ダーク・ファンタジー小説
- Re: 宵と白黒 ( No.51 )
- 日時: 2021/05/31 22:02
- 名前: ライター ◆sjk4CWI3ws (ID: cl9811yw)
「───ですが、また今からあなたと殺し合いをする気にはなれません。私はもう、それほど非情になれない。……ルクス様の方へ加勢をしに行きます。私を殺したいのなら、その隙にどうぞ」
リフィスは、薄く笑みを浮かべながらすっと一歩踏み出した。かつりと足音が響く。
「あなたがそこまで信頼してくれる理由が、僕には分からない」
「あなたは真剣だった。私自身を見てなかったのは事実かもしれないけれど、でも確実にあなたは向き合おうとしていた。違いますか」
意表を突かれて黙り込んでしまったレンを振り返らずに、リフィスは彼を追い抜いて扉の方へ歩いていく。彼女が扉に手をかけて、引き開けた。
その刹那の静寂を、まるで見越したかのように。
────爆音が、轟いた。
「は…!?」
「ツッ……!」
反射的に床面に伏せて身を丸めるが、それでもびりびりと耳鳴りがする。頭を直接殴られたかのような衝撃が駆け抜けた。廊下の向こうの方を見透かしてみれば、そちらの壁面が大きく爆ぜているのが目に入る。緩く炎が床を撫でていた。
直接確認した訳ではないが、おそらく、そちらにはエレベーターホールがある。レンはそう思考して瞬いた。
かろうじてこの廊下が密閉されていない──レンが非常階段の入口を背にして立っている──おかげで、爆発の圧で死ぬということはなかった。が、いざという時、高層ビルの最上階から地上一階まで階段を下りるというのは、あまりにも非現実的だ。
「リフィスさん!」
ば、と顔を上げてリフィスの方を見上げてみれば、彼女はぎりぎりで室内に滑り込み、難を逃れたようだった。
「ルクス様!」
自分などお構いなしなのだろう。あっという間に彼女の姿は消えていた。
その様子に小さく苦笑をこぼしてから、レンはリフィスの後を追おうと立ち上がる。が、くらりと一瞬目眩が生じた。爆圧の影響か、と呟いてから、どうにか壁伝いに歩き出す。
緑の非常灯が、彼を照らした。
□ △ □
─────爆音が、轟いた。
おそらく廊下、しかし、これは。
「ッ伏せろ!」
トワイが弾かれたように顔を上げて、直後僅かに顔を歪める。反射的にリュゼの手を引いて床へ伏せさせた。彼女がシュゼもしゃがませたのを確認して安堵した。
リュゼもまた、どこか呆然とした顔でルクスの方を見つめていた。小さく唇が動いている。何を言っているのかまでは分からなかったが、その視線が動いて姉の背を捉えたのは見えた。
ほんの数コンマ秒。
それを置いて、右手側の壁から轟音と共に炎が吹き上がる。そこにはオブジェがいくつか設置されていたはず。爆弾が隠されていたのか、と口走る。数は多いが、単体での威力はそこまでではないはずだ。
この部屋が相当広いからか、そこまでの衝撃ではなかったが、そこに近ければただではすまなかっただろう。反射的に立ち上がり、ちらりと出口の方を確認した。
出口は無事。しかし、廊下がどうかは分からない。爆発音から察するに、下の階へ降りる手段が残されていなくてもおかしくはない。
「な……んで、こんな」
シュゼの声は、ひどく震えていた。
視線を動かしてルクスたちを見遣れば、彼らにはひと欠片の動揺すら見当たらなかった。ならばこれは彼らの仕業だと断定する。耳鳴りがして、顔を歪めた。
先程の爆発で、火の手が徐々に回り始めている。おそらく壁が木造ではないからか、そこまで早い訳ではない。だが確かに、じわりじわりと、熱が這っている。
「火の手が回りきったら全員焼け死ぬぞ……!」
もう止められないと分かってはいながらも、警告めいたものを口に出さずには居られない。リュゼに小さく頷きを返してから、じわりと後ずさった。
「ははははは───ッ! 構わないさ、全部終わりにしてしまおうぜ! ……カハ、っは……本当はさ、僕たちは逃げるつもりでいたけど、まあ全部どうでもいいかなって思うんだよね!」
まるでこの状況に狂喜したように、一転大きく両手を広げて彼は叫ぶ。とてつもない圧がルクスの全身から放たれた気がして、シュゼは身体に力が入らなくなる感触すら覚える。
トワイもまた、微かだが鋭く息をこぼした。今のルクスは、精神を壊した者のそれ。早くここから脱出しなければならない、と焦りが一層強くなる。
「まあ……この感じは、いっそ爽快ですらあるけれどね」
刹那冷静に戻って、小さくルクスは呟いた。口からさらに血がこぼれたのが分かる。真名を奪おうと『手』を伸ばした時、トワイというらしい青年の魂の、いわば精神力とでも言うべきものが、凄まじい勢いで逆流した影響だった。まさかあの一瞬で、ここまでの強さに成長するとは思いもしなかった。
誰かに肯定されるということが、それほどまでに人を変えうるのだろうか。大して強い力を持つ訳でもない
彼に、ここまでやられてしまうとは。
「ルクス……様」
アレンはそっと、ルクスの名を呼んだ。シュゼ・キュラス。彼女の持つその名こそが問題だった、と思う。彼女たちキュラスの一族が幸せにならんと努力してきたのにも関わらず、それを当の本人が否定したのだ。彼が負った傷は計り知れない。
「ルクス様!」
鋭くて、少し高めの新たな声が、そこに飛び込んできた。そちらに二人の意識が数秒逸れる。
「行くぞ!」
素早く振り返るなりトワイは走り出そうとする。だが、その足はすぐに止まってしまった。爆発による火の手が、もう扉の方に回り始めていたからだ。
無言のまま、きつく歯を食いしばって踏み出したのはシュゼだった。まっすぐ伸ばされた手から煌めきが舞って、そのまま右に払われる。それは共鳴、先程アレンの銃を吹き飛ばした時と同様に、扉の方を覆わんとしている炎を自分のモノにしようとしているのだ。
赤々と、床を舐めるみたいに広がっていた炎が、じわりじわりと青く染まり出す。全部消し去るのは無理だとしても、少しの抜け道があればいい、と思考する。
「トワイさん!」
指揮者が、最後の音を切る時みたいに。ばっ、と右手を握りしめる。
一瞬で白に変化した炎たちが消失して、刹那道を作り出した。
ああ、と小さく、しかし確かに彼から応答。
リュゼの手をひいたまま、トワイは持ち前の反射神経を活かして飛び出した。シュゼが炎を制御下に置いている隙に。リュゼがはっとしたみたいに顔を上げて、シュゼへ手を伸ばした。その手をもう一度握りしめる。小さな火が足元を舐めはじめた。
それを飛び越して廊下へ転びでて、はっとして部屋を振り返った。
「レン! はやく!」
シュゼは振り返ってそう叫び、どうにか炎を抑え込む。鈍器で殴られているような頭痛が頭に巣食っていたが、無視してチカラを行使し続けた。