ダーク・ファンタジー小説

Re: 宵と白黒 ( No.49 )
日時: 2021/01/09 15:36
名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)

 弾けるようにネックレスがルクスの手から飛び、チェーンが空中へ舞う。天井の照明を反射して、真名の圧に耐えきれなかったそれが、きらきらと煌めいた。
 がくりとルクスは膝を折る。かは、と、吐く息の中に血が混じっているのを見て、アレンは歯を食いしばった。だからあれほど、という言葉を口の端に溶かして、黒髪の男は立ち上がる。
 ネックレスが、真名の力に対して全くもって釣り合わなかった。その場合の真名奪いへのフィードバックは、とてつもない痛みを伴う。本来そう易々と人間が行使できる力ではないのだ、とアレンは思う。
 未だに痛みの余韻で立てないトワイと、それを介抱するように寄り添ったリュゼ。その二人を守るかのごとく、シュゼがきっと彼らを睨んで立ち上がった。
 
「ルクスさん、もうやめなよ。いまならきっと、まだ……!」
 
 シュゼのその言葉に、ルクスはそっと眉根を寄せた。顔を上げた彼は、心底分からないとでも言いたげに首を傾げる。
 
「なにか勘違いしているようだから言っておくけれど。僕は僕自身の保身がしたいんじゃないんだぜ? 僕が居なきゃキュラスは成り立たない。ノーシュの記憶が戻れば、僕はこの立場を追われるだろうね。だから僕は君らを逃がす訳には行かない」
「いくらなんでも度が過ぎてるよ! そんなやり方じゃ、誰も幸せにならない……!」
 
 シュゼが叩きつけるように叫んだ言葉に、ルクスは目を瞬かせた。数秒かけてその言葉を咀嚼する。その意味をようやく理解すると、無意識のうちに顔を歪めていた。
 それに気付いたアレンが、主を庇うように声を響かせる。
 
「ルクス様、貴方は間違ってなどいない」
「アレン」
 
 す、と、ルクスの右手がそっとアレンを制止した。圧倒的な威圧感を伴って、ルクスは淡々と、言い含めるように口を動かす。黒い瞳が煌々こうこうと光を帯びて三人を見つめた。
 『幸せにならない』と。彼女はそう言っただろうか。その言葉が、頭の中にエコーを伴って響きわたる。
 
「もう、馬鹿みたいだな」

 口元から血を零した彼は、凄絶なまでの笑みを閃かせていた。はははは、と。声にならない笑い声が、喉の奥から込み上げる。
 自分が今までどれほど苦労してきたかも知らずに、この少女は。
 それと同時に、それは自分の努力を否定されたくないだけのエゴなのだと、そう理解する自分も存在する。本当の救世主とは、本当の良き主とは、そんな醜いものではないのだろう、と。
 
「ルクス様、貴方は」
「さっきのが、黙れという意味だってことが分からなかったか?」
 
 今まで張っていた糸が、ぷつりと切れたような。そんな口調でめいを下す主に向けて、アレンは声を掛けようと試みる。感情など映さない仮面のようだった顔が、主を止めることが出来ないという事実を前にして、酷い焦燥に染っていた。
 それに反して、ルクスの顔はとてつもなく静かだった。先程までの笑みは消えていて、仮面を付け替えたかのような無表情がそこにある。最後までアレンに言葉を紡がせぬまま、彼は告げた。
 
「終幕、だ」
 
 彼はちらりとアレンに視線を投げる。微かにアレンが息を飲んだ。刹那躊躇うように俯いて、それでも無言で一礼する。ルクスだけでもどうにかして守りたかった、と後悔が胸に広がった。だがルクスがそれを望まないなら、それを尊重することもまた臣下の務めなのだと、そうアレンは理解する。
 そう覚悟を決めて、アレンはルクスへ捧げるように、先程取った宝石箱の蓋を開けた。そこに埋め込まれていたのは、宝物の類ではなく。

「リュゼ、なにかしてくるかもしれない……トワイさんと懐中時計、お願い」
「シュゼ……最後まで向き合わないとダメだよ、私たちが始めたことだもの」
「分かってる」
 
 誰も幸せになんてならない、と。リュゼと小声で会話する一方で、先程の自分の言葉を噛み締める。ルクスに殺されたたくさんの人たちも、ノーシュも。彼らを心配する家族、配下の者たち。その『誰も』には、彼らも含めて言ったつもりだった。主の身と思い、それらに板挟みになって苦しげなアレンを、虚無を抱えるリフィスを、精神こころを磨り減らすルクスを。
 でもそれは、伝わらなかったのだ。
 
「ごめんなさい」
 
 言葉を絞り出した。それでも、とシュゼは思う。独裁するような、そんなやり方が正当化されていいはずがないのだ。
 アレンが宝石箱の中身を取り出そうとしている。そんな風に、シュゼとリュゼには見えていた。