故かは分からないにせよ、シュゼは感じた。
アレンの持つ銃の中で、今にも張り裂けようとしている火薬を。
それを使えば、あれを止められると。
手を。伸ばせ、と。
「……っ、あああっ!」
弾丸の中に詰められていた火薬が、シュゼの力と共鳴する。きぃーん、と高音が脳裏に鳴り響く。頭が痛む。足元から、光が舞い上がった。
シュゼの左手が握りしめられる。
残弾十六発。その全てが、爆裂した。
「ぐ、っ!?」
アレンの手から、拳銃が跳ね落ちた。暴発か、と彼は口走る。だが、それにしてはおかしいほどに威力が強いし、引金にまだ触れていなかったはず。
内側から粉々になった拳銃は、まるで他の誰かの干渉を受けたかのように粉砕されていた。破片が幾つか手を切り裂いていき、熱された鉄の欠片が手を焼く。
「あ……!」
「シュゼ!」
華奢な少女の喉の奥から、掠れた声が零れる。一瞬飛びかけた意識が、リュゼの声で引き戻された。
凄まじい共鳴音が脳内に響き、そして止まる。手元の青い炎が一瞬白くなり、青に戻り消失した。頭が割れるように痛む。力の使いすぎだ、と思った。
ふらりと足から力が抜ける。ぎりりと歯を食いしばって、アレンへ視線を飛ばした。
死にかけの中で、ゆっくり走馬灯が巡っている気がする。彼を拾おうと思ったのは、本当に気まぐれだったはずだ。捨てる駒がいるのも悪くはないのかもしれない、と思ったからかもしれない。
「お前は、もう大丈夫だろ?」
掠れた声が零れ落ちた。名前を呼んでくれる誰かが他にいて、彼もまたその誰かを大切にしているのなら。きっともう、自分は要らないのだなと、そう思った。
──きっと、彼女は他者を変えられる何かを持っている存在なのだろう。一目見た時にわかったような気がしていた。あの少女が持つのは、自分の生ではなく、他人の生を望む力だ。他の人間とは本質が違うのだろう、と。
「死ぬのか、師匠……?」
「わ、わたし、なら、貴方を」
途切れ途切れに紡がれた少女の声。懸命に力を発動させようと、誰かが死ぬのは嫌だと。右手を翳して願って、それでも時計の針の音は響かない。口の中が血の味で満たされる。頭が痛い。身体を丸めて、深呼吸する。
同時に、シファもこほ、と口元から血を零れさせた。
「大丈夫だ、お嬢さん…………そうだな……してやられた、か? 口惜しい、と言うか……ルクスたちの計画を狂わせるのは……無理、みたいだな……」
ざわりと胸の奥で過去が揺れる。かつて自分を呼んでくれた少女の、爽やかな柑橘の香りが思い出された。ルクスィエもシールも、そしてキュラスも。皆哀れな一族だったのだな、と思う。
「ガキだな、さっきまでオレを殺すとか言っといて……自分が死にそうになったらそんなこと言うなんて、さ」
「笑っとけ。狙って……のは………れか?」